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第三十二話 神崎家の兄妹(後編)(その1)


 その時、果たして俺はどんな顔をしていたんだろうか。

 その時、本当はどんな顔をしていなくちゃ、いけなかったんだろうか。

 本当のところ。その答えは、今もまだ、わかっていない。

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  魔法使いたちの憂鬱

  第三十二話 神崎家の兄妹(後編)

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/1.兄の気持ち(神崎良)

 綾が連れてきてくれた両親の思い出の場所。

 そこで妹が何を言おうとしているのかについては、寸前で予測というか予感というか、なんとなく想像はついた。でも実際に妹の口から『その言葉』を聞いてしまうと、一瞬、思考と体が止まってしまった。というか、言い放たれた言葉の内容を把握できても、その意味を理解するのに時間がかかってしまったというべきだろうか。

『私、兄さんのことが、好きです』

 それが綾が俺に向けて告げてくれた言葉の内容。ごく短く、率直なその言葉の意味と意図を、脳がうまく認識してくれない。というか、脳が認識するのを拒否しているような、そんな感覚があった。だけど、実際にはそんな感覚は一瞬で、次の瞬間には、その言葉の意味は流石に理解できていた。それは紛れもなく、異性への好意を告げる「告白」だったわけで。

 ああ、うん。

 いや、その。

 つまり、俺は、要するに。

 綾から、実の妹から、正真正銘、血の繋がった女の子から告白された、という事になる。

 その事実を理解した瞬間、俺の頭を駆け巡ったのは―――、

 え。

 えええ?

 えええええええええええええええっ!?

 そんな、ただひたすらに動揺と混乱を示す言葉の嵐だった。いや、我ながら情けないことだとは思うけれど、この時の俺の頭からは、そんな情けなさを感じている余裕なんか微塵もなかった。

 いや。

 いやいや。

 いやいやいや。

 ちょっと待て。ちょっと待て。ちょっと待って。頼むから

 一体誰に待てと頼んでいるのか自分でも分からないけれども、目の前の事態にすっかり冷静さを失ってしまっているのだけは自分でもよく分かった。心の動揺に比例するように、体の方も耳の辺りが熱くなっていったり、心臓が脈打つタイミングが早くなっていったり、全身に汗が滲んでいったりしているわけで。

 直前の綾の態度というか雰囲気から、こういう事態はうっすらと予感できていたはずなのに、しかし、実際に面と向かって告白されてしまうと、そんな予感は、沸き上がる狼狽を押さえるのに何の役にも立ってくれていない。「本当に、綾に告白された」という事実に、ものの見事に、俺は動揺して、狼狽してしまっていた。気を抜けば「ええ?!」と口をつきそうになる衝動をなんとか押さえ込んで、俺は懸命に「落ち付け」と自分自身に言い聞かせる。

 駄目だ。こんなのじゃ駄目だ、落ち着かないとっ。そうだ、ちゃんと落ち着かないと―――!

 そもそも、女の子に告白されて、狼狽するなんて情けない―――って。いやいやいや。違う、違う、違う。そういう事態じゃないはずだ、今は。うん。

 確かに告白されて、慌てふためくのは情けないけれども、でも、しかし、この場合は、仕方ないんじゃないだろうか。この世の中に、果たして、どれだけの数の兄妹や姉弟が存在するのかは知らないけれど、実の妹や弟から告白されて、硬直も、動揺も、狼狽もしない兄や姉が、そうそう居るとは思わない。というか、俺個人の常識と良識と倫理観を照らし合わせて考えてみると、動揺しない方が変だと思う。

 いや、弟や妹から「好き」と言われること自体は多いとは思う。「大好き」とか、はたまた「愛している」とか、ひょっとしたら「大きくなったらお兄ちゃんと結婚する」とか言われたことのある兄や姉も、きっと少なくないのだろう。うん、それはわかっている。だって、実際に俺は綾から何度も、何度も、その手の言葉を向けられたことがあるから。それに俺だって綾に何度も何度も「好き」って告げてきた。まあ、いつしか気恥ずかしくなって、きちんと言葉で告げる事なんて、もうほとんど無くなったけれど、それでもその感情はずっと俺の胸の中にあるし、その事を忘れることなんか無い。

 今までも、この今も、そしてこれからも。

 俺は綾のことが好きだし、とても、大切に思っている。それは、それだけは、俺の嘘偽らざる気持ちだった。

 でも、それは。その「好き」という言葉は、あくまで妹が兄に向ける「好き」という言葉であって、ただ素直な好意の発露のはずで。その好きって言う感情は。家族が家族に向ける、無邪気な感情の現れのはずだった。子が親に、親が子に、妹が兄に、あるいは兄が妹に向ける、とても素朴で、とても無邪気で。そして、とても……とても大切な感情の発露。

 でも―――。

     『私、兄さんのことが、好きです』

 今、俺が綾から告げられた言葉は、それとは、違う。今、向けられている妹の感情は「そういうものじゃない」。いくら鈍いって言われる俺だって、そのぐらいはわかっている。綾に連れられてきた公園。その中でも、父さんと母さんが結ばれた思い出の場所。その場所で告げられた「好き」という言葉の意味。それを取り違えるほど、いくら何でも鈍くはなかった。

 そう、わかってる。

 綾が、今、俺にくれた言葉は、俺に向けた好意は、「異性としての好意」だって、もう、わかってる。

 だからこそ、今、俺は動揺して、狼狽して、そして、何より綾に言葉を返せない。なんて言葉を返したらいいのか、わからないんだ。

 繰り返しになるけれど、この場所に連れられてきてから、この手を握られてから、そういう予感はあった。そういう予想はできた。だから覚悟して準備する時間も、僅かだけどあったはずだけど。でも、そんな覚悟は、やっぱり「まさか」という想いに打ち消されて、上書きされてしまっていて。だから、なんて答えればいいのか、何を伝えればいいのか、その思いが形になってくれなくて、ただ焦燥だけが頭をグルグルと回っている。

 なんで? なんで? なんで?

 告白された衝撃が突き抜けた後に、頭の中を勢いよく駆け回るのは、そんなフレーズ。綾が俺に告白をしたという事実自体は理解できても、その理由が理解できなくて、だからそんなありきたりな疑問符の群れが、胸と頭の中を慌ただしく駆け巡る。 

 そもそも綾は龍也のことが好きなんじゃなかったのか? 遊園地の時にそれらしいことを言っていなかったっけ? いや、遊園地と言えば、あれだ。あの時のキスはやっぱりそういう意味だったのか? いやいや、そもそもなんで綾が俺を好きになるんだ? 実の兄だっていう点を差し引いても(いや、一番差し引いてはいけない要素だとは思うのだけれど)、綾は俺のどこを好きになってくれたんだろう? つい先日の試験だって綾の期待に応えられなかったのに。そもそも、いつから綾は俺のことを好きでいてくれたんだ? というか、実の兄に告白なんてどういう踏ん切りがあったら実行できるんだ、普通。ああ、いや、綾は思い詰めたら思い切った事するよな、確かに。いやいや、今はそんなことを考えている場合ではなくて、そう、そういう問題ではなくて、大体、なんで―――、

 なんで俺は実の妹の告白に、『こんな風に』動揺してしまっているんだろう? 

 その疑問を自覚して、ずきり、と胸のどこかが痛んだ。 

 いや、繰り返すけれども動揺するのは無理はないと思っている。実の妹に、異性としての気持ちを告げられた上に、実のところ、女の子に告白されるのなんて生まれて初めてのことなんだから、狼狽えてしまうのは仕方がないって思う。でも、それでも、こんな風に動揺するのは変じゃないのか。だってこの場合、考えなくたって、悩まなくたって、返す答えなんか……決まっている。

 だって、兄妹の恋愛関係なんて、成立しない。

 近親相姦という言葉があるように、禁断の兄妹愛なんていうフレーズがあるように、小説や映画の中になら、物語の中になら、いくらだってありふれているテーマだけど、今、この国ではそんな関係、認められてなんか居ない。つまり、それは世の中で「間違った気持ち」として決められて、認識されている感情なんだ。だから、俺が綾に返せる答えは、どうやっても「拒絶」でしかあり得ない。そんなこと、考えるまでもなくて。だから、もし、俺が迷うことがあるとすれば、どうやれば上手く綾の告白を断れるか、その方法についてだけだろう。優しく諭すのか、厳しくはね除けるのか。あるいは、「冗談はやめろよ」って笑っていなしてしまうのか。そんな「拒絶の方法」について迷うのなら、まだわかる。でも、拒絶しなくちゃいけないってわかっているはずなのに、そんな拒絶を答えとして返して良いのかって、そんな風に迷っている自分に気付いて、強く心臓が鳴った。

 ……駄目だ、何、考えてるんだ。俺は。

 しっかりしろ、と自分自身に言い聞かせて、俺は深く息をすう。とにかく、この場をなんとか納めないといけない。その思いに、まだ混乱している思考を無理矢理に動かしていく。

 今後のことを考えるのなら、笑って冗談だったということにしてしまうのが、一番良いのかもしれない。「無かったことにして」にさえしてしまえば、家に戻ってまた今まで通りに、お互いにちょっとシスコン・ブラコン気味だけど、仲の良い兄妹としてやっていけるはず。だから、賢い選択肢というのなら、それが一番良いのだろう。でも―――。

『はいはい。俺も好きだよ、綾の事』『冗談だよな? あはは』『そう言うのは、止めような。心臓に悪いから』

 そんな、この場を誤魔化して、冗談に紛らわせるための言葉は、口に出せなかった。

「……」

 だって目の前には、無言のまま、俺の手を握って、俺を見つめて、俺の答えを待っている綾が、居る。

 もし、手を繋いでいなかったら。もし、その手から、綾の震えが伝わっていなかったら。

 もし、見つめ合っていなかったら。もし、綾の瞳が、涙に濡れていることに、気付いていなかったら。

 ひょっとしたら綾の告白を、「冗談だろ」って誤魔化して、あるいは上辺の言葉で濁してしまって、この場を取り繕うことはできたのかもしれない。

 でも、繋いだ手から、見つめた目から、告げられた言葉から、もう、伝わってしまっているから。 答えは、わからないままだけど、それでも。

「……綾」

 それでも、きちんと答えを返さなきゃ行けないって事だけはわかったから、俺はゆっくりと、大切な妹の名前を呼んだ。

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