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この身は露と消えても……とある転生者たちの戦争準備(ノスタルジー)設定資料集  作者: 有坂総一郎


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「このはと」電探技術&開発に関して

もう一つの問題。


八木宇田アンテナの取り扱いだ。


八木宇田アンテナの基礎理論は1924年頃、その理論解明が出来、論文発表と特許出願は1926年である。


この時期、東條英機は陸大教官と参謀本部員であり、また、1926年には兵学教官となっている。


彼が八木、宇田両教授と関係を持つとすれば、やはり、論文発表時点であると考える。それが自然だろう。だが、問題は肩書だ。教官という立場上、好き勝手に行動するというのは難しい……。


しかし、1928年には彼は陸軍省整備局動員課長になっている。彼の所管する職務は召集・動員、軍需工業の指導、軍需品の統制・補給・製造についてである。陸軍省整備局は動員課と統制課があり、恐らく職域は、前者が召集・動員、軍需工業の指導であり、後者は軍需品の統制・補給・製造になると思う。


そうなると、動員課長という立場で”軍需工業の指導”という点で介入することが出来るのではないかと思う。ただ、製造についての権限はないから介入出来ても電探の開発を命じることくらいなものだろう。


だが、彼の上役である整備局長は松木直亮中将は前職が陸軍兵器廠付であったことから、兵器開発や製造関係には影響力を有していると考えるべきだろう。


ってことで、電探開発については1928年時点から進めることが可能であると判断する。

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