032 疾走
イーセイと、トゥエルブは、遺跡の通路を走っていた。
そのとき、視界がグラリと揺らいだ。
一瞬、上下左右が判らなくなるような浮遊感に似た違和感があり、気持ち悪く感じられる。
「なんだ……?」
「……あぁ? 」
イーセイとトゥエルブが、お互いの反応から、気のせいではないことを悟る。
だが、足をゆるめることはなく、二人とも駆けていく。
二人とも、足を止める暇が無いことを重々把握している。
そして、広い空間に出た。
石の床は、いつの間にか堅い砂の地面となり、天井は見えず、星と月が見えて、近くには真っ白な4階建のビルディングが見える。
月は明るく、ビルディングは闇の中で浮かんでいるように綺麗に見える。
「ここは……嘘だろ」
最近驚いてばかりいる気がするが、イーセイは、その光景に見覚えがあった。
だが、驚くのもつかの間に、突然、隣でトゥエルブがドサリ倒れ込んだ。
今まで息一つ切らしていなかったというのに、肩で荒々しく呼吸をしている。
「トゥエルブ!? 」
「なにか、おかしい。体が、重い……」
だが、イーセイには何も感じられない。
強いて言うならば、久しぶりにかいだ空気の独特の匂いに、気分が悪くなりそうだった。
逆に、遺跡とは違って、体の芯まで冷え込んでしまいそうな冷たい空気が、ほてった体には心地がよい。
だが、悠長なことは言ってられなかった。トゥエルブが戦うどころか、動くのも難しいのなら、自分しか戦えないのだ。
背後を振り返る、そこには、虚空に何やら見たこともない黒い歪みがあって、その歪みからはキメラが飛び出してきた。
イーセイは、クロスボウを構えたが、撃つ前に金属部分が歪んではじけ飛んでしまった。
「なっ!? 」
直ぐさまにクロスボウを捨てたが、それと同時に、キメラが目の前に着地した。
このまま突っ込んでくれば、剣を抜くまでに間に合わないと思えたが、その前にキメラの様子がおかしかった。
キメラは全身を振るわせながら、焦点の合わない目を虚空に向けて、口から血と泡を吹き出し、丁度獅子の頭と馬の胴体のつなぎ目から血を吹き出して倒れ込む。
生物同士のつなぎ目が崩れて、獅子の頭が転がった。
「はぁ? 」
またもや驚くしかないが、体は自然と剣を抜いていた。
だが、さらにキメラが歪みから飛び込んできては、つなぎ目から崩壊していく。
そして、ミノタウロスもどきが歪みから出てくると同時に、歪みは消えてしまった。
ミノタウロスの様子も妙で、血を吐き出しながら崩れ落ち、全身から肉が崩れ落ちていき、血肉に汚れた骨がむき出しになるかと思えば、その骨さえも砕けていく。
まるで、砂の城が崩れ落ちるように、体が崩壊していき、最後には血肉の沼ができあがった。
もはや、原型さえも見あたらなかった。
「どういうことだ……?」
目の前のような光景は初めて見た。
いや、確か、見るのは初めてだが、かつての傭兵団の魔術師が言っていたことを思い出す。
キメラは魔術によって強引に異性物同士をくっつけて動かしている。
その技術を応用すれば、人から人に体を移植することも理論上は可能だという。
しかし、魔術の出来が悪いと、直ぐさまに結合が解けて死んでしまうと言う。
「魔術が失敗した? 」
だが、そんな都合良く、向かってきた怪物の魔術が失敗するだろうか。
逆に、失敗せざる得ない状況とは何だろうか。
遺跡と今いる場の違い。
それは。
「……地球だからか? 」
イーセイは、この場所に見覚えがある。
かつて、体育や部活の時間に使っていたグラウンドだ。
見覚えのある建物は、かつて通っていた高校の校舎だ。
そう、一年程度しか通っていなかったが、見間違えることはない。
「戻ってきたのか? でも、なんで? 」
イーセイは、横で蹲り苦しむトゥエルブを気にしつつも、理解不可能で思考が停止しそうだった。
「ここどこだ? ……外か? 」
トゥエルブが、ハルバードを捨て、鎧をなんとか外しながら言った。
鎧を外さなければ動けないほど、ただ座り込んでいるだけなのに消耗しているようだ。
トゥエルブのこの様子も、地球だからだろうか。
イーセイは、しゃがみ込んで鎧を持って脱がすのを手伝う。
一応、周囲の確認も怠らない。こういうときに警戒するのがすでに癖になっている。
「鎧が重いのか? 」
「ああ……おかしい。こんなに重いわけ無いのに……斧槍も重くて持てない」
置いたのではなく、持てなくて捨てたらしい。
確かに、片手で持ち上げた鎧はズシリと重い。
これは、何かがおかしい。ミスリルはもっと軽いはずだ。
団長の剣を触らせて貰ったことがあるが、見た目に反して驚くほど軽かったことを覚えている。
手に来る重量感は、鉄製の鎧と遜色ないほどだ。
「まさか」
一つ確認したいことがあり、鎧をその場に置いて、先ほどはじけ飛んだクロスボウを探す。
クロスボウは、すぐ足元にあり、手にとってみると、確かに、つい先ほどまで使っていたときよりもどことなく重い。
そして、ミスリルの部品は、引きちぎれるようにして壊れていた。
それを見る限りは、鉄かなにかの金属だろうか。
ボルトをセットした際の荷重に耐えられなくなり破断したのだろう。
ミスリルがどのように作られるのかは知らないが、魔法金属、魔法鉄とも呼ばれ、製法に魔術が関わっているのだろう。
「魔法が解けたってことか? 」
だが、それ以外には考えられない。
ただ、トゥエルブの不調は鎧が重くなった程度のものではない。
根本的な身体の能力がまるで違うのだ。
例え、鋼鉄製の鎧でも使いこなすだろう。
「いや、とにかく、今は……」
そう、とにかくはこの場を離れようと思えた。
誰かに見つかったら、格好も近くにある死体や血の沼も説明が面倒だ。
幸いにして、夜ならそうそう人に出会う事もないはずだろう。校舎に付いている時計を見ると、時刻は九時を回ったところだ。
異世界と地球では、時間も一致していないらしい。
「立てるか? 」
「足の鎧も外させろ」
トゥエルブの言葉に、結局鎧を全て取り外してしまう。
トゥエルブは、体にピタリとフィットした鎧下だけになってしまった。
それでも、トゥエルブは、立ち上がるとフラフラとして、疲労感があるのか、目の焦点も定まっていない。
イーセイは、ひとまずは肩を貸して……それから、何処に行くべきか辺りを見回す。
近くで、人に見つからず、休める場所がほしい。
今のこの格好は目立つし、トゥエルブのことも説明ができない。
何より、自分自身が行方不明にっているはずだ。
知り合いに見つかれば厄介なことになるかもしれない。
ひとまず、トゥエルブを休ませる必要があるが、この状態では、そう遠くまで行くことも難しい。
誰かを頼るべきなのだろうか、だが、なんと説明する。
「どうする……」
「……はぁはぁ」
相変わらず、トゥエルブは、荒々しく呼吸をしている。
何処に行くべきか、何をするべきか。
「とりあえず……」
イーセイは、トゥエルブとともにゆったりと歩き出し、グラウンドと校舎の間にある建物にやってきた。
二階建てで、外階段が外通路につながって、幾つもの部屋につながっている。
一見するとアパートかなにかに見えるのだが、運動部の部室が連なる部室棟である。
当然のことながら、部屋から光が漏れることはない。
部室棟前のLED灯だけが夜間の間はずっと光っているだけなので、うす暗い。
陸上部の部屋を目指す。陸上部の男子の部室は、一階の角部屋だ。その隣が、女子の部室になっている。
「懐かしいな……」
思わず、感慨深く呟いた。
もっとも、異能を無意識に発動させて異様な100メートル走タイムを出して以来、近づくこともなかったのだが。
部屋は、当然のことながら鍵が掛かっている。
「ちょっと待ってろ」
トゥエルブを横に置いて、イーセイは懐中電灯をつける。
ドアはアルミ製で、窓などはない。
少しだけ助走距離をとり、ドアに向かって走って行く。
ぶつかる瞬間に、異能を発動させる。
次の瞬間には、真っ暗な部室の中にいた。
懐中電灯が、ロッカーを照らし出す。
部室にあるのは、ロッカーとベンチ、それと机と椅子が一つずつ、それ以外はたいした物はない。
基本的に、荷物を置いておくためと着替えるための部屋なのだ。
「確か、あったよな」
奥のロッカーは特定の個人の物ではなく、共用の備品などが入っている。そ
こを照らしたとき、一つのロッカーの名前に気がつく。
『橘 一生』
と自分の名前が書かれている。
「残っていたのか……」
とうの昔に、学校に籍すら残っていないと思っていたが、律儀に自分のロッカーが残っていた。
何を考えていたのかは判らないが。いずれ戻ってくると考えていたのだろうか。
それならば、今、戻ってきたところだ。
それでも、あまりにも説明できないことが多すぎてどうしても、誰かに会おうと思えなかった。
あれほど、戻りたかったはずなのに、戻ってしまって戸惑っている自分がいた。
ひとまずは、妙な葛藤を忘れて、ロッカーに手をかけると、予想通りに鍵は掛かっている。
腰からナイフを取り出して、扉の隙間に押し込み、扉が歪む。
そして、強引にこじ開けた。
中は、自分が部活に来なくなった日からそのままだ。
底の方にはシューズが置かれ、ウィンドブレーカーとジャージがハンガーに掛かって置かれている。
「そのまんまか」
ウィンドブレーカーとジャージを取り出し、ハンガーはそのまま置いておく。
扉を閉めると、扉の歪みが目立つが、仕方ないと割り切って、そのままドアに向かう。
出るときも、助走してドアに飛び込んでいく。
外に出ると、トゥエルブが壁にもたれかかって、変わらずに荒く呼吸している。
「また、少し歩くぞ」
トゥエルブが、無言のままうなずいた。トゥエルブに、ひとまずはウィンドブレーカーの上着だけを羽織らせる。
トゥエルブは余裕が無いのか、ただ、イーセイのなるがままだ。
そして、二人は、暗闇の中に消えていった。
 




