わたしの大切なきみ
ねえ、きみ。
青い眸がとても素敵だね。
古臭い誘い文句じゃないよ。
わたしがはじめてきみに逢った時、とても心惹かれたのが、きみのその青い眸だったんだ。
きみの眸は、とても不思議な色だった。
昼の日が差している間は青く、澄んだ海の色みたいな神秘的な色をしていたのに、日が落ちて夜になると、暗い赤色に染まったね。
夕日が沈んでいく、昼と夜の狭間のように。
不思議だね。そんな眸、今まで見たことがなかったよ。
昼と夜と、別の顔を見せる眸の色。
まるで、男をもてあそんでふりまわす、小悪魔みたいだ──なんて言ったら、きみに失礼だね。
だってきみは、れっきとした雄だったもの。
わたしの所に来た時には、その機能を人の都合で配慮された、術後のきみだったけれどね。
きみがわたしの所に来た時、きみはもう立派な成人だった。
きみは覚えていなかっただろうけれど、わたしはきみの小さかった時を知っているんだ。大きな青い眸がつぶらな、ふわふわなきみだった。
小さかったきみに爪を立てられてもほほ笑ましかったのに、大きくなったきみに爪を立てられて血が出たら、憎らしかったのはなぜだろう。ごめん。
その後、しっかり爪を切ってきみに思いっきり嫌がられたけど、でもやった。ごめん。
わたしが巣立とうとした時、きみを置いて行くこともできた。
でもなぜだろう。きみと離れることなんて、考えてもいなかったんだ。当たり前のように、きみと一緒にいられる条件を探した。
きみとのふたり暮らし。
楽しかったね。
日がいっぱい当たる部屋で、休日は一緒に日向ぼっこしたね。
きみは、わたしの膝の上で眠るのが大好きだった。わたしの膝の上を、自分の寝場所に定めていたよね。
わたしが、膝がしびれて横に下ろすと、いつも不満そうに鳴いていた。
冬場はもちろん、三寒四温や秋口、ちょっと肌寒くなると、いつもそばにすり寄ってきたね。
なのに、わたしがちょっと人恋しくなってきみにすり寄ると、嫌そうに逃げたよね。
なんでよ。わたしにも、ちょっとぐらい甘えさせてよ。
きみは、色々ととてもちゃっかりしていたよね。
寒い冬の朝、暖房の前でまどろむわたしが、『なんか暖かくない』と目を開けて見ると、ちゃっかり、暖房器具の温風口、一番暖かいところですました顔でたたずむきみがいた。
明け方、わたしが寝床で、『……狭い。なんでこんなに狭いの』とうなされる思いで目が覚めてみたら、きみが同じ寝床で、枕に対して縦ではなく、ちゃっかり並行になって寝ていた。
ご主人さまより、寝台を占領していたきみってどうなの。
週末のお楽しみ。晩酌中にちょっと席を立って戻ったら、テーブル上のおつまみチーズにがっつくきみがいた。思わず声を上げたわたしに、きみは急いで逃げだしたね。
まさか、実地で『サザ○さん』をやるとは思わなかったよ。
結局、きみのよだれでダラダラになったおつまみは廃棄処分。きみの口に入ったのはどれだけかな。身体に悪いのに。ちゃっかりしていたよね。
夏場のきみはほんとうに暑苦しくて、わたしはいつも冗談半分、涼しいところで干物のように伸びているきみのお腹をまさぐったんだ。
チャックはどこだ、この毛皮を脱げ、ってね。
きみがいたから、わたしは乗り越えられてきたことが数えきれない。
仕事でつらい目にあった時。恋人とすれ違った時。仲のいい友人と口論になった時。家族とケンカした時。自分の夢にくじけた時。
きみの存在がどれだけわたしを支えてきたか、知らないでしょう。
ごめんね。実は、わたしもはじめてわかったんだ。
きみがいないことが、こんなにも堪えるなんて。
きみがいつか、わたしより先にいなくなっちゃうことは、うっすらわかっていたんだ。
だって、それが自然界の摂理。世間一般の認識だったから。
でもね、わたしはきみが二十歳を越えたあたりから、ちょっぴり本気できみの尻尾をいつもなでていたんだ。
二つに分かれないかな、って。
馬鹿でしょ。でも、ちょっと本気だったよ。
その思いがだれかに届いたのかどうか、きみはその後も元気にそばにいてくれたね。
だからわたし、油断していたんだ。
きみの様子がおかしくなってきた。
痩せてきて、いつものエサも好物のものも食べなくなってきたね。
お医者さんも難しい顔をしていた。色々と手を尽くしてくれたけれど……きみに届かなかった。
病院から帰って、きみとわたしの家で酸素吸入をして少しして。
きみは、わたしが手を添えている中で何度か大きく呼吸をして旅立った。
ねえ、きみ。
きみに聞きたいことがあるんだ。
きみは、わたしと出逢って幸せだった?
わたしはたぶん、あまりよい主人じゃなかった。わたしの都合できみをふりまわしたことが何度かあったし。
きみを置いて他の家にお泊まりしたこともあったし。旅行にも行っちゃった。
二日酔いの朝は、きみがご飯ー! と騒いでいたのに、大人げなく怒っちゃった。……ごめん。
一緒に寝ていたきみが、わたしが寝返り打つたびに、わざわざ同じ方向にもぐり直してくるのが、正直ウザいとか思っちゃった。……ほんとうにごめん。
今はきみのぬくもりがないのがさみしい。
きみとわたしの家に帰っても、きみの出迎えがないのが悲しい。
こんな自分本位な、ダメな主人で、ほんとうにごめんね。
こんな後悔だらけで、きみに幸せだった? なんて聞くのはおこがましいと思う。
きみがいなくなってから、ああしてあげればよかった、こうしておけば──あの時、あんなに怒るんじゃなかった──もっと早く、異変に気付いていれば──なんて、際限なく後から後からわいてくる。
こんな主人で、ほんとうに……ほんとうにごめんね。
あのね、本で読んだんだ。
一度繋がりを持った関係なら、次にも出逢える可能性があるんだって。
きみは、もうわたしとは逢いたいとは思わないかな……。
でも、ごめん。図々しく言う。
わたしはまた、きみに逢いたい。
きみの、あの青い眸がまた見たい。
きみと出逢えた時間、すべてが宝物だったんだ。
きみと出逢えて、わたしはとても幸せだった。
できるなら、またもう一度、どんなきみでもいいから逢いたい。
きみの鳴き声が聞きたい。
きみに触れたい。
きみも、ほんの少しでもいいからそう思ってくれていたらいいな。
だから、また次に逢える時を信じて待つよ。
今は、ほんのちょっぴりのお別れ。
そう思っていいよね?
大好きだよ。
ずっとずっと、大好きだよ。
何度でも、いつまででも、同じことを言うよ。
わたしの大切なきみへ。