シアー
どういう訳か、人は自分のタイプと呼ばれる異性とはかけ離れた女性をどうしようもなく好きになってしまうことがある。
俺はそうだった、嫌いなはずの子をどうしようもなく好きになってしまった。
そして、彼女がいなくなった後もあの香りを感じるとあの頃を思い出す。
朝が来たようだ今日も雀たちの鳴き声で目が覚める。そしてまだ朧げな意識が次第にはっきりしてくるにしたがって布団の中から甘い香りが立ち込めてくることに気づいた。
そして朝から・・・・まあ、まだ俺も若いってことで、一部が元気だった。
なんだ、これ女の子のにおいじゃん。
うつらうつらしながら体を起こしたら。 それは自分の胸元から香っていた。
そうだ昨日バーバリーのシアーを付けて寝たんだっけ。
俺にとって香りは思い出、その全てに意味がある。 香りを吸い込むことで、風景を思い出すのだ。
シアーは俺が高校生の時好きだった子が俺の家に来たときに纏っていた香り。
それがあまりにもいい香りだったので、それをあとで密かに買った。男なのにね。
その子はもともと、香水自体に全く興味のない子だった。 というかファッションに興味がないといった感じで彼女の爪にはマニキュアの代わりに油性ペンの黄色いマッキーが塗られていた、おかしいだろ?
そんなおかしな子に魅力を感じるなんて自分の事を変に思った。
髪は黒髪、所作美しくいつも控えめに笑っている、そんな清楚でなだらかな曲線のような人が自分の好みだと思っていたからだ。
それがどうだ、この子ときたら。
周囲の反応、自分がどう思われているかなんて全く気にも留めていない様。
登校初日にもかかわらず大きな声を出し寝癖気味の髪を振り乱したその子はどこぞの男子を追いかけて、私実は去年もここにいたんだよと言わんばかりに楽しんでいる。
今日初めて会った人間にもさも友達だったかのように馴れ馴れしく話しかけ、挙句ポテトチップスの油でギトギトになった手で相手の服にベタベタ触る。
俺も初めて遭った時勝手にあだ名をつけられた、呆気にとられて何処のどなたですかといった感じだった。そして彼女は散々好き勝手話してから去り際に一言。
「アンタ面白いね」
だとさ。
ああ、世の中にはいろんな奴がいるんだな、俺の見ていた世界なんて本当に小さくてまだまだなんも分かっちゃいなかったのかもなんて思ったり。
けれど嫌な気はしなかったんだ。
そうやって話され続けると途中から、もしかして自分はこの子と前に何回か会ってたのかなと錯覚しそうになった。
まるでアヴリル・ラヴィーンのように自由で下品で、そしてちょっぴり可愛らしかった。
それから幾日経ったか、少し仲良くなりその子の誕生日が来て俺は何かをプレゼントしたくなったのだが、今まで女子に何かをあげたことなんて一度もなく結局何も思い浮かばなかった。
それで悩んだ末ファッションに興味がなさそうだったので、当時自分が使っていたユニセックスのカルバンクラインを新品のアトマイザーに分けてプレゼントすることにした。
当時カルバンの白CKと言ったら男も女も使える香水の定番であり清潔感漂う自然なシトラスベースの香りで人気があった。
余談だが、さらにそれよりもうちの高校で人気があったのはブルガリとジバンシーの二つで、もう教室に一歩入ればどちらかの香りがするぐらいのものだった。
自己主張が強くなって多感な時期ともいえるのか、とにかく皆他人と違ったことがしたくてオシャレに気を配り香りを纏ってみたりするわけだが、選んでる香りはみんな一緒で今思えばそれが滑稽だったりする。
それにしても安易すぎたかな。
自分と同じ香りを女子にプレゼントするとか世間一般からしたら随分大胆なことだったようで友達には、
「お前凄いな、それ自分と同じ香りつけろってことだろ、意味深すぎる」
と突っ込まれた。
お前はもう俺のものぐらいメッセージに思っただろうか。
渡したのは彼女の誕生日の何日か前だった。
学校が終わって
「今日友達と家で映画見るんだけど、見に来ない?」
と誘われた日。彼女はいつもこんなノリだ、かしこまってなくてそこが良かった。だから俺もサラッと、ああ良いねと言えた。
彼女は相手が話しやすい雰囲気を作る術を心得ていたのだ。
それで彼女の家は学校から歩いてすぐだったので、ロッカーにしまっておいたプレゼントを持ってちょっと寄って行った。
観た映画は俺の好きなラッセル・クロウのビューティフルマインド、男女4人でその子の部屋で見た。
部屋の中は案の定散らかっていた。これはひどい、という程ではなかったものの女の子の部屋という印象は皆無だ。
そうだな、むしろ小学校高学年の男子の部屋という感じだ。
木製の色あせた机に落書きが沢山描いてあり、スポーツバ
ッグや教科書などは部屋の隅に追いやられていた。壁のシンプソンズのポスターが斜めに貼られていてその適当さ加減がとても彼女らしい。
映画の内容は刺激に飢えている高校生には正直退屈過ぎて、途中から一人居眠りをしだした奴がいた。
俺もラッセルが出ているにもかかわらず内容すら覚えていない。
映画が終わって彼女が一言。
「わけわかんない映画だったね。あーつまらなかったね」
でもそのつまらない映画のおかげで彼女と接触できるチャンスができたわけで、内容がどうのこうのというのはこの際関係がなかった。
それで帰りにこっそりプレゼントを渡した。
緊張を悟られないよう努めてラフに、バースデイおめでとうみたいな感じで。それはそれは勇気が要ったが何とかやってのけた。
そしたら思いのほか喜んでくれて
「なにこれ気持ち悪い!」
って言われることも多少覚悟していたので安堵した。
ありがとう今度使ってみる、ってさ。
俺にしては上出来だと思った。
まあ、それからも俺たちの仲はどうにもならなかったんだけどね。
時が経ってあれから俺たちは大人になった。
それから一度だけ大人になってからたまたま彼女が家に来た時があったんだ。
ドアのピンポンが鳴って緊張しながらも玄関を開けてみる、そして目の前の彼女を見てお驚いたのなんのって。
高校時代、彼女と最初にあった時の
「何処のどなた?」
という言葉が頭の中にふっと沸いた。
長い髪は明るめの可愛らしいショコラ色、さらに緩いウェーブがかかってとてもオシャレに変身し、あのいつも寝癖気味だった女の子はもうそこにいなかった。
メイクも目元にアイシャドーを控えめにのせ、ナチュラルだか唇にはグロス、頬にはチークまで塗られていた。
そして白いフリフリのスカートにピンク掛かったシンプルなブラウスは俺が思う清楚に近かった。
そして、この時彼女が高校の時まったく興味がなかった香水をつけていることに気づいた。
それが何より驚きだった。
もしかして昔俺が渡した香水が彼女が香りに興味を持つきっかけだったりして、なんてね。
ファッションというものは最後に香りを纏う事で完成される、とはどこぞの偉い人の言葉だがまさにそれで、服装に合った香りを選んでいて大人に成ったなと感じた。
透明感があってみずみずしく少し甘い花の香は、あの下品だった彼女を最高に上品な女性に変えた。
「久しぶり、元気してた?」
「ああ、お前随分変わったんだな」
「もう子供じゃないからね、私も一応女だし」
「そっか、良いじゃん似合ってる、可愛いね」
「私、可愛い・・・かな。好き勝手やってきたけど今はもうあんまり自信がないの」
「どうしたんだよ、お前らしくもない。しかしまああの破天荒な子が随分大人に成ったな。今のお前可愛いよ。ずっと素敵になった。だから昔みたく自信もって堂々としてたらいい、お前にはそういった強さがあるんだから」
「ありがとう。アンタも随分変わったね、シャイだったのに女の子褒めるの上手くなった」
「時が経てば変わるさ、誰だって変わる」
「そっか、そうだよね」
彼女はやっと笑ってくれた。
あの子がこんな綺麗な人になるなんて、時の経過というものは本当に不思議なものだ。
時計の針が進めば進むほど人は良くも悪くもどうにでも変化するのだから、楽しみでもあり恐ろしくもある。
俺にしたってそうだ、昔は女子に向かって可愛いなんて絶対言えなかったのに大人に成って素直になったのかな。
綺麗なものを綺麗、可愛いものを可愛い、そして素晴らしいものは素晴らしいと言えるように変わった。
そう思うと歳を重ねるということは必ずしも悪い事ばかりではないなと思ったりする。
若くありたい、歳をとりたくない、年齢は訊かれたくない。自分が歳を取ることに多くの人がネガティブな印象を持っているが、皆人は時を経て成熟していくということを忘れてやしないか。
俺は彼女を見て歳を重ねてこそ見える世界があると思った。
俺たちはどんな時も成熟の過程の中にいるのだ。
しかしながら、やっぱり変わってないところもあって、御土産の箱の開け方が乱雑だったりバッグの中も全く整理されてなかったり、喋る量も相変わらず多くてそこは紛れもなく彼女だった。
どっかのケーキ屋のシュークリームの箱を破って、シュークリームはここのが絶対美味しいんだよと子どもみたいにムキになって力説してたっけな。
そしてしばらくして彼女が纏っていたシアーが部屋の中で香り出したとき、無機質な俺の部屋の空気が色づいていって、その色彩が踊りだしたんだ。
その風景を眺めて今日はこの子と会えて本当によかったなって思えた。
もう君はマッキーの黄色で爪を塗ることもなくなったんだよな。
良い一日はあっという間に過ぎて、俺たちは玄関先で笑ってさよならをした。
その日を最後に彼女とは会っていない。
そうだな、昔から住む世界が違ってたんだろうな。
あれから元気にしているだろうか。
今でもシアーの香りがするとあの頃を思い出す。
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