第三十三話 告白の後に(その3)
/4.蓮香の相談会(速水龍也)。
「昨日、綾が良に告白した」
「え?!」
「っ?!」
昼休み。いつかのように僕と霧子を生徒指導室に呼び出した神崎先生は、開口一番、そんな衝撃発言を繰り出した。
「こっ……」
告白?! 綾ちゃんが?! 良に?!
絶句する僕に、神崎先生は妙に落ち着いた態度で頷いてから、言葉を続けた。
「まだ私の予想だけどね。まあ、外れてはいないだろう。昨晩からのあの二人の様子を見ている限りではね」
そこまで言うと、神崎先生はゆっくりと視線を動かして、霧子の方へと目を向けた。
「桐島は驚かないのか」
「……はい」
先生の問いかけに、霧子は一瞬、迷うように視線を伏せてから、ゆっくりと迷いを押し殺すように首を縦に振った。
「昨日……綾ちゃんと良がデートしているのを見ましたから」
「なるほど。告白の現場も見たのか?」
「いえ……そこまでは」
見ていません、と霧子は首を横に振る。その神崎先生と霧子の会話を聞きながら、僕は動揺を収めてなんとか考えを巡らせる。
綾ちゃんが良に告白した。
それは、今までさんざん懸念していて、なんとか回避させようと右往左往していた自体が現実のものになったということだった。確かにそれなら、今日の綾ちゃんの機嫌の良さにも説明はつく。それに霧子の態度がおかしかったのも、綾ちゃんの告白のことを知っていたことが原因だとというのなら納得できた。
いや、でも、待てよ。今朝、霧子と同じように様子がおかしかったのは……
「ねえ、霧子。ひょっとして会長さんと一緒にいたの?」
「うっ、まあ……そう」
「な、なんでまた」
「だって、もともと会長さんに呼び出されたんだもん。仕方ないじゃない」
「ああ、そういう事か」
霧子が会長さんを呼び出すのは想像しづらいけれど、確かに会長さんの方から霧子を呼び出したのなら話はわかる。それで今日、二人仲良く様子がおかしかったということなんだろう。
神崎先生も、僕と霧子の会話に事情を察してくれたらしく、頷きながら言葉を続けた。
「なるほど。要するに桐島と紅坂の二人で、うちの息子達を尾行してくれたということか」
「……ごめんなさい」
「でも、ホントに尾行したの? 霧子」
尾行とは霧子らしくない。そんな思いで思わず尋ねた僕に、霧子は恥じ入るように頬を赤くして首を縦に振る。
「尾行なんて、良くないってわかってたけど……どうしても気になって」
「いや、そこは恥じ入らなくて良い」
「え?」
申し訳なそううにうなだれる霧子に、しかし、神崎先生はそう断言した。
「というか、尾行するならちゃんとしろ」
「ええ?」
「というか、むざむざと綾に告白を許すんじゃない。ちゃんと妨害すべきだろう、そこは」
「えええっ?!」
霧子と会長さんの尾行行為を咎めるどころか、奨励する神崎先生に、僕と霧子がそろって戸惑いの声を上げる。
「だって、あそこまで綾ちゃんが一生懸命だったのに、そんな事」
「綾の気持ちは、近親相姦の阿鼻叫喚の無間地獄への片道切符だぞ? 多少の無茶は許される。というか、私が許す」
霧子の言葉をばっさりと切り捨ててから、でも直ぐに口調を変えて、神崎先生は小さく笑った。
「……というのは、まあ冗談だけどね」
「……」
その割には目が笑っていないような気がしましたけれど。
「なにか言ったか? 速水?」
「いえ、なにも」
どうやら無言のままでも考えていることを見ぬかれてしまったらしい。平坦な口調の神崎先生の声に、僕はブンブンと首を横に振る。そんな僕に軽く肩を竦めてから、神崎先生は優しい声で霧子に告げた。
「ともかく、ありがとう」
「え?」
「綾の……娘の気持ちを大切にしてくれて。あいつは良い先輩を持ったと思う」
「そんな」
先生の謝辞に、霧子はむしろ辛そうに顔を歪めて首を横に振る。
「どうすればよかったのか、正しかったのか、わからないんです」
「それは誰にもわからないよ。私にも……きっと綾自身にもね」
諦観と寂寥の滲んだ優しい笑み。そんな儚い笑いをたゆたえながら、神崎先生はゆっくりと大きく息をついた。
「こうなったら、仕方ないな」
「こうなったら?」
「……埋めよう」
「何をですか?!」
文脈を完全に無視して飛び出してきた剣呑な単語に、僕は思わずツッコミの声をあげた。
「そんなの決まっているだろう。そんな残酷なことを言わせるのか、速水」
「言わせたくないです、というか、そんな残酷なことをするつもりなんですか?!」
「大丈夫だよ、安心しろ」
澄み切った……というか、達観したような瞳で神崎先生は、遠くを見つめてそして呟いた。
「大丈夫。埋めるのは良の方じゃないから」
「綾ちゃんも埋めちゃ駄目ですよ!」
なんだかんだで、神崎先生も十分に錯乱状態らしい。考えてみれば、無理も無いと思う。前々から、綾ちゃんの気持ちをわかってたとはいえ、実際に彼女が行動に踏み切ってしまったのだから。親として神崎先生も、難しい立場に追い込まれていることになる。
血の繋がらない親として、血の繋がった伯母として、そして二人を導く教師として。
なによりも、綾ちゃんの命を見守る、一人の大人として。きっと、僕達よりも深い感情に苛まれているんじゃないだろうか。
「あの……先生は、どうされるんですか?」
「そうだね」
ひょっとしたら聞くべきではないのかもしれない。そう思いながらも口にしてしまった僕の問いかけに、神崎先生は少し考える素振りを見せてから、小さく首を振った。
「とりあえず、話し合いかな」
「そう、ですよね」
「埋めるのはそれからでもいいだろう」
「埋めるのはやめてください」
そんないつもの神崎先生の冗談にも、心なしか少し湿った響きがあって。
「ともかく、心配をかけて済まないね。まあ、なんとかするよ。ああ、良を狙ってくれるのは、あきらめないでいいからね。ガシガシと迫ってやってくれ」
そういって僕と霧子をけしかける神崎先生の言葉。いつものような力強さは、やっぱり、その声からは抜けて落ちているような気がした。
/5.親と子(神崎良)
「……疲れた」
夕食を終えて自分の部屋に戻ると、俺は力なく呟いてベッドの上に倒れこんだ。
疲れた。本当に、疲れた。
昼休みといい、放課後といい、家に帰ってからといい、今日の綾はいつにもまして積極的だったのだ。不必要なまでに密着してくるし、隙あれば腕を組もうとするし。昼休みは霧子と龍也がいなかったことも相まって、佐奈ちゃんの前でも、「あーん」を連発してくるし。
「……でも、変わらないといえば変わらないのか」
今日の妹の行動を思い起こしながら、でも、俺の口から出てきたのはそんな言葉だった。確かに積極さという点では違いはあるのだろうけれど、今日、綾がやったことは今までも俺にやったことがある行為ばかり。だから、その行為にこんなにも疲れを感じているのは、俺自身の受け止め方が変わってしまっているからなんだろう。
綾の行動をただの妹のスキンシップだとは、見れなくなったから。だから、受け止める方法がわからなくて気疲れしたのかもしれない。ただ、それが嫌だという訳じゃないのが、問題なんだとは思う。
「でも、こんなんじゃダメだよな」
綾に振り回されるのは、いつものことかもしれないけれど、流石に今の調子が続くのなら、いずれは周囲にも感づかれるだろうし。そういえば、今日は、霧子と龍也の態度もおかしかった。まさかとは思うけど、綾が俺に告白したことに気づいているんだろうか……? そんな考えに軽く身震いしたけれど、でも即座に俺はその考えを打ち消した。
「まさか、な」
自分で言うのもなんだけれども、すでに「シスコン」の烙印を押されて久しいわけだし、綾にからかわれて赤くなるだけで、そこまで不信感は持たれないんじゃないだろうか。
……いや、普通は持たれるのかもしれないけど。でも、いきなり「妹に告白された」という想定にまでは繋がらないだろう。多分。
繋がるのなら、よっぽど俺と綾が重度のブラコン・シスコンとみなされていて、いつ禁断の一線を超えてもおかしくない奴らだと思われていたことになりかねない。流石にそこまでは思われて……
「ないよな?」
なんだか、自分で考えていて目眩がしてきた。
ベッドに倒れ伏したまま、そんな事をつらつらと考えていると、不意に、コンコン、とドアをノックする音がした。その音に思わず、ビクリ、と背筋が伸びたのは、今日一日の綾からの攻勢のためだと思う。
……いや、別に怯えているわけじゃないんだけども。うん、決して怯えているわけじゃないだけれども。今日の綾の行動を考えると、ほんとにどんな行動に走るか予想がつかない。
とにかく、このまま綾に押されっぱなしという訳にはいかない。ここは少し強く出て、あいつに行動を抑えてもらうようにしないと。そんな思いに、俺は一度息を吸ってから、少し強い口調でドアの向こうへと声を投げた。
「綾。もう遅いんだから、今日はもう寝ろ」
しかし、投げかけた言葉に返事はなく、再び「コンコン」と俺を急かすように、再びドアがノックされる。
「俺はもう寝るから。話はまた明日な」
コンコン。
「だから」
コンコン。
「あのな」
コンコンコン。
「綾、いい加減に……」
繰り返されるノックの音に、いい加減、少し頭に来て声を荒らげた瞬間、「ガチャリ」と鍵を掛けていたはずのドアが空いた。
「え?」
「綾でなかったら、入っても構わないかな?」
「レンさん?!」
そう。ドアの隙間から姿を覗かせたのは、綾ではなくてレンさんだった。
ワイシャツ一枚だけを羽織った姿。小柄だけど、すらりとした足がワイシャツの裾から伸びて、正直目のやり場に困る……って、いやいや。
「だから、その格好は止めてくださいってば」
「つれないなあ。こういう格好嫌いじゃないくせに」
だから、余計に反応に困るんです、とは言えずに、俺は深くため息を付いた。その俺の様子に、レンさんは楽しげに目を細めて、軽く手を振る。
「大丈夫、大丈夫」
「何が大丈夫なんですか」
「今日はちゃんと下を履いているから」
「そういう問題じゃないです」
「確かめてもいいぞ?」
「確かめません!」
「なんだ。せっかく良の好きな下着なのに」
一体、なにをもって「俺の好きな下着」だと言っているんだろうか、この人は。……いや、あまり深く考えないようにしよう。うん。
「冗談はさておき、入っても構わないかな。少し話がある」
「……はい」
レンさんの口調に、いつもと違うものを感じて、俺は自然と背筋を伸ばして、頷いた。
「っと、その前に」
くるり、とドアに振り向くと、レンさんは小さな声で呟きながら、そっとドアのノブを撫でた。
「今、何をしたんです?」
「ん? 魔法で鍵をかけただけだよ。これで邪魔は入らない」
「邪魔って……」
この家には三人しかいないわけだから、他に邪魔になる可能性がある人間は一人しかいない。要はレンさんは俺と二人っきりで話があるということなんだろう。
「まあ、一応、睡眠薬を飲ませてから、布団でぐるぐるに簀巻きにしておいたから鍵はかけなくても大丈夫だとは思うんだが……あいつの恋する底力は時々、予想を超えるしな」
「睡眠薬に簀巻きって、なんなんですか?!」
「何って、簀巻きは簀巻きだよ。やっぱりそれだけじゃ、生ぬるかったと思うか? でも、流石に鎖を持ち出すのは母親としても心が痛むんだが」
「誰も拘束方法に不足があるって言ってませんよ!」
戦慄しつつ、ツッコミを入れる俺に、レンさんは「冗談だよ」と、どこまでが冗談なのかさっぱりわからない笑みを浮かべつつ、ドアをコツンと拳で打った。
「まあ、この部屋全体を金庫並に補強したからね。軍隊だってそう簡単には破れないから安心していい」
「レンさんは何と戦う気なんですか」
「なんとでも戦うよ。必要なら世界とでも」
「……」
冗談めかした口調で、笑い飛ばせない台詞を紡ぐレンさんに、俺は言葉を返せなかった。
どこまで冗談かわからない。けれど、ここまでして俺と二人で話し合う必要があるっていうことだから。レンさんがどういうつもりで、ここに来て、そして、何を話すつもりなのか、いくら俺でも察しは付いている。
多分。
レンさんは、全部、もうわかってるんだ。
その考えに、口の中が緊張に乾いて、手のひらに汗が滲む。
妹が兄に告白したこと。そして、その兄が妹の想いを拒絶できていないこと。その全てに気づいているとしたら、レンさんは一体、どんな行動をとるのだろうか。
「あの、ここどうぞ」
「いやいや、ここで良いよ」
緊張を押し隠して座布団をすすめる俺を片手で制すと、レンさんは俺のベッドに腰掛けて……そしてそのまま布団の中へ潜り込んだ。
「って、なんで布団に入るんですかっ」
「なんでって、布団には入るものだろう?」
「そうですけど! そうじゃなくて、話があるんですよね?」
「話は布団の中でもできるじゃないか」
「そうですけども、そうじゃないでしょう?!」
突っ込み続ける俺に、やがてレンさんはため息と共に身を起こして、不満気に唇を尖らせた。そういう仕草は綾にそっくりで流石に血の繋がった二人だと思ってしまう。
「むー、いいじゃないか。そもそも、最近のお前は冷たいぞ?」
「冷たいって何がですか」
「綾とはイチャイチャするくせに、私とはイチャイチャしてくれないじゃないか」
それは、いつものようなレンさんの軽口。でも、その口調に不意に真摯な響きが交じった。
「それとも、もう「そういう事」は、綾としかしないって決めたのかな?」
そう問いかけるレンさんの瞳は笑みを湛えたまま。でも、俺の視線を絡め捕らえて、離さない。その瞳に捉えられて、俺は誤魔化しは無駄だと悟って、息を吐いた。
「レンさんは……」
「うん?」
「知ってたんですか。綾の気持ち」
「うん。知ってた」
「いつから?」
「いつからだったかな」
問いかけに、レンさんは少し視線を上にあげて考える仕草を見せた。でも、直ぐに小さく首を振って、笑った。
「いつだったかは、忘れてしまったかな。でも、ずっと前だよ。綾自身から、相談された」
「そう、ですか」
ずっと前。その言葉の意味を噛み締めて、俺は一瞬、目を閉じた。そんな以前から、あいつはそんな想いを抱えていたのか。
「最初はね、ただの無邪気な好意の発露だと思ってたんだけどね」
「普通は……そうですよね。小さな女の子が父親や兄と結婚する、って言い出すことはよくあるらしいですし」
「ああ。でも、残念ながら私の娘は、ちょっとだけ普通じゃなかったらしい」
そう言って、レンさんも少しだけ目を閉じた。まるで昔を懐かしむような優しげな表情がその顔に浮かぶ。
「普通は、そんな無邪気な好意はいつしか、形を変えるものなんだけどね。でも、綾はいくつになっても、その想いの形を変えようとはしなかった。流石に、中等部に入った頃には色々言ったんだけどね。それでも、めげなかった。本当に、そういうところはあの子そっくりだ」
あの子。
懐かしむような、慈しむようなその言葉の響きに、それが誰のことを指しているのか気づいて、俺はレンさんに問いかける。
「あの子って……母さんの事、ですか?」
「うん」
母さん、と口にして少し胸が傷む。そんな俺の表情に気づいたのか、レンさんは小さく微笑んでから、「おいで」と急に俺の手を引いた。
「ほら、こっち」
「え? わっ!」
ベッドにレンさんと並んで座る形になっていた俺は、不意をつかれてバランスを崩し、そのままレンさんに向かって倒れこむ。そして、その俺を要領よく、レンさんは胸の中に抱え込んだ。
「ちょ、ちょっとレンさん?!」
「慌てなくてもいいだろう? 魔力交換と同じだ。いつもやっている事じゃないか」
「魔力交換ではそうですけど、でも」
でも、これはそういうのじゃなくて。
そう言いかけて言葉が止まる。確かに体勢としては魔力交換と同じだけど、でもそれは格好だけの話だ。今のこの行為が魔力交換じゃないのなら、じゃあ、なんなんだろう? こうして俺を抱きしめるレンさんの意図は……なんなんだろう。
その考えに、俺は抵抗するのを止めて、そして静かにレンさんの言葉を待った。
「……」
「……」
交わしていた言葉が途切れて、ただ沈黙が落ちる。
間近に感じるレンさんの呼吸と鼓動。いつもの魔力交換の時には、暖かく、落ち着いていて、安心を与えてくれるその温もりが、今は少しの躊躇いに揺れているような気がしたのは、気のせいだろうか。
「……良」
「はい」
「……」
「……」
珍しくレンさんが言葉を探すように、一度紡いだ言葉に沈黙を挟む。でも、それはほんの僅かな時間で。俺がその沈黙の意味に気づく前に、レンさんは次の言葉を口にしていた。
「良。もし、耐えられなくなったら」
「え?」
「耐えられなくなったら、我慢しなくていいんだぞ?」
「……我慢、ですか?」
我慢しなくても良い。その意味がわからずに、胸に抱きかかえられたまま俺は視線を上げる。そこにあるのは、育ての母であり、血のつながった叔母である人の柔らかい笑み。そんな笑みを湛えたまま、レンさんはそっと俺の頬に手を添えた。
「レンさん……?」
「つまりね、良」
優しい声色で、でも、わずかに躊躇うような響きを孕んで。蓮さんは俺を抱きしめたまま、耳元にそっと囁きを落とした。
「綾の気持ちに耐えられなくなったら、投げ出してしまってもいいって事だよ」
「?!」
投げ出す。その言葉の意味を反芻して、俺は即座に首を横に振った。
「そんなことっ」
そんなこと出来る訳がない。そう続けようとした言葉は。
「本当はね、良」
レンさんが俺を抱きしめる力に、止まってしまう。
「本当は、こんなことをおまえに背負わせるのはおかしいんだよ」
耳元でささやく声は、あやすように。
「私はずっと綾の気持ちを知っていたから。それを正さなかったのは、私の過ちなんだ」
耳元で震える声は、懺悔のように。
「綾の気持ちを止められなかったことも。綾にそんな行動をおこさせてしまったことも。良にその想いを受け止めさせてしまったことも……全部、私の」
過ちなんだって。
レンさんは、噛み締めるような言葉で、その想いを、俺に告げてくれた。
その内、時間が解決してくれる。
いつかは、あいつも兄以外の誰かを好きになって。許されないはずの想いは、過去の苦い思い出になって、ほつれていく。それなら……誰も。大切な誰もが傷つかなくても、済むはずだって。
「そんな甘い考えが……私の甘さと弱さが、今を招いたんだ」
「レンさん……」
レンさんの抱きしめられて、レンさんが震えているのがわかった。その声が、体が、後悔に震えていることが痛いぐらいに、わかった。
「駄目だな、私は。こんなことじゃ、あの子に―――」
「レンさん!」
レンさんが言いかけた言葉。あの子に……母さんに、顔向けできないって続けようとするレンさんの言葉を、俺は自分でもびっくりするぐらいに大きな声で遮った。
「……良」
「違います。レンさんが悪い訳ないじゃないですか!」
「良。それは違う。私は」
「違いません!」
そう、違わない。だから、俺は少し言葉を強めて、まだ自分の罪だと口にしようとするレンさんを遮った。
「レンさんは、悪くなんてありません」
本当は悪いのかもしれない。
レンさんは、俺と綾の保護者だから。二人が間違った関係に踏み出そうというのなら、そうなった原因は保護者にあるのかもしれない。きっと、社会の良識ある人達はそんなことを言うだろう。俺だって、自分が第三者ならそんなことを考えたかもしれない。
でも、そんなこと、関係無かった。
だって、レンさんが自分を責めて苦しまなくちゃいけないのなら、そっちの方が、ずっと「間違っている」。
だから、これ以上は、そんな言葉聞きたく無くて。
だから、これ以上は、そんな想いをして欲し無くて。
母さんが死んで。父さんが死んで。二人っきりになった俺と綾をずっと育ててくれたこの人に、ずっと見守ってくれたこの人に、そんな哀しい想いなんて、絶対にさせたくなくて。
だから、俺は自分の弱さも、社会の正しさも棚上げにしてでも、レンさんの自責を否定する。
「レンさんは……レンさんは、ちゃんと綾の気持ちを守ってくれたじゃないですか」
レンさんが綾を止めなかったこと、そんなこと責められるはずがない。
綾の魔力交換の事情もあるけれど、それにもまして綾の気持ちを大切にしてくれたってことだから。
「ちゃんと俺達を信じてくれたじゃないですか」
時間が解決してくれるって思ってくれたのは、俺達ならきちんと答えを出せるって、間違った想いにはたどり着かないって信じてくれたから。綾を、そしてきっと、それ以上に俺のことを信じてくれたからだ。それはひどい自惚れかもしれないけれど、でも、今はそう思えるから。
もし、許せないものがあるのなら。
綾の想いにも、レンさんの想いにも気付けていなかった自分自身が、一番許せない。家族が一番大事だって、そう思っていたはずなのに、そんな家族の痛みに、何一つ築けなかった自分自身が、情けなくて。
でも、今はそんな泣き言を胸に閉まって、俺はレンさんに、大切な人に、言葉を返す。
「俺、ちゃんと応えられるように、頑張りますから。だから……だから、少しだけ待ってください」
「……良」
「ちゃんと、答えを出しますから」
レンさんが守ってくれた綾の気持ちを。
レンさんが信じてくれた俺の責任を、このまま投げ出して、綾の気持ちも、レンさんの想いも、全部壊してしまうようなことはしたくない。
「あいつは俺の妹です。たった一人の妹なんです」
「……うん」
「だから、あいつの事、ちゃんと考えさせてください」
なんの保証もない、ただ決意だけの俺の言葉。でも、その言葉にレンさんは、微笑んで頷いてくれた。
「そうだね。お前ならそう言うって思ってたよ」
「レンさん……じゃあ」
「でもね、良。覚えておいてほしい」
そう言って、レンさんは俺を抱きしめる手に力を込めた。
「私は綾のことが大切だけど、お前のことも大切なんだよ」
「……はい」
そんなこと、言われなくたってわかってる。でも、言われないとわからないこともあるって、綾の告白で知った。だから、今、告げられた言葉に胸が詰まって、そして俺も言葉を返さないといけないと思った。でも、なんて言えばいいのだろうか。俺だって、レンさんのことが大切だから。だから、きっとそれを伝えないといけない。
「あの……レンさん」
「うん?」
「ありがとう、ございます。俺も、レンさんのこと……大切だって思ってます」
結局、俺の口から零れたのは、そんな平凡で……でも、とても大切な言葉の形だった。
「……ふふ、まったくお前は」
「うぷっ?!」
「ちょっと生意気だから、おしおきだ」
「んー!」
息が出来ないと、もがく俺を無視して、レンさんはしばらくそのまま俺を抱きしめ続けて。だから、その声はよく聞こえなかったけれど。
『……ありがとう』
と、囁いた声は、きっと俺の聞き間違いじゃなかったって思う。
/
結局、その夜は、レンさんの腕と胸に包まれて眠りに落ちることになるのだけれど。
この時になって、俺はようやく一つのことに対して、考えを決めることができたのだと思う。
「家族が大切」と言いながら、ずっと目を背けていたもの。その事に向き合うことが、俺自身の心を決める上で、大切だって思えたのだ。
あの時のこと。
神崎良が―――家族を失った、あの時のことを。