019 乾杯
「さっぱりしたな。立派なティーンエイジャーだ。ボーイスカウトにでも入るか? 」
部屋に戻るとクリストファーがイーセイを見て言った。
イーセイは髭はすべてそられ、髪は多少短く切られている。
クリストファーはクロスボウを解体している作業中のようで、布の上にクロスボウのパーツが丁寧に置かれていた。
この場所はイーセイが襲った村から北に一日ほどの距離にある村だった。
宿場町というわけでもないので宿などは無い。
クリストファーが村長に交渉して離れを借りただけだ。
離れの構造は簡単で、寝室という名の厚めの布とわらだけが置かれた部屋と台所と風呂場、それがあるだけだ。
さほど広くはないはずだが、家具というほどの家具がないので、やけにだだっ広く感じられる。
引っ越ししたばかりの部屋にでもいる気分だ。
「水くんできた」
と離れの中に入ってきたのは一人の女性だ。
亜麻色の髪を胸までストレートに伸ばし、前髪はおかっぱのように切りそろえられている。
身長は女性にしては高く、180センチ近くはあるだろうか、イーセイよりも少しばかり大きい。
全体的にスレンダーな印象であるのだが、その両手には大樽がもたれて、大樽には水がなみなみと蓄えられている。
その重量物を平然と運ぶ様子は異様な風景だった。
この女性こそ、イーセイをリンクアーマーの攻撃から救ったトゥエルブと呼ばれた人物だった。
兜を外して女性の顔が出てきたときには、絶句したものである。
「なんかさっぱりしてる」
ザックリとして淡々とした感想だった。
どうも、朝からトゥエルブという女性を見ていると、無表情で淡々としていて、サバサバしている以外には感想が出てこなかった。
「まぁ……」
二人して言ってくるなんて、それほどまでにむさ苦しかったのだろうか。
あの傭兵団ではまださっぱりしていたと思えるのだが。
「まぁ座れ」
クリストファーに促されて、イーセイは適当にあぐらをかいた。
ソファもいすもないのだから、板張りの床に座るだけだ。
クリスファーと名乗る男は、チェーンメイルを外していた。
厚手の服を着ているだけで、今のイーセイと差はほとんどない。
クリストファーはやや波打った様子の髪をやや無造作気味に伸ばしていて、もみあげからあごと口周りにまで伸びている髭は短いことは短いが、無精髭と言えるだろう。
顔の掘りは深く、地球で言うところの白人になるだろう。
だが、目は鷹のように険しく、やや高めの鼻は鷲を彷彿させる。
今になって思えば、十分に怪しいのだが、ついて行きたくないと言っても連れてこられてしまったのだし、そもそも同じ場所から来たと言っていたということはだ、このクリストファーという男も、地球から来たと言うことだろう。
ただし、信用できるかどうかはまだ判らない。
それでも、少なくとも命を助けられたことは事実だ。
「さて、座らせたはいいが、どこから説明したものかな。あれもこれもとなると長くなるし、実感もないだろうな」
だが、クリストファーがしゃべるのは大陸の共通語である。
彼もまた、イーセイと同じように異世界の言葉を覚えたと言うことだろうか。
「まず、あんた達が何者か、それから、なんで俺を捜していたのか、どうやって探したのか、そして、これからどうするのか。こんなところじゃないのか? 」
「まぁ、そうだな。ま、風呂上がりにエールでも飲みながらといこうか? 」
とクリストファーは木のコップにエールを注いでイーセイに差し出した。
そのついでといった様子で、自身のコップにも注いで、さらになにか別の瓶を取り出して、透明な液体を追加で注ぎ、それを一口飲んだ。
「ただのエールだと物足りないものだから、ちょいとばかし魔法の命の水を足した」
「……水? え? 命の水?」
ウォッカが水に由来して出来た言葉だという知識を何とか思い起こす。
出会ったときにロシアがどうこうと言っていたが、彼は地球のロシアからやってきたのだろうか。
「正解」
そう言ってクリストファーはさらに一口飲んだ。
ぬるくて粗末なエールにも満足げに小さく頷いた。
「さて、俺が何者かだが、大陸中央に本拠地をもつキーパーズの調査官だ」
その言葉にイーセイはいぶかしむ。
「キーパーズ? 商人でなく? 商会がどうこうって……」
「覚えていたか。何、あれは表向きの肩書きさ。あまり気にするな」
本当に気にしなくてもいいことなのだろうかと思えるのだが、今はともかくとして説明を聞こうと思い、イーセイは黙ることにする。
「さて、キーパーズが何で、調査官が何かだが、要するには、異世界から来た人間を保護することを目的とした組織で、俺は異世界の人間を捜す調査官ってことだ。ここまではいいか? 」
「一応」
イーセイはまぁ、そういう組織もあるだろうとあっさりと受け入れた。
もしも、複数の地球から来た人間がいたとしたら、結束してなすべき目標は地球への帰還と、同じく地球から来た人間を集めることだからだ。
「さて、なぜ探して保護するのかについては話が長くなるので、後でするとして、どうやって探したのか……か」
クリストファーは皮のリュックのポケットに手を入れて、何かを取り出すと、それをエールの入ったコップの横に置いた。
その何かは、小さな板きれのようなものであり、透明な板が白い板の中に埋め込まれている。
「見覚えがあるな? 」
「え? 」
その板きれを見た瞬間に目を疑った。
「どうだ? 」
「俺のだ……」
そう、イーセイがかつて持っていたスマホだ。
そっと手をやり、持ち上げる。同じ機種かもしれないとは思ったが、小さな傷跡には見覚えがあり、裏返すと母親に無理矢理張られた『一生』と書かれた小さなテープが貼られている。
間違いなく、自身のものだ。
もしかしてと思い、電源ボタンを長押しすると、スマホは起動して、立ち上がりの画面が浮かんでくる。
電池は九十パーセント以上残っている。
確か、電源も切れてしまい何の役にも立たないために手放したはずだった。
「マジか……」
「そういう異世界の遺品、通称アーティファクトの回収も俺の仕事でな」
イーセイが思わぬ出来事に絶句しながらも、クリストファーは説明を続ける。
「え、いや、だって、これ、電源が持つわけもないし、パスワードも」
「キーパーズには、電気はあるし、パスワードの解析も出来る。そいつの基地局は無いからつながらないがな」
「いや、だからって、これだけで俺の名前と居場所に……、その前に日本語は」
「俺は判らないが、日本語がわかる奴もいるし、お前さんらしき人物の写真のデータもあったから、人相も判る。アーティファクトは大陸南部じゃ珍しいから足取りを追うこともそう難しくはない。グレンの兵団まで探れれば、そこから同じく珍しい東洋人を探るのもな。兵団の居場所を探っていけばお前さんに当たるって寸法だ」
つまり、スマホ一つで居場所まで突き止められたらしい。
いや、居場所の前に顔と名前までキーパーズには判明していたという事実。
だが、それほどまでのことが判るなら、さらにこの世界について知っているということになるだろうし、地球に戻る手段があるのかもしれない。
期待していいのかわるいのか、微妙な心境になったが、クリストファーは説明を続ける。クリストファーはイーセイの心境についてはあまり気にしていないというか、まだ様子見といったようだ。
「とはいえ、ギリギリだった。いや、間に合っていなかったはずだ。お前さんの異能の力が無ければな」
「あれも見ていたのか……」
「ああ。間に合わなかったと思ったが、その瞬間に、お前さんはリンクアーマーの外にいた。どうやった? そんな緊急脱出機構のあるリンクアーマーには見えなかったが」
やはり、あのタイミングであれば、あの様子を見ていたらしい。
リンクアーマーのランスによってリンクアーマーを貫通された。
それでも、生きていたのは、搭乗席から瞬時にして脱出した能力もあってのことだ。
まるで瞬間移動であるが、事実、瞬間移動である。
極短距離であるが、瞬間移動できる。
それが、イーセイに備わっていた能力だ。
この力は異世界に来てから身についたわけではない。
異世界に来る少し前から身についた。
いや、身につけたくて身につけたわけでもない。
ある日、部活中に走っていて、タイムを計っているときのことだ。
自分でも異常だと思うほどのタイムが出た。
世界新記録を余裕で塗り替えるタイムであり、計測ミスとも考えられないほどのタイムだ。
それが原因で部活に行かなくなったし、行かないことが原因で、部活仲間からは部活に来いと催促をうけて喧嘩になったりもした。
行かなくなったのは、あまりの異常さに怖くなったからだ。
怖くなって、自身が異常であり、距離を置かれることが怖くなって、自分から距離をとった。
そうやって悩んでいる内に、この世界に来てしまった。
さて、この力について説明したとしても、クリストファーは納得するのだろうか。だが、なんでもありのこの世界なら、口に出しても構わないだろう。
「瞬間移動……。説明として合っているか判らないけど、そういうことになるかな」
「そうか。まぁ、それしか説明のしようもないか」
ふむと頷きながら、クリストファーはウォッカ入りのエールを飲み干していく。
「……驚かない? 」
「今更に驚かんさ。実際に目にしているんだ。俺の目を疑うなら話は別だがな」
確かに、実際に見られたのだから、そういうものだろうか。
これまで、同じようなことが出来る人間に出くわしたことはないが、それでも、地球に比べれば不可解なことが当たり前のように存在するこの世界でなら、受け入れられているのだろうか。
「それもそうか。……それでいいのか」
妙な安堵感から、かつてからのし掛かっていた肩の荷がスッと消えていくように思える。
「なおかつ、異能の力を持った人間がこちら側の異世界に飛ばされてくることは事例としてさほど珍しくもない。必ずしも異能を持っているわけでもないがね」
「そんなことが?」
「ああ。お前さんの異能も前例があるかもしれない。中央に戻ったら調べるか」
クリストファーは頷きながら、エールを注ぎ始める。
イーセイは思い出したかのように自分に注がれたエールに口をつけた。
地球の日本でなら法律違反だが、この異世界では飲酒規制はない。
「それと、一番大事な話だ」
「何? 」
「何じゃないだろう。地球に戻りたくないのか? いや、期待させても悪いが、地球に戻る手段は今のところ、我々は持っていない」
それは死刑宣告に等しいが、イーセイはただ黙っただけだ。
「残念だったか? 」
「まぁ、ただ、もう生きていくのに精一杯で、あきらめていたようなものだから」
「そうか。ま、俺もほとんどあきらめているに近いな」
そうクリストファーはつぶやくように言い、エールをあおった。




