17.試合への幕開け
「そういえばケティ。ケティは御前試合の見学、行くの?」
ユーハレーラにそう尋ねられたのは生徒で賑わう食堂だった。
天井が高くドーム型の屋根からシャンデリアが吊られた高級感あふれるそこは、大きな窓があって日当たりが良く生徒からの人気も高い。既に昼休みも半分を過ぎているというのに大勢の生徒が談笑しているため、誰もケティたちの会話に聞き耳を立てる者はいなかった。
「行くっていうか……その……」
「今年は国王夫妻だけじゃなく王太子殿下や姫君も見に来るらしいよ。大盛り上がり間違いなしだって」
にこにことユーハレーラが教えてくれた情報に、ケティの喉が鳴る。
実家から送られてくる手紙には、最近の生活状況が事細かに記されていた。それを読む限り、ケティが騎士学校に入学して働き手が少なくなってしまったせいで生活は苦しいという。そんな状況になってしまうことなど簡単に予想出来たはずだが、あの時はクルキースに腹を立てていてそういったことがすぽんと抜け落ちていたのだ。
それでも帰って来いと一切言わず、むしろ応援していると言ってくれる両親には感謝しかない。
彼らに恩を返すためにも、そしてケティが入学した最大の目的を果たすためにも、御前試合に参加したかった。
「ねえユラ。御前試合って、どうしたら参加出来る?」
「え……? まさかケティ、参加するつもり?」
ケティが首肯すると、ユーハレーラはこれでもかと目を見開いた。翡翠色の瞳が転がり落ちてしまわないか、そんなふざけた心配すらしてしまいそうだ。
無事に彼女の瞳が元の大きさにまで戻って、やがて呆然とした様子で呟く。
「……こんなことは言いたくないけど。ケティ、貴女の腕じゃ御前試合なんて無理だよ……。子供が馬車を腕一本で停めてこいとか、一晩で宮殿を立てろとか、そういったレベルで不可能だと思うよ」
「ずいぶんはっきり、しかも変に具体的な例えで否定したね!?」
「御前試合に仮に出れたとしても、きっと瞬殺だ。相手の妖精具の錆になるか、それとも特殊能力で塵も残さず消えるか……駄目だよケティ。いくら成績が悪いからといって命を絶つ必要なんてこれっぽっちも無いのだから。ね、考え直して?」
「そこまで!? そんなにあたしじゃ希望無いのかな!? 別に自殺志願とかじゃないよ!?」
「希望じゃなく絶望なら捨てるほどあるね……」
食べかけの食事を放り出して真剣に諭し始めたユーハレーラに、思わずケティも泣きそうになる。そこまで駄目だと思われているのか。
痛み出した頭を抱えていると、ふとユーハレーラの傍に生徒が三人立っているのに気づいた。見覚えのある顔ばかりなのでおそらく学年も学級も同じなのだろう。
余談だがトロイアナ騎士学校は五年生まであり、一つの学年に学級は平均三つから四つ。学年が上がるごとに学級の数は減っていき、授業内容も危険を増していく。ケティたち一年生はまだ座学と訓練のみだが、次第に簡単な任務も入ったりするらしい。最上学年まで残った生徒は、妖精騎士として就職した後も即戦力として第一線で活躍している。
ケティがどこを見ているのか理解したらしいユーハレーラも振り返った。彼女を見てわずかに頬を染めた生徒たちから、ケティはまた告白かと予想する。
ユーハレーラはモテる。中性的な容姿をしているせいか、それはもう男女学年関係なく。一度若い女性教官が告白してきたときには流石に度肝を抜いた。すぐに他の教官に報告したが。
しかしそんなケティの予想を裏切るように、生徒たちは朗らかに話しかけてきた。
「ベアリンクス嬢。君は御前試合に出ないのかい?」
「おや、どうして?」
「だって、君はうちの学級でも……いや学年でもトップクラスの実力者だろう? それに実家から出場要請が来てるんじゃないのか?」
「……そんな風に評価してくれることはとても嬉しいよ、ありがとう。でも生憎そんな話は来てないよ」
だから失せろ。
にこりと完璧な笑顔で言い放ったユーハレーラに、生徒たちは顔を見合わせてから慌てたように離れていく。聞きたくもない副音声が聞こえた気がしてケティはそっと彼女を窺うが、そこにはいつもと同じ魅力に溢れたユーハレーラがいるだけだ。
ケティは少し身を乗り出して彼女に顔を近づける。行動を察して、ユーハレーラも少し前かがみになってくれた。
「ねえ、実際そんなの来るの?」
「…………来てるよ」
忌々しげに言葉を漏らす。その声の低さから、彼女がその要請にどう思っているのかを易々と判断出来た。
「じゃあユラ、御前試合出るんだ?」
「…………学校側から要請されればね。私自身は出たくないんだけれど」
「なんで? っていうか御前試合って参加拒否出来るの!?」
「出来ないわけではないよ。でも御前試合は本来実力だけで選ばれるものだし、家の力なんかで出ても嬉しくないから」
国王陛下一行が観戦する御前試合。ここで優勝出来れば、国王から称賛されるだけではなく宮廷騎士団からもスカウトされる。エリート街道の第一歩がこの騎士学校なら、そこからさらに高みへ飛ぶための登竜門がこの試合なのだ。
宮廷騎士団といえば、国王ひいては王族を守るために存在する実力派集団。一般市民を守る普通の騎士団とは格が違う。当然求められる実力だって高い。逆に言えば、御前試合で優勝出来るだけの猛者がごろごろいることになるのだが。
「さっきの生徒。ケティは彼の実家を知ってる?」
「ううん、知らない」
「あの男子、ヨハン家の長男だよ。最近色々と事業に手を出してる豪商のね。うちと繋がって宮廷で力を持ちたいんでしょう」
「え、そんなこと出来るんだ!? 貴族みたい……」
「みたいもなにも私は貴族だし、ヨハン家だって下手すると貴族並みの財産は持ってるでしょうよ」
やや呆れた風にユーハレーラがツッコんでくる。社交界など欠片も縁のないケティにはそんな駆け引きじみた行為は出来ない。
御前試合は国王主催という建前の宮廷行事のひとつ。それに圧力をかけて出場を促せるということは、それ相応の力を持った貴族であるというなによりの証でもある。先程の生徒はユーハレーラの実家であるベアリンクス伯爵家がそれほどの貴族だと見込んで接触してきたのだ。
「普通は来ないし、正式な出場権じゃないからやろうと思えば取り消しにだって出来る。それでもそんな不正をしてまで御前試合に出たいと思っている生徒は山ほどいるよ」
「それでも……やっぱり出たいよ。どうやったら出場出来るんだろう」
むしろそんな奴らを蹴散らしていきたい。
闘志を緋色の瞳に宿して拳を握るケティをどう見たのか、ユーハレーラは何でもないような口調でしかしはっきりと現実を突きつける。
「不正を平気でする奴らが跋扈してるとはいえ、この学校の仮にも猛者たちが出場するんだよ? そんな死地に貴女を送り込むほど私は非情じゃないんだけれど」
「…………やっぱりそっちに戻るの?」
どれだけひどいと思われているのか。というよりも確実に死ぬことが前提になっているのだが、それにツッコむ勇気も尋ねる気力も失せていた。
しゅんと肩を落とすケティに、ユーハレーラは苦笑を浮かべる。
ケティとて、入学する前と違ってこの学校の実力がどれほど高いかは理解しているつもりだった。それでも御前試合に出たいという気持ちに嘘はない。
御前試合で優勝すれば、将来への道と名誉、そして賞金が手に入るのだから。
(せめてユシルには、ちゃんと学んでもらいたい。もう一度、立て直さなきゃ)
歳の離れた弟を思い出して、決意を新たにする。可愛い可愛い、たった一人の弟なのだから。
貴族らしくないケティのようになってほしくない。もっと、せめて普通の貴族と会話出来るように。
そこまで考えた瞬間、ふっと浮かんできたのは金髪碧眼の――――
(いやなんでっ!? た、確かに見返そうとか思ってるけどっ、今は駄目!)
かあっと頬が熱を持ち始め、胸の奥がぐるぐると奇妙に熱くなってくる。
ぶんぶんと頭を振って脳裏からその姿を追い出す。
気を紛らわそうと口へ運んだスープはとっくに冷めて、混乱する今のケティには何の味も感じさせなかった。
「…………」
心底呆れた風に、しかし面白そうに微笑むユーハレーラは、ずっと沈黙を守ったまま微動だにしなかった「彼」とケティを見比べて、ますます笑みを深めていた。