第三十一話 神崎家の兄妹(中編)(その1)
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魔法使いたちの憂鬱
第三十一話 神崎家の兄妹(中編)
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/1.相変わらずにデート中(神崎良)
「ご馳走様でした」
「お粗末さまでした」
綾の手作り弁当を平らげて、俺は満足の息を付きながら、手を合わせた。うん、わが妹ながら料理上手だと思う。というか、普段から綾の料理なんて食べ慣れているはずなのに、いつもより妙に美味しく感じたのは、綾の気合の賜物だろうか、それとも屋外で食べる開放感からだろうか。頭をよぎったそんな考えに、少し首を捻っていると、弁当を片付けながら綾が少し不満そうに唇を尖らせた。
「む、兄さんがぼーとしてる。もう。デートの最中に惚けるなんて駄目です」
「ああ、ゴメン」
「ひょっとして、美味しくなかった?」
「いや、寧ろ逆」
「逆?」
「うん。綾の料理はいつも食べてるのに、いつもより、美味しく感じたのはなんでなのかなー、と」
そんなことを考えてた、と正直に告げると、綾は嬉しそうに口元をほころばせてから、「そんなの決まってるじゃない」と自信満々に頷いた。
「それは勿論、愛の力です」
「ああ、そっか。なるほど。ありがとうな」
「そんなに、さらりと流さないでよ!」
「他に反応のしようがないだろうが」
「いーえ、あります!」
「あのな」
むくれる綾に、俺は苦笑して軽く頬をかく。どんな反応を返せというのだろうか、この妹は。まあ、綾が愛情を込めてくれたっていうのはわかっているけど。
「もう! 兄さんは私への愛が足りませんっ」
「いやいや、そんなことはないぞ」
「うん。それは知ってる」
「……お前な」
愛が足りないと言った直後に、あっさりと綾は前言を翻す。そんな妹に俺が軽く息をつくと、綾は慌てたようすで首を横に振った。
「えっとね、違うの」
「違う?」
「えーとね、その……そう! 兄さんには、愛の表現方法に問題があると思うの」
「表現方法って。また難しいことを言い出すなあ」
「難しくなんてありません。もうちょっと気持ちを態度で表して欲しいなあって、そう思うのです」
「ふむ。なるほど」
冗談交じりにも聞こえる綾の言葉だけど、その指摘に俺は思わず腕を組む。気持ちを態度で表していない、と言われたら、それは確かにそうなのかもしれない。そもそも今日だって、試験勉強に協力してくれた綾へのお礼が目的なんだから、もう少し、そのあたりの感謝とかを態度で表わすべきなんだろう。
「よし、わかった」
「? 何がわかったの?」
「とりあえず、もうちょっと感謝の表現方法を変えないといけないと言うことがわかった。ということで、綾」
「な、何?」
「お前は、今日はどうして此処に来たかったんだ?」
「え?」
「俺の財布に気を使ってくれたのはわかってるけど、他にも理由はあるんだろ?」
「それは……」
俺の問い掛けに、綾は少し考えるように視線を外した。「俺が好きそうな場所だから」って言ってくれたけれど、でも、何となく理由は別の所にあるような気がしている。そんな俺の言葉に対して僅かな沈黙と黙考を挟んでから、綾は少し照れたように笑いながら、その答えを口にした。
「久しぶりに兄さんとのんびりしたいなー、って」
「のんびり?」
「うん。
「そっか」
確かに、試験期間中は、いろいろと騒々しかったから、のんびりと綾と遊ぶのも久しぶりだと思う。でも……
「ふーん」
「な、なに?」
……なんとなくだけど。即答しなかったあたりに、まだ他の理由が潜んでいるような気がしなくもないのだけど。まあ、他に理由があるのなら後で教えてもらえるだろう。そう納得してから、俺は先に「感謝の表現」を実行してみることにした。
「じゃあ、綾への感謝として綾がのんびりするのに協力しよう」
「ふーん? どうやって?」
「どうやってって、そんなの勿論」
「勿論?」
「……どうしようか」
「……考えてなかったのね。兄さん」
「ごめんなさい。急いで考えます」
綾の冷ややかな視線に、俺は素直に頭を下げる。いや、だって、のんびり出来る方法なんて瞬時には思いつかない訳で。……昼寝、とか言ったら怒られるだろうか。と、ぐるぐると必死で考えを巡らせる俺に、綾は深々とため息をついて額を押さえた。
「もう、仕方ないんだから、兄さんは」
「面目ない」
「うーん。じゃあ、私に膝枕して欲しいなあ……なんて」
「あ、そうか。それでいいなら、いいけど」
「いいの?!」
「い、いいぞ?」
勢い込んで詰め寄ってきた綾に、少し気圧されながらも俺は首を縦に振る。
「っていうか、なんで、そこまで驚く」
「だ、だって」
「嫌なら良いけど」
「嫌じゃないです!」
「そっか。良かった」
勢いよく頷いてくれる綾に、ほっと胸をなで下ろしてから、俺は辺りを改めて見回した。綾の服は下ろしたてだって言っていたから、流石に地面で膝枕、という訳にも行かないだろう。なら……このベンチが丁度いいかな。そう頷いてから、俺はベンチに軽く手をかざして、そして意識を集中させる。
「……あ」
俺がやろうとしていることに気付いて綾が小さく声を上げる。その声を遠くに聞きながら、俺はゆっくりと魔法の言葉を紡ぎ、そして形へと変えた。
「―――以て、その表から剥離せよ」
四小節から成る呪文、その最後の一節を口にした瞬間、ベンチの表面が淡く光る。その一瞬を逃さずに、俺はその表面を取り出したハンカチでぬぐった。忽ちの内に綺麗になるベンチと、そして真っ黒になるハンカチ。魔法によってベンチの表面に浮き出た汚れを、上手くハンカチで拭き取れた証拠だった。
「よし、綺麗になった……よな?」
「わっ、凄い、兄さん! 今の魔法、綺麗だったよ!」
「そっか?」
「うん」
我ながらもの凄く地味な魔法ではあるのだけれど、それでも綺麗に拭き取られたベンチを見て、綾が賞賛の声を上げてくれた。
「だって、前に兄さんが同じ事をしたときには、大変なことになったじゃない?」
「ああ……覚えてたか」
「ふふ。それは勿論」
実は、昔、綾の目の前で同じ事をしようとして、ベンチの塗装ごとはぎ取ってしまったことがあったのだった。いや、だって「ベンチの汚れだけ」に干渉するというのは地味でありながら、制御が難しいのだった。それから考えれば、確かに進歩が見られると言っていいかもしれない。
「ま、コーチが良かったからな」
「それって、私のことだよね?」
「勿論」
いくら俺でも、ここで霧子や会長さんの名前を出すほどに無神経じゃない。だから、ただそれだけを答えてからベンチに座って、それからポンポン、と太ももを叩いて綾を促した。
「ということで、準備完了です。ほら、おいで」
「ほ、ホントにいいの?」
「いいよ。ほら」
「し、失礼します」
繰り返して太ももを叩くと、綾はなんだか恐る恐るといった様子で俺の隣に腰掛けて、そしてゆっくりとその頭を俺の太ももの上へと乗せて。
「ふわっ」
「うわっ」
綾の頭が太ももに乗った瞬間、その感触に俺たちはほぼ同時に声を上げて身を震わせていた。
「な、なんだか、くすぐったいね」
「そ、そうだな」
上と下。太ももにちょこんと頭を乗せる妹と見つめ合って、俺と綾は照れ隠しに笑う。……いやいやいや、落ち着け、俺。妹に膝枕したぐらいで照れるんじゃない。変なことを考えるな。というか、正気になれ俺。
「……よし」
「兄さん?」
「いや、なんでもない。それより、姿勢は大丈夫か? 首痛くないか?」
「うん、大丈夫。えへへ」
俺の問い掛けに頷くと、綾はなんだか、とても幸せそうに、はにかんでくれたのだった。
/2.相変わらずに追尾中(桐島霧子)
草葉の陰、もとい樹木の影に潜みながら、私と会長さんは目の前の光景に、声を漏らしていた。
「……ねえ、桐島さん」
「……なんでしょう、会長」
「あれは「仲の良い兄妹」で済ませられる範疇なのかしら」
「ぜったい、違いますっ!」
呟くような会長さんの問い掛けに、私は即座に首を横に振った。そりゃあ、なんの事情も知らない人から見れば、「兄が妹に膝枕してあげている」なんていうのは、とても微笑ましい兄妹の風景なんだろうけれど。でも、ことあの二人、というか、綾ちゃんの気持ちがわかっている身としては、「微笑ましい」なんていう言葉で表現できる光景じゃなかった。というか、もう、心臓に悪すぎるくらいに危うい光景なのだった。
「もう、何やってるのよ、あいつはっ。『ほら、おいで』、じゃないわよ。もう」
「……」
「会長?」
綾ちゃんを膝枕する良と、良に膝枕される綾ちゃん。その二人の様子を見つめていた私だったけど、隣に身を潜めている会長さんが、ひどく真剣な表情で考え込んでいることに気づいて、私は彼女に意識を向けた。
「会長、どうかしましたか?」
「ねえ、桐島さん」
「なんでしょう」
「良さんって、私が膝枕をお願いしたらしてくれるのかしら」
「ど、どうでしょう」
突飛な質問に、私は思わず口ごもって、そして答えを濁す。良が会長さんに膝枕? その情景を想像しようとして、流石にそれはしないんじゃないかなあ、と私はその想像を途中で止めていた。そんな私の考えがわかったのかどうか、会長さんはやや不満げな息を零してから、小さく頭を振った。
「でも、桐島さんがお願いしたら、してくれるわよね。多分」
「……ど、どうでしょう」
言葉につまりながら返した答えは、さっきと同じはぐらかすための言葉。でも、その言葉の意味合いは大分、違っていた。良が私に膝枕する。再び、そんな情景を想像しようとして、途中で耳が熱くなった。
「む。桐島さん。自分はしてもらえるって思ってるでしょう」
「そ、そんなこと……」
「思ってるでしょう? 耳が赤いもの」
「……う。はい」
耳が熱いのは自覚できていたので、誤魔化すのも今更だとおもって私は、正直に首を縦に振る。
「そう。やっぱり、仲がよいのねあなたたち」
「でも、私だけじゃなくて、龍也にもしますよ。あいつなら」
「……むう」
妙に可愛いうめき声を零して、会長さんは唇をとがらせた。普段なら篠宮先輩がここで宥めるなり、慰めるなりのフォローをしてくれるんだろうけど。
「あの、会長」
「なにかしら」
「して欲しいんですか?」
「何を?」
「膝枕です」
「………………別に?」
なんなんだろうか、今の間は。
「会長?」
「だから、別に膝枕して欲しいという訳じゃないわよ? ただ」
「ただ?」
「……ただ」
そこで会長さんは、珍しく言葉を詰まらせて、そして不思議そうに小首をかしげた。
「ただ、ちょっとだけ、もやもやするのよね」
「え?」
会長さんの台詞と言葉に、私の胸が警報を鳴らす。だって、それって。
「あの、会長?」
「何かしら」
「それって焼き餅じゃないですか?」
「焼き餅?」
私の指摘に、会長さんはきょとん、と目を見開いて固まった。
「焼き餅って……私が、良さんに?」
「違うんですか?」
「ふむ」
良が綾ちゃんに膝枕して、そして私や龍也が頼んだら、多分膝枕してくれると予想して。それなのに、良は会長さんには膝枕はしないだろうと予想して。それで「もやもやする」というのなら、そのもやもやの理由はやっぱり焼き餅なんじゃないだろうか。
「……そうなのかしら」
どうしてだろう。なぜだか、会長さんはひどく戸惑っているように見えた。会長さんは、そもそも独占欲の強い人だから、焼き餅を焼くことは多いんじゃないんだろうか。
私がかける言葉を探している内に、会長さんは戸惑いを振り切るように小さく首を振ってから、頷いた。
「いいわ。今後の参考のために、今日は、ううん、今は観察に勤めましょう」
そう呟いて会長さんは意識をまた二人の方へと振り向ける。そんな彼女の視線を追いながら、私はひょっとして今日は思った以上の事が起こってしまうんじゃないか、なんていういい知れない不安に包まれるのだった。