042 決着
ホールにはおびただしい量のキメラとミノタウロスの死体が転がっている。
気温が低いからか腐敗が遅いようだが、それでも圧倒的な死臭が立ちこめていた。
うす暗く、死体の間からケミカルライトスティックの光が漏れ出して、二人を照らし出していた。
長い間、対峙していたように感じられた。
ただ、それは対峙する二人だけが感じていただけであり、実際の所、さほど長くは無かった。
甲冑男が、ジリジリと間合いを詰めて、対するイーセイはその場から動かない。
脱水症状とスタミナ切れで、呼吸が落ち着かない。
汗がさらに噴き出して、体力を削り取っていく。
大量のキメラとミノタウロスを倒し、さらに劣勢でのリンクアーマーを倒し、すでにイーセイはスタミナを使い果たしていた。
異世界に来るまえは、毎日走り込みをして、異世界に着てからも、毎日、戦い、訓練してきて、常人以上のスタミナはあるはずだったが、それでも、それはあくまでも人間の範疇だ。
彼は、すでに、十分すぎるほどの戦果を挙げた。常人にしては、よく戦い抜いたと言って良い。
だが、まだ、戦いは終わっていない。
目の前には、ミスリル製のフルプレートを着込んだ甲冑男が残っている。
リンクアーマーごと倒してしまえれば最善であったろうが、そこまで彼の力は届かなかった。
甲冑男が、さらにジリジリと近づいてくる。
恐らくは、彼の異能を警戒しているのだろう。
さらに、隠し武器も警戒しているだろうが、今のイーセイは正真正銘の無武装、丸腰だった。
甲冑男は、長剣を上段に構えて、あと数歩で間合いに入る距離で歩を止めた。イーセイからは動かない。
甲冑男も動かない。
二人はにらみ合い、決して目をそらさない。
イーセイにとって、目をそらせば、その瞬間に死が待っている。
だから、決して逸らさない。
そこから、さらに数分間、二者はにらみ合いを続ける。
何故か、仕掛けてこないのをイーセイは疑問に感じはする。
だが、こちらの体力が消耗していることを見抜いて、さらに消耗させるつもりだろうか。
武器も持っておらず、構えても居ない相手に、随分と慎重なものである。
だが、イーセイは、何故、目の前の男がそれほど慎重になるかは判っていた。
判らないのは、どうしてここにいるのか。
どうして、そんなことをしているのか。
それだけはハッキリと判らない。
イーセイは小さく、息を吐いた。
そして、自ら動いた。
目測であるが、相手の間合いギリギリにまで姿勢を低くして駆け出す。
甲冑男は、それを予測していたかのように、やや小振りに剣を振るった。
イーセイは、瞬時に後ろへと退く。
だが、やや反応が遅れて、長剣はウィンドブレーカーを切り裂いた。
皮膚にすら到達していないが、その瞬間に、長剣の鋭さに恐怖を抱く。
恐怖を抱いたが、自分がどこかで、そういったスリルを求めていることに気がつく。
そう、結局は、自分が危機と困難を求めていることを悟る。
自身の異能と能力を活かし、自分らしく生きていくためには、壁が必要なのだと悟る。
その壁を乗り越えた先の、達成感を求めている。
達成感という甘い蜜を求めている。
戦場で、甘い蜜を求めている。
最早、地球での生活になど戻れないほどに、イーセイは、自分が受け入れられ、活躍でき、一時の英雄となれるこの異世界に、魅入られている。そんなことを求めていけば、いずれは破滅することを判っていながらも、戦場の密はそれほどまでに甘く感じられた。
甲冑男が、さらに切り込んでくる。
横になぎ払い。
袈裟切り。
突き。
時には、蹴りを。
時には拳を振りかざしてくる。
イーセイは、フラフラになりながらも、それらを躱して、いなして行く。
何度も、ウィンドブレーカーを長剣が切り裂いた。
時には、皮膚1枚を切り裂いて、血を流した。
そして、目の前の危機に、甘い蜜を感じ取りだした。
生きる実感を得てしまった。
体力を使い果たし、全身に切り傷を作り、そんな状況でも、アドレナリンが放出され、快感を得ている。
イーセイは、小さく歪に笑った。
それは、誰にも気がつかれないほど小さく、一瞬の笑いだった。
再度、剣が迫る。
今回は、剣に向かって突き進んだ。
剣がイーセイを捕らえようとした瞬間に、彼の姿は一瞬だけ消え去り、再び現れた。
丁度、剣の間合いの内側に入り込んでいた。
これまで何度も使ってきた瞬間移動の異能を発動したのだった。
さらに、手の平を甲冑男の胸に叩き込む。
手の平に冷たい感触が感じられた。
甲冑男が、片手で剣を構え直そうとした瞬間、その男は、よろよろと後ろに下がっていき、左手で胸を押さえ初めた。
「うぅ、がぁ」
顔は見えないが、何やら苦しむような様子だ。
そして、とうとう剣を落として、両手で胸を押さえだした。
イーセイは、その姿を、まるで虫の死骸でも見るかのように眺めている。
さらに力を振り絞って、蹴りを甲冑男の顔面に入れる。
甲冑男は吹き飛んで仰向けに倒れ込み、兜は横に転がっていった。
イーセイはさらに、傍らに落ちたミスリル製の長剣を手に取る。
見た目よりも軽い。だが、満身創痍の彼にはそれでも、鉛のように重く感じられた。
剣を甲冑男に向ける。胸を押さえながら、呼吸が乱れ、焦点が定まらなくなっているが、それでも間違いなく、イーセイを睨み付けていた。
「どうして、あんたが、ここにいる? 俺達を売ったのか?」
イーセイが、剣の先端を男に近づけながら言った。
俺達、それは、傭兵団のことだ。
目の前のいる甲冑男は、その傭兵団の団長であったグレンだ。
あの夜に、死んだと思っていた。
否、生きていたとしても、何故、こちら側を襲う側にいるのか。
そして、イーセイを見て襲ってきたこと、つじつまを合わせれば、団長が傭兵団を売ったのではないかという発想しか、彼には出てこなかった。
「お、お前こそ、どうして、そ、そして、何をした?」
グレンが、言葉に詰まりながら問いかける。
何故、いるのか。そう言われても、キーパーズに保護され、そして何故か地球に行き、これまた何故か異世界に戻ってきた。巻き込んでしまった灯を逃がすために、徹底して敵を倒してきた結果が、今だ。
別に、グレンがどうなったのかなど知ったことでは無かったし、敵を討つつもりも無かった。
強いて言うなら、目の前に立ちはだかったから倒しただけだ。
それでも、恐らくは、目の前のグレンが話しもせずに襲ってきたことは事実であるし、そのことから導き出される解答は、やはり、野営地と村でのあの襲撃はこのグレンの仕込みがあってのことだろうと思われた。
「俺の異能は知っているだろう?」
「……」
イーセイ、彼の異能を知る人間は限られてるが、数少ない知っている者にはグレンも含まれる。
かつての日々では、戦いにも使えると笑っている姿だが、それがどうして目の前で苦悶の表情を浮かべているのか。
「あんたの心臓に空気を瞬間移動させて送り込んだ。空気塞栓で心臓からの血流が滞る」
「……そんなことが」
「触れていたものも瞬間移動出来るって判ったのは最近だから、それは知らないだろうけど」
知っているのは、目の前で見せたクリストファー達ぐらいだろうか。
使い道を考えた末に、どんな装甲でも貫通できることに気がついたわけであるが。
「……す、すまなかった。だが、奴らよりも俺達にッ」
命ごいをした瞬間に、イーセイはグレンの喉に剣を突き立てていた。
引き抜くと血があふれ出して、さらに苦悶の表情を見せる。
剣を振りかぶって、さらにもう一撃をのど元に突き立てる。
剣が深々と突き刺さっていき、グレンの口から泡と血があふれ出してきて、二度と言葉を発することは無くなった。
「……」
イーセイは何も言わず、剣から手を離した。
恨みがあったわけでも無いだろう。
むしろ、言葉すらわからない自分を拾ってくれた恩義があるぐらいだ。
それでも、命を絶った。
それは、グレンの言葉の裏に嘘しか見えなかったからだ。
この男だけは信用できない。
そして、活かせば敵になると本能が告げた。
だから、殺した。
敵を殺さなくては生きていけない。
そうグレンから教わった。その教えをそのまま実行した。
イーセイが、フラフラと夢遊病者のように歩み、そして、死体の無い床を見つけて座り込んだ。
「トモ……」
トゥエルブと灯はどうなったのだろうと思いをはせるが、最早立ち上がる気力すら失っていた。
ひとまずは終わった。後味が悪い終わりではあるが、終わった。
だが、これで終わりでは無い。
灯をどうするべきか、否、答えは決まっている。
灯は地球に必ず送り返すと心に決めている。
一度、地球に転移したのだから、必ず方法はあるはずだと確信はある。
問題は、どうやったら転移するのかわからない事だが。
そのことばかりをずっと考えながら、彼は座ったままだ。
数分。
十数分。
どれほど経ったかわからないが、入り口に通じる通路から物音が聞こえた。
反射的に顔を上げて通路を見る。
徐々に物音は大きくなり、そして、現れたのは見たことのあるリンクアーマーだ。
そう、老傭兵アンドルーの乗る機体だ。
その後ろから、またもや見た顔が現れる。
クリストファーだった。
彼は、拳銃を構えたままそっとホールの様子をうかがい、すぐにイーセイに気がついた。
そして、動かなくなったリンクアーマーと事切れたグレンの死体を見て、拳銃をしまい込んだ。
そのままイーセイに近づいてくる。
「大活躍したようだな? ティーンエイジャー」
ほんの少しばかり揶揄するような言い方だったが、どうやら無事を祝っているようではある。
「どうかな……トモ、地球から来た女の子とトゥエルブは?」
やっとのことで、顔を上げながら問いかける。
「外で他の連中と待機している。無事だ、安心しろ」
「良かった」
安堵から倒れ込んでしまいそうになるが、最早少しも動く気力は残っていなかった。
「何があったのかは後だ。直ぐさま引き上げるぞ」
「いや、でも、トモを地球に」
「それも後だ。転移のメカニズムは判らないままだからな。だが、その提案には最大限の協力をしよう」
そう言いながらクリストファーは金属製のボトルと木製の水筒を取り出した。
「勝利の美酒は、命の水とただの水どちらが良い?」
「ただの水」
イーセイは、疲れているのか素っ気なく答えた。
「ありがたいんだか、つれないんだか」
わざわざ蓋を開けて、イーセイに手渡し、自分は金属製のボトルから直で命の水を一口飲み出した。
イーセイも一気に水を流し込んでいく。
口の横からあふれ出すのも躊躇わず、ただ、乾いた身体と心に水を染み渡らせていく。
「さて、後処理は暇な連中に任せて、行こうか?」
「ああ」
空になった水筒を握りながら、イーセイは立ち上がった。
そう、自分で立ち上がった。
これまで生きていくことさえ難しいと思えた異世界でのサバイバルに、彼は生き残り、そして、自らの足で歩いて行く。




