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9.プレゼントと芽生え

 ケティがアデスリヒト公爵家に呼ばれたのは、入学して二週間が経とうかという頃だった。


「…………仕方ない。確かに、まあ、仕方ないよね」


 こみ上げてくる頭痛を耐えながら、ケティは自分を納得させるように呻く。

 今彼女が乗っているのは、街を走る辻馬車ではない。もっと豪奢で手の込んだ、外観も内装も一級品の私用馬車だ。その座席に腰を下ろしているケティの隣には、苦い顔をする主とは正反対の涼しい顔でレキントスが静かに座っている。

 そしてその反対側、ケティの真正面には。


「なんだ、ケティは俺の隣が良いのか?」

「そんなわけないでしょ自惚れるなこの露出狂っ!」


 悠然と足を組んでくつろぐクルキースに、ケティは一瞬で切り捨てた。

 全寮制のトロイアナ騎士学校だが、週末には寮を出て家に帰ることが許されている。もちろん原則日帰りで宿泊は許可が必要だが、この規則を利用して遊びに行ったりする生徒は多い。

 今回、ケティが招待に応じたのもこの規則があったからだ。しかしまさかクルキースがついてくるとは思っていなかった。


「なんであんた帰るのよ! 先週だって帰ったんでしょまた帰る必要なんてないじゃないのよっ!」

「俺はこれでも親思いだからな。愛しい家族の顔を一週間ぶりに見れるんだ、帰らない道理はないだろう」

「それを世間ではマザコンとかファザコンっていうんだけど知ってる?」

「生憎庶民の流行は知らない」


 嘯くクルキースの顔は悪戯小僧のそれだ。無駄に賢い分小僧より性質(たち)が悪いが。

 眉を寄せるケティをじろじろと無遠慮に眺めながら、クルキースはふと顔を上げた。


「おい、停めろ」

「は? ちょっと、どうしたの」

「お前、その恰好で行くつもりか」


 そう言われてケティは自分の恰好を見下ろす。

 長く伸びた赤毛は邪魔にならないという一点だけで高い位置で縛られ、着ているものは騎士学校の制服だ。彼女を飾るものはたったひとつ、母親が刺繍を入れてくれたリボンだけ。

 貴族の娘としては驚くほど地味な姿だが、ケティはそんな自分にそれほど頓着していない。

 しかしクルキースにはそれは我慢ならなかったらしい。


「制服ならまだ大丈夫かと思ったんだけど、駄目だった?」

「…………これだから貧乏貴族は……。やっぱり服を買ってやるべきだったか」

「ちょっと、何? あたしはそこまでお洒落に興味なんてないから必要ないだけ。馬鹿にするなら喧嘩くらい買うけど」

「お前が俺に勝てるわけないだろ。それより服だ、服。世話になってる公爵家に招かれて着飾らねえなんて貴族として有り得ねえぞ」


 先日の方向音痴がバレてから、クルキースはケティの前ではかなりぞんざいな物言いをするようになった。正直ケティとしては貧乏と馬鹿にされるよりも彼の言葉遣いの方が問題のような気がする。

 ただ、クルキースの言い分も間違っていない。それが分かっているため、ケティは何も言わずにクルキースに押されるままブティックの連なる商店街へ足を踏み入れた。



***



 ケティが連れて来られたのは落ち着いた内装だが大人っぽくなりすぎていない店だった。

 ただ、その店がどれほどの高級店なのかはなんとなく想像できる。なにせ公爵子息が通う店だ、ケティの手持ちの服の合計をはるかに超える値段がそこら中に散らばっているだろう。

 呆然とするケティをよそにクルキースはなにやら真剣な表情で女性用のドレスを吟味している。彼自身それほど男臭い顔立ちをしていないせいか、その光景はそれほど違和感が無かった。


「クルキース様、違和感がありませんね」

「ぶ……っ!」


 心を読んだかのようなタイミングでレキントスが呟いたため、思わずケティは堪えきれずに吹き出す。肩を震わせながら見上げるが、やはりレキントスはいつもと同じ無表情でケティの傍に佇んでいた。


「そっ、そうだ、ね……ぶふっ!」

「…………マスター、流石に貴族令嬢としてそれ以上は我慢してください。周囲の視線にお気づきになってください」


 レキントスの注意に慌ててケティは口を押さえた。

 深呼吸で落ち着いたケティが改めて周りを見渡すと、ふと髪留めの置かれたテーブルがあることに気づく。カラフルな髪紐や繊細な髪飾りがいくつも展示されて、店内でもひときわ華やかだ。

 ケティの興味を引いたのは、髪紐の中でもシンプルな白い髪紐だった。飾りなどほとんどないが、よく見れば手の込んだ織り方をされている。紐の組み方も他の商品より複雑で、手に取ってみれば質の良い糸で作られているのが審美眼のないケティでも理解できた。


「お買いになりますか」

「っ! あ、あー、どうしようかな」


 いきなりレキントスに声をかけられて言葉に詰まりながらケティは値段を確認する。懐の寂しい彼女でもなんとか手の届く値段だった。

 店員を呼んで支払いを済ませたケティがレキントスを見上げると、彼は少しも疑問に思っていなさそうな顔で首を傾げる。その拍子にさらりと彼の長髪が揺れて光の波を作って、それがはっとするほど美しい。


「レキントス」

「はい」

「…………こ、これ」

「それは、貴女が自分のために買ったものではないのですか?」


 差し出された髪紐を手に取ることもなく淡々と尋ねるレキントスに、ケティは困ったように曖昧な笑みを浮かべる。


「…………いらない?」

「僕は道具です。道具に装身具など必要ないと思いますが」

「道具だけど、道具でも……あたし、レキントスと仲良くなりたいから。ね? これ、似合うと思って。どうかな」

「…………では、ありがたくいただきます」


 やや逡巡したようなそぶりを見せたあと、レキントスは髪紐を受け取り手早くそれを髪の毛に結びつけた。

 腰近くまである彼の髪がひとつにまとめられて、活動的な印象を与えている。長かった前髪まで一緒に結わえたため、彼の顔がはっきりと晒された。


「うわ……」


 思わず声を漏らしてしまうほどの美貌だった。クルキースの綺麗な顔で多少の耐性がついていたと思っていたが、それを上回る美男子だ。

 人間を超越した端麗な相貌は、いっそ現実味すら薄い。思わず手を伸ばして存在を確認したケティに、レキントスはわずかに身をかがめて自らその掌をケティに触れさせた。

 触れた部分から伝わる熱が、彼の存在を何よりも確かなものにしている。


「どうされました?」

「な……なんでもない……」


 深紅の瞳にじっと見据えられて、ケティの頬に熱が集まる。しかし次の瞬間、レキントスの身体が後ろにのけ反った。


「え!?」

「なにやってるんだ、ケティ。ほら、これとこれ。着てみろ、絶対似合うから」


 犯人はクルキースだった。腕に抱えていたいくつかの衣類をケティに押しつけ、もう片方の手はレキントスの尻尾のようになった髪を握りしめている。

 目だけで着てみろともう一度促され、ケティは慌ててカーテンに仕切られた小部屋に入った。垣間見えたクルキースの瞳が不機嫌そうに細められていたような気がしたが、それを確認するよりも渡された服の方が気になった。

 それはいつかのパーティーに着ていったドレスを連想させるワンピースだった。白を基調として、白から赤に変化する花の刺繍が施されている。


(綺麗……)


 今までこんな綺麗な私服を着たことがないケティにはもったいないくらいだ。知らず目元を緩ませていたケティだったが、ふと目に飛び込んできた値札を見て小部屋を飛び出す。

 クルキースの顔が一瞬期待に輝き、次いで不満げに歪んだ。


「どうした。気に入らなかったか?」

「違うっ! こ、こんな高いのあたし買えないよっ!!」


 どう見ても値段がおかしい。ケティのいつも着ていた私服の十倍は超える金額だ。下手すればこの服一枚でカイトス家の一日の稼ぎに匹敵するかもしれない。

 顔を青くさせるケティに、クルキースはこともなげにあっさりと言った。


「お前が払う必要はない。俺が買う」

「なんでよ! これ以上あたし公爵家に借りを作りたくないの、買ってもらうわけにいかない」

「この服代は家からじゃなくて俺の小遣いから出す。だったらいいだろ」

「もっとよくない! なんであんたに借りを作らなくちゃいけないの! 恩を着せてあとから請求されるなんて御免だ!」

「借り、借りってうるさいなお前。いいか」


 がしっとケティの肩が掴まれる。痛くはないが動けない強さで拘束され、顔を覗き込まれた。

 金色の髪が額に触れる。お互いの顔が瞳の中に映る距離まで接近されて、ケティの喉がくぐもった悲鳴を上げた。

 しかしクルキースはそれを気にせず、ゆっくりと口角を上げる。


「お前は俺の女だ。自分の女を美しくするのは当然だろう?」


 誰がお前の女だ、というケティの抗議は彼女の中で溶けて消えた。言葉という言葉がすべて奪われてしまったようだった。遅効性の毒がやっと体中を巡って症状を現したように、彼の声がケティの奥深いところまで染み込んでいく。

 深い紺碧の瞳にケティの緋色の瞳が混ざって、紫色が生まれている。そこまで近づかれているのに、ケティの思考は上手く働いてくれない。

 そっとクルキースの指先が彼女の頬に触れて、優しい感覚に眩暈がしてきたそのとき――――


「そろそろ出発しなければいけないのでは?」


 感情の一切を排除した声に、ケティは我に返った。ぶわっと脳内が沸騰する。


「え、あ、うわああぁぁっ!? あ、なん、え」

「…………落ち着け。いいからさっさとそれ買うぞ!」


 パニックになったケティを見て、クルキースが苛立たしげに店員を呼んで会計を始める。

 混乱して断ることも出来ずに為すがままの彼女を横目に、クルキースはじろりと斜め後ろにいた先程の声の主――レキントスを睨みつけた。

 前の持ち主から苛烈な視線を向けられているというのに、彼の表情は仮面のように揺らぐことはない。

 ただ、クルキースには彼の意図がちゃんと分かっていた。

 道具でしかなかった彼の、わずかに生まれた衝動が。








 もの言いたげな紅玉(ルビー)と、苛立ちを乗せた青玉(サファイア)が空中で火花を散らしていた。

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