第三十話 神崎家の兄妹(前編)(その3)
/5.魔法院研究棟(龍也と久遠)
「と、まあ。結局、良君は綾ちゃんに泣きつかれると断れなかったのよねー。……と、まあ、今思い出せるエピソードはこんなところかしら」
多少の誇張はあるかもしれないけど、そこは許してね、と悪戯っぽく笑いながら、久遠は軽く手を打ち合わせた。彼女が語ったのは、良と綾の幼少期の話。それを聞き終えた龍也は深々と頭を下げた。
「お話、ありがとうございました」
「少しは参考になった?」
「はい、とても」
少しの興奮に口元をほころばせたまま、龍也は素直に首を縦に振る。どうやら本当に二人の話を聞けたのが嬉しかったらしいと、久遠は彼の態度をそう理解した。
「あの、先生」
「なにかしら」
「その……その頃の写真とかお持ちだったりしますか?」
「んー、どうだったかしら。探せばあるとは思うけど……」
探すのは面倒だなあ、と内心で呟きながら久遠は、じっと龍也の表情を伺い、そして言った。
「でも、そんなの良君に言えばいいじゃない。昔のアルバム見せて欲しいって」
「それは、その……」
久遠の当然の疑問に、しかし、龍也は言葉を詰まらせて視線を下げる。そして、沈黙を挟むことしばし、やがて龍也は、消え入るような声で答えを告げる。
「ちょっと、あの、恥ずかしくて」
「……」
恥じらいに頬を僅かに赤く染めてる龍也に、久遠は尋常ならざる可愛さを感じて思わずよろめいた。蓮香をして「節操なし」と言われるほどに、男女関係には寛容で、経験豊富な彼女ではあるが、龍也から放たれる愛らしさは普通ではない。というか、抱きしめて頬ずりしたい衝動を押し殺すのに懸命な久遠だった。
「だめ……我慢しないと……レンが……ああ、でも、可愛いし。もう」
「緑園先生?」
「……久遠」
「はい?」
「久遠って呼んでくれたら写真は探してきてあげます」
「本当ですか?!」
「ええ」
「ありがとうございますっ。久遠先生!」
「うっ」
感謝の気持ちに押されるままに、彼女を見つめる龍也の瞳。その瞳の綺麗さに、久遠は色んな意味で蹌踉めきそうになる自己を押さえる。
「さ、流石にファンクラブを持つだけはあるわね」
「先生?」
「まさか、狙ってやってるの? だとしたら、なんて恐ろしい子なのかしら」
「あの、久遠先生」
「はっ?! な、なにかしら、龍也君」
「いえ、その、よろしければもう少し教えて頂きたいなって。二人の小さいときのこと」
「え? あ、いいわよ。うん、それはいいんだけど……」
飛びかけていた意識を龍也の声に引き戻された久遠は、頷きを返しながらも少し首をひねって問いを返した。
「でも、龍也君は、どうしてそれが気になるの?」
「え?」
「だから、どうしてそんなにあの二人の「昔」が気になるのかなーって」
彼が久遠の元を訪れた理由、そして今までの態度から、速水龍也という魔法使いが神崎兄妹に並々ならない関心と感情を抱いていることを久遠はもう理解している。しかし、その彼が、二人の「過去」にこだわる理由がなにか。
それを掴むために問いかけた久遠の言葉に、龍也は僅かに逡巡を見せてから、やがてゆっくりと答えを口にした。
「何か切っ掛けがあるのかなって。そう思っているんです」
「それは、あの二人の仲が「良すぎるようになった」切っ掛けの事ね?」
「……はい」
綾が良に対して家族を超えた感情を抱き、良が綾に対して強い優しさを見せるようになった理由。
「なるほど。龍也君は、あの二人のことほんとに心配してるのね」
「はい……やっぱり、兄妹で親密すぎるって言うのは、困るんじゃないかなって」
そう頷いてから、龍也は確認するように久遠の瞳を覗いた。
「あの、久遠先生はご存じなんですよね? 綾ちゃんのこと」
「勿論。その事でレンから愚痴を聞かされた回数なんて数え切れないわよ」
それはつまり、綾が良としか魔力交換ができないということ。そしてなにより綾が良のことを異性として好きだと言うこと。それを勿論知っている、と答えてから、「でも」と久遠は首をかしげて、唇に手を当てる。
「でも、そんなに心配しなくちゃいけないことなのかしらね」
「……え?」
「好きなら好きでいいのよ。結婚しちゃえばいいのに」
「け、け、結婚?!」
さらり、と何でもないことのように言ってのけた久遠に、龍也が驚きのあまり目をむいた。
「あの、その、久遠先生!? あの二人は兄妹ですよ?」
「大丈夫よ。龍也君」
「な、何がですか」
「私、不倫とか禁断の愛とか大好物だから」
「そういう問題じゃありませんっ」
真顔で言い放つ久遠に、戦慄の表情を浮かべて龍也は首を振る。
「そ、そもそも! 兄妹じゃ結婚できないじゃないですか。無理なんですよ」
「龍也君。心配しなくても法律には必ず抜け穴があるものなのよ」
「怖いことを真顔で言わないでください! って、抜け穴なんてあるんですか?!」
「ん-。どうかしら」
「あ、あのですね……」
「でも、無理ならしなければいいだけの話なのよね。結婚しないで付き合えばいいだけ」
「……え」
「だから、結婚できないのなら出来ないでいいのよ。別に婚姻関係だけが唯一の愛の形じゃないんだし」
「……え、いや、そんなの」
からかっているのかと訝った龍也だったが、しかし久遠の口調に揶揄の響きは感じ取れなかった。あまりにあっさりと言ってのける彼女に、龍也に動揺が渦巻いていく。そんな彼の様子に、久遠は小さく笑って軽く手を振った。
「ごめんなさい、変なこと言っちゃったわね。龍也君やレンの心配が間違っているわけじゃないんだから。あんまり深く考えないで」
「そうなんですか?」
「そうよ。ただ、そういう意見もあるっていうことを言いたかっただけ」
「……:
「それよりもう一つ質問していいかしら」
「なんでしょう」
「龍也君は、綾ちゃんのことが好きなの?」
「え?」
「それとも、良君のことが好きなの?」
「えええ?!」
綾という言葉よりも良という言葉に露骨に反応した龍也に、久遠は口元を隠しながら納得したように首を縦に振った。
「なるほど。やっぱり、そうなのね。うん、そうじゃなかったらわざわざ研究棟に来ないものねー」
「な、なんのことでしょうか?」
「隠さなくても良いのよ。良君って良い子だものね。優しいし」
「いや、別にそういう事じゃなくてですね?!」
「あら、隠さなくてもいいわよ? 私、同性愛には寛容だから、というか、私も彼女いるしね」
「そ、そうなんですか……?」
久遠の言葉に一瞬、なにやら安堵めいた表情を浮かべた龍也だったが、次の瞬間には我に返って大きく首を左右に振った。
「で、でも、そういうんじゃないです。友達としてですね!」
「ふーん」
真っ赤になる龍也をひとしきり愉しげに眺めならがら、久遠は頭の中で考えを巡らせていた。良と綾。そして神崎家の人々の過去。それをどこまで語ることが許されるのだろうか、と。