045 起床
マーガレットが起きる時間は不規則だ。
早いこともあれば、遅いときもある。
だが、大抵は午前中には目を覚ます。
その日に起きたのは七時頃だった。
それでも、普通のシスター達なら既に目覚めている時間だ。
外からは鳥の鳴き声が聞こえてくるが、彼女は何の鳥なのかは知らなかった。
起きると丁寧に折りたたまれた修道服を着て、着てと言っても所々着崩して、なおかつベールはつけない。
そういった点については他のシスター達もあまり良い顔をしていないのだが、何度も言っても正そうとしないので、今となっては時々言う程度だ。
本来であれば、ニーナがいなければ修道服も脱ぎ散らかしたまま変な皺がついている。ニーナが慈母のような心で面倒を見ていなければ、シスター達はさらに険しい表情をしていただろう。
着替えながらベッドに目をやると、楠灯はまだ寝ている様子だ。おそらく、急に異世界、マーガレットからするとこちらがわであるが、に来て疲れているのだろうし、起こしたところで何かをさせる事もないために、そのままにしておいた。
着替えると勝手知ったる通路を進んでいき、食堂に入ると既に食事は終わっている。
それも判った上で、厨房に入るとテーブルの上にバゲットとチーズが置かれていたので、断りもなく持っていって食べ始める。
だいたいはマーガレットの分はこのような扱いだ。
たとえ時間が合ったとしても、皆と一緒に食べることはない。
彼女にとって、そういった集団行動をとる理由がいまいち理解できていない。
それぞれの都合で動けばいいと思っているのだ。
その方が合理的だと思っている。
この協調性のなさから、当然のことながら彼女は修道院では浮いている。
一人の朝食を終えると、向かう先はだだっ広い庭である。
彼女に与えられた仕事は、賛美歌を歌うわけでもなく、浮浪者に炊き出しをするわけでもなく、懺悔を聞くわけでもなく、ただ裏庭を掃除することだけである。
いつもの場所においてある箒を手にとって、適当な場所から適当に掃いていく。
やることがなくなったり、飽きてきたら庭で一番大きな銀杏の木の下で休む。
木にもたれかかっても良いし、寝転がっても良い。あとはぼーっとして過ごす。
つまり、彼女は、極端な言い方をすれば、この修道院でいてもいなくても良いような仕事と立場であった。
実際問題、頻繁にクリストファーやカタリーナの仕事についていくことも多いので、与えられる仕事が限られているというのもあるが。
庭では、隣にある孤児院の子供がいつの間にか遊んでいて、マーガレットの姿を見るや遊んでだの寝坊だの囃し立ててくるが、それに答えたことはない。
ただ、喧しいと数秒にらんで終わりだ。
それだけで、子供達はマーガレットから少しだけ離れた場所に移動していく。
掃除の邪魔にならない程度には遠く、様子をうかがえる程度には近く。
どうも、この子供達は、マーガレットを怖がる様子もなくどうにも気になる様子である。
日課の掃除がひと段落し、マーガレットはいつもの木の下に座り込んだ。
女性らしいような足の崩し方もせず、修道服のまま片膝をたてて、その膝に腕を乗せ、さらにその腕には口を隠すように乗せる。
眺める先は、修道院でも、遊ぶ子供たちでもなく、空だった。
今更だが、今日は晴れていた。
雨が降っていれば、彼女の仕事はなくなり、一日中部屋に閉じこもっていることが多い。
それでも、空を眺めていることは多かった。
晴れも曇りも、雨も、雪も、どんな日でも空を眺めることが多い。
特別に美しいと思うこともないが、嫌いではなかった。
空を眺めるようになったのは、修道院に来てからのことだ。
それまで、空が広いなんて知らなかった。
かつては、ある魔術結社にいた。
魔術師ではなく、魔術を用いて生まれる前から強化された魔術生物としていた。
生物としての限界値として自身は生み出された。
あの異様な身体能力も、魔術によって遺伝子レベルから強化が図られているからだ。
生まれる前から実験体として扱われていた。
彼女にとっては、それで構わなかった。最初から、自分が人間という意識が無かった。
実験体として生まれたのなら、実験体として使われ終わればいいと思っていた。
だが、そんな日常がある日壊された。
魔術結社は倫理と社会に仇なす存在として、軍に目をつけられ、異能持ちの異邦人もいたことからキーパーズも介入し、武力行使が伴う解体がなされた。
残されたマーガレットは、この修道院に引き取られたというわけだ。
自身を所有物であるとか化け物と称するのは、実験体として終わることを望んでのことだったが、それを絶たれた所為だ。
だが、今となっては、本当に自分は化け物なのかと自問している。
「地球に行っても死ななかった……か」
ミノタウロスもどきやキメラは、地球に行っただけで血肉に還り、ミスリルはただの鉄くずになってしまった。
それは、その存在が魔術によって支えられているからだろう。
自分が地球に行くことなど考えたこともなかった。
なんでも、魔術が使えない程度の知識しか無いのだが。
地球に行って、自分が化け物だと再認識したと同時に、人間かもしれないと思い出した。
どこで、自分が人間であることを否定する気持ちの方が強い気はするし、受け入れていないようにも思える。
それでも、何故、シスター・ニーナに、自分の人としての名前を告げたのか。
説明するなら、説明にもならないが、なんとなくだ。
「マーガレット」
自分の名前を呟いてみる。
なんとなく、自分の名前だという実感が薄い。
あの魔術結社の研究者達は、そう名付けた上で、愛称としてメグと呼んできた。
ある日、豪華な部屋を与えられた。
食事も良くなった。
あまり食べることに興味があったわけではないが、それでも、味が良いことは別に構わないことだった。
デザートも出してきたが、甘い物が苦手だと言えば、あまり甘くないデザートを出してきた。
どうやら、食事も研究員達の手作りだったらしい。
求めるものは何でも用意してくれた。
最も、何かを求めたことなどほとんど無かったが。
部屋は、どんどんぬいぐるみが増えていったし、絵本も増えていった。
今思えば、あれは、なにだったのか。
贖罪のつもりだったのか。
それとも、純粋な子供への愛情だったのか。
だが、結局、マーガレットは、その愛情を受け入れることなど出来なかった。
「俺は、好きって無いんだよな……」
また、呟いた。
彼女には、何かを好きという感情が薄い。
あるのは、無関心と嫌いだけだ。
マーガレットの名前で呼ばれるのは嫌いだった。
トゥエルブの名前で呼ばれないのは嫌いだった。
甘い物は嫌いだった。
退屈は嫌いだった。
研究者達は、無関心だった。
そう、あれほどの愛情を込めてきた研究者達に無関心だった。
だが、歪で深い愛など、そう簡単に受け入れられることなど無いだろう。
だが、今は、そういった事が変わってきている気がした。
掃除もほどほどに、休んでいると、シスター・ニーナと灯が裏庭にやってきた。
何時か知らないが、灯が起きたのは随分と遅かったようだ。
彼女たちと同じく修道服を着ている。深い紺色を基調としたシンプルなものだ。
そして、シスター・ニーナは朝食の残りのバゲットとティーポットとティーカップを持ってきて、トゥエルブの前に置いた。
「一休みしましょう。シスター・マーガレット」
と修道院で育てているハーブティーを煎れ始めた。
バゲットはお茶請け代わりだ、
日によってはピクルスだったり、お菓子であったりする。
こうしてシスター・ニーナは、マーガレットを労っている。
ここまで、マーガレットに尽くしてくれるのは彼女ぐらいのものである。
マーガレットの名前で呼ばれた時、どこか自分では無いように思えた。
実感が薄い。
だが、かつて研究者達に呼ばれていたよりも、それに比べれば実感があった。
「なぁ?」
「なんですか?」
「俺って、マーガレットらしいか?」
自分でも言った後に、意味がわからないと思った。
だが、シスター・ニーナはニッコリと笑顔を見せた。
「ええ、きっと」
一体、何の根拠があっての断定かいまいち判らなかったが、何も聞かずにハーブティーをズズズとすすった。
少し横を見ると、子供達が未だに遊んでいる。よく飽きもしないものだと思える。
「なぁ?」
「なんですか?」
「あいつら、なんで、ここで遊んでいるんだ?」
「きっと、シスターが好きなのでは?」
「はぁ。そう」
またしても、彼女にとっては意味不明だったが、素っ気なく頷いた。
相変わらず、灯は会話が判らず、黙ってハーブティーを飲んでいる。
それから、お茶会は解散し、用事があるためグランマの所に、マーガレットと灯は向かった。
この修道院の最高責任者であり、やや高齢の女性だ。敬意を表してグランマと呼ばれている。
「外出の許可くれ」
厳しい表情のグランマ相手に、無愛想にそう切り出した。
「言葉遣いと態度を考えて欲しいものですね。理由は?」
グランマはため息をつきながら問いかけた。
「カタリーナとおっさんに会いに行く約束がある」
「カタリーナ様とクリストファー様と呼びなさい。全く」
ぶつぶつ言いながらも、グランマは二本の赤ワインのボトルを差し出した。
修道会で作っているワインである。
量は少ないので、大抵は修道会内部で消費してしまうものである。
「こちらをお二人に」
「わかった」
「いいですか? 人には敬意を払いなさい。それが特に親しい方やお世話になっている方ならばなおのこと敬意を払いなさい。あなたには色々と足りませんが、まずは人に対する敬意ですよ」
「……わかりました。グランマ」
「えぇ。そうです、よろしい」
グランマは珍しく言うことを聞くマーガレットに驚きつつも、すぐに普段からの厳しい表情に戻っていた。
「そうです、よろしい、外出を許可します。シスター・マーガレット」
「あんたが言うのか」
どうやら、マーガレットの名前は、既にあちこちの耳に入っているらしい。
だが、何と呼ばれようがどうでもいいことだった。
「トモシビ! 行くぞ」
「×××」
マーガレットがワインをかごに入れながら促すと、名前に反応したのか、灯はすこし躊躇いながらもマーガレットの後を追いかけていった。




