4.条件
ファンタジー要素が入り始めます
――貴方とのお見合い話なんて御免です
盛大に啖呵を切ったケティに、クルキースは怒らなかった。
彼女の隣から退き、再びテーブルを挟んで対面のソファに座ったクルキース。その典雅な顔には何の表情も浮かんでおらず、それが不気味でケティは今更ながら自分が言ったことの畏れ多さにおののいていた。
「御免、か。…………ははっ」
薄い唇から笑みが零れ落ちる。
クルキースは瞳の奥で楽しげな光を揺らめかせた。
(なんて、なんて面白いのだろう。この俺の予想を越える女がいるとは)
ぞくぞくと背筋に電流が走る。これから起こるであろう出来事に興奮と期待が止まらない。
クルキースがぴくりと指先を動かす仕草に、何を感じ取ったのかケティが肩を震わせる。しかし彼女の赤い双眸は先程の発言を後悔するような光を宿していなかった。本心から宣言し、そしてそれを訂正する気も撤回する気も無いらしい。
「何が面白いのですか」
「お前のすべてがだ。俺の予想通りにこうまでならない奴は久しぶりだからな」
「…………馬鹿にしてますか?」
「いいや? むしろ感心しているが」
器用に片眉を上げて微笑むクルキースを見て、ひくっとケティの頬が引きつった。
ケティの中でクルキースの好感度は既にゼロ。むしろマイナスになっていないのが不思議なほどだ。とことん美形というものはお得である。
「さっきから予想予想って、いったい何ですか。女の子は全部自分の予想通りに動くとでも?」
「ああ、まあな」
「…………っ! ふざけてる!」
とうとうケティから敬語が外れる。緋色の瞳の内側に怒りの炎が灯り、感情のままに立ち上がった。
しかしクルキースはそんな彼女の反応にすら興味を惹かれたのか、じっと黙ったままだ。
「クルキース様が……貴方がそんな人だと思わなかった。あたしのお父さんが何を手紙に書いたか知らないけど、この話は無かったことにして!」
「いいのか? カイトス男爵令嬢。お前の家はこのトロイアナ王国の貴族の中でもぶっちぎりで貧乏だ。聞けば税金の支払いさえ怪しいとか。この見合い話が通れば、公爵家はそっちと手を結んで男爵家は安泰になる。まさかこんな良い話を棒に振るのか?」
「う……」
痛いところを突かれてケティは呻く。
世間的にも、家計的にも、領地的にも――この見合い話はカイトス男爵家にとってはメリットが非常に大きい。千載一遇のチャンスを、令嬢の我がままで潰すわけにはいかないのだ。
それでもケティは嫌だった。人をまるで人形か何かと勘違いしているような男に嫁ぐのはまっぴら御免だ。
(考えろ、考えろ! あたしがこの人を頼らずに家を豊かにするには……っ)
思考を巡らせ唇を噛むケティの目に、壁にかかった絵画が飛び込んできた。まるでおとぎ話のような、甲冑を着た騎士と姫が抱き合っている陳腐なもの。
それを見た瞬間、彼女はひらめいた。
ある。クルキースと結婚せずとも、自分の力で家を裕福にする方法が。
「そちらからの提案だったんだ。そうほいほいと――――」
「あたしがやる」
彼の言葉を遮ってケティは真っ直ぐクルキースを見た。
興味深そうに目だけで問うてくる彼に、ケティはしっかりと噛みしめるように言った。
「あたしが妖精騎士になって、絶対にカイトス家を今までのように、今まで以上に大きくしてみせる!」
妖精騎士。
それは古くからトロイアナ王国で羨望と憧憬を集めてきた存在だ。この王国そのものが妖精騎士によって形作られたものだという。
人間の古き友人である妖精と手を取り合って、常人には出来ないことを行う――――おとぎ話に出てくる魔法使いのような彼ら妖精騎士は、今では騎士の中でももっともランクが高く高給取りである。
ただ、妖精騎士になるためには先天的な才能と、王立の騎士学校に入学できるほどの財力が無ければならない。妖精騎士が普通の騎士の二十分の一しかいないのはこれが大きな要因だ。
王国の子供たちは皆一度は妖精騎士を目指すことを夢見るが、その難易度の高さに早々に現実を見始める。それほどまでに妖精騎士のハードルは高い。
ケティはそれでもそれに縋るしかなかった。女である彼女が男と同じかそれ以上の給料を得ようとするのなら、もう妖精騎士しか道は残されていない。
「……いいだろう。面白い、それでこそ俺が興味を持った女だ」
「じゃあお見合い話は――――」
「いや、破棄しない。延長するだけだ」
にやりとクルキースが笑う。今まで見た中でも一番あくどい笑みだった。
「条件を付ける。お前がもしこの条件を守れなかったら大人しく俺に嫁げ」
「…………わかった。それで、条件って」
どんな劣悪で意地の悪い条件を付けられるか内心びくびくするケティに、それを見透かしたかのようにクルキースはふわりと顔を綻ばせる。先程のあくどい顔とは違い、見るだけで安心できるような優しさが滲む微笑みだ。
(うっ!)
不意打ちの破壊力は凄まじい。彼も自分の容姿を理解しているのだろう。それを抜きしてもその笑顔はケティの心臓を大きく跳ねさせた。
しかしそれも長くは続かない。
「なに、別に男として入学しろとか無茶は言わない。そうだな……『半年後の御前試合で優勝』でどうだ」
「半年後…………試合で?」
「ああ。騎士学校の教育なら厳しいことで有名だから、ついて行けさえすればそれなりの実力はつくだろう。お前の努力次第では伸びる可能性だってある。どうだ? 怖気づいて止めるなら今のうちだぞ」
「誰がっ! ……分かった、それでいいよ。絶対優勝して見せるから!」
貴族令嬢と思えない闘志をみなぎらせて、ケティは拳を握る。
クルキースは彼女のやる気と奥に秘められた彼への怒りに、今まで感じたことのない大きな期待を抱いた。
彼女は知らない。
彼の言った「御前試合」がどれほどのものか、そこで優勝することがどれだけ難しいのか――――
何も知らない妖精騎士見習いが誕生した瞬間だった。