12.抱く気持ち
クルキース=ラウ=アデスリヒト。
アデスリヒト公爵家の嫡男にして血統的には現国王の甥っ子になる。
最上の血筋に家柄、加えて彼自身のあの美貌だ。トロイアナ王国中を探しても彼ほど恵まれた存在はそうそう居ないだろう。
普通の貴族の娘なら彼に憧れ恋い焦がれるのだろうが、生憎ケティは一般の貴族からは程遠かった。
「大嫌いです」
顔をしかめて苦々しく口にするケティに公爵の目が驚きで見開かれる。
しかし彼女はそれに気づくことなく、むっとした顔で不満を漏らし始めた。
「顔が良いのは分かるけど、それを鼻にかけてるのが気に入らない。女の子は皆自分の思い通りになるって勘違いしてるのも許せない。少なくともここにあんたの思い通りになるかって考えてる人間が一人いますけど? っていうか性格が悪い。人が悩んでるのにそれをからかうみたいに……っどうせ、今まで悩んだことなんてないくせに!」
女子寮の裏手で出会ったときを思い出す。
思えばあれが決定打なのかもしれない。真剣に悩んでいたものを軽くあしらわれて、馬鹿にされた。
今も悩みは消えたと言えない。胸に巣食う劣等感は時折彼女の心を軋ませていた。
吐き捨てるケティを落ち着かせたのは公爵の控えめな笑い声だ。
「……いや、まさかあの息子をここまで嫌う女性がいるとはねぇ」
「人の好みなんて、それぞれですから。あたし以外にもきっといますよ、あいつが嫌いな人」
「少なくとも今まで見てきた令嬢たちは揃ってクルキースに惚れたからね。君が初めてだ、あの子を嫌いだと宣言してしまう女性は」
揃いも揃って見事に自信満々である。
内心がっくりと項垂れるケティ。そもそも格上貴族に対して無礼もいいところなのだがそれに彼女は気づいていなかった。
「…………しかし、私個人としては君のような女性がいてくれてよかったと思っている」
「はい?」
「あの子は完成した道しか知らない。それではこれから先が思いやられるからな」
「完成された道って、全部決められているということですか……?」
「それもあるが、予想された未来ということだ。あの子は賢いからか、子供の頃から己の立場を理解していた。その上で自分が周囲にどういった影響を与えるのかを考え、どんな反応が返って来るかを予想して生きてきた」
「うわ可愛くない幼少期ですね」
バッサリ切って捨てたケティに、公爵はまた可笑しそうに笑う。
「だから、予想を裏切って行動する君のようなお転婆がずっと必要だった。私たちはどうにもあの子に甘いから」
「一人息子なんですか?」
「…………いいや、ちゃんと兄弟がいる。しかし事情があってね、クルキースは公爵家の中では浮きがちで……どうにも私は厳格な父親にはなれなくて。私の代わりにあの子に対して真正面から物を言える人間が必要だったのだよ。まさかそれが下級貴族の、しかも色気の乏しいご令嬢だったのには驚いたが」
「それ褒められているんですよね……?」
目を伏せて憂いを帯びた表情をした公爵に、控えめにツッコむ。褒められているのか貶されているのか判断がつきにくいことこの上ない。
(事情か……悩みがないなんてことは無いよね、そりゃ……)
公爵の様子を見る限り、その事情が小さいものではないことくらい流石に察しがついた。
ふとケティの脳裏に、いつか見たクルキースの表情がフラッシュバックする。
初めて公爵家に招かれた日。あの日、ケティを見た彼の瞳は今まで見てきた誰よりも暗かった。踏み出せば呑み込まれてしまいそうな、深海に繋がる色をしていた。
あんな目をした人間がいると初めて知ったし、そのときに感じた悪寒は今も体が覚えている。
「なにより、あの子自身が君を気に入っているからな。最初は驚いたが、話を聞くうちに興味が湧いた。だから招いたのだ」
「え、まさか、あいつあたしのこと話してるんですか!?」
「ああ。帰ってくるたびにケティが、ケティがとそれはもう楽しそうに」
「…………っ」
ケティは頬を赤くほてらせるしか出来なかった。
クルキースが毎週のように家に帰っているのは知っていたが、まさか家で己の話をしているとは思ってもいないことで。
(本当に、気に入られてる……?)
嘘だと思っていた。初めて会ったときから「俺のものになれ」と言われてきたけれど、そんなものは上級貴族の戯れだと信じていた。
しかし本当にただの冗談なら、彼女のいないところで話をしたりしないだろう。公爵の表情を見ている限り、その言葉が嘘だとも思えない。
もしも公爵の言葉が真実なら、何故クルキースはケティを気に入ったのか。それだけがどうしても分からなかった。
うんうん唸って考え込んでしまったケティを面白そうに眺めていた公爵が立ち上がる。ふと我に返って窓の外を見れば、既に太陽の位置も大きく動いていた。随分長く邪魔になっていたらしい。
「そろそろ帰らねば寮の門限に間に合わなくなるのではないかな。学校まで送ろう」
「あ、ありがとうございます……」
礼を言って頭を下げるケティに、公爵はにっこりと笑みを浮かべていた。
***
(まあこうなるよねそうだよね!!)
公爵が手配してくれた馬車に乗って帰るということは、当然クルキースも一緒なわけで。
ケティは必死で斜め上を睨みつけながら意識を目の前から逸らしていた。
目の前にクルキースが座っている。その事実がケティの胸を激しく打ちつけていた。
「…………おい、どうしたさっきから。やけに落ち着きがねえな」
「そ、そんなことないしっ!」
「ああ、そうか。落ち着きがないのは元からか。こんな豪華な馬車に乗るなんてねえもんな」
「本気で馬鹿にしてるよねそれっ!?」
噛みつくケティにクルキースは喉の奥で笑うだけだ。それが面白くなくてますます不機嫌顔になる。
しかし彼のからかいに対応したことで、ケティはクルキースを直視する羽目になった。
「…………っ」
窓から差し込む夕陽が馬車の中をオレンジ色に染め上げている。
ケティの目の前で優雅に座るクルキースの金髪が、青い瞳が、白い肌が、すべて輝いて見えた。今だけはオレンジ色の髪が肌に陰影をつけて、普段表に出ない色香が振り撒かれている。
綺麗だ、とぼんやりと考える。まるで彼の妖艶さに当てられたかのように頭の奥が霞がかっていた。
(こんな綺麗な人に、気に入られてる……)
先程までの緊張などとうに消えている。ケティの瞳が揺らいだ。
「ケティ?」
彼の呼ぶ声が何故か遠い。
視覚以外の五感に膜がかかってしまったかのようだ。
「――――――――」
何を言われたのかも、もう理解できなかった。
ケティに伸ばされる、クルキースの腕。それをただ何も考えず見つめていて――――
「マスター」
「っあ!? え、あ……レキントス、あたし」
「しっかりしてください。慣れぬ馬車でお疲れなのはわかりますが」
レキントスに肩を揺さぶられて、ケティは我に返った。
意識が急激に引き戻されたせいでまだ少しぼーっとするケティを淡々と見つめるレキントスは、どこか苛立ちを含んでいるようだ。
彼の目がクルキースに向く。浮かぶのはわずかばかりの警戒と嫌悪だ。
「貴方もマスターに何かしようとするのは止めてください」
「…………俺は何もしてないぞ」
「しようと考えないでください」
「ずいぶん生意気な口を利くようになったな、道具のくせに」
一気に馬車内の温度が下がる。
怒りにも似たものをちらつかせる深紅の瞳が、見下す碧眼とぶつかり合い、見えない火花を盛大に散らした。
ケティは隣に座るレキントスの感情の発露に目を白黒させるだけだ。
何が彼の琴線に触れたのか分からない。
「どうしたの、レキ」
名前の半分以上は、いきなりの衝撃で霧散した。
馬車が大きく揺れ、ケティの身体が傾く。レキントスが咄嗟に手を伸ばして彼女を己の胸元に抱え込んだ。
「何があった!?」
御者台に向かって怒鳴るクルキース。
それに返ってきたのは恐怖に掠れた声だった。
「ひ、ひぃ……っお、お逃げください……っま、魔獣が現れましたっ!」