034 魔術
トゥエルブがフローリングの床に横たわっている。
眠ってはいないが、不調が続き疲れた様子だ。
とりあえず、防寒と街を歩くときに目立たないようにジャージを着せていた。
対するイーセイはウィンドブレーカーを着ている。
その下は元から着ていた肌着だ。とりあえず、鎖帷子や武器は目立たないように上着で来るんで持ってきている。
もっとも、これが今は役に立たないことは判っているので、どうするべきか迷ったが。
「これ」
と、自前の水筒を差し出した。
トゥエルブは身体をだるそうに起こして水筒を手にとって、水を飲む。
水は近所の公園でくんできたものだ。
真冬らしく冷たいままで、せめて暖めておきたいが、その設備も手段も無かった。
二人がいる場所は、イーセイがかつて住んでいた家。
そう、異世界でイーセイと呼ばれる前の橘一生としてずっと暮らしてきた家だった。
だが、予想外にも、家の中は空っぽで、表札も無かったので、どうやら彼の家族は彼が行方不明となっている間に引っ越してしまったらしい。
どこに引っ越したのかという心当たりもない。
父親の仕事は転勤がないというわけでもないが、あったとしても単身赴任するタイプであったので、本当に、引っ越して誰もいない家となっていたことは予想外だった。
もっとも、家族を頼ろうと思って家の近くに来たわけではない。
会いたい気持ちはあったが、今の状況を説明できないので、それを避けた。
ただ。家を一目だけでも見ておこうという気持ちがあったのは嘘ではないだろう。
しかし、行く当てのない身としては、渡りに船だった。
トゥエルブはとにかく休ませなければと判断していたので、瞬間移動で侵入し、あっさりとかつての家の中に入り込んでいた。
家の中は本当に空っぽで、家具どころかカーテンも無いため、家の裏の方にある倉庫のスペースで休んでいた。
家具も何も無いので、見慣れているはずの家が、まるで別空間のように感じられ、どこか居心地の悪さがあった。
もし、人の手に家が渡っていれば不法侵入になるのだろうが、彼らにはそれを気にする余裕は無かった。
「いいのかよ」
トゥエルブが、不調になれてきたのか、落ち着いた様子で聞いてくる。
なにか良いのかの意味は、知っている人間に会わなくてもいいのかという意味だろう。
「いいんだ」
「俺のことは気にしなくていい。どうせ、化け物だ。さらに今は役立たずの化け物だ。捨ててくれ」
トゥエルブが突き放すかのように、言い放つ。
再び、聞かされる化け物というフレーズにイーセイは気になりながらも、ぶっきらぼうに差し出してきた水筒を受け取った。
「俺のこともいい。それに、今まで守って貰って、今更になって捨てるなんてできるかよ」
「……元々こっちの世界から来たんだろ? 会いたい奴に会えよ。行きたい場所に行けよ。俺なんて、人の心なんてよくわからないけど、それが合理的で道理なんじゃないのか?」
「それはない」
イーセイは間を置かずに否定した。
嘘だと自分でも思ったが、それでも、否定した。
あの異世界で、戦いを経験し、人殺しを経験し、略奪を経験した。
戦いの中に身を投じてしまった。
生きていくために仕方なかったとはいえ、この平和な日本で堂々と歩いていける自信がない。
もはや、なにがあろうと引き返せないと考えている。だから、誰にも会わないように動いていた。
親も気になるし、幼なじみも気になるが、どんな顔をして会って、なんて言えばいいのか全く判らなかった。
彼は、トゥエルブ以上に、この状況に戸惑いを覚えていた。
トゥエルブが、大きく鼻から息を吐いた。
「なら、もう何も言わないぞ? 俺は」
「ああ。それでいい……それよりも不調の原因だけど、心当たりは?」
今まで、トゥエルブに余裕が無かったことと、以前聞いた化け物という言葉から躊躇っていたが、現状の打破のためには少しでも情報を集めておくに越したことは無い。
トゥエルブが再びゴロンと横になった。
念のために、二人とも、物音は極力立てないように注意はしている。
トゥエルブは目を閉じて、躊躇う様子もなく口を開いた。
「実験体12」
「え?」
「それが、製造された俺の名前で、12番目にして初めての成功例。俺は、どっかのあほくさい連中に作られた化け物だ。ベースは人だが、胎児の時点から遺伝子に魔術を組み込んだ人ならざる化け物。それが俺だ」
「……どういう」
意味と続けようとしたが、その前にトゥエルブがさらに続けた。
「今まで見て判るだろ? 力、素早さ、反応速度、持久力、全部が生物としての極限値にまで強化されている。身体に直接魔方陣を描いて身体能力の強化を図ることはあるが、その魔方陣を作り上げるための実験体が俺だ」
「……」
イーセイは、ふと、その言葉を何度も反芻しながら考え込む。
一つ、気になること、矛盾があるように思えた。
本当に、トゥエルブは化け物かと。
地球に戻ってきたときに、キメラやミノタウロスは身体が崩壊してしまった。
あれは、魔術によって作り出された生物であり、その魔術が無効化してしまったが故の結果だろうと推測できる。
ならば、同様に魔術が施されているというトゥエルブの身体が崩壊しないのはどうしてか。
「多分、不調の原因も俺が魔術で強化された化け物だからだ」
「本当の化け物なら、あのキメラみたいに、崩壊しているんじゃないのか」
それは、イーセイにとっては何気ない一言だった。
そう、何気なかった。
二年もあの異世界にいて、魔術が何なのかもよく知らない。
それでも、どうやらキメラやミノタウロスといった存在は魔術で作り出されているらしいし、その魔術で作り出された存在が、地球では崩壊している。
つまり、純粋に魔術で作り出された存在は地球では存在できない。
「俺が化け物じゃないと?」
今更のように、トゥエルブが呟く。
「いや、俺は化け物だ。実験体だ。人間なんかじゃない。実験体として生まれて実験体として終わりたかった」
「人だ」
イーセイが、たしなめるように言った。
何故、ここまでトゥエルブが自身を人ではないと否定したがるのか、それは知らない。
それでも、目の前で初めて戸惑いを見せた彼女に、そのことは突きつけようと思った。
ただ、何故、ここまで力強く言ったのか判らない。
逃げるなと思ったのかもしれない。
もっとも、色々と逃げているのは自分だと自覚はあるが。
それでも、逃げるなと思ったのは、自分自身が逃げない覚悟を決めていたからだろうか。
「俺が人なのか」
「少なくとも、化け物より人だと思う」
「……化け物から距離を離さないのか?」
「なんで、そこまで言うのかわからない。でも、トゥエルブは、今まで俺を守ってくれたのは事実だろう? その恩を忘れるほどバカになった覚えはない」
時は、夕方だった。
カーテンのない窓から赤い光が入り込んできて、部屋を赤く染めている。
冬の昼は短く、夜は早い。
そして、北陸の冬は十分に寒く凍える。
このまま暖房も防寒具も十分でない家にいても、余計に体力を消耗し体調を崩すかもしれない。
イーセイは、立ち上がった。
「逃げないで向かい合えよ。俺も、逃げないで向かい合ってみるから」
「……? どこか行くのか?」
トゥエルブが、イーセイを見上げながら呟くように言った。
今の今更ながら、自分が崩壊していない事実から、化け物でない事実を突きつけられ、どこか混乱しているようでもある。
「すぐに戻る。また、移動するかもしれない」
そういって、イーセイは裏口に向かった。
鍵を内側から開けて、そっと辺りをうかがい裏庭に出る。
確か、昔はバスケットコートが置いてあったが、引っ越した際に撤去したのだろうか。
自分よりも父親が休日にバスケの練習をするために使っていたことが多かった。
ただ、物寂しく雑草だけが生い茂っている。
「向かい合え。全部と向かい合え」
自分に聞こえるようにだけ、自分に言い聞かせるように呟き、そっと表の道に出た。
通学路になっているために、近隣の中学生や高校生の姿は見えるが、幸いにしてか、顔を知っている相手はいないようだ。
念のためにウィンドブレーカーのフードを被った。
イーセイは、今から人に会いに行くつもりだ。
だが、自分のことを覚えているだろうか。
自分が生きていると思っているだろうか。
自分だと判ってくれるだろうか。
頭を横に振って、ネガティブな考えを捨て去る。
今は、どうするべきかはっきりとしない。
このまま地球で暮らしていけるのかわからない。
異世界に戻ることができるのかもわからない。
トゥエルブの不調が治るかもわからない。
それでも、じっとして凍えるなんてまねはするつもりがなかった。
イーセイは、通学路を歩いていく。
気持ちが焦っているのか、つい早足で進んでいく。
住宅街を抜けて、線路を越えると商店街だ。
商店街には、寒くて暗いのに、学生の姿が目立った。
知っている顔があるかもしれないので、フードが外れないように手で押さえながら進んでいく。
辺りがすっかりと暗くなった頃、学校の前にいた。
目的の人物が、まだ家にはいないと判断して学校に向かっていたが、まだ学校にいるのだろか。
学校では、既に暗くなって寒いので、外で部活動をしている生徒はいないようだ。
そもそも、相手は三年生だ。
部活動も引退しているし……、受験で地元を離れている可能性もある。
イーセイは、そのことにようやく思い当たる。
あの異世界で生きていくと思ってふっきれていたからか、受験なんてワードが今までスッポリと抜け落ちていた。
「……二月か」
トゥエルブを家に運ぶまでの間に、コンビニに立ち寄って新聞の日付だけは確認している。
もっとも、ここで使える通貨が何も無いので何も買わずに立ち去ったが。
もしかすると、会えないかもしれないと思いながらも、グラウンドへと足を伸ばす。
何度も走った懐かしいグラウンドが広がっている。
昨日、キメラが崩壊した場所だけコーンが置かれているが、あれはやはり騒ぎになったのだろうか。
獅子の頭が転がっているなど、悪質どころでは済まない悪戯であり、警察が動いているのかもしれない。
グラウンドを見て思い出すのは、あの日のことだ。
ある日、100メートル走の記録を計ったところ、異常な記録が出た。
彼の瞬間移動には速度が必要で、向かっている方向にしか瞬間移動出来ない。
それは、異世界に来てから何度も確かめたことだ。
そして、普通に走る分には問題ないのだが、地球にいた頃は無意識に異能を使っていたのだろう。
それが、あの異常な記録だ。
恐らくは、走っている最中に何度も短距離の瞬間移動を繰り返して、傍目からは恐ろしく速く走っていたはずだ。
あのまま怖がらなければ、世界最速の人間になれたかもしれない。
いや、ならないほうが良いだろう。物理法則を超越しているのだから。
どんな目にあうかわかったものではない。
こちら側の世界ではだが。
魔術、魔法が存在するあの異世界であれば、異能ぐらいは平然と受け入れられる。
だが、またしても、今になって気がついたことがあった。
「待てよ……異能はなんで使えるんだろう」
思わず呟く。
今の今更の事ながら、その疑問に気がついてしまった。
カタリーナの話では、異能は通常の物理法則から反した能力だという。
魔術も同じだと思うが、魔術は地球側では使えない。
異能と魔術、それは似ているようで異なるのだろうか。
「……いや、今はそれより」
と呟いたところで、部室棟の明かりに気がつく。
丁度、陸上部があったところだ。
一年生の半ばから幽霊部員となっていたために、顔見知りの後輩もいないし、同じ学年になっているはずの3年生も引退していないはずだろう。
それでも、気になった。
蚊が炎に吸い寄せられるように部室の前に来る。
中は静かだが、誰もいないのだろうかと不思議に思い、そっと扉を開けた。
そこには、明るくもどこか寂しげな部室で、一人の女生徒がベンチに座っていた。
ネックウォーマーとマフラーで口元を隠し、スカートの下からはジャージが見える。
見る人が見ればがさつで気の強い少女に見えるだろう。
そこは相変わらずだ。
前にあったときよりも、より凛々しく感じるのは、気のせいだろうか。
見間違えるはずは無い。
こんな人間、他にいないはずだ。
少女は、突然の侵入者に冷たい目線を向けて、数秒してから目を見開いた。
「え?」
それが、久しぶりの再会での楠灯の第一声だった。




