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20.未知の力


 状況はどう見ても明白だった。


(どうしたら、どうしたら……っ)


 ケティは必死に思考を巡らせながら、再び走る剣を躱す。

 たった三合。ほんの一瞬でケティは己の実力とクルキースとの差を思い知っていた。


 レイピアを握る手に力がこもる。

 ケティの妖精具が細く優美な剣なのに対して、クルキースの妖精具は幅広の重そうな長剣だ。その外観から漂ってくる頑丈さが、ケティの攻撃を躊躇わせている。

 正直ぽっきり折れそうで怖い。


『マスター、このままでは負けてしまいます』

『分かってるよ……でも、あんなに堅そうなのにレキントス当てたら壊れそうで怖い!』

『何を悠長なことを仰っているのですか』


 レキントスが呆れ返っているのが感覚で伝わってくる。

 理解はしているのだ。そんな容易く妖精具は壊れない。レキントスだって外観からは想像もつかない強度を誇る。

 しかしそれでも、恐怖は消えてくれない。


「…………どうした」


 ふとクルキースが低く呟いた。彼の姿を見上げて、ケティの背筋が凍る。

 ぞっとするほど冷徹な瞳が彼女を見下ろしていた。

 もはやそれは「見下している」の方が適切かもしれない。感情という感情の消え去った氷のような顔がケティの心に侵入してくる。


「決闘を申し込んだときの威勢の良さはどこに行ったんだ? 俺にここまでさせておいて、みすみす負けるのか」

「…………っ」

「興覚めだ」


 ケティは全身がすうっと冷えていく感覚に襲われた。

 その一言が、なによりも痛い。


 何を期待されて、何を否定された?

 戦いにおける覚悟か?

 実力差ゆえの無謀さか?

 それとも――――彼女(ケティ)自身か?


 乱れた思考に、クルキースの凶刃が迫る。

 しかしその銀色はケティに届くことなく彼女の眼前で火花を散らして離れていった。

 彼女の意思ではない。内側から操られるような感覚は、レキントスの行動だった。


『しっかりしてください』

『レキントス……あたし……』

『ここで動揺していてはこの先やっていけませんよ。いいですか、よく聞いてください』


 脳内でレキントスが告げる。

 落ち着き払ったいつもの彼は、ケティに少しの冷静さを取り戻してくれた。


『これから僕が貴女の身体の主導権を取ります。何があっても、(レイピア)を離さないでください』

『……分かった』


 ケティが頷いた瞬間、背中から圧迫感を感じた。

 まるで背後から抱きしめられて剣を握られているような、密着したような感覚。


『行きます』


 ゆらりと彼女の緋色の双眸が揺れる。それはまるで炎を内包しているかのような――――

 咄嗟にクルキースが後退する。それを狙い、追いすがるようにケティの足が地を蹴った。


 赤の一閃。明らかにそれまでの彼女と異なる剣筋だった。

 そして。


「なんだっ!?」


 何もない空中に炎の軌跡が生まれた。

 一瞬で消えてしまったが、頬に触れた熱さがそれが幻ではないことを何よりも物語る。

 鋭い剣先がクルキースを狙って突き出される。ケティはただ柄を握りしめたまま、その光景を俯瞰しているような気持ちだった。


 体の感覚が無い。何か柔らかいものに四肢を絡め取られて動かせなくなったようなもどかしさだけがケティを支配している。

 目の前が目まぐるしく変化していくのは、彼女が動いているからだ。次第にクルキースから余裕が失われていくのが手に取るように分かる。

 しかし一瞬掠れた視界は、ケティの体力の限界でもあった。


「おい、なんだ……何が起こってる!?」


 クルキースの叫びだけが響く。

 長剣が振るわれるが、それをケティはひらりと躱してむしろ距離を詰めてきた。彼女の方が剣の間合いが小さいため、懐に入られればクルキースの方が不利になる。

 真っ直ぐに突き出されるレイピアが、炎を纏って彼に襲い掛かった。


 そして炎は彼の服を舐めて――――赤い刃がクルキースの首筋にぴたりと押し当てられる。


「…………っ」

「――――負けだ」


 じわり、と薄皮が一枚切れて血がにじんだ。

 それを認めたクルキースは、ケティの瞳を見据えて宣言する。決闘を終了させるための言葉でもあった。


 ケティの身体から、何かが抜けていくような感覚がする。それを自覚するより先に、彼女の身体が傾いた。

 地面に打ちつけられるはずだったが、ケティが感じたのは痛みと土の臭いではない。


「っおい、大丈夫か?」

「え……え、えええ!?」


 がっしりとケティを支える腕。頭上から、しかしいつもよりもずっと近くで聞こえる低い声。

 ケティの耳元で、鼓動が早鐘のように聞こえてくる。

 確認するまでもなく、クルキースに抱き留められていた。


「ちょ、離して……」

「駄目だ」

「なんで!?」


 思わず叫ぶと、くらりと眩暈がケティを襲う。肩を支えられていなければそのまま倒れていただろう。

 足を踏ん張った瞬間、眩暈とは違う浮遊感が彼女を包み込んだ。反射的に握りしめていたレイピアに力を込めてしまう。


「えっ!?」

「少し大人しくしていろ。……教官、彼女を救護室へ連れて行ってもよろしいですか」

「構いませんよ」


 少しだけ気取った貴公子モードのクルキースに横抱きにされたまま、ケティはあまりの羞恥に声を失ってされるがままになってしまう。


(なんだか、ふわふわする……)


 クルキースの歩調に合わせてかすかに揺れる体。体力を限界まで使い果たしている今、その振動が妙に心地よい。

 細身のクルキースに抱き上げられているというのに、なんとも絶妙な安定感。

 そっと見上げた彼の横顔は今まで見たことがないほどに凛々しく感じて、じわりとケティの頬が熱を持った。

 ぼーっとケティが彼を眺めていると、降ってきたのは奇妙に平坦なクルキースの声。


「ケティ。今のは何だ?」

「……何のこと?」

「さっきのお前、今までと全然違っただろう。教えろ」


 ぎらりとクルキースの碧眼が怪しく光る。

 肉食獣のような獰猛な瞳と緋色の瞳がかち合った瞬間、ケティの視界がぐるりと回転した。


「…………っ」


 息を呑む。

 廊下には人気が無かった。二人分の足音と、ケティの身体が壁にぶつかる音が意外なほど大きく響く。


「今のは、なんだ」


 ケティの顔の横にクルキースの腕が伸びて、逃げ場を失う。

 咄嗟に突き飛ばそうとしたケティの手も、あっさりと捕まえられて余計に動くことが出来なくなった。

 見下ろしてくる眼差しに感情が一切見えないことが何より怖かった。


「し、しらな……っ」


 言いかけたケティは、しかし握られた手首の痛みで言葉を途切れさせる。その気になればそのまま折ってしまいそうなほどの力だった。

 恐怖が本能的に喉を塞ぐ。

 ぐっと寄せられた端正な顔は、背筋が凍るほどに冷たい。


 じわりとケティの視界が滲んだ瞬間、すぐ傍で足音がして見慣れた紅茶色が翻った。

 そして。


「やめろ」



 明確な苛立ちを乗せた低い声が耳朶に触れた瞬間、クルキースは勢いよく転がった。

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