表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

13.ケティvs魔獣

 魔獣に関して、世間ではそれほど研究が進んでいない。

 ただ、分かっているのは魔獣が人間を襲うことだけだ。妖精の突然変異という説はあくまでも学説の一つに過ぎない。

 ケティは今まで魔獣を見たことはなかったが、これまでの座学の授業で魔獣というものをなんとなく理解し始めていた。

 しかし今、知識と経験は異なるのだと、ケティは痛感していた。


「なに、これ……っ?」


 馬車を飛び出したケティは、目の前に広がる光景に愕然と呟く。

 つい先程まで長閑だったはずの通りは、一瞬で悲鳴と困惑が渦巻く場所に変貌していた。

 その中央で、真っ黒の異形の怪物が咆哮とも唸りともつかない声を上げている。

 四つ足で立つ姿はまるで狼のようだが、明らかにその大きさは狼の二倍以上あった。三本に分かれて長く伸びた尻尾が振り回されて、すぐ傍の露店を叩き潰していく。

 長い体毛の奥から覗く瞳が、ケティを捉えたような気がした。


「…………っ」

「マスター」


 レキントスの声には感情の揺らぎが無い。ある意味場違いなその声だったが、今だけはそれに救われた。

 見上げれば、やはり彼は真っ直ぐにケティを見据えている。


「戦いましょう」

「………………分かった!」


 躊躇いが無いと言えば嘘だ。剣術の腕は上達したと胸を張って言えるレベルではない。

 ケティを突き動かすのは使命感。

 彼女はまだ見習いと言えど確かに妖精騎士なのだ。少なくとも妖精具と契約を済ませ、その手に彼らを取った。

 そして魔獣を倒せるのは妖精騎士しかいない。


「レキントス、お願い!」

「御意」


 決死の覚悟を決めた主人(ケティ)に、妖精具(レキントス)は恭しく腰を折った。

 深紅の輝きが彼を包んで、輪郭を崩していく。その光の中心に勢いよく手を突っ込んだケティは、膨大な力が流れ込んでくるような感覚を掴んでいた。

 一息に光の中から腕を引き抜くと、レイピアがずるりと現れる。相変わらず見惚れてしまいそうな美しい武器だった。

 右手薬指にはめられた指輪がケティを応援するようにキラリと輝いて、それが彼女の背中を押す。


「…………来いっ!」


 気配を感じたのか魔獣が体ごとケティの方を向く。心臓を鷲掴みにされたような恐怖がケティを襲った。

 しかしそれでもケティは膝を震わせながら武器を構える。


――――――ガアアアアアアアッ


 腹の底に響くような咆哮とほとんど同時に、魔獣が動いた。

 考えるよりも先に体が動く。ケティが転がるように避けたその場所を凄まじい風圧が襲って石畳が悲鳴を上げた。

 とんでもない威力だ。もし少しでも当たれば彼女の命は無い。


「ケティ……!」


 クルキースが馬車から飛び出してくる。その手には彼の妖精具であろう巨大な剣が握られていた。

 魔獣の尻尾が勢いよくクルキースに向かって伸びる。

 それをすべて見切って躱し、長剣を振り回して尻尾の一本を叩き斬ったクルキースがケティの元へ駆け寄った。

 腕を引かれて、ケティは魔獣の攻撃が届かない路地裏に連れ込まれる。


「怪我はしてないか」

「してない。それよりもあの魔獣を倒さないと……っ」

「お前じゃ無理だ」


 冷静に落とされたその言葉に、ケティは眉を吊り上げる。

 しかしクルキースは彼女の様子を見ても淡々とした口調で現実を突き付けてきた。


「あの魔獣、おそらく中位だ。落ちこぼれのお前じゃ掠り傷すら無理だろ」

「な、ば、馬鹿に」

「してねえよ」


 ケティの文句が途切れる。遮った彼の言葉に、ひとかけらも嘘など混じっていないことくらい流石に理解できた。

 魔獣だってランクがある。今暴れている魔獣はその中でも「中位」の存在で、並みの妖精騎士が五人がかりで倒さなくてはいけないほどの実力だ。

 騎士学校に入学してまだ一月も経っていない、しかも落ちこぼれが敵うわけがない。


「王都だからな、すぐに騎士団が来る。それまでお前は逃げろ」

「じゃ、じゃああんたはどうするのっ!? まさかあんたは戦うとか言わないよね!?」


 いくら成績が良くたって、彼だって「見習い」だ。倒せるわけがない。

 呆然とするケティの瞳を覗き込むようにクルキースは微笑んだ。自信に溢れたそれが、妙に腹立たしい。


「何言ってんだ。……俺は戦うに決まってるだろう。見習いとはいえ妖精騎士だ」

「まったく同じ台詞を返してやる! あたしだって、妖精騎士だ!」

「だからお前には無理――――おいっ!?」


 クルキースの焦った声を無視して、彼女は路地裏から飛び出した。

 魔獣の二本になった尻尾が鞭のようにケティを襲う。ギリギリまでその場を退かずに動きを見極め、最小限の力でそれらを回避した。

 出来る。ケティの内側に闘志が燃え上がる。少なくとも、倒せなくても瞬殺されない程度には彼女も成長していた。それを実感して、わずかに頬が緩む。

 ふと目に映ったのは、怯えて蹲る小さな女の子。腰が抜けたのか怪我をしているのか、立てずにズルズルと地面を這っていた。


「危ない!」


 ケティの足が知らずそちらへ向く。魔獣も気づいたのか女の子を見てがぱりと口を開けた。

 何をしようとしているのかを理解した瞬間、ケティは女の子を突き飛ばしてレイピアを構えていた。びっしりと揃った鋭利な歯が彼女の視界を覆う。


(あ――――)


 意外なことに恐怖は無い。不思議と、頭は冷えていた。

 時間がゆっくりに感じられる。急速に周囲の声が遠ざかったような気がした。

 手の中のレイピアが何かを躊躇うように震えた気がして、ケティは彼に語りかける。


『どうしたのレキントス』

『それは――――いえ――――お逃げくださ――』


 途切れがちのレキントスの声が頭の中で響いた。初めて聞く、彼の動揺した声が何故だか面白い。

 思考が澄みきっていく。喉笛を噛み千切らんと襲い掛かってくる魔獣に狙いを定めて、ケティは寸分違わずレイピアを突き出した。


――――ガギュッ!? ギ、ギアアアアアアアアッ!


 醜い悲鳴を上げて魔獣が頭を振る。

 ケティは素早く魔獣の目に刺したレイピアを引き抜いた。逃げるように飛び退いた魔獣を追いかけようとして、しかし肩をクルキースに掴まれる。


「ケティッ!」


 忘れていたのだ。

 手負いの獣がどれほど危険なのか、そして己が対峙している存在が何故「魔獣」と呼ばれているのか。

 魔獣の周囲に、光り輝く赤い光球が幾つも浮かび上がる。

 ケティの本能が警鐘を鳴らして――――しかしそれはわずかに遅かった。


「――――――っ!」


 声にならない悲鳴がケティの喉から迸る。

 撃ちだされた光球は、すべてケティを狙っていた。赤い光の帯を纏った灼熱の塊は、彼女から容易く希望を奪いつくす。

 咄嗟に目を閉じた彼女の視界がより暗くなる。頭を抱え込まれるような感覚がした。


「マスターッ!!」


 ばちん、と何かが弾かれたような感覚と共に強く抱きしめられ、次の瞬間ふたりの身体は横に弾き飛ばされていた。

 鼓膜どころか内臓すべてを震わせるような轟音が轟く。

 すぐそばで息を呑む音が聞こえて、ケティはそっと目を開けた。


「大丈夫か!?」

「クルキース……?」

「ああ。騎士団が来た、もう安心しろ」


 魔獣を見れば、白銀と緑の鎧に身を包んだ騎士――妖精騎士たちが殲滅を開始していた。

 彼の碧眼が安心したように細められる。そんな状況ではないのに、不意に心臓が跳ねた。

 今に不釣り合いな感情を払拭するかのようにケティは首を振ると、はっともう一人の大切な存在に思い当たる。


「レ、レキントスは……ッ!?」


 先程の強い衝撃はレキントスの行動だ。ならば、と振り返ったケティは、そのままの状態で硬直した。


「あ……ああ……っ?」


 彼は転がっていた。

 おそらく魔獣の攻撃が当たったのだろう。人の形を保っていられなくなったレキントスは、元の武器の姿に戻っている。

 ただ、何も感じられなかった。普段なら感じ取れるはずの気配が消えている。

 妖精具は妖精の宿った武器で、レキントスは妖精だ。


 なら、彼はどこへ行った?


「い……いやあああああああああああっ!!」


 感じられない。

 今まですぐそばにいた存在の気配が少しも感じられない。






 押し潰されそうな恐怖と喪失感に悲鳴を上げながら、ケティは意識を失った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ