第三十三話 告白の後に(その1)
/0.告白の夜に。(神崎良)
綾とデートして、そして告白された。
その夜は、流石に眠りにつけなかった。俺のことを好きだって告げた綾の顔と、綾の声。目に、耳に、焼き付いて離れない妹の姿が、閉じたまぶたの中で、何度も何度も浮かんでは消えていく。
ひょっとしたら、今日のことは夢だったんじゃないだろうか。眠りに落ちることができないまま、夢とうつつの境目で寝返りをうっていると、ふと、そんな事すら思ってしまう。
あまりに現実感のない、妹からの思い。でも、それが夢だったら良いのに……とは、思えない自分に、ため息が出る。
自分の気持ち。綾の気持ち。
レンさんのこと。父さんのこと。母さんのこと。
好きな子のこと。親友のこと。先輩のこと。後輩のこと。
これから先どうしたいのか。どうするべきなのか。どうしたらいいのか。
考えれば考えるほど、違う思いが次々に浮かんできて、ぐるぐると巡る思考に押しつぶされそうになってしまう。
これからどうしたらいいのか。綾の想いにどうやって答えたらいいのか。正直、まだ答えは出ていない。でも、どんな形にせよ、俺は俺自身の答えを出さないといけなくて。だから、結局の所、俺の心の問題なのだと思う。
綾は俺に気持ちをくれた。悩みに悩んだ末に、あいつなりの答えを俺に手渡してくれた。だから、今度は俺の番。だから、俺も悩みに悩んで、ちゃんと決めないといけない。誰も傷つかない答えが、誰をも守れる答えがあるのならば、それに越したことはないのだろうけれど、きっと、そんな都合のよい解答は、神様でもない限りは手に入れることはできないと思うから。
だから、決めないといけない。
俺は、何を一番守りたくて。そして……何を、多分、傷つけるのか、を。
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でも、本音を言えば。
できるのなら、大切な何かを守るためにでも、何も傷つけたくないなんて、そんな都合のよいことを、まだ考えてしまっている自分もいた。
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魔法使いたちの憂鬱
第三十三話 告白の後に。
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/1.告白の翌朝に。(神崎良)
チリリリリ、と聞き慣れた目覚まし時計の金属音に、浅い眠りに浸っていた意識が、現実へと引き戻された。
「……ん。朝、か」
小さく呟いて重い瞼を開くと、カーテンの向こう側から朝の日差しが眩しいほどに差し込んできていた。空が白んでいくまでは意識があったけれど、それでもいつの間にか眠りに落ちてしまっていたらしい。
「1時間ぐらいは寝たのかな」
あくび混じりに呟いてから、腕だけを枕元へと動かして目覚まし時計を止める。全身を軽い倦怠感が包んでいるけれど、一睡もできていないよりはマシなのかもしれない。ぼんやりとそんなことを考えながら、体を起こそうとして。
その時、ふと、違和感に気付いた。
「え?」
布団の中、明らかに自分以外の温もりがある。というか、思いっきり隣から、スヤスヤと形容したくなるほどに穏やかな寝息が聞こえている気がする。いや、ばっちり聞こえている。そんな真横で感じる人の気配と温もりに、寝不足の頭が急速に覚醒していく。
「まさか……」
恐る恐る、という思いで布団に横たわったまま、ゆっくりと首を横に向けると、果たしてその予想の通り。そこには俺に寄り添うようにして眠りこけている穏やかな妹の寝顔があった。
「って、なにしてるんだ! 綾!」
「んー?」
引きつった叫びを上げて、布団から飛び起きる俺に、当の綾は半分以上、夢の世界に足を突っ込んでいますという表情でぼんやりとした視線を向けた。
「あ、兄さんだー」
「兄さんだ、じゃないだろ?! なにしてるんだ、お前はっ!」
「んー? えーと?」
「……」
「おはよー。兄さん」
「お、おはよう。って、そうじゃなくて!」
「んー……」
「……」
「えへ」
「えへっ、じゃないっ!」
何やら可愛くはにかむ妹から布団をひっぺがすと、俺は兄の布団に潜り込んでいる妹の頭を勢い良く叩いた。いつもは寝起きの悪い妹も、流石に頭を叩かれると意識がはっきりとしたのか、元気よく抗議の声を張り上げた。
「いったーいっ! もう、何するのよ、兄さん!」
叩かれた頭をさすりながら身を起こして、不満気に唇を尖らせる綾に、俺は動揺を押し殺しながら声を上げた。
「それはこっちの台詞だ!」
「兄さん。朝から興奮するのは良くないんだよ?」
「誰のせいだ、誰の。そもそも、お前は一体何をしてるんだ?!」
「何って」
当たり前すぎる俺の指摘に、綾はきょとんとした顔をした後、一度、目を瞬かせて。
「……えへ」
再び、はにかんで、頬を赤らめた。
「あのな……なんで赤くなってるんだ、お前は……」
「なんでって。もうっ、女の子にそんなこと言わせないでよ」
綾はそう言って恥ずかしそうに、布団を引き寄せて口元を隠す。正直、その仕草を可愛いと思わないでもないけれど、でも、今はそんな風にシスコンぶりを発揮している場合ではないわけで。俺は平静さを保つように咳払いを一つしてから、綾の肩に手を置いた。
「……あのな、綾」
「何?」
「『何?』じゃない! だから、一体何のつもりなんだ、お前はっ」
「何のつもりって……」
なんでそんなことを聞くのかと言わんばかりに、綾は真顔で首を傾げる。
「勿論、兄さんの返事を聞きにきたの」
「返事……って、え?」
「でも、兄さんったら寝てるんだもん。起こすのは可哀想だから、待ってたら寝ちゃった」
「寝ちゃったって……」
だからって、兄の布団に潜り込むんじゃありません。って、いやいや、問題はそこじゃなくて。
「答えって。答えはもう少し待ってくれって言っただろう? 昨日」
「うん」
戸惑う俺の声に、しかし、綾は至って真面目な顔で頷いた。
「だから、待ったでしょう? 一晩」
「いやいやいやいや」
何を言ってるんだ、こいつは。
冗談抜きで俺と綾の人生を左右するかもしれない決断を一晩でしろっていうのだろうか。
「あのな、答えなんか出てないぞ。昨日の今日じゃないか」
「むー。じゃあ、どれだけ待てばいいの?」
「う。それは……」
痛いところをつかれて思わず俺は口ごもる。なるべくなら、できるだけ引き伸ばしたい気もするけれど、それもできないだろう。いつまでも綾の気持ちを宙ぶらりんにさせておくわけにはいかない。でも、だからといって、「じゃあ、三日後に」、なんて明確な期限なんて示せるわけもないんだけど。
いや、でも、そもそも「答えがなかったら、告白は成功したとみなす」とか怖いこと言ってたしなあ、こいつ。
「えーと、だから、ともかく、もう少し」
「そんな曖昧な時間の指定はダメです」
我ながらあいまいな俺の返事を間髪入れずに遮って、綾は人差し指をフリフリと振って見せた。
「世の中には、「もう少しだけ」と言っておきながら、延々と続くお話なんて一杯あるんだからね」
「いや、まあそうだけど」
漫画や小説と、現実を同じように語らないでほしい。とは言うものの、さて、どう答えたものか、と頭をひねる。と、そんな風に考え倦ねている俺の顔を不満そうに見つめていた綾は、不意に一転して、悪戯っぽく笑みを零した。
「なーんてね。冗談だよ、兄さん」
「へ?」
思わず間の抜けた声を漏らす俺に、綾は優しい笑みを向けていた。
「私だって、兄さんを困らせてることぐらいわかってるもん。だから、兄さんが待てっていうなら待つよ」
「そ、そっか……ごめん。なるべく待たせないようにするから」
「ううん、いいよ。大丈夫。兄さんのこと信じてるから」
そう言ってベッドから降りようとする綾に、俺は軽く胸を撫で下ろす。
だけど、それと同時に今度は違う懸念が頭に浮かぶ。結局の所、こいつは何をしに来たんだろうか。本当に、単に、からかいに来ただけなのか。そんな疑問が俺の胸中に湧いたのを見越したように、綾は動きを止めて、ややわざとらしい声で「あ、そうだ」と言った。
「大事な用を忘れるところだった」
「なんだよ」
綾の声色に猛烈に嫌な予感を覚えて、思わず身をすくませると、綾は「やだなあ。警戒しないでよ」と拗ねたようにこぼしてから、すっと俺に身を寄せた。
「あのね……」
「うん?」
「えいっ」
小さな綾の気合の声が聞こえたのと同時。
「え……っ?!」
頬に暖かな感触が触れた。肌の熱と吐息に湿った温もり。
その感触が何なのか。俺が気づいて声を上げた時には、綾はもう俺から身を引いて、照れ笑いを浮かべていた。
「え、えへへ。なんだか、改めてこういう事すると、照れちゃうねっ」
「照れちゃうって、お前……」
今のは、まさか。
いや、その考えるまでもなく、そうなんだけど。
いやいや、別にこんなの初めてなことじゃなくて、それこそ綾となら生まれてからこのかた、数えきれないぐらいに繰り返してきた行為なわけだけど、それでも、昨日の「告白」の後だと、その意味合いが全然変わってくるわけで。
だから、俺達は互いに声も出せずに、思わず硬直して見つめ合う。
「……」
「……」
「……あ、綾?」
「じゃ、じゃあ、今朝のところは退散してあげるねっ」
いよいよ本当に恥ずかしくなったのか、綾は見る間に顔を赤くして俺のベッドから飛び降りた。対する俺はといえば、自分でキスしておきながら真っ赤になって逃げていく綾の姿に、どう反応していいのかわからずに、まだ硬直したままで。
そんな風に固まっている俺に、部屋のドアノブに手をかけた綾が振り向いて、言った。
「あのね、兄さん。わたし、待ってあげるって言ったけど、「大人しく」待ってあげる、なんて一言も言ってないからね?」
「は……?」
確かにそんなことは言っていない。言っていないけれど……。
「いや、いやいやいや! 確かに言ってないけどさ! 普通は大人しく待ってくれるもんじゃないのか?!」
「私は普通じゃないもん。だから、そんな一般論なんか知りませーん」
「そこで開き直るなっ!」
「えへへ。兄さんもそろそろ着替えないと遅刻しちゃうよ? じゃあね」
俺の抗議を聞き流しながら、綾は素早くドアの向こうへと姿を消した……とおもいきや。すぐにドアの隙間から顔だけを覗かせた。
「あ、そうそう。兄さん」
「なんだよ」
まだ何かあるのかと、いよいよ身構える俺に、綾は小さく深呼吸してから、
「大好き」
って。そうはにかむような笑顔で告げて、そして逃げるようにして部屋のドアを閉めていったのだった。ドア越しにドタドタと聞こえる綾の足音は、そのまま綾の動揺を示すように賑やかで。
「……そこまで照れるならやらなきゃいいだろ……あいつは、ほんとに」
ドア越しに耳まで赤くなっている妹の後ろ姿を想像しながら、俺は綾に触れられた頬に、そっと手をやる。
触れた頬の熱と、触れなくてもわかる耳の熱さ。
……綾は待ってくれるといったけれど。
早急に答えを出さないと、ひょっとしたら俺自身が大変まずいことになるかもしれないなんて、そんな危うすぎる思いが少しだけ頭の中をかすめたような気がした。