第三十四話 記憶と記録と想いと迷い(その2)
/2.会長の誘い(神崎良)
それは、東ユグドラシル魔法院の昼食時のこと。
「良さん」
「はい?」
俺と霧子と龍也、綾に佐奈ちゃんに、会長さんと篠宮先輩。例の試験勉強の時から、最早、お馴染みになった感のある面子で、昼食をとっていると不意に会長さんが俺の名前を呼んだ。
「なんでしょう」
「今日の放課後、少し付き合ってくれないかしら」
「ダメです」
会長さんの問いかけに間髪入れずにそう答えたのは、俺ではなくて、そして、綾でもなくて……篠宮先輩だった。冷然とした表情を浮かべる篠宮先輩の言葉に、会長さんは少し眉をひそめて唇を尖らせる。
「鈴。私は良さんに聞いているんだけど。どうしてあなたが答えるのよ」
「セリアが自分の予定を忘れているようでしたから思い出させてあげただけです。今日は生徒会がある日ですよ。セリアの放課後に、神崎さんを付きあわせている時間はありません」
「う」
冷静に指摘する篠宮先輩に、会長さんはやや言葉を詰まらせる。しかし、会長さんがそんなに素直に折れるわけもないわけで、なおも彼女は反論の台詞を口にした。
「別にいいじゃない」
「良くありません」
「生徒会の用事なら後で、ちゃんと片付けるから」
「先週もそう言っていましたよ」
「先週の件だって、きちんと片付けたでしょう? 特に遅れもなかったはずだけど」
「そういう問題ではありません。生徒会長が生徒会の会合を度々欠席すること自体が問題です」
「む。それは……、そうだけど」
「それに今日は部長たちとの会議もありますから。流石に後回しという訳には行きません」
「……わかったわよ」
落ち着きのある態度で理路整然と指摘されると、会長さんは、降参、と軽く両手を上げて肩をすくめた。会長さんがやり込められる、という光景は珍しいけれど、やっぱり会長さんは篠宮先輩の正論には従わざるを得ないようだった。
……俺が篠宮先輩と同じ事を言っても、こうは素直に聞いてはくれないんだろうなあ。などと思いつつ、会長さんと篠宮先輩のやり取りを眺めていると。
「ふふふ」
何故か、傍らの綾が勝ち誇るような笑みを浮かべて、胸を張っていた。
「綾?」
「ということで、会長は生徒会活動に勤しんで下さい。兄さんは私と一緒に帰るんですから」
「仕事があるのは、綾さんもですよ」
「ええ?!」
「……綾さんは、少しセリアに似てきてしまったのかも知れませんね」
悲痛な叫びを上げる綾に、心持ちこめかみを引き攣らせながら篠宮先輩が息をついた。
「あの、申し訳ないです……篠宮先輩」
「なんで兄さんが謝るのよ!」
「いや、なんだか、いたたまれなくて」
「どういう意味なのよ! それ!」
「こちらこそ申し訳ありません」
「なんで、鈴があやまるのかしら。というか、良さん。綾さんが私に似てきた、という発言に対して、「申し訳ない」って一体どういうことかしら」
「痛い痛い痛い、痛いですってば!」
俺と篠宮先輩のやり取りに、会長さんは引きつった笑みを浮かべると、俺の耳を引っ張ってくる。っていうか、耳とか鼻とか、人の体を引っ張りすぎじゃないだろうか、この人。
「セリア。神崎さんにあたらないで下さい」
「あなたと良さんがおかしな事を言うからよ」
「とにかく、綾さん。今日は部活動に関しての会議なんです。予算執行状況の確認もありますから、できれば綾さんにも出席いただきたいのですが」
「……わかりました」
静かに諭す口調の篠宮先輩の言葉には、綾も反発しづらいようで、少し間をおいてから大人しく首を縦に振った。そんな様子を見ていると、会長さんより、篠宮先輩の方が、生徒会長に向いているんじゃないかと思ってしまったりもする。
「その顔は、また、なにか失礼なことを考えている顔ね。良さん」
なんだか俺の考えを見透かしたように、会長さんは声を尖らせる。
「…………そんな事はないですよ?」
「その『間』は、なんなのよ。もう」
我ながら白々しい返事に、会長さんが不満気にまゆを曇らせた。また鼻でも摘まれるか、と、少し身構えると、会長さんは軽く笑って、また肩をすくめた。
「本当に私には意地悪なのね。あなたは」
「そんな事無いです」
「そんな事あります。速水さんとか、桐島さんとか、綾さんとか、佐奈さんとか、速水さんには、凄く優しいもの。あなた」
何故、龍也のことを二回言ったのだろうか。この人は。
「いや、それだったら、会長さんは俺にだけは暴力的ですよね。妙に」
「失礼ね。私、暴力的なんて言われたことないわよ?」
「え……?」
「……良さん。本気で驚いているように見えるのは私の気のせいよね?」
「いや、えーと、って、って、痛い! なんでお前が耳を引っ張るんだよ、綾!」
「……別に。会長さんに似てきたらしいので、会長さんの真似をしてみただけです。兄さんが会長さんとイチャイチャしているのが、非常に気に入らないっていう訳じゃありません」
「あのな」
なんで俺と会長さんがイチャイチャしていることになるんだ。
そう言いかけて、ふと、皆の視線に気づく。なんだか、どことなく冷たい視線を浴びているような気がしないでもない。具体的には龍也と霧子と佐奈ちゃんから。
「え? あれ? 龍也?」
「……最近、会長さんと仲がいいよね。良って」
にこやかだけど、なんとなく龍也の声が冷たいのは気のせいだろうか。
「……そうよね。良かったわね。関係修復できて」
「霧子?」
「私も、良先輩の耳をつまんでみたいです」
「佐奈ちゃん?!」
「良先輩が私の耳とか鼻をつまんでくれてもいいです」
「つまみません」
「違うところつまんでくれてもいいです」
「つまみません」
「残念です」
相変わらずどこまでが本気なのかがよくわからない佐奈ちゃんだった。
「えーと、と、とにかく」
「あ、誤魔化した」
「とにかく!」
霧子のツッコミを大きな声で跳ね除けながら、俺は言葉を続けた。
「どっちにしろ、俺も今日の放課後は少し用事があるんです。その、ちょっと図書館まで」
「図書館って、魔法院の? だったら、僕も行こうかな」
「あ、いや、そうじゃなくて。ちょっと国立の図書館の方」
「あ、そうなんだ」
俺の返事に頷いた龍也は、少し考えこむような表情を見せた。勘の鋭い親友だから、ひょっとしたら俺の意図に気づいたのかもしれないけど……って、いや、流石にそれはないか。
魔法院の生徒が「図書館」といった場合、それはほぼ例外なく魔法院にある図書館のことを指す。よほど高度な魔法に関するものでない限り(少なくとも高等部までの学生が必要とする魔法の範疇なら)、魔法に関する知識は、魔法院の蔵書で事足りると言われているからだ。だから、わざわざ国立の図書館に出向く、ということは、よほど複雑な魔法に関する資料を探しに行くのか、あるいは……魔法に関すること以外を調べたいのか、という事になる。でも、いくら龍也が鋭いって言っても、それだけの情報で俺が何を調べに行くのかまでは、わからないはずだけど。
ともあれ、どこか考えこむような素振りを見せる龍也の傍ら、「図書館に行く」という俺の発言に、霧子が少しからかうような笑みを浮かべた。
「でも、良が図書館なんて珍しいわね」
「いやいや。別に珍しくないだろ?」
「えー。そうかなあ」
「そうだよ」
確かに国立の図書館に行ったことなんて、それこそ数えるほどしかないけれど、魔法院の図書館の方なら割と頻繁に利用する。まあ、魔法院の生徒なら当たり前と言えば、当たり前なんだけど。
「少なくともお前よりは利用している自信はあるぞ」
「む。そんな事ないわよ。私だって、それなりに使うもん」
「月何回ぐらい?」
「……覚えきれないぐらい」
「なぜ目をそらす」
そんなツッコミを霧子にいれながらも、本音のところではあまり勝ち誇ることでもないとはわかっていた。霧子は部活があるから、部活に参加していなかった俺よりは利用頻度が低いのはわかっていたから。
「ともかく。神崎さんに用事があるのなら、なおさらです。今日は素直に生徒会に向かってください。いいですね、セリア」
「わかったわよ。もう」
サボるな、と念を押す篠宮先輩に、会長さんは降参、というように両手をあげた。しかし、そんな殊勝な態度はすぐに消えて。
「今日のところは諦めてあげます。今日は、ね」
、会長さんは意味有りげな視線と言葉を残して微笑むのだった。
/3.会議の後で(篠宮鈴)
「あら、もうこんな時間? もうっ、どうしてこんな時に、生徒会になんて出ないといけないのかしら」
「そうです。どうして、生徒会になんて出ないといけないんですか」
生徒会会合を終え、更に少しの事務処理を終えたあと、すっかり茜色に染まった空を窓越しに見上げながら、セリアと綾さんが仲良く不平を口にした。
「こういう場合、どちらから叱るべきなのでしょうね」
生徒会役員にあるまじき発言を口にする二人に、私は軽い目眩を覚えて思わず頭を抑えた。
少しは卯月さんの純真さというか、真面目さを見習って欲しい。今日は家の用事があるから、と会合が終わるやいなや、名残惜しそうな表情を浮かべて帰っていった下級生を思い出しながら、私は内心でため息を付いた。
こういうセリアを見てしまうと、果たして神崎良という魔法使いを彼女の傍に置いて良いのかと考えてしまう。元々、セリアは気ままに振る舞う性質があるが、普段はこうまで生徒会の優先順位を下げたりしない。セリアがこういう態度を取るのは、やはり神崎さんに関係した「何か」がある時が多いと思う。生徒会役員の一員としては、こういう会長の態度はやはり改めて欲しいと思う。
でも、セリアの友人としては……きっと歓迎すべき事態なんだろう、とも思う。不平を言いながらも、今のセリアの瞳は、やはり今までより精気に満ちているのがわかるから。……わかって、しまうから。
チクリとした内心の痛み。それを無視するように、私は二人に向かって問いかける。
「セリアも綾さんも、そんなに大切な用事があったんですか?」
尋ねる私に、セリアは少し考えてから軽い笑みとともに頷きを返してきた。
「そうね。大切といえば、大切ね」
「私もすごく大切な用事がありました」
セリアは意味有りげな笑みを浮かべて、綾さんはセリアに張り合うように胸を張りながら、それぞれの答えを口にする。
「あら、綾さんは良さんと一緒に帰りたいだけじゃなかったの?」
「ええ、そうです」
「それが大事な用事なの?」
「とっても大切な用事じゃないですか」
自信満々に断言する綾さんに、セリアは「なるほど。そうかもね」と小さく笑ってから、軽く視線を私に向けた。セリアが何を言いたいのか、その視線の意味するところに、なんとなく気づいたが、しかし、私は咄嗟に気づかないふりをしてしまった。それは、あまり深く立ち入りたいと思う話題ではないと感じたからだ。
例えば、綾さんが実の兄に向けている好意や、言動が―――どこか一線を超え始めているのではないか、なんていう、そんな話題。
とは言え、セリアの前では、そんな態度は意味が無かっただろう。私が取り立てて反応を返さないことに、セリアは少しつまらなそうに眉を動かしたが、直ぐに視線を綾さんへと戻して、そしてそんな危うい話題を続けはじめた。
「でも、そういう意味では、私もとっても大切な用事があったことになるのよね。良さんと一緒に帰ろうって思ってたんだし」
「それでも私の方が大切な用事です」
「どうして? 同じ行為なのに」
「行為は同じでも意味が違いますから」
神崎さんがセリアと一緒にいて、帰ること。
神崎さんが綾さんと一緒にいて、帰ること。
その二つの意味が違うと言い放つ綾さんは、セリアに対する対抗心で頑ななようでもあり、しかし、どこか言葉と表情に余裕を浮かべているようでもあった。余裕、というより、なんだろう……優越感、というのが一番しっくりするだろうか。
「意味が違う、か。面白いことを言うのね」
ある意味、挑発するような綾さんの言葉と態度。それを受けてもセリアは、静かな笑みを崩さなかった。
相手に対して好奇や興味をそそられた時に浮かべる、セリアの笑み。だけど、今、セリアの瞳に余裕や好奇以外の感情が見え隠れしていることに気づいて、私は少し身を固くした。
ずっとセリアと一緒にいた私だから気づけた、ほんの些細な感情の揺れ。それが何なのかまでは掴めないけれど、セリアには似つかわしくない類の感情ではないだろうか。例えば、迷い、不安、あるいは……葛藤のような感情だったかもしれない。でも、そんな感情の揺れは即座に消えて。セリアはいつもの様に、余裕のある笑みをその瞳に浮かべて、綾さんを見据えていた。
「まあ、いいわ。綾さんにも大事な用があったから」
「……私に、ですか?」
セリアにそう言われて、目に見えて綾さんが身構える。
「用事って、なんでしょう」
「聞きたいことがあるのよ。あなた、もう良さんから、返事は貰ったの?」
「返事、ですか?」
「ええ。告白の返事」
「え? ……え?」
しばし、何を言われているのかわからない様子で、綾さんがきょとんとした表情を浮かべた。そして、おそらく私も綾さんと同じような表情を浮かべているのだと思う。私にもセリアが急に何を言い出したのか、彼女の言葉の意味がわからなかったから。しかし、綾さんの方は何を言われたのか直ぐに理解したらしく、見る間にその表情を朱色に染まっていった。
「あ、あの、会長? こ、告白?! 告白って?!」
「告白は告白よ。好きですって、告白したんでしょう? 良さんに」
「ななななな、何のことでしょう?」
「ふふ。不意をつかれるとそういう反応になるのね。そういう所、良さんに似てるわよね」
露骨にうろたえる綾さんを、セリアは楽しげな視線で見つめた。そして静かな笑みを湛えたまま、どこか優しい声色で問いを重ねた。
「あなた、良さんが好きなんでしょう? そしてその気持が抑えられなくなって、告白した。そうよね?」
「ど、どうして……、そう、思うんですか?」
セリアの意図をはかりかねているのか、綾さんは平静を保とうとしながら、セリアの表情を探る。そんな彼女に、セリアは小さく苦笑して軽く肩をすくめた。
「あのね。そのぐらい見ていればわかるわよ」
「見ていれば?」
「だって、この間から兄妹そろって挙動不審じゃない」
「挙動不審って、そんなことありませんっ」
「あります。まあ、挙動不審の種類はあなたと良さんで、違うみたいだけど。ねえ、鈴」
綾さんの反論を、ばっさりと切り捨てながら、セリアは今度は私に言葉を向けた。
「あなただって、気づいてたんじゃない?」
「……急に私に振られても困ります」
セリアと綾さんの会話についていけていなかった私には、セリアに言葉を返すのに少しの間が必要だった。紅坂家に使えるものとしては失格かもしれないけれど、でも、これは仕方ないんじゃないだろうかとも思う。セリアはいつもと変わらない態度と口調だけれど、今彼女が話題にしているのは、恐ろしく重々しい話題のはずだから。
セリアは、綾さんが良さんに告白したと言った。つまり、実の妹が実の兄に告白した、と言ったのだ。冗談なら少したちが悪く、本当なら……こんなに軽々しく口にすべきではない話のはずだから。
果たして、セリアはどこまで本気で言っているのだろうか。綾さんとは異なる意味で、セリアの意図を掴めなくて、私は言葉に詰まってしまった。そんな私に、セリアは「早く」と視線で言葉を促してくる。
どうやら無言のままで、やり過ごすのは難しそうだと判断して、小さな溜め息と一緒に言葉を口にした。
「……確かに、綾さんと神崎さんの様子が普段と少し違うようには感じていましたけど」
「ほら、ね」
「でも、セリア。その……あなたが言うようなことまでは、感じ取れませんでしたよ?
つまり、綾さんが神崎さんに告白したなんて。妹が実の兄に告白したなんて。神崎兄妹の様子から、そんな男女の機微までは、とてもじゃないけれど読み取れはしなかった。
「それは鈴が鈍いからじゃないかしら」
「セリアも似たようなものでしょう?」
殊に、男女の恋愛関係に関しては。そう返す私にセリアは不満気に眉を歪めた。
「そんなことないわよ」
「そうでしょうか?」
「あ、あの! お二人とも!」
思わず言い合いを始めてしまいそうになった私とセリアに、綾さんが声を大きくして割り込んだ。
「あの、わたし別に兄さんに告白なんて」
「安心して。別に言いふらしたりしないから」
セリアの「告白発言」に、綾さんは、なお否定の言葉を返そうとする。しかし、そんな彼女の否定を、セリアは静かに、でも、強い口調で遮った。今更、事実認定を争うつもりはないと言うように。
どうやら、綾さんがお兄さんに告白したことは揺るぎない事実だと、セリア確信しているようだった。もしくは……、どういう理由かはわからないけれど、告白の事実を「知って」いるのかもしれない。いや、でもそれは考え過ぎだろうか。セリアが告白の事実を知る機会なんてあるとは思えない。まさか、本当に綾さんを尾行したわけでもないだろうし。
……したわけでも、ないだろうし。まさか……尾行するって……あんなに怒ったのに……でも……
などと言う嫌な予感が私の中に生まれたことに気づく様子もなく、セリアと綾さんは言葉をかわしていく。
「確かに鈴は気づいていなかったけど……でも、気づいている人は結構いるんじゃないかしら。今のあなた、良さんの事しか見えていないでしょう?」
「そ、そんなこと……」
そんなことありません。そう続くと思われた言葉を飲み込んで、綾さんはは代わりに深々とした息をついた。まるで、肺の中を空っぽにするような。まるで、頭の中を迷いをすべて吐き出そうとするかのような、深く長い吐息。
そんな長い呼吸の後。綾さんは一度、軽く私に視線を投げて、それからセリアの目を正面から見据えた。その瞳に浮かぶのは先程までの戸惑いと動揺の感情ではなく、決然とした決意の光。まるで、これから……目の前の魔法使いと、対決しようとするかのような覚悟の表情を浮かべて、綾さんはセリアと対峙する。
「そんなに、私の態度って、筒抜けでしたか?」
「ええ」
「……そうですか」
落ち着いた声で呟いてから、綾さんはゆっくりと首を縦に振った。
「会長」
「なにかしら」
「私は、兄さんが好きです」
はっきりと、セリアの目を見つめて、綾さんはそう言い放った。
「世界中の誰よりも、兄さんが好きです」
実の兄に対する想いを、怖じけることなく、怯むことなく。
まるで目の前のセリアに対して、宣言、いや宣誓、あるいは―――宣戦布告するように、そう告げた。
「……そう」
まっすぐに投げられた、あるいはぶつけられた想いに、セリアは僅かに目を細める。
「一応、確認しておきたいんだけど、いいかしら」
「なんでしょう」
「あなたと良さんは、実は血が繋がっていないとか、そういう話なのかしら」
「血がつながっているとか、いないとか。そんなこと関係無いです」
「……あの。それは流石にどうなんでしょうか」
「関係無いです」
口を挟むつもりは全くなかったのだけれど、でも思わず思わず口にしてしまった私のツッコミを、綾さんは歯牙にもかけずに切り捨てると、綾さんはセリアを見据えた。
「兄さんと私が血がつながっていても、いなくても。私は兄さんが……あの人が好きです。小さい時からずっとずっと好きで、今でも物凄く好きで、これからもずっとずっと好きなんです。だから……だから、私は」
実の兄に告白したんです、と。静かに、ゆっくりと揺るぎない想いを言葉に込めて、紡ぐ。
その言葉に込められた想いの重さは、傍らで見ている私でさえ感じることができて。そして、その重さに思わず気圧されてしまいそうになる。
誰であろうと、兄は渡さないと。
誰であろうと―――それが例え、上級生であり、生徒会長であり、紅坂の魔法使いである、紅坂セリアが相手でも、と。
彼女は、こう言ってのけているのだ。
あまりに真っ直ぐで。あまりに純粋で。だから、あまりに重すぎて、危なっかしい。そんな想いの塊を正面からぶつけられて、それでもセリアは表情を動かすことはなかった。
真正面から、綾さんの視線を受け止めて。まるで、彼女の気持ちを慈しむようなそんな優しい笑みすら口元にたたえて。
「……ねえ、綾さん」
セリアは、ゆっくりとした口調で彼女の名を呼び、告げる。
「あなた、私のものになる気はない?」
綾さんにとっては、あまりにも場違いな、そんな台詞を。
/4.図書館にて(神崎良)
「じゃあ、復号器は、ここに。もし使い方がわからなかったら遠慮なく聞いて下さい」
「はい、ありがとうございます」
保管庫に案内してくれた司書さんから復号器を受け取りながら、俺は頭を下げてお礼を言う。頭に白いものが混じった初老の司書さんは、柔和な笑みを浮かべてから、保管庫の出口へと向かっていった。
その背中が扉の向こうへと消えたのを確認してから、俺は保管庫の中を改めて見回した。目の前には、壁一面に並べられた黒い背表紙。それは魔法によって情報が記録された本(記録術式)だ。そこから情報を取り出すための復号器と呼ばれる機械が、今、俺の手の中にある。
国立東ユグドラシル図書館。
国立中央図書館の分館という位置づけながら、閲覧できる情報の種類は、中央にある本館と遜色ないと言われる。東ユグドラシルには、魔法院のものも含めて、大小いくつかの図書館が存在しているけれど、その中でもこの保管庫は、解決済みとされた事件の捜査資料を保管する役割も果たしている。
通常、この場所にある事故の詳細な捜査記録・調査記録は、警察・法曹関係者にか閲覧は許可されない。例外として閲覧が許可されているのは、事件の関係者。つまり、事件に巻き込まれた被害者であったり、そしてその家族、もしくは、遺族だけだった。つまり、俺は事故の関係者としてここにいると言う訳になる。
あの時の事故。
両親がなくなった事故の記録を知るために、ここにいる。
「……本当は、レンさんに聞いたほうがいいのかもしれないけど」
書棚から司書さんに教えてもらった記録術式を引っ張り出しながら、そんな呟きが自然と俺の口から零れた。まるで、ここにいないレンさんに言い訳するかのような言葉に気づいて、少し苦笑が漏れた。
実際は、両親が命を落すことになった事件のあらましは、その昔、レンさんから聞いたことはある。
細かな事故原因なんかも教えてもらった記憶もあるんだけれど、なにせ初等部の頃だったから、理解できたのは結局、事件の簡単な概要ぐらいなものだった。
でも、その時は概要だけわかれば、それで十分だったし、それ以上を教えて欲しいとも思わなかった。正確には概要しか理解できなかったし、それ以上を求める余裕がなかった、というべきかもしれない。父さんと母さんを亡くしたっていう事実を受け止めるだけで、多分、精一杯だったんだと思う。多分。
中等部、高等部と魔法院を進学して行っても、特に事件の詳細を知ろうとは思えなかった。亡くしたものは帰らないし、それに綾とレンさんという家族もいる。だから、それで十分だって思っていた。
だから、俺は本当の意味で事件の真相を知らない事になる。少なくとも公式に「真相」とされて来たものを深く知らないままで来た。だから。
「だから、まあ。今更、かもしれないけれど」
小さくそう呟きながら、薄暗い保管庫の隅に置かれた机の上に、書棚から取り出した記憶術式と貸してもらった復号器を並べた。ちなみに警察関係者以外に貸し出される復号器は、司書さんによって読み込める記憶術式が限定されている。まあ、一般人が他の関係ない事件の記録を勝手にしてしまわないように、という事だと思う。と、閑話休題。
「では」
呟いて、本を復号器に差し込もうと右手を伸ばす。でも、その手が少し震えていることに気づいて、俺は大きくため息をついた。いざ、資料を読み込もうとして気後れしている。そんな自分に気づいて、俺は一度、拳を握った。
この気後れの原因がなんなのか。それは俺の中に、断片的に残っている記憶が原因だってわかっている。はっきりしない事故の記憶の中で、嫌っていうぐらい鮮明に残っている幾つかの光景。それが本当に真実なのか。それを確かめることを、どこかで怖がっている。
この記憶が正しいものなのか、と言われると正直言って自信はあまりない。
ちぎれて消えていく木の葉。舞い散っていく光の中で、「それ」を必死でつかもうとしたのは真実だって思っていたけれど、それでも心の隅では夢なのかもしれないっていう思いも消せなくて。
それが夢ではなくて、現実だって思い知らされることが怖いのか。
それとも夢であって、現実じゃないって知らされる事が怖いのか。
正直な所、自分自身でもわからないけれど。
「……でも、何を今更」
何を今更、びびってるんだ。自分自身にそう言い聞かせて、もう一度固く拳を握った。
今、こうして、改めて事件の詳細を知ろうとしている。
それは事件の真相と、自分の記憶を照らし合わすためなのに。
それが、綾への気持ちを決めることで必要なことなのかどうかは、本当のところはわからない。綾からしてみれば、ただの時間稼ぎにしか思えないかもしれない。そんなこといいから、さっさと答えを出せ、というあたりが率直な気持ちになるのではないだろうか。
でも、あの事件のことに。
でも、あの事件の記憶に。
いつまでも、本当のところで、目を背けたままで。いつまでも、自分の心に、蓋をしたままで。自分の記憶と感情をねじ曲げたままで、あいつの真っ直ぐな気持ちを受け止められる気がしなくて。
だから、俺は。
「……よし」
もう一度、声に出してから覚悟を決めて。俺は一人、俺と綾の世界を変えてしまった、あの事件の記録に指先を触れた。