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19.決闘開始


 その日、一年生の教室は総じて騒がしかった。


「おい! 『定めの庭』使ってんのアデスリヒト公爵子息だぞ!」

「嘘だろ、あの人に挑むなんてただの怖いもの知らずじゃないか!」

「相手は誰!?」


 ひっきりなしに足音と疑問が飛び交う。


 生徒たちが「定めの庭」と呼ぶ中庭がある。

 基本的に決められた場所以外での戦闘は禁止だ。しかしこの庭だけは何故か例外で、教官の立会いの下なら堂々と戦える。

 そのためこの庭で決闘を行う者が後を絶たず、またその立地上生徒たちの注目の的だった。


「あれって『落ちこぼれ』じゃないか?」

「まさかアデスリヒト様に挑むつもりなの?」

「命知らずにも程があるだろ」


 庭と校舎の境目に、一年生たちが集まって口々にそう騒ぎ立てる。

 上級生も噂を聞きつけたのかちらほらと何人かが校舎の窓から覗き込んでいた。


 ざわめきが止まらない。

 そんな中、庭の両端で静かに合図を待つ生徒の片方――つまりケティは、その眼を見開いたまま必死に現実から逃避しようとしていた。


(……なんでこうなった!?)


 自問自答が三桁を越える。

 冷や汗が止まらない。

 手の震えが治まらない。


 話は今朝まで遡る。



***



「出たいのなら、無理矢理取れば良いのです」

「…………はぁ?」


 朝食のサラダが、フォークから全部零れた。

 素っ頓狂な声を上げたケティの目の前で、発言の張本人であるレキントスはいつもと変わらない無表情で静かに座っている。


「そうすれば出場出来ますよ」

「む、無理矢理ってそんなの出来ないよ? あれ学校が決めてるんだから、生徒同士の私闘は意味ないよ。っていうかあたしじゃ」

「では公式ならば良いのでしょう」

「……もう発表までされてるのに無理だよ」


 既に公表された結果を変更させるよう学校に圧力を掛けられるほどケティの家は大きくない。

 そして御前試合の選手基準は成績が主だ。ケティが「落ちこぼれ」と称される時点で彼女の成績はお察しだろう。

 しかしレキントスはまるで彼女が御前試合に出てもおかしくないと言わんばかりに話を進めていた。


「では、マスターは御前試合に出たくないと? 貴女はそんな軟弱な意思でこの学校の門を叩いたのですか」

「…………っ」


 落とされた言葉は何の感情も含まれていなかった。

 侮辱でも罵倒でもなく、ただ確認のための無機質なもの。

 声も態度もいつもと変わらないのに、内容だけが鋭いナイフのようにケティを抉っていった。

 安い挑発だ。そう分かっていても、喉の奥から絞り出した声は、いつもの数倍低い。


「そんなの出たいに決まってるでしょ! でも、そんな方法なんてっ」

「ありますよ」

「あるわけな……え?」


 思わずレキントスを二度見する。先程までの怒りなど吹き飛んでいた。

 困惑するケティに遠慮することなく、彼は少し身を乗り出して唇を耳元に寄せた。


「ひゃ、……っ!?」


 吐息が直接当たって不思議な声が漏れる。が、そんな感触をちゃんと理解する前に、吹き込まれた言葉に言葉を失った。


「え……? なにを、え?」

「ほら、噂をすればいらっしゃいましたよ」


 ガタン! と動揺して席を揺らしてしまう。その音に気づいたのか、食堂に入ってきたクルキースが真っ直ぐケティに向かってくる。

 早朝だというのに乱れた様子の無い、完璧に整った姿の彼はただ歩いているだけで絵になった。周囲からの熱っぽい視線を一切遮断しているのも彼らしいと言えばらしい。


「おはよう、ケティ」

「…………お、おは……よう」


 つい先日まで色々と付きまとっていたせいなのか、彼女の返答はどこか警戒を帯びている。

 しかしそれでも、挨拶を返してくれるようになったのだ。目すら合わせてくれないとはいえ、日常生活でも接触を許されているような気がしてクルキースの頬はそれだけで緩む。

 これまでの彼ならどう考えても鼻で笑ってしまうような幸せを噛みしめる姿は、初々しいをすっ飛ばしてなんだか不憫であるが。


「…………」

「ケティ? どうした?」


 優しく声をかけてくるクルキースにケティはますます沈黙してしまう。

 追いかけてくることも所有発言も無くなった彼に対してケティは強烈な違和感と動揺を抱いていた。


 動いたのはレキントスだった。

 無言でテーブルの端に置いていた手袋を取る。そして勢いよく立ち上がると、それをクルキースの胸元へ叩きつけた。


 パスンッ!


 それは小さな物音のはずだったが、その場を一瞬で静める効果があった。


 叩きつけられたクルキースはゆっくりと視線を下げて手袋を眺め、そしてもう一度レキントスに戻す。碧眼には先程までの柔らかな光はどこにも浮かんでいなかった。

 あまりに冷たい視線。出会った当初を思い出させる、相手に何の価値も見出していないその瞳。

 ケティの心が縮み上がった。


 しかし行為には責任が伴うのだ。たとえそれが己の武器が独断で行ったものだとしても、最終責任は彼女にある。

 真正面からクルキースを見据えて、声が震えないように必死に恐怖を吞み込んで、ケティは背筋を伸ばした。


「クルキース=ラウ=アデスリヒト殿。貴殿に決闘を申し込みます。時刻は今日の夕刻、場所は『定めの庭』。よろしいでしょうか」

「要望を聞こう、カイトス嬢」

「……あたしが勝てば、御前試合の選手を降りなさい。貴殿が勝てば、貴方の要望を呑みます」


 貴族の決闘、ひいてはこの学校で行われる決闘は、申し込まれた側に拒否権は無い。それが貴族の務めだからだ。

 そして宣誓された内容を違えることは、強制的な敗北となる。


 クルキースは己の要望を口にしなかった。代わりにテーブルに落ちた白い手袋を拾い上げ、それを胸元に押し当てて見事な一礼をする。

 宮廷儀礼に則った正しい承諾が、衆人環視の中ケティに捧げられた。



***



(完全自業自得だけどね!?)


 心の内で絶叫する。

 傍らに控えるレキントスは主人の胸中など知らぬ顔だ。しかしだからこそ、彼の暴挙ともいえる言葉はケティに衝撃を与えた。


 ――――決闘で奪えばよいのです。


 それがどれだけ困難なことなのか、最早分からないケティではない。

 レキントスの発した言葉が本気なのかどうかは、彼の眼を見れば一発だった。


「レキントス……どうして、あんなことしたの」

「ご迷惑でしたか」

「むしろどこをどう見たら迷惑かけてないって言えるの!?」

「マスターの目的を優先したまでです」


 それを言われてしまうと、ケティに文句は言えなくなってしまう。

 レキントスはケティがこの学校に来た理由を優先しただけだ。たとえそれが無謀にも程がある手段を用いたとしても。


「マスターはご立派な方です。家を再興させるため、女性の身でありながら自ら剣を取った」

「…………」

「どれほど陰で侮辱されても決して屈することなく、令嬢らしからぬ泥臭さと気合で立ち続けていらっしゃる」

「…………ん?」

「貴女は僕が出会ったどんな貴族よりも貴族らしくない、とても身分不相応な人間です」

「ちょっと待って明らか褒めてない! ちょっと期待してたのに最後めちゃくちゃ貶してるよ!?」


 流石に黙っていられない。というか身分不相応はどうなんだ。

 吠えるケティとは反対にレキントスは何故怒られたのか理解出来ていない顔をしていた。


(っていうかそんな風に思われていたことに傷つく!)


 一番近くにいたレキントスにまさかそう思われていたとは。マイナス印象しか与えていないと分かり、ケティの胃が重くなった。

 最近めっきり感じなかった劣等感が、じわりじわりと彼女を侵食していく。


(やっぱり、あたしじゃレキントスをうまく扱えないから……?)


 成長した。しかし己が伸びた分、それ以上に周囲も強くなっている。

 レキントスはそんな環境をどう考えているのだろうか。ケティ自身、良いマスターだと思ったことは一度もなかった。

 彼を道具として使いつつ、寄せる気持ちは人間へのものと何ら変わらない。故に、彼に見放されることはケティにしてみれば死刑宣告に等しい重さを持っていた。


 俯いてしまったケティを見て、レキントスは不思議そうに目を瞬いた後そっと膝をついた。

 忠誠を誓う騎士のように彼女を見上げる。

 似た色の、濃淡の異なる双眸が絡み合って感情を伝える回路になった。


「…………勘違いをさせてしまいましたか? 僕はそんな貴女が何より誇らしいとお伝えしたかっただけです」

「ど、どういうこと……?」

「僕は妖精具として、長くクルキース様の家に置かれていました。……公爵家の人間は、良くも悪くも貴族の中の貴族です」

「そりゃそうだろうけど」

「あの家では妖精具とてただの道具に過ぎなかった。必要なとき、必要なだけ振るわれました。そこには必要性しかなく、愛着も感慨もありませんでした」


 淡々と、しかし珍しく饒舌な彼の言葉はケティの中に染み渡っていく。

 レキントスはきっと、それが悲しかったのだろう。道具として使われることは本能的に嬉しくても、人の形を成しているのに無関心を貫かれたことは彼の何かを傷つけていった。


「だからこそ、貴女が仰ってくれた言葉はとても新鮮なものでした。きっとこれが「歓喜」なのだろうと……そう思えました」

「レキントス……あたしはただ、何も考えてなくて」

「それでも。それでも僕は貴女と契約を結べて良かった。欠けていたものを満たしてくれた。だからこそ、僕はその恩をお返ししたいのです」


 そう言ったレキントスは、誰が見ても嬉しそうな微笑みを浮かべていた。

 自然に浮かんだ、今まで見てきた中で一番魅力的な笑顔。輝かんばかりの表情にケティの鼓動が乱れる。

 だから、ケティの目的を果たそうとした。ただ恩返しのためだけに。


「お……大袈裟っ!」


 辛うじてケティが言えたのはそれだけだった。

 無理矢理レキントスから視線を剥がして前を向く。少し遠くに対峙するクルキースを見れば、彼は落ち着き払った様子で既に武器状態の妖精具を握っていた。


 レキントスとのやり取りで緊張は取り除かれていた。そう考えると、先程の彼の言葉が全て気遣いから発せられていたようにも見えるから恐ろしい。

 ちらと彼を見遣れば、先程の笑みが嘘だったかのように静謐な顔をしていた。

 すうっとケティの心臓が落ち着きを取り戻す。緋色の瞳が力強い光で染まった。


「レキントス」

「仰せのままに」


 膝をついたままだった彼は、ケティの右手を恭しく取りそのまま頭を垂れた。

 深紅の輝きが二人を包み込む。

 弾けた光の残滓を纏って、赤い刃が幻想的に一筋の輝きを生み出した。


「――――では、これより決闘を開始する。双方、前へ」


 教官の号令に従い、ゆっくりと足を踏み出す。

 周囲が固唾をのんで見守る中、ケティもクルキースもお互いしか見えていなかった。

 まるで恋人のように見つめ合う。


 表情を消し去ったクルキースは、まるで初対面のときのようだ。

 自らの思い通りになることが当然の、生まれついた高貴さが漂わせる傲慢さ。ケティの「価値」や「性格」などまるで興味のない、路傍の石を眺めるような枯れた視線。

 ケティの胸の奥が小さく軋んだ。


「お喋りは終わったか?」

「おかげさまで」

「お前がこんなこと仕掛けてくるとは思わなかった。そこまで馬鹿じゃないと考えていたが、俺の見込み違いか」

「残念だけどあんたによく思われてもあたしは痛くも痒くもないから」

「…………相変わらず俺にだけは可愛くないな!」


 クルキースの視線がほんの少しだけ温かさを帯びた。それだけで何故か安心してしまう。

 この決闘で関係性が変わることはない。そんな不思議な確信をケティに抱かせた。


 口を閉ざせば、耳を刺すような沈黙が下りる。

 風の吹き抜ける音も葉擦れの音も聞こえず、ただかすかに鼓動だけが全身に染み渡って一体化していく。

 そして。


「――――始めッ!」



 弾けるような合図と同時に、ケティは一歩を踏み出した。

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