第三話 勧誘は突然に
日が燦々と輝き、人を焼き殺そうとする季節。エアコンもないボロアパートに住む大和の下に珍しく来客があった。
「朝早くに申し訳ありません。津田大和様でしょうか?」
訪ねて来たのは一言でいえば怪しい人物。
体格はそれこそ中肉中背の中年の男だが、この熱い季節に隙の無いスーツ姿。短く整えられた髪。紳士のような笑みに柔らかくも無駄のない姿勢。
偉い人、もしくはその付き人が似合いそうな人。
そんな人が苦学生の住むようなボロアパートを訪ねて来た。大和の知り合いでもなく、怪しさ満点。
警戒しない訳がない。
「……そうですが、誰ですか?」
「失礼いたしました。私、久杉衛と申します。今この方についての情報を集めておりまして、何かご存じではありませんか?」
そう言って久杉が懐から取り出した一枚の写真。
そこに映っていたのは誰かが理想の女性を描いたかのような、美しい女性。
残念ながら大和の知り合いに絵画のような美しい女性はいない。
「知りませ――あ?」
知り合いにはいない。ただ、見たことはあった。
「おや? ご存じで?」
「知っているわけではないですけど。冬にコートを盗られた相手です」
「ほう? 冬に、コートを。なるほど……。失礼ですがどのようなコートか教えて頂いてもよろしいですか?」
外国人専門の警察の人なのだろうか、と思い大和は使い古した特に特徴もないコートについて説明した。すると久杉はただでさえ細い目を細めて嬉しそうに頷く。
「なるほど、なるほど。いや、良かった。津田様、申し訳ありませんが少しお話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」
何を納得したのか、何が良かったのか、大和には分からない。ただ自分にとって良い事ではない、気がした。
そしてよろしいですか、などと尋ねつつも拒否を認めない態度に大和は何か間違えたかと後悔するももう遅い。
久杉が乗って来た車に案内される。
黒塗りの高級車。さも当然のように乗り込む久杉。その後を緊張した様子で大和が続く。
「出してください」
待っていたのであろう運転手に慣れた様子で指示する久杉を見て、嫌な予感が足元から這い上がってくる。
警察官、ではないのだろう。そのような車に乗り、さも平然と運転手に指示する警察官がここに来るとは思えない。
代わりに大和の頭に浮上してきた可能性はヤの付く危険な職業。
あの女に関わった所為で碌でもないことに、まだ死にたくはないと自分の運命を嘆いている大和に、久杉は気にする様子も見せず何食わぬ顔で飲み物を渡すと。
「それでは改めまして、私は異界省局長の久杉衛と申します。すみませんね、名刺が以前のものしかなく、見せるだけですが」
自らの身元を証明するように名刺を見せて来た。そこには『警察庁刑事局捜査第一課』と『捜査第一課長』の文字。
元警察官、それもかなりお偉い。その事実に大和が驚くも、気になったのはその先。
「あ、ありがとうございます。警察庁については分かりますが、異界省というのは聞いたことがないのですが?」
「ええ、そうでしょう。ですが、ニュースなどは見ますよね? なら自ずと検討は付いているでしょう。異世界関連を扱う省庁とお考えください。人、技術、文明、あらゆるものを扱います。まあ、まだ準備中ですが、水面下では色々と動いている状況です。ご理解ください」
異界省やその仕事、久杉の立場は理解できたが、大和にはどうしても理解できないことがある。
「あの、何故私を訪ねて来たのですか?」
異界省局長というお偉いさんが、ただの苦学生を訪ねて来たこと。何か専門的な知識を持っているわけでもないし、異世界の事などまるで知らない。訪ねてくる理由などない。
ただ唯一、可能性があるとすれば。
「おそらく、気付いているでしょうが津田様が冬に出会った女性は、異世界の住人です。それも、人ではない人、なのですが」
あの冬に出会った女性関連だろう。聞いたことない言語、世界地図に対してまるで初めて見るかのような反応。心当たりがかろうじてある。
ただ、そうすると新たな疑問が生まれる。
「ですが、確か異世界から亡命者が来たのは梅雨頃ですよね。私があの女性と出会ったのは冬です。時期的に間違えでは?」
「当然の指摘です。これは、異世界の方々から聞いた話で、科学的根拠は一切ありませんが、世界というのは複数あるそうです。当然、その中には危険な世界があり、逃げる先を選ぶのであれば生きていける世界、安全な世界が望ましいですね。ですから、彼らは全員で世界から逃げる前に、偵察として何名か送り込んだそうです。津田様が出会ったのはその一人ということですね」
大勢が一斉に異世界に移動するのだ。ある程度の安全性を確保するために生贄と言う名の偵察を出すのは当たり前。
納得するも、未だに答えてもらっていない疑問がある。
「そうでしたか。となると、久杉さんは私が異世界人に出会ったことを言い触らさないように注意をしに?」
どうにも拭いきれない悪い予感を払拭するため、大和は内心違うだろうと思いつつも想定の中で最も被害の低いものを口にしたが。
「いえいえ、まさか。そのようなことで参ったのではありません」
分かりきっていた。異界省の局長が注意程度の為に来るはずがない。車に乗せられたのも半ば強制であったように思える。
良い想像などまるで浮かばず、悪い想像ばかりが膨らみ破裂するかという時、久杉が口にした答えは。
「津田大和様、異界省で働きませんか?」
予想だにしない言葉だった。