1.出会いのパーティー
「とうとうこの日が来た」
真っ白な封筒に、王家の紋章が入った赤い封蝋。裏返せば丁寧な筆跡で「カイトス男爵へ」と記されている。
家族全員の休みが被ったその日、ケティは父親に呼ばれてそれを見た。
「なにこれ。お父さん宛のものじゃないの?」
「違う。ケティ、お前一週間後に何があるのか忘れたのか」
「一週間後……?」
いつもは穏やかに微笑んでいることの多い父親が、珍しく真剣な表情でケティを見据える。その眼差しにただならぬものを感じて、ケティはざっと頭の中で覚えうる限りの予定を列挙してみた。
明日は衣類の修繕依頼の納品日で、三日後は庭の菜園で野菜類が食べごろになったため収穫、五日後には近所の赤ん坊たちの世話……そして一週間後に入っているのは。
「…………あ、徴税の日で、納税の日?」
「違う! 間違ってはいないが違う!」
「ケティ、貴女はどうしてそうしっかり者なの……!」
ケティの答えに父親は天を仰ぎ、母親は複雑そうな顔で彼に寄り添った。ただユシルだけがきょとんとした顔で首を傾げている。
ユシルを膝の上に抱えながら、ケティは眉を寄せた。領民からの納税と王国への貴族税の支払いが重大ではないということだろうか。そんな彼女の疑問を汲み取ったのか、父親は再び表情を引き締めた。ちなみに元が大変優しい顔立ちのせいかそんなキリッとした表情が驚くほど似合わない。
「ケティ。その日はお前にとってもっとも大切な日だ。分かるかい?」
「…………大切な日?」
「ああ。一週間後、王太子の誕生パーティーが開かれる。その招待状が届いたんだ」
王太子の誕生パーティー。それがどれだけ豪勢なものなのか、生まれてこの方そうした祝宴に出たことのないケティでもなんとなく想像がつく。
貴族の娘だというのに、ケティはパーティーと無縁だった。自分の誕生日にもそんなものを開いてもらった記憶はない。いつもより少しだけ凝った髪型をして、ほんの少し食卓が豪華になるだけだったのだ。庶民とほとんど変わらない水準の生活だが、それを彼女は嘆いたことはないし他の貴族の話を聞いて羨んだこともない。
ケティはびっくりするほど無欲で庶民的な貴族だった。
「それのどこがあたしの大切な日になるの」
「お前ももう15歳だ。そろそろ嫁ぐことを考えなければならない年になった。つまり、このパーティーで良い婿候補を見つけてきなさい」
「はっ!?」
いきなりの話題にケティの目が大きく見開かれる。それは今まで考えたこともない事柄だった。
嫁ぐ? 婿? 誰が?
(あたし、が?)
トロイアナ王国の結婚する平均年齢は男性で20歳、女性は17歳だ。ケティももう15歳で、父親が結婚を考えるのは決して早くない。ただ、それでもケティにはあまりにも性急に感じられた。
呆然自失はこういうことを言うのだろう。ケティの脳には既に父親の言葉も母親のはしゃぎ具合も何も入ってこない。
ぐるぐると視界が回りだした。何も考えることが出来ない。
「――――ケティ!?」
母親の焦ったような声を最後に、ケティの意識は真っ黒に染まった。
***
「素敵よ、ケティ!」
「お姉ちゃん綺麗!」
先程からもう十回は聞いた言葉にうんざりしながら、それでもケティはなんとか唇を持ち上げた。
パーティー当日。この日のために、と両親はこっそり貯金をしていたらしく、ケティはそのへそくりを使って見事に飾り立てられていた。
裾は燃えるような緋色の刺繍が施され、胸元に近づくほどに色が淡くなっていくデザインのドレス。刺繍と同じ色をした髪は丁寧に梳かれて編み込まれ、シンプルな真珠の髪飾りが対比を成してお互いを引き立てていた。髪飾り以外のアクセサリーは一切なかったが、それが逆に彼女の活動的な魅力を上手く表しているようだ。
「じゃあ頑張ってね」
「え、ちょっと!? お母さんっ!?」
にこにこと笑顔のままユシルを連れて人混みに紛れてしまった母親は、もうどれだけ目を凝らしても見つからなかった。
「嘘でしょ……」
ケティはどうにも居心地が悪くて、そっと壁に寄りかかる。
王宮で開催されたパーティーは、ケティと同年代くらいの少年少女が多かった。
着慣れない綺麗なドレスで立ち尽くすケティに比べると、彼らはとても立派でキラキラしている。仕草のひとつ、言葉一つとっても明らかにケティより場慣れしていた。ぐうの音が出ないほど精神を摩耗させたケティは、まだ始まってもいないパーティーから逃げ出したくなる。そんなことをしたら父親の顔に泥を塗ることは理解しているのだけれど。
「あの子、見たことない顔ね」
「なんだか田舎っぽいわ……。どこの家かしら」
「ドレスも地味だし、貧乏なのよきっと」
ひそひそと交わされる会話は、残念なことにケティには丸聞こえだった。
分かっているのだ。生まれて初めてのパーティーで、貴族の友人など誰もいない。田舎なのは毎日痛感しているし、ドレスが地味だということは会場に到着した瞬間に理解していた。
それでも、ケティは我慢がならなかった。大股で声が聞こえた方に歩き出す。
「ちょっと、言いたいことがあるなら直接言ってよね」
「な、なんですの!? 言いがかりはやめていただけませんこと」
「さっきあたしのこと田舎者とか地味とか言ってたじゃない。それとも真正面からは悪口も言えないの?」
「な……っそれは、私たちに対する侮辱ですわ! 貴女一体どこの家!?」
甲高い令嬢の声によって、諍いが周囲に知られ始めた。まるで潮が引くように笑い声や話し声が消えていき、こちらをちらちらと窺っている。
見世物になったような感覚が気に食わず、ケティは眉を寄せた。
「カイトス男爵家だけど、それが何」
「カイトス……? ああ、あの歴史だけは古くて田舎で暮らしてるっていう」
「本当に田舎者だったのね。ならその乱暴な振る舞いも納得ですわ。それに貧乏っていうのも当たってますわね、その髪飾りなんて一体いつの時代のものかしら!」
「!」
その言葉を聞いて、ケティの視界が赤く染まる。
たったひとつの装飾品は、祖母の花嫁道具だ。貧乏な家だが、父親はその真珠のアクセサリーを決して売ることを許さなかった。今やカイトス家の最後の財産のひとつに数えられる。
家宝ともいえるそれを馬鹿にされて、ケティの理性の糸が擦り切れそうになり――――
「なにをしているのですか?」
背筋に氷を入れられたように、動きが止まった。正面にいる令嬢たちが顔色を変えている。
聞き覚えの無い声だったが、周囲の反応が興味本位のものから畏怖を含んだものに変わっていることにケティは気づいた。
おそるおそる振り向いたケティは、思わず喉の奥で悲鳴を上げよろめく。
そこには――――見る者を傅かせる迫力の青年が、佇んでいた。