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15.言葉の意味

 春の盛りも過ぎ始め、日ごとに気温が上がっていく新緑の月。

 散歩するには適温だが運動となると暑さを感じる中、ケティは全力で逃走していた。


「おい、何故逃げる」

「うわあああああああああっ!?」


 にょきっと廊下の角から見慣れてしまった金髪が現れて、思わず彼女は絶叫した。

 その悲鳴に、金髪の主――クルキースが眉を寄せる。


「五月蠅い。せめてもっと色気のある声で叫べよ。そしたら耳が痛くても我慢出来るんだから」

「じゃあ離れろよっ! っていうか我慢しなくていいでしょそれ! 耳を塞ぐとか手段あるよね!?」

「お前は俺のものなんだから、お前の声のひとつも俺のものに決まってるだろ」

「いやあああああっ!」


 無駄に澄ました顔で宣言され、ケティは再び悲鳴を上げてクルキースの傍から飛び退いた。


 レキントスが無事にケティの妖精具として復帰し、彼女自身もまた剣の修行に打ち込み始めた矢先。

 何を思ったのか、クルキースはやたらケティに構いだした。そしてまるで洗脳するように彼女に吹き込む「お前は俺のもの」発言。

 あまりにもいきなり過ぎてケティは訳も分からず逃げ出す日々を始めたのだ。ちなみにレキントスは最初の逃走時に放置してきてしまったが、それを考える余裕は今の彼女には無い。


「な、なんでこうなった……っ?」

「大丈夫?」

「ひいっ!?」


 すぐ傍から声をかけられて反射的にケティは身構える。

 が、声の主は明らかに男のものではなかった。おそるおそる顔を上げて、それが信頼できるルームメイトだと認識したケティは、思わず相好を崩して彼女に抱きついた。


「ユラ!」

「うん、お疲れ様ケティ。また逃げていたの?」

「だって、だって意味分かんないんだけどあいつ! 逃げたくもなるよ!」

「そっかそっか」


 ぽんぽんとケティの背中を叩くユーハレーラが、今は本当に女神に見える。

 ユーハレーラ=ベアリンクスは、この学校でケティの一番の友人だ。一つしか年が違わないはずなのにその立ち居振る舞いは大人顔負けで、また妖精騎士としての実力も同学年の中では突出している。薄い茶色の髪は貴族令嬢だというのに短く整えられて、しかもそれが嫌味なほどに似合っているのだから恐ろしい。男子生徒を置いて「貴公子」の異名を取ってしまった彼女は、確かに問答無用で頼ってしまいそうな包容力があった。


 頭半分ほど背の高いユーハレーラにしがみついていたケティだが、不意に嫌な気配を察知してぐるんっと首を巡らせる。

 いた。廊下の真ん中に佇むクルキースは、豪華な内装とマッチしてとても絵になっている。流石にそれを楽しむ余裕は無かったが。


「……ケティ?」

「うわああなんで居るの!? あたしちゃんと撒いたよね!」

「お前の気配ぐらい辿れる。嫌ならもっと気配を殺す技術を磨けよ、まあそんなことしても俺は見つけるけどな」

「怖いよ! この前から、なんなのあんたは! あたし何かした?」

「いいや、お前は何もしてない」


 じゃあどうして、と言い募ろうとしたケティを引き留めたのはユーハレーラだ。

 きょとんとするケティだが、ユーハレーラは彼女の方を見ることなく真っ直ぐクルキースを見つめて――――いや睨みつけている。

 翡翠色の綺麗な瞳が苛烈な炎を宿して、その迫力に思わず彼も一瞬たじろいだ。


「少しケティを借りてもいいかな、アデスリヒト殿?」

「……好きにしろ」


 わざとらしく語尾を強調されて、クルキースは居心地が悪そうに目を逸らす。

 にっこりと微笑んだユーハレーラは、どこか黒いものを含んでいた。



***



 どうしてこうなった。

 目の前にあるのは、見ているだけで楽しめる綺麗な色をしたケーキ。ピンク色のドーム状のムースに、白いクリームが王冠のように飾り付けられ、宝石のように果物やチョコレートが散りばめられている光景は、こういったものに縁のないケティでも見ていて心が躍る。

 そしてケティの目の前に座るのはユーハレーラだ。紅茶のカップを片手に座っているだけで一枚の絵になっている人物もそうそういないだろう。


「あの、ユラ? いきなりなんでこんな所に連れてきたの?」

「ケティは王都暮らしではなかったんでしょう。だからこうやって遊ぶのも一興かと」


 二人がいるのは、学校からさほど離れていないカフェ。評判は店内にいる生徒たちの数からお察しだ。

 もちろんケティにとってはお洒落なカフェに入ることも友人と放課後に遊びに出掛けるのも初めてで、どうにも落ち着かずキョロキョロと周りを見渡してしまう。


「ふふ、まあ落ち着いて。ケティに少し聞きたいことがあったからね」

「聞きたいこと?」

「そう。ケティはアデスリヒト殿のことをどう思っているのかな」

「ぶふっ!?」


 盛大に紅茶を噴き出したケティに些かの動揺も見せず、ユーハレーラは完璧な微笑を崩さない。

 あまりにも直球な言葉に、ケティは絶句するしかない。

 ようやく吐き出した言葉は、使い過ぎて擦り切れた言葉だけだった。


「嫌い、だよ。あんな奴、大っ嫌い」

「本当に?」

「当たり前でしょ。あいつ、人のことを道具か人形としか思ってないんだよ。そんな奴をどう好きになれっていうの」


 まず最初から色々とアウトだ。思い返せば彼と出会ったのも、ケティがミスをしたときだった。

 ただの好奇心だけで人を物のように「欲しい」と告げる男に対して、彼女が抱いたのは強烈な嫌悪感。

 それはまだ、薄れていない。


 ぎゅっとテーブルの上で拳を握ったケティに、ユーハレーラはそっと拳に指を這わせて解かせた。

 宝玉のような瞳が優しく細められて緋色の瞳と重なり、わずかにからかいの色を乗せる。


「ケティは面白いね。でも、見ていて不思議なんだよ」

「…………?」

「ねえケティ。アデスリヒト殿のことを嫌いだと言っているけど、私にはそこまで嫌っているようには見えないんだ。どうして?」


 静かに、しかし真っ直ぐに斬りこまれた質問は容易くケティを捉えた。


(嫌っていない……? 嘘だ、あたしは)


 最初は確かに嫌悪感しかなかったはずだ。それは間違いない。

 どこから変わっていったのだろう。思案するケティの脳裏に浮かんだのは、クルキースの言葉だった。


 ――――お前は俺の女だ。自分の女を美しくするのは当然だろう?


(そうだ、あの瞬間。あたし、あのとき何も言えなかった)


 声の魔法だろうか。それだけではないような気がして、ケティは目を伏せる。

 ふと、アデスリヒト公爵の言葉が耳の奥に蘇った。


 ――――帰ってくるたびにケティが、ケティがとそれはもう楽しそうに。


 「気に入った」というクルキースの言葉が真実味を帯びた。

 帰りの馬車で、何故彼の顔を見ることが出来なかったのだろう?

 なのに夕陽に照らされたクルキースの姿はひどく美しくて、今もはっきりと思い出せる。そしてそんな彼を目にして高鳴った己の心臓の音も。


 ――――お前が泣いているのは、なぜか見たくねえんだよ。


 あの言葉は、明らかに「物」と考えている存在に向けては絶対に発せられない。

 クルキースとあれほどまで密着したのは初めてで、まるで壊れ物を扱うような優しい力加減でケティを抱きしめていた。

 本当にケティが拒否して暴れたら、あっさりと解放してくれただろう。

 なのに肝心のケティ自身、彼の腕を振り払おうと考えすらしなかった。いやむしろ――――


(じゃ、じゃあ、あたし……あいつのこと、まさか、いやでも……っ)


 ぐるぐると思考がこんがらがる。

 頭を抱えてテーブルに突っ伏してしまったケティを面白そうに眺めていたユーハレーラは、やがてあっさりとした口調で言い放った。


「ケティ。私は『どう思っているか』と訊いただけ。『好きになれ』なんて一言も言ってないんだよ?」

「――――――――っ!?」


 限界だった。

 がんっ! とテーブルに額を盛大に打ちつけて、ケティは声にならない悲鳴を上げる。ケーキや紅茶の惨事はこの際無視だ。

 自分の分はちゃっかり非難させていたユーハレーラを涙目で睨みつけるが、彼女はそんな視線に慣れっこらしく平然とケーキを片付けている。流石貴族といったところか。


「は、嵌めたな……っ!?」

「失礼な。私はただケティがずいぶん悩んでいるようだったから、気持ちの整理をさせてあげようとしただけだよ」


 いけしゃあしゃあと嘯くユーハレーラに、ケティはどうしようもない気持ちのまま喉の奥で呻いた。

 物は言いよう、彼女の場合完全に面白がっている。

 今やケティの顔は熱を持って、髪と同化してしまったのではというくらいに赤く染まっていた。こんなにも体は熱いのに、汗のひとつも出てこないのだから不思議だ。


「じゃあ、あたし……あいつのこと……?」

「そもそも、あの公爵子息様を「あいつ」呼び出来る貴族がこの国にどれだけいると思っているのかな?」

「は?」


 そう言われても、ケティは割と最初からクルキースのことを「あいつ」呼びしている。そして彼自身それを怒ることも訂正することもなかったし、これは彼の親である公爵も同じだ。

 改めて考えればクルキースは王国でも有数の有力貴族であり、対してケティは辺境の下級貴族。

 財力も権力もなにより血統が違う。

 ユーハレーラは先程までの楽しげな表情を引っ込めて、少し真面目な顔をして見せた。


「アデスリヒト公爵家といえば王家の血を汲む大貴族。密接に国の中枢と関わっているからね、この国で公爵家に逆らう貴族はいないんだよ」

「でもそれ、あいつには関係ないでしょ? まだ当主じゃないのに……」

「まだね。でも彼は嫡男だし、学校を卒業すれば確実に公爵になる。未来の確定した彼に逆らおうなんて気概のある人間は、他国の者か余程の馬鹿かの二択だよ」

「…………それ遠回しにあたしが馬鹿って言ってる?」

「おやそんな風に聞こえたかな」


 軽く目を見開いてわざとらしく驚くユーハレーラ。ぶすっとむくれた表情になったケティに、彼女は微笑を浮かべて、そっとケティの頭を撫でた。


「まあ、そういうわけで。ケティが何気なく呼んでいる呼び方がどれだけ特別か分かった?」

「うん……」


 逆らったつもりはないが、今までクルキースにしていた対応が普通の貴族だったらどれほど命知らずなものかを朧げに把握して、ケティは曖昧に頷く。


(あいつ、優しいんだな……)


 知らなかった一面に触れて、心がむずむずし始める。また頬に熱が昇って来るのが分かって、慌てて手で押さえた。

 気に入られているという恩恵がこんなところにまで。

 そう考えるととても恥ずかしかった。


「あれ、誰か来る」

「ええっ!?」


 ユーハレーラの呟きに大袈裟に反応してしまったケティは、そのままテーブルに身を隠すように体を縮こませる。

 仮に今、クルキースに会ってしまったら。おそらくケティはまともに彼を見ることが出来ず挙動不審になってしまうだろう。そうなったら笑われるか呆れられるか、どちらも嫌だった。

 しかしぎゅっと目を閉ざして身構えていた彼女に振りかかったのは、想像とは違う声だ。


「マスター」

「……レキントス?」

「はい。こちらにいらっしゃいましたか、探しておりました」

「え、あ!? ご、ごめんね置いてけぼりにしてた!」

「いいえ構いません。僕は貴女の道具ですから」


 静かに首を振ったレキントスに感情は見えない。

 魔獣襲撃で一度壊れかけて出会った当初に戻ってしまったのか、ケティがそれまでに感じていた彼の感情の芽はすっかり消え失せていた。

 冷たい無機質な瞳は、わずかでも人間味を帯びていたであろう以前を知っているから余計に寒々しい。

 沈みかけた気持ちを無理矢理立て直すように、ケティは殊更明るい笑みを浮かべる。


「探してくれたんだ、ありがとう。ユラ、ここいくら?」

「いや。誘ったのは私だから、私が払っておくよ。行きな」


 渋るケティを無理矢理カフェから追い出すユーハレーラ。

 てくてくと街道を歩きながら、ケティはちらりとレキントスを見上げた。半歩後ろをついてくる彼を見るために、ケティは自然と上目遣いになる。


「何か?」


 当然のように重なった視線。首を傾げるレキントスの、赤みの入った茶色の髪がさらりと揺れた。

 端正な顔に見つめられて、ケティは慌てて話題を捻り出す。


「なんでカフェって分かったの? 本当に申し訳ないんだけどあたし放置しちゃってたよね?」

「……それは」

「やっぱり契約結んでるから? お互いの位置が分かるとか便利……ってあたしレキントスがよく行く場所とか知らないや」


 しかもケティにはレキントスの居場所など感知出来ない。妖精具との契約でそんな機能が付随するなど聞いたこともなかった。

 だから彼がどうしてケティの場所を突き止めたのかが気にかかる。誰かに訊こうにもクルキースだって知らなかったはずだ。


 ぴたり、レキントスが足を止める。

 覗き込んだ彼の眼の奥で、一瞬の懊悩が見え隠れしていた。

 しかしそれを振り払うかのように一度瞬きをしたレキントスは、そのままケティの腕を掴む。


「僕は……貴女の道具です。貴女のことなら、どこにいたって見つけ出します。貴女の後ろが僕の居場所です」

「違うよ。レキントスの居場所は後ろじゃない。隣だよ、あたしの戦友」


 まるで自らに言い聞かせているような言葉が耳朶を打って、反射的にケティは否定の言葉を放っていた。

 目を合わせて、にっこりと微笑む。鮮烈な夕焼けの瞳が信頼を乗せてレキントスへ向けられている。

 次の瞬間、すぐ傍で息を呑む音が聞こえてケティの体は強く引き寄せられた。


「レ、レキントスッ!? ちょ、ここ、外……っ」

「貴女という人は……!」


 いくらもがこうとレキントスの腕はまるで動かない。がっちりと捕まえられてしまっていた。

 抱きすくめられ、今までにないほどの密着度合いにケティの体温が否応なしに上がっていく。耳が心臓になってしまったかのように鼓動がうるさく聞こえた。

 周囲から飛んでくる冷やかしがひどく羞恥を煽る。聞こえているはずのレキントスはそれでも彼女を離さなかった。


「…………レキントス?」


 触れている腕から、密着する体から、細かな震えが伝わってくる。

 胸元に押しつけられているため彼の顔は見えない。しかしケティの呼びかけにますます強くなった腕の力が何かを伝えてくる。

 恋人同士のそれではない、まるで子供が母親に縋りつくような抱擁。


「――――――」


 すぐ傍で囁かれたはずの言葉は、喧騒にかき消されてケティには届かない。

 ただそれが、彼の精一杯が詰まったものなのは察することができる。


 故に、ケティは溶けた言葉の残滓を探すように、ただじっとレキントスの暖かな腕に抱かれていた。


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