048 司書
「というわけで、ミスリルっていうのはね、鉄に炭素、アルミ、クロム、ニッケル他色々と混ぜ合わせた合金に過ぎないの。
合金って言えば聞こえは良いけど、そのままだと、単なるぼろ鉄でね。
それを、物質変化の魔術を付加することでミスリルにするの。
ちなみに、合金の配合っていうのはそれぞれの工房の最重要機密でね、微妙な配合の違いで性質がけっこう変わったりもするの。
ここまではオッケェ? ワイルドキャットちゃん? 」
身長の何倍もある書棚の上からカタリーナが日本語で早口で説明していた。
場所は、ジルバートの総合歴史図書館の蔵書室だった。
単なる蔵書の収集にとどまらず、ありとあらゆる知識の収集、調査、伝承を生業とするシンクタンクであり、大陸最大の規模を誇る図書館であり博物館、研究所を兼ねた組織である。
その組織における司書兼歴史研究者がカタリーナの本来の役割である。
「ワイルドキャット? ……その、魔術自体が、わからないんだけど? 具体的にどう魔術をかけるの? 」
ワイルドキャットというフレーズは無視して、本棚の下から、灯が聞き返した。
やや、イントネーションが怪しく早口であるが、カタリーナの日本語は十分に理解できるレベルだった。
しかし、図書館だというのにこれほどうるさくしゃべっても良い物なのだろうかと思ったが、周りも何を言っているのか判らないが、ガンガンしゃべっている。
ジルバート中央図書館では、議論は推奨されているのだった。
「やり方はいっぱいあるんだけど、一番オーソドックスなのはね、魔術式を書いて一日お日様の光を集めて浴びせるだけだよ? これは太陽式って言って、他にも水を使った方法もあるけど、いっぱい水がいるから、水資源が豊かな地域じゃないとやらないね」
「はぁ、そんなことで? 」
説明を聞いても納得できなかった。
どうも、この異世界に来たという実感がまだ薄いのだが、目の前に並ぶ見たこともない言語の題がつけられた本や、辺りから聞こえる未知の言語の喧噪が、それでも、異世界に着てしまったという事実を突きつけている。
「うーん。理屈がわからない? 魔術自体の説明をしようか? 結局異能の説明にもなるけど」
「ええ。お願い」
「魔術っていうのはね、異能を魔術解析することで、不特定多数の人間でも条件さえ整えれば使えるようにしたものなの。たとえば、異能者なら手で触れるだけで起きることを、魔方陣を組む上げることで、誰でも使えるようにしたりするの。じゃあ、異能って何かってなるけど、異能っていうのはね、この世界における特異な物理法則なの。私って、こっちの生まれだから、地球の物理法則って言われてもあんまりピンッとこないんだけどさ」
「物理法則? 重力とか慣性とかと同じ? 」
選択は生物なので、あまり得意ではない物理の話が出てきた。
「そうそう。特定の人物の特定の条件下で発動する物理法則が異能。異世界から来た人たちが使えることが多いけど、こっちで生まれ育った人でも使えることはあるし、逆に異世界から来ても使えない人も珍しくないのよね。ちなみに私も異能は無いよ。私が知っている限り、クリストファーさんも含めて数人だけかな? 」
異世界、いや、カタリーナから言えば、地球が異世界になる。
どうやら、本当に物理法則からして異なっているということらしい。
それでも、今のところ、トゥエルブのように特別に体調が悪かったりしないのは、ある程度は共通しているという事なのだろうか。
「ちなみに、魔術解析って、何するの? 」
「うーん、やりかたは幾らでもあって、決まった方法って無いんだけど、そうだね、例えば、異能が起きた瞬間に、何かしらの変化があるの。磁場だったり重力、電磁波、超音波、光の反射、色、感触とか。それらのデータを収集しては解析して、収集しては解析して、そんでもって、魔術式を組んでは直して、組んでは直しての繰り返しだったりと、地道かつ天性の素質がないと何一つ進まないデスマーチだよ。だから魔術解析できる魔術師ってすっごく貴重でね、普通の十倍は稼げるお仕事なの。商会なり軍なりがこぞって奪い合っているからねー」
「つまり、ひたすら実験? と試行錯誤ってわけ? 」
それは、予想以上に地味で過酷に思える。
「そうだよ。図書館にも魔術解析者はいるけど、いっつも忙しそうだよ。弟子もいっぱいいるしね」
「はぁ。でも、そういうことなら。私も一生みたいに瞬間移動できるようになるんですか?」
カタリーナははしごの上でヒラヒラと踊るように本を見ては閉じてを繰り返していたが、一冊の本を頭に載せて、梯子を一気に駆け下りてきた。
本を落とさない様子を見るに、ずいぶんと慣れた様子だ。
「ざんね~ん。瞬間移動系異能はこれまで21ケース確認されているけど、いずれも魔術解析されてないんだよね。イーセイ君の場合は、特徴から見てケース3か18かな? いずれは魔術解析されて使えるようになるかも? 」
カタリーナは本をテーブルの上にのせて開きながら言った。
本の内容は、大きな本の割に小さな文字で埋め尽くされていて、当然のことながら、灯には内容はわからない。
「じゃあ、一生は貴重な人間ってこと? 」
「うーん。ところがね、瞬間移動系はそこまでレアって訳でもなかったりするの。それこそ、コイン一枚を紙一枚分の厚さを通すのがやっとの人もいれば、大陸の端から端まで瞬間移動できるひともいるし、単に制御が難しいのか、魔術解析が難しいの、そんなところかな? 魔術解析って、どんな些細な異能であっても解析に最低でも十年かかるって言われているし……異能の大小、利便性に魔術解析の難易度って変わらないとも言われているし」
「そうですか」
かつてイーセイが出した異常な百メートル走記録の謎も解けた。
あれは、短距離の瞬間移動を何度も繰り返して弾き出した記録だった。
それをありえないからと、気のせいで片付けようとしていたが。
イーセイ本人はずいぶんと悩んでいたのではないかと、今更ながらに灯は思う。
その悩みに気がつきもせず、せっせと部活に顔を出すようにせっついて、時には引っ張っていた。知らなかったとはいえ、デリカシーに欠ける自分の行動を少しだけ悔やむ。
「ところで、リンクアーマーってね。死体を操る異能と感覚を共有する異能を魔術解析して、組み合わせたものなの」
「死体を? ゾンビってこと? 」
これまた、ゲームや映画でしか見たことの無い言葉が出てきたが、どうやらこの異世界にはゾンビがいるらしいと灯は退いた。
「イエース! ゾンビだね。ホームセンターに行かないとね。似たような異能で、人形を操る物もあるけど、そっちは魔術解析されてないんだよね。あと、感覚の共有は、本来は、触れた相手の五感を共有するってもので、いまいち何の役に立つのかわかりにくいんだけど、魔術解析して組み合わせるとリンクアーマーができあがった訳なのよ。あはは、他にも色々と組み込んだりしているみたいだけど、リンクアーマーってあっちこっちの工房の秘中だからね。中々判らないんだよね」
「あんなの地球じゃ無いかな。今のところはだけど。SFのアニメとか漫画とかゲームなら出てくるけど」
一応は、女子なので、そういった創作物には疎いと言えば疎かったが、そういうものなのだろうと頷く。
「事実は小説より奇なりってよく言った物だよね。そっちの言葉でしょ? あ、ちなみに、死体を操る死霊術を魔術解析で使っているっていうのはね、あんまり聞こえが良くないならあまり知られていないことだからね。イーセイ君も知らないかもね」
「そうですか」
「まぁ、リンクアーマーが人工筋肉を使ったり人工神経を使っている理由がそこにあってね、まずは擬似的な死体を作り上げようとしたというのと、搭乗者があまりにも変な感覚を強要しちゃうと動かせないから人の形をしているの。ほら、もしもムカデになったとして、どうやって歩けばいいかわからないよね? 」
「動かし方は判らないでしょうね。かといって、ムカデに聞いてもムカデも歩き方を気にして歩いていなさそう」
「きっとそうだね。ムカデは歩き方を知っているし、魚は生まれたときから泳ぎ方を知っている。虫は鳴き方を知っていて、鳥は飛び方を知っている。それと同じなのだろうね。いいね面白いね。理性でなく本能が最も合理的な解を持ち合わせているとか、面白いね」
「ですかね」
『いや、何を言っているのかわからねーよ』
と今まで黙っていたが、傍らのテーブルに座っているマーガレットが本から顔を上げた。灯には判らない言葉だが、マーガレットは退屈そうに眺めていたので、単なる暇つぶしといった様子だ。
『今ね、ムカデの話しをしていたの』
カタリーナが言うが、マーガレットは眉をひそめただけだった。
『それより、そろそろ、買い物して、おっさんの所に行く』
『あ、もう、そんな時間? うん、いっておいで、ワインありがとうね』
『ああ。おい、トモシビ行くぞ』
灯が、やはり自分の名前に反応した。
マーガレットは、立ち上がり、カゴを手に持っていた。
それだけで、この場から移動するということを悟る。
「じゃ、何か合ったら、また気軽に来てね。こっちの言葉を覚えるなら、協力もするから」
カタリーナが日本語に切り替えて、そう言った。
「ありがとうございます」
灯は、久々の日本語に安心感を覚えながら礼を言う。
未だに周りでは、激しい議論が判らない言葉で繰り広げられているが、外国に来たようなものだと思って、その場を後にした。




