表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/100

第二十九話 試験を終えて(その3)

/4.明くる日の屋上(神崎綾)



「喜んでるんじゃありません」

「痛い?」

 兄さんと約束を交わした翌朝。屋上で、その時の事を報告した私の頭を、ぺしり、と佐奈は軽く叩いた。



「もう。単純にも程があるよ? 綾」

「そ、そうかな。でも、いいじゃない。喜ぶぐらい~」

「もう、「デート」を「遊びに行く」っていうのと同じだって思われていたって泣きそうになってたのに」

「それは、そうなんだけどね」

 でも、嬉しいものは嬉しいのだ。ちょっとぐらいのろけたっていいじゃないか。そう訴える私に、しかし、佐奈は冷たく首を横に振った。



「危機感が足りません」

「危機感?」

「確かに綾に一番最初だけど、この後、桐島先輩や、会長さんやデートする可能性だってあるんだよ?」

「う。そうか」

 確かに兄さんは、「私が最初」と言ったけれど他の人にもお礼をするとは言っていた。それを思い起こして、言葉に詰まる私に、佐奈はさらに縁起の悪い言葉を続ける。



「それに速水先輩とだって、どうなるか気をつけないと」

「速水先輩って……それは単に男同士で遊びに行くっていうことじゃない」

「そこにも危機感が足りません。速水先輩は、何気に一番の強敵かもしれないのに」

「お、脅かさないでよう」

「脅しじゃないよ」

 おびえる私に、佐奈はどことなく沈痛な表情を浮かべてため息をついた。



「最近、速水先輩は緑園のおねーさんの所に、ちょくちょく顔を出しているらしいよ?」

「緑園さんって、母さんと同じ研究員の?」

「うん」

「速水先輩って、そこに何しに行っている?」

「そこまでは教えてくれなかったけど」

「というか、学生が研究室に入って良いの?」

「おねーさんは、「可愛い子なら許す」って言ってたから」

「……ああ、そう」

 確かに、緑園さんはそういうノリの人だった。母さんも「あいつには気をつけろよ。というか、なるべくなら生涯かかわるな」なんて真顔で言ったことがある。



「そもそも緑園さんはなんの研究をしてるんだっけ」

「いくつかテーマを持っているっていってたけど。昔、性転換の魔法の実験をしたことがあるって、言ってた」

「……」

「……」

「……」

「……」

 長い、とてつもなく長い、沈黙の果て。



「あ、あはは、まさかね」

 そんな乾いた笑みを浮かべる私に。



「綾。顔が引きつってるよ?」

 佐奈はいつものように「冗談だよ」とは返してはくれなかったのだった。



「ほ、本当なの?」

「速水先輩がどういうつもりなのかは、わからないけど、でも、笑い飛ばせないのは事実だよね」

「う」

「だから、頑張ろうね。このチャンスは絶対にものにしよう」

 相変わらず表情の変化がわかりにくい佐奈だったけれど、今は、多分、本気で忠告してくれている。どうやら、佐奈は本当に速水先輩を要注意人物として認識し始めているらしい。





/5.魔法院研究棟(蓮香と緑園)



「レン。あなた速水君に何を吹き込んだの?」

「ん?」

 同僚の緑園久遠に声をかけられて、蓮香は手元の資料に集中させていた意識を同僚へと向けた。



「速水って、高等部の速水龍也のことか?」

「勿論。彼、あなたの生徒でしょ」

「そうだが、お前、あいつと面識があったのか?」

「面識ができたのよ、つい最近ね」

「おかしなちょっかい出したんじゃないだろうな。倫理委員会からの呼び出し回数の最高記録をまだ更新したいのか?」

「あのねえ。言っておきますけど、私が声をかけたんじゃなくて、彼の方から声をかけてくれたのよ」

「はっはっは、それは無いな」

「何が無いのよ! っていうか、何を大笑いしてるのよ、あんた。喧嘩売ってるの?!」

「いや、だって今のは笑うところだろう?」

「真顔で言ってるんじゃないわよ! もうっ……とにかく、本当に何を吹き込んだのよ」

 蓮香のあしらいに憤慨しつつも、緑園は同じ問いかけを繰り返した。そんな彼女の問いかけに、蓮香は腕を組みしばし思考を巡らせた。



「うーん? さて、何を吹き込んだ、と言われてもなあ……」

「なによ、心当たりはないの?」

「思い当たることが多すぎて、どれのことなのか判断がつかない」

「呆れた。あなた、一応、教育者よね?」

「教育者だからこそだよ。生徒には色々と発破をかけないといけないだろう?」

「ものは言い様ね」

 緑園と軽口を交換しながら、しかし蓮香は記憶の頁を手繰っていた。速水龍也が緑園に興味を示す理由。果たしてそんなものがあったのかと考えれば、蓮香に思い当たることはいくつかあった。しかし、どれなのかは判断がつかなかった。



「それで、速水はお前に何の用があったんだ?」

「そんなの決まってるじゃない。私の」

「お前の体が目当て、などとほざいたら、今この場で倫理委員会に招集をかけるからな」

「ちっ、読まれてたか」

「それで速水の用事は?」

「内緒。本人からは他言無用って口止めされてるしね。ま、成果が出てからのお楽しみよ」

「……ふーん」

 冗談交じりの緑園の言葉に、蓮香はしばし腕を組み、思案に耽る。



「久遠。問題を起こすつもりはないんでしょうね?」

「当たり前よ。これ以上、始末書を提出すると流石に減俸処分になっちゃうしね」

「そう。なら、いいわ。ただ、私の生徒に関わる以上は責任は持ちなさい」

「はいはい。わかってますよ、先生」

 緑園の返事に頷いて、蓮香は彼女と速水の行動を黙認しようと決める。本来、高等部の学生が研究棟に出入りすることは好まれないが、緑園が責任をもつのなら蓮香としては反対する理由は特にない。態度でそう告げる蓮香に、緑園は満足したように何度も小さく頷いた。



「ところでレン」

「なんだ」

「良くんのことなんだけど」

「速水が何か言ったのか?」

「んー。それとは別件かな。無関係ではないけれど、主にあなたから聞いた話のこと」

 くるくると人差し指を回し、緑園は蓮香の表情を伺いながら、彼女はゆっくりと蓮香に尋ねた。



「ねえ、レン」

「何?」

「私が良君と結婚したら、貴方を何と呼べばいいのかしら。お母さん? それともレンのままでいい?」

「私の呼び方に悩むぐらいなら、辞世の句でも用意しておきなさい。葬儀は盛大にあげてあげるから」

「レンー。目が笑ってないわよー」

「当たり前。本気で言っているから」

「ごめん、ごめん。冗談だってば」

 全く笑っていない表情で口元だけを歪める蓮香に、緑園は肩をすくめて話題を戻す。



「良君の例の夢の話なんだけどね」

「世界樹の夢のことか」

「うん。その話でちょっと気になることがあるのよ」

「気になること?」

「そう。あの時、良君は紅坂さんとの魔力交換の最中だったのよね?」

「ああ、そうだね」

「でも、彼の話によれば、夢の中で一番、最初に意識したのは紅坂さんのことじゃなくて、綾ちゃんのこと。そうなのよね?」

「本人からはそう聞いたよ」

「それっておかしくない? 紅坂セリアを探しに行ったはずのその場所で、どうして彼は綾ちゃんのことを探さないといけないって思ったのかしらね。それも一番最初に」

「それはあいつが重度のシスコンだからだ」

「……何の迷いもなく言い切ったわね、あんた」

 蓮香の断言に、緑園は笑いとも呆れとも感心とも形容しがたい表情を浮かべながら、肩をすくめた。だが、呆れた表情を浮かべながら、緑園の目は、その実、笑っては居なかった。



「ねえ、レン。前から聞きたかったんだけどね、綾ちゃんが世界樹の雨を嫌うのはどうして?」

「幼児体験」

「……そう」

 短く簡潔に、そしてあまりに平坦な口調で紡ぎ出された蓮香の答え。その短い言葉だけで緑園は事情を悟り、そして彼女にしては珍しく、とても素直に頭を下げた。



「ごめんなさい」

「私に謝ることでもないだろう」

「そうね。あなた「だけ」に謝る事じゃないわね。だから、ごめんね」

「ん。わかった。じゃあ、気を取り直して仕事しようか」

「はいはい」

 仕切り直しだ、と両手を打ち合わせる蓮香の姿を横目に、緑園は苦笑を浮かべながら、蓮香に気付かれないようにこっそりと息を吐いた。



 結局の所、あなたが一番、大変なのかしらね。頑張ってね、『お母さん』。

 本人に向かっては、決して口にしないねぎらいの言葉を、そっと胸の中で手向けながら。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ