002 宴会
イーセイもとい橘一生は現代地球から、この異世界へとやってきた。
一行で言い表すならそれだけである。
この世界にやってきたときは丁度高校二年生になったばかりで、もう数ヶ月もすれば二年間もこちらの世界に住んでいることになる。
どんな異世界かと言えば、彼には大した知識も無いが、まるで中世ヨーロッパをモデルにしたようなそんな世界だった。
まるで、ライトノベルかRPGのゲームの世界にでも入り込んでしまったように思えた。
色々と事情はあるが、自分のことは、普通の男子高校生だと思っていた。
両親は健在で、やや過保護気味なことには困っていた。
友人も何人もいたし、毎日、馬鹿な話をして盛り上がっていた。
運動は球技は苦手だったが、走るとは好きで得意なので陸上部に入っていた。
その陸上部も、色々と理由があって幽霊部員になってはいたが。
どういった経緯で、こちらの世界に来たかと言えば、自主練習として河原を走っていたら、いつの間にか見知らぬ草原にいた。
なんとも間の抜けたような話であるが、考え事をしながら走っていたらいつの間にかいたのだから仕方が無い。
こちらの世界にやってきて、色々とあった。
まずは、言葉が通じなかった。
ただ、戸惑い乞食のような日々を過ごしたこともある。
それが今では、傭兵団の一員になっていた。
大陸共通語と呼ばれる言語をそれなりに覚えて、文字も書ける。
若さ故に、柔軟に環境に適応していた。
さて、二年近くの間に、本当に色々とあった。
それでも、生きてこられたのは運が良かったからだろうか。
どうにも、こちらの世界では、地球から人や物が来るのは、さほど珍しいことでは無いらしい。
そういった人間を、呼び方は色々とあるのだが、その一つとして異邦人と呼ぶ。
その異邦人として色々と苦労はあったが、運が良かったのか悪かったのか、傭兵団に拾われて現在に至る。
異邦人はさほど珍しくないとは言いつつ、他の異邦人に出会えたことは無い。
そして肝心要の地球への戻り方については、誰一人として知らないし、知っている人間を知っていることも無かった。
いつまで、いつのだろうかと、この世界に来て何度も思ったことを再び思う。
そうして、いつものように思いふけっていると、誰かが近づいてくる気配を感じ、顔を上げた。
「ほらほら。どうしたの? 暗い顔して! 戦勝なんだから盛り上がらなきゃ!」
一人の少女がやってきた。黒い髪を短くまとめ、ラフな格好でイーセイの隣に座る。
少女の名前は、エリカ。
傭兵団の一員で、弓兵である。
傭兵団に入った頃から色々と面倒を見て貰い、特に親しい人間の一人だ。
場所は、街の酒場だ。
木で出来た机と椅子が並んで、二階まで吹き抜けになって広々としている。
明かりは蝋燭だけなので、電気の照明に比べればやや暗く感じられる。
傭兵団で貸し切って、これ以上無いほど盛り上がり、各々が大きなジョッキに並々とエールを注いで盛り上がっている。
イーセイは、片隅で静かにエールを飲んでいたのだが、エリカに見つかってしまった。
「いや、別に、まぁ、勝って良かったよ」
控えめに、そう言って、エールを飲む。
地球なら、未成年の飲酒になるのだが、あいにくとこちらの世界にそういった法律は無い。
今ではすっかり、法律も無視してアルコールを飲んでいる。
最も、未だに美味しいとも思えないので、アルコールというものに向いていないのかもしれない。
「そう? もうクールだな」
少しばかり茶化すように笑い、彼の隣に座り込む。
「ちゃんと飲んでる? 食べてる? 私たちは体が資本なんだから、ちゃんとしないと」
「あー、うん」
曖昧に頷いて、とりあえず焼かれた鶏肉をフォークで刺した。
ほんのりと香草が効き、塩は強めに効いている。
不味くは無いが、所謂B級グルメに近い味がする。
リンクアーマーに乗って、疲れているし、汗もかいているので、塩分補給しておいたほうが良いのだろう。
「本当に、大人しいね。もっとガンガン食べなよ」
「食べてるよ」
とりあえず食べていないと五月蠅そうなので、今度はトマトのシチューの入ったお椀を手に取る。
ドロッとした様子に、まるで鮮血と肉片が混ざり合ったような印象を思わず受けるが、それでもノロノロと食べ出す。
最早、グロテスクなことにも慣れていた。
いや、感覚が色々とこの世界に順応するために麻痺しているのだろう。
「もー、リンカーのくせに本当に大人しいよね。あれなの? リンクアーマーに乗ると性格変わるとか?」
「いや、別に……」
さて、きっと性格は変わってないはずだろう。
そう思えた。
ただ、無我夢中の必死で生き延びようとしている。
それに尽きる。
「本当に、もー、君は」
どこか不満げにほおを膨らませる。
「話がつまらないなら、よそに行きなよ」
そうどことなく突き放すように言った。
「あはは。だって、よそのテーブルなんて、自慢話か下ネタばっかりだもん」
「そりゃそうだろうけどさ」
傭兵のほとんどが、学も無いような荒くれ者ばかりだから、それもそうなる。
イーセイのように落ち着いて、大人しい人間は団では非常に珍しかった。
「でも、リンクアーマーってやっぱり大変でしょ?」
「大変なのは皆同じだよ」
「えー、でも、一番戦果を上げているのはイーセイじゃない? 今日も、リンクアーマーを三機も倒したでしょ? これだけ腕の良いリンカーなんて、この辺りにはいないはずだよ?」
「そうかな」
「そうだって」
エリカは、肘でイーセイの脇腹を突き、笑いながら語りかけてくる。
どことなく、言葉や文字を教え始めた時からなんとなく好意を持たれていることには気がついていた。
ひたすらに、優しさと元気な笑顔を絶やさない。
可愛いとは思えるのだが、正直、イーセイはこの異世界に来てから余裕という物を感じることが無かった。
必死で言葉を覚えた。
必死で文字を覚えた。
必死で戦いを覚えた。
必死で生き方を覚えた。
地球にいたままだったら、決して覚えないであろうことを覚えに覚えた。
気がつけば、傭兵団の主力の一人になっていた。
出来すぎているとも思える。
もしくは、運が悪かったのか。
イーセイは、未だに、人を殺すことに躊躇いを持っている。
二年前まで、只の高校生だった彼なら、むしろ当然であろうか。
隣に座るエリカは、団でも指折りの弓の名手であり、相当の数を殺している。
それでも、当たり前のようにこうして笑って、酒を飲んでいる。
イーセイに向ける好意は恋であろうか。
そういった人の感情の機微に、鋭いとも思っていないが、鈍くも無い。
勘違いなら、勘違いで構わないと思っている。
気がつきながら、気がつかない振りをして避けている自分は、何であったら受け止めたかったのか。
今まで一度も、恋心を受け止めたことも無いイーセイには、躊躇って距離を取るしか無かった。
いずれにしろ、傭兵団の者達は戦場と日常を住み分けることに無意識に成功している。
イーセイには、それが出来ていなかった。
これはそう、そもそもの生まれてきた環境の違いによるのだろう。
そもそも、この世界を生きていけるように出来ていないのでは無いか。
だが、だとしたら、自身の戦う才能、リンクアーマーで戦う才能、言葉を覚える才能、それらはなんだというのか。
戦い続けるしか無い生き地獄を味わうために、この世界に来たとでも言うのだろうか。
答えは無い。
全てを忘れて、この世界の住人になりきってしまうべきなのか。
だが、頭の片隅の残る想いを捨てることは出来ていない。
そう、いつか、地球に戻り、またかつての日常を過ごせるのだという淡い想いを捨てることが出来ない。
その想いを捨てること無くして、隣に座る彼女の想いに応えることも出来ないだろう。
「それ美味しかったよ」
「うん、美味しいよ」
ノロノロと食べるシチューの感想を言う。
「今度、私も作ってみる。食べる?」
「ああ、うん」
エリカの料理の腕は悪くないが、遠回しに好意を向けられているように思えて、やはり、曖昧に返事をした。
イーセイは、なんとなく、誤魔化すようにシチューを流し込んだ。