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2.公爵子息クルキース

  息が止まるほど美しい人間は存在するのだと、ケティは生まれて初めて知った。


  短く整えられた髪は上質な蜂蜜と太陽の光を混ぜ合わせたようなとろける黄金色。けぶるような睫毛も髪と同じ色をしていて、金に縁どられた瞳は秋の一番澄んだ空よりなお深い蒼をしている。目鼻立ちは上品という言葉を具現化したような配置で、見る角度さえ変えれば女性でも通用してしまう圧倒的な麗しさがあった。

  その美貌のせい――というわけでもないだろうが、ただそこに佇んでいるだけで膝を折りたくなる雰囲気を纏っている。ケティも、彼があと少し黙ったままなら庶民と同じように跪いていただろう。


「あ、く、クルキース様……っ」

「ち、ちが、違うのですっ私たちは何も……! 信じてくださいませ、クルキース様!」


 令嬢たちが震える声で名前を呼ぶ。彼女たちの様子から、彼がただ者ではないことは察しがついた。

 そんな大物に、自分たちが悪口を言っていると知られたくないのだ。そんな変わり身の早さが気に入らず、ケティは令嬢たちにもう一言文句でも言ってやろうと口を開きかけて――――


「貴女が騒ぎの元凶ですか?」


 不意打ち過ぎて腰を抜かしかけた。耳元で囁かれたわけでもなく、ただ普通に発せられただけの声だというのにその美声はケティの頭から一瞬で怒りを消し飛ばす。

 青年の目がケティの方を向いて、その視線の強さに思わずぞくりと震えた。が、それを押し隠してケティは真正面から彼を見据える。

 蒼穹の瞳に、彼女の緋色が映りこんだ。


「騒いだつもりはありません。ただ、彼女たちが不愉快なことを言っていたので抗議しただけです」

「で、ですが唆してきたのはそっちですわ! クルキース様、私たちはおしゃべりをしていただけです!」

「そうよ! なのにいきなり彼女が割り込んできて!」


 ケティの言葉を遮りかねない勢いで令嬢たちが主張した。あくまでもケティが悪いというスタンスを崩さない。

 むっとするが、流石のケティも2対1では不利だ。クルキースに見えないようにほくそ笑んでこちらを睨んでくるのが気に障る。

 しかし彼女たちの言い分を聞いていたクルキースは、口元だけでゆっくり微笑んだ。


「貴女たちの言い分は分かりました。……そちらの貴女、名前は?」

「…………ケティ。ケティ=カイトスです」

「ではカイトス嬢。少しお時間を頂戴してもよろしいか」


 言葉こそ疑問形だったが明らかに否定を許さない声音だった。渋々ケティは頷く。

 了承を得たクルキースは、ぐるりと会場を見渡した。遠巻きに見守る貴族たちが、その視線を受けてかすかにどよめく。


「お騒がせして申し訳ありません。本日は王太子の誕生パーティー、どうぞこの素晴らしき祝福の日を明るい話題のみで埋め尽くしましょう。パーティーも間もなく始まります、先程の出来事など忘れて心からお楽しみください」


 朗々と発せられた言葉は一種の魔法のように浸透した。次々と興味を失って視線が外れていく。


「さあ、貴女はこちらに」


 そっと肩を抱かれてケティはホールから退出する。その間際、令嬢たちが再びこそこそと何かを話していたがそれは彼女には聞き取れなかった。



 ***



「なんであたしを連れ出したんですか?」


 王宮の片隅にある、今日のパーティーでは使われていない小部屋でケティはクルキースと対面していた。

  体の沈み込むソファは柔らかすぎて落ち着かないが、ずっと立っているわけにもいかず浅く腰かけている。クルキースは長身をソファに沈めて大いにくつろいでいた。


「何故……ふふ。私が貴女とお話したかったからですよ」

「それはお説教ですか?」


  つい領地での感覚で相手に文句をつけたが、今彼女がいるのは王宮だ。相手はちっぽけな男爵家など潰してしまえるくらいの力を持っているかもしれなかったのに慎重になれなかったのはケティのミスだろう。それを怒られるのかと思って尋ねたのだが、クルキースは彼女の言葉に大きく目を見開いた。


「これはこれは……もしかして貴女は私を知らない?」

「知りませんが……?」


  首を傾げたケティをしばらく眺めていたクルキースは、不意に顔を背けて手で覆った。よく見れば肩が震えている。しかも小刻みに引きつったような声が途切れ途切れに聞こえた。


(なんで爆笑してるの!?)


  ひとしきり笑ってなんとか落ち着いたらしいクルキースが、まだ笑いの残滓を目の端に残しながらも笑みを浮かべる。


「アデスリヒト公爵家長男、クルキースです。どうかよろしく、カイトス嬢」

「あ、ど、どうかよろしくお願いいたします」


  アデスリヒト公爵家くらいはケティもかすかに耳にしたことがあった。王家の血を汲む大貴族だ、この国で知らない者など存在しない。ただしケティが知っていたのは本当に「家名」だけだったが。


「それでカイトス嬢……」

「あの、そのカイトス嬢って止めてくれませんか。落ち着かないんです」

「では、なんとお呼びすれば?」

「なんとって……普通にケティでいいですよ」


  ケティは知らなかったのだ。世間を知り、生活の術を知り、家事も一通りこなす彼女は、貴族の世界に関しては完全に無知だった。

  だから、クルキースの瞳の奥で揺らいだ意味ありげな光に気づくことはない。


「ケティ嬢……これでいいですか?」


  穏やかに微笑まれながら名前を呼ばれて、ケティは背中を何かが這い回るような感覚を覚えた。気持ち悪いわけではないがその初めての感覚にむずむずする。


「は、はいっ。え、えっと、あの、クルキース……様?」

「安心してください。私は説教なんてしませんよ」

「そうですか、よかった」


  ほっと胸をなでおろしたケティは無意識に掴んでいたドレスをそっと解放する。その視界が陰ったのは次の瞬間だった。

  かすかにソファが軋む音がする。直感だけで顔を上げたケティのすぐそばに、クルキースの端正な顔があった。


「――――!?」


  反応が遅れたケティの身体が彼によって容易く拘束される。ソファのおかげで痛みは無いが、ちらりと横目で見ればしっかりと手首を掴まれていた。

  クルキースに押し倒されている。ようやくケティの頭の中で回路が繋がり現実をはじき出した。


「は、放してください!」

「…………興味が湧いた」

「え?」


  先程の丁寧な物腰が嘘のように、低く荒々しい雰囲気を纏った言葉。瞳を覗けば、本当に同一人物なのかと首を傾げたくなるくらいにぎらぎらと妖しく輝いていた。

  そんな視線にさらされたことのないケティの胸に、ぶわりと恐怖が広がる。今更ながら体勢の圧倒的不利を感じて、逃げたくても逃げられない。


「面白そうだ」

「ひ、な、なにを……」


  声が呆れるほど震えている。幼馴染みや近所の子供たちがからかって呼ぶ「じゃじゃ馬姫」「おてんば姫」の影など欠片もなかった。

  抵抗しようと指先だけが動くが、とうとうそれすらクルキースの長い指に絡め取られる。

  にい、とクルキースの唇が艶めかしげに弧を描き、爆弾発言を投下した。





「お前、俺のものになれ」

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