6.実力
契約の儀が済んだケティたち見習い騎士を待っていたのは教官相手の手合わせだった。
「貴方たちにはこれから妖精具を一日も早く扱えるようになっていただきます。すぐに着替えて広場へ集合してください」
ざわめく生徒たちの片隅で、ケティはちらりと傍らに控える青年を見上げる。
はっとするような美貌だが人形のように感情の無い彼と一緒に戦わなくてはならないのだ。教室に来るまで一切口を開かなかったことを考えてもどうにも扱いにくい。
「ね、ねえ……貴方、名前は? あたしはケティ」
「…………ありません。道具に名前は不要です」
「でも呼びにくいから。元々クルキース……様のところにあったんでしょ? 何て呼ばれてたの?」
「特に何も」
突き放すような返答にケティも言葉に詰まる。これでこちらを見る視線に呆れのひとつでも混じっていれば可愛げがあるものの、彼は相変わらず宝石のような綺麗な瞳でケティを淡々と見下ろすだけだ。
だんだんイライラしてきたケティの眉が寄る。
こんなに綺麗な武器なのだ。きっと外見に相応しい力を持っているはずなのに。
(あたしはこれを使えなくちゃいけないんだから!)
カイトス家を再興させるため。クルキースと結婚しないため。
ケティが望みを叶えるためには、絶対に彼が必要なのだ。言葉が伝わるのなら、距離を縮めなくては。
にっこりと笑ったケティに、青年の目がかすかに揺れた――――ような気がした。
「じゃああたしがつけてあげる! じゃあ、レキントスなんてどう?」
「…………それには何か意味があるのでしょうか」
「ある! 昔あたしが大好きだった絵本の王子様の名前!」
それは悪い魔獣にさらわれたお姫様を妖精騎士の王子様が助けに行く単純な物語。それでもケティは、様々な困難を乗り越えてお姫様を救い出そうとする王子様に感動した。夜毎に母親に頼んで寝る前に読み聞かせてもらった絵本はまだ彼女の中で生きている。
青年はきょとんとした様子でケティを見つめていたが、やがてふっと笑みの形に表情が緩んだ。
「わかりました。では僕はこれからレキントス……です」
「うん!」
「ところでマスター、行かなくてよろしいのですか? もう他の者は行ってしまったようですが」
「…………えっ!?」
慌てて見渡せば、そこにはケティたち以外誰もいなかった。
***
「遅かったな」
「なんであんたがここにいるのっ!?」
広場では既に教官と生徒の手合わせが始まっていた。ユーハレーラを探していたケティは、後ろからかけられた声にほとんど条件反射で返してしまう。
もっとも、彼女の疑問は当然だろう。何故ここにクルキースがいるのか。
眉を寄せて彼を睨むケティに返ってくるのは余裕そうな微笑みだ。それがまた腹が立つ。
「俺も入学したからだ。入学式はまあサボったからいなかったけどな」
「なんで? そこまでしてあたしを妖精騎士にしたくない?」
「おいおい、俺はお前の邪魔をするとは言ってないぞ? それともなんだ、お前は俺がいると気になって集中出来ないのか? それは光栄だな」
「ふざけんな!」
にやぁ、と悪意が滴り落ちそうな笑みを浮かべられてケティの背筋に悪寒が走る。なんだかケティは会うたび彼の性格が悪くなっているような気がしていた。
(こいつの本性を他の令嬢に見せてやりたいよ、まったく)
溜息を吐きだしたところでレキントスの様子が気になって顔を上げる。
レキントスはじっとクルキースを見つめていた。麗しい顔にはやはり表情というものが欠如しているが、なんとなくケティには彼が元の持ち主に対して寂しさを感じているように見える。
ぐいと彼の袖を引っ張れば、少しだけ驚いたような顔のレキントスと目が合った。
「そろそろ順番だから行こう」
「はい」
「…………やっぱりあいつに使ってもらいたい?」
「いいえ。僕の今の主人は貴女ですから」
レキントスは道具で、持ち主を自分で選べるわけではないと言いたいのだろうか。
物を言う口があるというのにそれをしない彼に腹立たしさを感じると同時に、傍を離れていこうとしない彼に安心感を覚えてしまうのも本音だ。
そこまで考えたとき、一際大きな歓声がケティの鼓膜を震わせた。
「な、なに?」
「…………ベアリンクス伯爵令嬢様が教官を負かしたようですね」
「ユラが!?」
他の生徒をなんとか押しのけて最前列まで割り込めば、ちょうど教官が弾かれた木刀を拾うところだった。その少し離れた場所で長剣を携えたユーハレーラが一礼している。
「すごいな。あの先生剣術指南らしいのに」
「妖精具が強いんじゃないのか? 女だろ?」
「じゃあそれだけ強い妖精具を扱えてるってことがすごいだろ」
「ベアリンクス家っていったら妖精騎士の名門じゃなかったか? やっぱ才能だろう」
男子生徒たちから感嘆の溜息が漏れる。その視線が若干熱っぽいのは気にしてはいけない気がした。
ユーハレーラがケティを見つけて微笑む。汗ひとつかいていなかった。
「す、すごいねユラ……」
「まあ子供の頃から好きで剣は振っていたからね。教官も手加減していたから油断を突く形でなんとか勝てたよ。それに私には頼れる相棒がいるから」
ユーハレーラの言葉に、彼女の隣にいる12、3歳くらいの少女が自慢げに胸を張る。その様子が可愛らしくてつい頬が緩んだ。
「もうすぐケティの番だろうから応援するよ」
「あ、ありがとう……」
颯爽と歩いて行った二人の後ろ姿をぼんやり見つめていると、すぐに名前が呼ばれた。
慌てて教官の前に駆け寄って一礼する。
「私に一太刀浴びせることが出来たら合格として上位クラス。規定時間までに出来なければ下位クラスだ。良いな?」
「…………はい」
呻くようにケティは頷いた。
おそらく――――いや十中八九下位クラスだ。今まで彼女が持ってきたのは剣ではなく箒で、体術の心得すらない。
審判が合図を出した。教官は動かない。どうやら初手は生徒に譲るらしい。
「レキントス」
「はい」
ケティの右手を取ったレキントスが祈るように身を折った。ぶわりと彼の姿が深紅の輝きに包まれ輪郭を崩して変わっていく。
口づけを落とされた薬指が熱い。よく見れば赤い光が指輪のように輝いていた。
一気に収束した輝きがレイピアの刃に吸い込まれ、余韻のように周囲に光を弾けさせる。薬指にいつの間にかはめられた赤い指輪がほんのり温かい。
「いきます!」
真っ直ぐに踏み出す。それなりの速度を持った刃が教官に襲い掛かるがあっさり躱された。ゆるやかに振るわれた木刀がケティの袖を掠め、しかしそれを気にせず攻撃に転じる。
それを繰り返すが、教官には触れることすら叶わなかった。翻る服の裾すら捉えられないのだ。
審判の終了の合図が悔しい。下位クラスになったことよりも、自分の身体をコントロールすることが出来なかったのがもどかしかった。
「全然駄目じゃん、あいつ。やっぱ女だからなー」
「なんでここ入ったんだろうな。お嬢様はお嬢様らしく家で刺繍でもしてりゃあいいのに」
「それな。あいつ、多分下位クラスでも一番下なんじゃないか? 他の女子の方がまだましだったし」
容赦のない言葉が突き刺さる。人の形になったレキントスがもの言いたげにこちらを見ているのが何より辛い。
騎士学校は男女平等とはいえ圧倒的に男子の方が多い。少ない女子生徒も、騎士を目指すというだけにケティよりも剣捌きが様になっていた。
唇を噛んで俯いてしまったケティに声をかける者はいない。すると意外な場所から声が降ってきた。
「大丈夫ですよ」
「レキントス……?」
「誰でも最初は下手です。今まで剣を握ったことのない貴女がちゃんと相手に向けて真っ直ぐ振るえただけで驚きですよ」
感情のこもらない棒読みの言葉だが、もしかしてこれは――――励まされている。
目を丸くするケティに、レキントスは少し身をかがめた。彼女の緋色の瞳とより深い赤の瞳が混ざり合って、そこからかすかに彼の感情が伝わってくるようだ。
何が伝わってくるだろう。淡すぎるそれを読み取れるほどケティは聡くない。
ぼうっと赤を見つめていたケティに、レキントスはさらに爆弾を放り投げてきた。
「…………あのクルキース様ですら最初は僕を落としたりぶつけたりそれはもうひどい有様で」
「ぶっ!? え、なんでそんなこと」
「どうやらマスターはクルキース様があまりお好きではないようなので、少しは気が紛れるかと思いまして」
無表情でとんでもないことを思いつくものである。クルキースが聞いたらどんな顔をするだろうか。
堪えきれず肩を震わせる。もどかしさが胸の奥で薄れていくのが感じられた。
(大丈夫。下位クラスだろうが馬鹿にされようが、絶対御前試合で優勝するんだから!)
改めて決意を胸にしながら、ケティはせめてもの勉強として他の生徒たちの手合わせを観察し始めた。