035 休息
イーセイは、異世界に紛れ込んで、最初から馴染んだわけではない。
言葉も服も文化も見た目も何もかもが異物でしかなく、出会う人々は奇異の目で見るばかりだった。
山賊やごろつきに目をつけられて、逃げ回ったのも少なくない。
だが、そんな境遇だったにも関わらず、あの傭兵団は自分を迎え入れてくれた。
イーセイを拾ってきてくれたのはガルだった。
最初は、身振り手振りで薪を割る仕草を説明され、誰かが声をかけるまで薪を割り続けた。
あるときは、汚れた衣服と川を指さされ、延々と洗濯をし続けた。
あるときは、荷物を指さされ、持ったこともないほど重い荷物を背負って、なんとか傭兵団についていった。
そうして過ごしていれば、ぼろの衣服をくれて食事にありつけた。
どうやら、言葉のわからないイーセイを傭兵団の下働きとして雇ってくれたらしかった。
それから徐々に会話に耳を傾け、時に、エリカやマリアが物を指さしては言葉を言って、粘土板に文字を書いてくれた。
そうして、徐々に言葉を覚えていった。
言葉がわかってきた頃には、この世界には異邦人と呼ばれる人々が時々、突如として現れると聞いた。
つまり、地球からやってきた、否、紛れ込んでしまった者を異邦人と呼び、認知されていることを知る。
日常会話が出来る程度に上達した頃には、木剣を渡されて、ガルに訓練を施された。
一生という名前は、異世界の言葉では発音の関係で、イーセイになり、そう呼ばれることにも違和感を無くしていった。
そうして、戦場にも連れて行かれるようになった。
初めて戦いを経験した。
初めて殺しを経験した。
初めて殺したのは、トマスに剣を振り落とそうとする敵の傭兵だった。
無我夢中で駆けていき、安い量産品の剣を敵に突き立てて、殺した。
敵が血を吐きながら倒れるのを見て、震えが止まらなかった。
だが、トマスは、ふんと一言つぶやき、イーセイの肩を軽く叩いてきた。
どうやら、余計なお世話だが感謝するといった意味だったのだろう。
しかし、それが励ましになったのか、不思議と震えは止まっていた。
そのうちに、傭兵団はリンクアーマーを手に入れる。
団員が順番に乗っていき、立ち上がろうとして上手く立ち上がれず、がっかりした様子で降りて行くの繰り返し。
とうとうイーセイの番が来て、緊張しながら乗ったことを覚えている。
それが、一つの転機だった。
リンクアーマーには適正が必要らしいが、イーセイにはそれがあった。
それからは、傭兵団の主力として、最も速く、最も敵を殺すエースになった。
それから、戦い続けてきた。
ただ、生き抜くために戦い続けてきた。
言葉を覚え、文字を覚え、計算もできるのだから、商人なりに転職する手段もあったが、それでも戦い続けた。
まるで、この異世界では戦い続ける以外に生きていく手段が無いと信じ込んでいるかのように。
いつの間にか、独り言も、頭の中の考えも、異世界の言葉を使うようになっていた。
地球から持ってきた数少ない物も全て手放していた。
唯一の証拠は自分自身だけになっていた。
イーセイは、思う。
地球を思い出すような品物を手放したのは、無意識に戻らないことを決意していたからだろうと。
事実、異邦人という存在は広く認知されていたが、どうやって来たのか、どうやって戻るのかなど、誰も知らなかった。
だから、あきらめて戦った。
戦って、あきらめるようにしていた。
だが、それでも、地球の記憶が薄れることは無く、もう一度会いたい人間のことを想っていた。
会って、どうするかなど考えることもなく、理由もなく会いたいと願っていた。
エリカには悪かったが、彼女の好意に気がついていながらも避けていたのは、その人のことを想い続けていたからだろう。
そして、今、会いたい人間が目の前にいた。
目の前には戸惑って動きが止まった楠灯がいて、イーセイと目が合っている。
イーセイは、自分であることを証明するようにフードを外して、顔を見せた。少しばかり無精髭があり、戦場で負った小さな傷が増えているが、それでも、それは、イーセイ、否、楠灯の知る橘一生に間違いない。
「え、ちょっと、どういうこと?」
灯が、ズカズカと遠慮無く近づいてきて、イーセイの目の前で立ち止まる。
グッと目を見開いて一生の顔を穴が開くように覗き込む。
目が合ったが、なんとなく気まずさに一生は逸らした。
久しぶりに会う女性に対して、可愛くなったとか綺麗になったという言葉がオーソドックスであろうが、一生の印象としてはより凛々しくなったと思えた。
「いや、それよりもあんたのロッカーが荒らされて大変で」
約二年ぶりの再会をそんなこと扱いされ、一生は眉間に皺を寄せた。
そして、そもそものロッカーを荒らしたのは当の自分である。
「おじさんもおばさんも引っ越して、あんたの痕跡なんてこのロッカーぐらいしか残っていなかったのに、それが荒らされて……もっと気をつけておけば」
この世界における痕跡が、徐々に消えていっているらしかった。
それは、まるで、一生が元から居なかったかのように。
だが、それでも、灯の記憶も決して色あせることもなく残っていた。
「いや、その」
「ごめん。あんたのジャージとか盗まれたみたい。本当にごめん」
「持っていったの俺だ」
「え? あ? そのウィンドブレーカー、あんたのだ」
眉間に皺を寄せたまま、一生は考える。
これは、気が動転しているのだろうかと。
ロッカーよりジャージより、何よりも一番の問題の本人がいるというのに、何を口走っているのだろうか。
「着る物が必要で、鍵は無いからこじ開けるしか無かった」
「ああ。そういうこと、いや、まって、ちょっと待って、ちょっと落ち着かせて」
「ああ」
案外に、一生は自分は落ち着いているなと自覚があったが、やはり、自分を知る他人にとってはこの再会は想定外すぎるのだろうか。
灯は、指を立てて、何かをチェックするかのように動かし、何度か頷いて、再び一生と目を合わせた。
「あんた、心配かけるな!」
そう言われて、一生は、腹部に重いボディブローを食らった。異
世界で戦い、鍛えていた一生にとっても、思わず蹲る程度には重い一撃だった。
「説明しなさいよ。おじさんとおばさんに連絡は?」
「してない」
一生は、腹部を押さえながら立ち上がる。
「はやくしなさいよ。どれだけ、心配と迷惑をかけたと思っているの!」
心配をかけようと思ってかけたわけではないが、確かにそれはもっともだろう。
「出来ない理由がある。しばらくでいい、しばらくでいいから、誰にも連絡を取らずに助けて欲しい」
「はぁ? いいけど、どうしたの?」
例えば宿題を見せてくれ、例えば、忘れ物を取ってきて、そんなことを言われたのと同じように灯は聞き返してきた。
まるで、今までが何事も無かったかのようだった。
「……やっぱり、話が早くて助かる」
灯がこうでなくては、一生は頼ろうと思って探さなかっただろう。
どうやら、この幼なじみは一生のことを信用はしているらしい。
否、信頼だろうか。
腐れ縁の惰性とも言うだろうか。
「大変だったんだから。グラウンドに変な死体が置かれている猟奇事件が起きて警察は来るし、その所為で、部室荒らしは後にされちゃうし」
「そうか」
片付ける暇が無かったとは言え、キメラの残骸は一事件起こしていたようだ。
それも当然であるが。
一生と灯は、話もそこそこに部室から出た。




