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第三十一話 幕間 研究者達の追憶(その1)

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 魔法使いたちの憂鬱

 幕間 研究者達の追憶

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/1.緑園久遠

「私が良君と綾ちゃんの二人にちゃんと知り合ったのは、二人がレンに引き取られてからね。まだ二人ともちっちゃかったなー」

 東ユグドラシル魔法院の研究室。整理中の資料が積まれた机に腰掛けながら、緑園久遠はどこか懐かしむような響きの言葉を紡ぐ。

 良と綾が仲良くなった切欠。あるいは綾が良を好きになった理由は何なのか。それを尋ねる龍也に答えるため、彼女は遠い記憶を探っていた。久遠の脳裏に思い浮かぶのは、まだ良と綾が初等部にはいる前のことであり……そして彼女の友人である神崎蓮香の子育てが始まったばかりの頃の記憶だった。様々な意味で変わらざるを得なかった親友の姿を思い出して、久遠は僅かに目を細めて笑う。

「子育てを始めた頃には、レンからお守りを頼まれたりしたわね。うんうん、これでも二人にご飯とか作ってあげたりしたのよ?」

「昔から、久遠先生は二人と仲よかったんですね」

「そうね。うん、昔はそうだったかな」

「最近は違うんですか?」

「私としてはもっと二人に会いたいんだけどねー」

 不思議そうに尋ねる龍也に、久遠は大げさに肩をすくめて嘆息してみせた。

「レンが会わせてくれないのよねー。最近」

「神崎先生がですか?」

「そうなの。『お前はあの二人の教育上よろしくないから、極力近づくな』とか言われちゃってさ。ひどいと思わない?」

「そ、それは流石にちょっと……」

「やっぱ、あれかしら。レンを押しのけて二人と一緒に寝ようとしたり、綾ちゃんに「ハーレム」の事とか教え込んだりしたのが不味かったのかしらね」

「……神崎先生が正しいのかも知れませんね」

「えー。何でー」

 引きつった笑顔で指摘する龍也に、久遠は不満げに頬をふくらませた。が、すぐに気を取り直したように頷いて言葉を続ける。

「まあ、だからあの二人は私のことをレンの仕事仲間のお姉さんぐらいにしか思ってないかもねー」

 実際会うのは、年に1,2回だし、いつも「緑園さん」と呼ばれているから、久遠という下の名前をあの二人が覚えているかも怪しいものだ。言ってみれば、久遠と神崎兄妹の直接の関わりはその程度という事になる。ともあれ、良と綾の二人との距離が遠くなったのは久遠自身の意思でもあった。久遠は自身の性癖を自覚していたし、あまり魔法院の研究者が幼い子供に関わるべきだとは思わなかったのだ。

「それで肝心の二人が仲良くなった理由なんだけどね」

「は、はい」

 いよいよ本題とばかりに声を潜める久遠に、龍也が緊張に表情を引き締めた。そんな真摯な瞳に向かって、久遠は頷いて、告げる。

「よくよく思い出してみれば、実は、その頃にはもう綾ちゃんは良君にべったりだったのよ」

「え?」

「だから正直に言うとね、綾ちゃんが良君を好きになった直接の原因が何かは私にもわからないの」

「ええ?」

「ごめんね?」

「ええええ?! 本当にご存じないんですか?」

「……えへ」

「そ、そうなんですか……」

 よほど久遠の回答に期待していたのか気の毒なほどに肩を落とす龍也に、「期待に添えなくて御免ね」と謝りながら、久遠は感情を悟られないように表情を作り、そして目の前の少年の意図について思案を巡らせる。今、龍也が久遠から聞き出したかったこと、それを含めて久遠の研究室に足を運ぶ速水龍也が知りたいことは、おそらくは三つある。そう久遠は見当をつけていた。

 一つ目は、綾が良の事を好きになってしまった理由。これは今、彼が直接言葉で聞き出そうとした事だ。二つ目は、綾が良としか魔力交換ができない理由。これは今、こうして龍也が彼女の研究室を訪れている理由の一つでもある。そして三つ目は、良が綾に対して過保護と言える責任感を抱いている理由。このことに関しては龍也が口にしたわけではないが、彼がこの点を気にしていることは、その態度や言動の節々から久遠には窺い知れた。現在、緑園久遠はそのいずれの問に対しても、明確な解答を用意できない。しかし、紅坂セリアと並んで「天才」と称されるこの少年は果たしてどんな答えを見つけようとしていて、そして現在、どんな仮説を抱いているのだろうか。それが久遠の興味をそそる。

 そもそも、この三つの事柄を別々の事象と見るのか、それとも互いに関連性のある事柄と見るべきなのか。意見は分かれるかも知れないが、久遠自身は後者だと考えている。つまりこの三つの事柄は根っこの部分は、繋がっているのではないか。それが現時点での彼女が抱いている感触だった。

 勿論、三つを別々の事柄だと見ることもできる。

 例えば、良が綾に過剰な責任感を抱くに至った理由として二人の境遇が原因とも考えられる。良と綾は両親を二人とも、事故で同時に失ってしまっている。なら、残された妹に対して、兄が責任感を抱くのは自然なことの様にも思える。そして、その逆もまた然り、だ。つまりこの場合、二つ目の綾の魔力交換不全症は、一つ目と三つ目の事柄とは本質的には無関係と考えることができる。

 この場合でも、二つ目の問題が問題をややこしくしている事には変わりはない。魔力交換の件がなければ、良が綾の思いを受け入れないという可能性は上がるだろうし、良の綾に対する責任感も多少は薄らぐだろう。そういう意味では、綾の魔力交換不全は神崎兄妹にとって大きな問題になっている。ただし、繰り返しになるが、この場合には綾の魔力交換の問題は、あくまで状況を複雑化させている要因ではあるが、神崎兄妹を巡る問題の本質ではない、という考え方になる。つまるところ、綾の魔力交換不全症が完治しても、神崎兄妹の問題は解決されない、ということだ。

 しかし、果たしてそうなのだろうか。そう自問する久遠には、やはり三つの事柄の根本が繋がっているように思えてならなかった。

 そもそも魔法使いの精神状態と、魔力の状態は深い相関性があるとされている。なら、綾が良としか魔力交換が出来ないという事実は、二人の精神が固く繋がっていることを示唆している。つまり、綾と良の魔力・精神のつながりが先にあって、二人の心情の変化はそれに伴って生じているものだ、という考え方もできるのだ。この場合、神崎兄妹の問題の本質は良と綾の魔力交換の関係であり、それさえ解決してしまえば結果として他の問題も解決できるという事になる。

 つまり、良と綾の互いを思う感情が、魔力の状態によって付随的に引き起こされているという考え方だ。この場合、綾の魔力交換不全症さえ完治してしまえば……二人の兄妹の間に横たわる問題は自ずと解決される。魔力の状態が人の心の形を定義しているというこの考え方はレンや龍也は嫌うだろう。しかし、久遠は最近、こちらの考え方の方が可能性を捨てきれないでいる。魔力的な疾患が、精神的な疾患を引き起こすという事例は過去に幾度も報告されているのだから。つまり、最優先で考えるべきは、二番目の問題……綾の魔力不全症の原因ということになる。

(そうなると、やっぱり、あの時に何かが起こったのかが問題だと思うんだけどねー)

 あの時、とは良と綾の二人が両親を失った事故のことだった。それが綾の症状に関係があるのではないかという思いが久遠にはある。

 そう考えるようになった切っ掛けは、先日の蓮香との会話にあった。先日、レンは綾が世界樹の雨を嫌う理由を「幼児体験」と答えた。あの時、蓮香はそれ以上の台詞を言わなかったし、久遠もそれ以上の説明を求めなかったが、久遠には「幼児体験」という言葉だけで綾が世界樹の雨を嫌う理由を察することができた。おそらく、神崎誠司と美弥の二人、良と綾の両親が事故で死んだあの日、空には世界樹の雨が舞っていたのだろうと。

 ならば、その時に起こった「何か」に今の綾の状況を引き起こしているのではないか。久遠には、そう思えてならない。もっとも根拠としてはまだ薄く、ただの直感と言われればそれまでだが。

「……やっぱり、少し思考が飛躍しているかしらね」

「久遠先生?」

「あ、何でもないわよ」

 龍也の声に、思考に沈んでいた意識を引き戻して久遠は微笑んで見せた。そして考えを隠すように明るい口調で言葉を紡ぐ。

「こんなことなら良君にもっと早く会っておけばよかったなあ、って、そう思ってただけ。美弥とももう少し仲良くしとくんだったわねー。反省反省」

「美弥……さんって、良のお母さんの名前ですよね?」

「そうよ。良君からは聞いてない?」

「……はい」

「そう。ま、普通は親の名前を友達に話したりはしないわよね」

 一瞬、龍也が寂しげに視線をふせたのに気付かないふりをして、久遠は笑って言葉を続けた。

「神崎美弥っていうのは良君と綾ちゃんの母親で、レンの妹。そして、二人のお父さんの名前が神埼誠司」

「美弥さんと、誠司さん、ですね」

「そうそう。ついでにいえば誠司は、美弥とレンの幼なじみ。レンに言わせれば、バカップルだったらしいわよ」

 苦笑に肩をすくめてから、久遠は過去を手繰るように視線を宙に向ける。

「二人とも東ユグドラシル魔法院の卒業生。で、二人して生徒会役員なんてやっていた優等生よ」

「生徒会ですか」

「そういえば綾ちゃんも生徒会に入っているのよね?」

「はい。親子続けてってことですよね」

 なんだか龍也は納得したように頷いている。確かに綾の優等生的な一面は、遠い日の美弥を思い出させる。そういう点においては、綾は少なくとも蓮香より、実の母親に似ているのだろうと久遠も頷いた。

「まあ、ともかく、そういう訳だから、その二人とはあまり関わりが無かったのよねー、私」

「? どうしてですか?」

「だって、「魔女」なんて呼ばれていた蓮香とつるんでたんだもの。生徒会だの風紀委員だのとは、お近づきにならないようにしてたのよ」

 そう言ってから、久遠は少し肩をすくめて笑った。そんな彼女の笑顔に、龍也はやや不思議そうに小首を傾げて問い掛ける。

「あの……神崎先生が「魔女」って呼ばれて居たのって本当なんですか」

「うん、本当。東ユグドラシルの魔女、っていうのが学生自体の蓮香のあだ名よ。ま、実際はそんな仰々しいあだ名じゃなくて、単に「悪い方の神崎」って言う方が多かったけどね」

「悪い方の神崎って……あんまり悪く聞こえませんね」

 久遠の言葉に、龍也は優しく微笑むように笑った。彼にとって見れば、神崎蓮香という魔法使いは「良い教師」なのである。その前提が頭にあるのなら、「魔女」と言われても悪戯が好きな魔法使い、ぐらいの印象しか抱かないのかもしれない。そんな龍也の様子に、久遠は「ふふん」と鼻を鳴らして肩をすくめた。

「龍也君。君に良い言葉を教えてあげる」

「な、なんでしょう」

「若気の至りって言葉よ。いつか、振り返ってみて頭を抱えたくなるような過去が誰にだってある訳よ」

「それは……そうかもしれませんけど」

 少し歯切れの悪い返事。龍也の過去にもあるいは何かあったのかもしれない。そんなことを感じ取った久遠だったが、彼女がその点に突っ込むよりも早く、龍也が口を開いた。

「あの、じゃあ、良のお母さんは、「良い方の神崎」って呼ばれてたんですか?」

「そうよ。魔女に対する聖女。悪い方に対して良い方。まあ蓮香への当てつけの意味があったことを差し引いても、実際に良い子だったわよ……多分、ね」

「多分、ですか?」

「まあ、そこはやっぱり蓮香の妹だから。きつい所もあったしね。私も随分と目をつけられてたから、あはは」

「きつい所もって……ひょっとして、今の会長さんみたいな人だったんでしょうか」

「んー。セリアちゃんとはちょっと違うわね。もうちょっと雰囲気を丸くした感じかなー。例えるならそうね。大福みたいな感じ」

「だ、大福……?」

「あ、違った。それは悪口だった」

 思わず学生自体の悪態が口を付いちゃったと、久遠は小さく舌を出して笑った。

「正しくはマシュマロ」

「それなら……大分、かわいい印象ですね」

「そうでしょ? おっぱいもおっきかったしねー」

「おっ……、って、せ、先生?!」

「あはは。まあ、私と蓮香は、鉄球入りマシュマロとか、マシュマロただし激辛味とか言ってたけども」

「あの……それも悪口ですよね?」

「まあ、私と彼女はそういう関係だったってこと。あ、でも別に嫌いだったわけじゃないわよ?」

「それは、なんとなくわかります。でも、神崎先生と、良のお母さんはいつも喧嘩してたんですね」

「喧嘩していたというか、じゃれていたというか。間に入っている誠司君が苦労していたみたいよ」

 神崎誠司。蓮香と美弥の幼なじみであり、神崎家に婿入りした魔法使い。その名前を聞いて、不意に龍也が表情を変えた。

「あの、お二人は……」

「うん?」

「……」

 躊躇うような沈黙。その沈黙を振り払うように、一度、首を振ってから龍也は意を決したように久遠の目を見つめ、聞いた。

「お二人は……、良のご両親は、どうして亡くなったんですか?」

「……蓮香や良君は、その時の事、話してはくれていないのよね?」

「はい」

「あなたの方から尋ねたこともないのね?」

「はい。僕の方から聞くべきじゃないとは思ったので」

「そう」

 軽く頷いて久遠は、龍也の顔に浮かぶ感情を見る。聞くべきじゃない、と判断したその過去に、今こうして触れようとしているのは、どういう心境の変化だろうか、と。あるいは彼も―――久遠と同じように、今の良と綾の状況を生みだしている原因を、その過去に求めようとしているのだろうか。

 そんな考えを巡らせながら、久遠は答えではなく、別の問いかけを投げかける。

「怖くない?」

「何が、ですか?」

「そういう話を嗅ぎまわっていたら、ひょっとしたら良君に嫌われてしまうかもしれないって」

「……それは」

 わざわざ言葉にするまでもなく、そんなことは龍也は自覚しているだろう。それを殊更に言葉にしたのは、久遠自身もあまりその話題には触れたくなかったからなのかもしれない。

 だけど、そんな久遠の意図を、龍也は十二分にくみ取って。

「少し、怖いです。でも―――、知りたいんです」

 それでも頷く瞳には、言葉通りの恐れと、そしてそれ以上の決意が滲んでいるように見えた。

「そう」

 そこにあるのは、友情なのか、それともそれ以上の感情なのか。

 久遠自身は本当に同性愛に対して抵抗を持っていないので、龍也が良に性差を超えた感情を持っていても別段、偏見はもたないが、果たして龍也の抱く感情はなんなのだろうか。

 その疑問に答えを持たないまま、それでも久遠は龍也の視線に応じるように頷いて、口を開いた。

「事故自体は、特別なものじゃなかったのよ」

 嫌われるかもしれない。そんなことを覚悟してまで踏み込もうとしている彼に、応えるために。


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