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第二十七話 繋がる二人(その3)

/3.世界樹の風景(神崎良)



 どのぐらい昔のことだっただろうか。そういえば、おかしな場所の夢を見たことがある。

 そこにあるのは、びっくりするぐらいな巨大な木。どのぐらい大きいかと言えば、その木に茂った葉っぱがあまりにも多いので、空には雲一つどころか青の欠片も見えないぐらいだ。ただ、その木から舞い落ちる葉っぱは、僅かな灯りを放っているので、不思議とその世界をくらいと感じることはない。そんな不思議な場所の夢。

 とても印象的な風景。だけど、言っても今の今まで、そんな夢、見たことさえ忘れていた。でも、こうして今目の前に広がる光景に、俺はかつてこの夢を見たことを思い出していた。



「夢。そうか、これ、夢なのか」

 我ながら間が抜けているけれど、口に出してみて、自分が夢を見ている事をようやく自覚できた。何せ目の前の光景はあまりに現実離れしすぎている。この間の遊園地「天国への門」での光景さえも、かすんでしまうような風景は、だから夢でしかあり得ないのだろう。

 するとこれは明晰夢、という奴だろうか。夢の中で、夢を見ていると言うことを意識している。思えばそんな経験は今までなかった気がする。そんな事を考えていると、ふと根本的な疑問が浮かぶ。どうして、俺は今、夢なんかみているんだろうか。さっきまで確か……。



「……何してたんだけっけ」

 呟いて、思わず首を傾げてしまう。なんだか大事なことをしていたような気がするのだけど……まあ、夢というものはそういうものなのかも知れない。そう自分に言い聞かせつつ、ぼんやりと空を舞う葉の群れを見上げていると、今度はまた別の事が頭に浮かんだ。



「あ、そうだ。綾は……?」

 大事なことに気付いて、俺は慌てて綾の姿を探す。見渡す限り何もない空間には、ただ光を放つ落ち葉が舞い踊るだけだけど、それでも目をこらして、そしてあちらこちらと呼びかけながら、俺は妹の姿を探して歩く。



「綾! あーやーっ! おーい、いないのか−?! あーやー!」

 大地さえ見えない場所。踏みしめる地面さえない場所をそれでも歩き回りながら、綾を探す。

 とても幻想的で、見る人が見れば神聖にすら思える場所だったけれど、もしここに綾がいたら、きっとおびえているだろう。なぜなら昔から、あいつはこういう風景は嫌いだったから。

 だから、もしこの場所に綾が居るのなら、何よりも早く見つけてやらないといけない。その想いを胸に、あちらこちらを探し回ったのだけれど、結局、呼びかけに答える声も、おびえてすすり泣く声も聞こえてくることはなかった。



「……いないか。うん、いないな。よかった」

 そうして妹が居ないことを確認して、俺はほっと胸をなで下ろす。でも、安堵する気持ちは直ぐに霧散してしまった。それは相変わらず大事なことを忘れたままという事に、気付がついたからだ。そう、大事なこと。大事なことがあるはずなのだ。



「そうだ、探さないと……」

 夢を見る直前、たしか、大切な何かを探しそうとして、見つけようとして……そして、多分、ここに来たんだ。思わず綾のことを探してしまっていたけれど、他にも何を、あるいは誰かを見つけないといけないはずなんだ。

 そう、見つけないといけない。でも、何を?



「ああ、もう! 健忘症か、俺は!」

 自分自身に毒づいても、しかし思い出せない。その事に焦りを抱いて、おれはその世界の中を再び走り出した。目に入るのは、乱れ飛ぶ緑の葉と、果ての見えないほど大きな樹。現実離れした、夢のような光景。そんな場所で、俺はいったい何を探しているのか、誰を捜しているのか。自分自身の中にあるはずの答えが見つけられないままに、それでも闇雲に辺りをかける。

 急がないといけない。だって、これが夢ならやがて泡沫のように消え去ってしまうのだろう。だからその前に、俺は探している何かを見つけないといけない。ようやく、気付いてあげられた、大切なこと、その何かを。

 そんな焦りが胸に渦巻いていく中、何の音も、何の声もしないその場所で、かすかに聞こえる声があった。



「ん?」

 ほんとうに小さな声。でも、聞き間違いじゃない。確かに、聞こえた。



 誰か、いないの?、って、そう呼びかける声。

 その声に振り向いた先には、はたして、女の子が立っていた。気の遠くなるほど巨大な幹。それを背にしてその女の子は一人佇んでいる。遠目で分かるぐらいに綺麗な金の髪に、清楚な白のワンピース。年の頃は……五歳ぐらいだろうか。小さな、でもとても目を引く女の子。

 俺が探しているのは、あの女の子だろうか? そんなことにすら自信が持てない自分に軽い苛立ちを覚えながらも、俺は手がかりを求めて少女の方へと歩み寄った。



「こんにちわ」

「……」

 呼び掛けてみてもその女の子は何の反応も示さない。ただ幼い顔にどこか毅然とした表情を浮かべたままじっと空を見つめている。宝石みたいな碧い瞳。ふと、その強い眼差しが誰かに似ていると思った。だけど、誰に似ているんだろう? それを思い出せないまま、俺は再度、彼女に呼びかける。



「もしもし、こんにちわ!」

「……」

 やはり、反応無し。無視している、というよりは気付いていないっていう様子だった。

 ひょっとしたらお家の人に「知らない人に声をかけられて付いていったりしてはいけません」と言われているのかも知れない。そう思ってじっくりと見てみると、どこか気品がある女の子だった。どこかのお屋敷のお嬢様、と言われれば素直に納得できる。そんな事を考える俺を尻目に、その女の子はもう一度、呼びかけの言葉を口にした。



「誰か、いないの?」

「え? いや、ここにいるよ?」

「……」

「あのー、もしもし?」

「……」

 呼びかけに答える俺の声に、しかし、彼女は振り向くことすらしない。相変わらず空の方を見上げながら、幼さの残る声で「誰か居ないのか」と呼びかけている。



「ねえ、誰かいないの?」

「いや、だから……」

 繰り返される言葉は、やっぱり俺の方ではなく、空に向かって放たれている。いや……違うのか。



「あの光か」

 よく考えれば、女の子の視線の先には空はない。ただ、そこにあるのは大樹から放たれて、仄かに輝く大小の葉っぱだ。その女の子はさっきから、ずっとその葉にむかって声をかけ続けているんだろう。

 空を舞う光を見つめる碧い瞳。その吸い込まれてしまうような瞳に、俺は知らずある人の名前を思い出して、そして呟いていた。



「……会長?」

「?」

「あ、気付いた?」

 瞬間、女の子が俺の方を向いた。ようやく気付いてくれたか、と思ったのもつかの間、彼女は本当に「俺の方を向いただけ」、という様子だった。こちらを見たけど、俺を見ては居ない。だから、目の前の俺に何の反応を返すこともなく、再び視線を光の群れに戻してしまった。



「うーん。どういうことだろう?」

 ひょっとしたら目が悪いのかもしれない。でも「会長」と呼びかけた声には反応をしてくれた。なら、ここは呼びかけ続けるのが正解じゃないだろうか。そう考えてから、俺は腰をかがめて、女の子と顔の高さを合わせた。



「こんにちわ、お嬢ちゃん」

「……」

「会長、じゃなくて、紅坂先輩の親戚なのかな?」

「……誰か、いるの?」

「うん。目の前にいるよ?」

「……」

「うーん」

 やっぱり、会長さんの名前を出すと反応を返してくれる。だけど、それ以外の言葉は彼女を素通りしてしまっているみたいだった。



「どういうことかな」

 会長さんと似ている女の子。妹さんか、あるいは親戚なんだろうか。



「誰か、いないの?」

「いるよ。ここに」

「誰か、いないの?」

「いるんだけどなあ」

 相変わらず繰り返される言葉。でも、それに声を重ねても、やっぱり答えは返ってこない。会長の事を口にすれば、少しは反応を返してくれるけれど、俺のことに気付くまでには至らないようだった。



 ……さて、どうしてものだろうか。

 そんな女の子の不思議な様子に、俺は思わず腕を組む。目の前に立っても駄目、声をかけても駄目。じゃあ……触れてみればいいのだろうか。そう思った刹那、「触れて良いのだろうか」なんて躊躇いが胸に浮かぶ。大樹の陰に佇む女の子は、軽々しく触れることを躊躇わせるだけの雰囲気を身にまとっていて、だから軽々しく触れてはいけないような気がしたのだ。

 でも、そんな躊躇いを胸に抱いたとき、誰かの声が頭の中で、言ってくれた。



 『躊躇いを抱くな』って。



 いつか、どこかで、言われたこと。いや、違う。

 ついさっき。そう、夢を見る前に、言った貰ったことだ。あの人に、会長さんに―――。



「……ああ、そっか」

 そこに思い至ったとき、ようやく俺は思い出す。

 俺が何をしようとしていたのか、何を探していたのか、そして、誰を捜そうとしていたのか。それを、ようやく……思い出していた。



 この場所がどこなのか。

 どうしてここにいるのか。これが本当に夢なのかどうかも、よくわからないけれど。気丈な声に、でも、ようやく気がついた。



「誰か、いないの?」

「いるよ。いますよ……会長」

 この小さな女の子は、毅然と一人、世界樹の下に立っていて、だけど、ずっと気付いてくれる誰かを探していて。一体、彼女はどのぐらいの時間……この場所で、気付いてくれる誰かに呼びかけ続けていたんだろうか。ひょっとしたら、こんな小さな姿の時から、今までずっと、この子は―――会長さんは、一人で世界に向かって、呼びかけ続けていたんだろうか。



「ここに、いますよ」

「あ」

 彼女の頭を胸に抱いて、あやすようにそっとその頭を優しく撫でる。



「誰か、いるの?」

「うん。いるよ」

「どこに、いるの?」

「ここに、いるよ」

 問いを繰り返す彼女に答えながら、俺は強く彼女を抱きしめた。こんなに側にいるのに俺に気付いていない女の子。なら、気付いてくれるまで、こうしていてあげよう。



 こんなに小さな時から、見つけてくれる誰かを捜して世界樹の下で、一人で立っていたのなら、せめて、それが報われるまでは、ずっと。



「俺は、ここにいますよ。会長、紅坂先輩」

「あ……、あ」

 ひどく現実離れした世界。あるいは本当にただの俺の夢だったのかもしれない。

 でも、その夢が終わる頃、彼女を抱きしめたままで、薄らいでいく意識の中、俺は最後に確かにその声を聞いた。



「…………やっと、見つけた」



 薄れていく意識の中、醒めていく夢の果て。胸の中に抱えた女の子の、温もりに満ちたその声を、



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