第二十七話 繋がる二人(その1)
/0.ある述懐
同じ夢を、何度も見る。
物心つく前から今に至るまで、何度も何度も繰り返して、数え切れないほど同じ夢を見た。その夢の中では、いつも大量の緑の葉が空一面に広がっていて、大小混じり合った葉っぱが、淡い光を放ちながら虚空を縦横に舞い踊っている。あまりにも空にある葉の量が多くて、空を見上げても太陽の光は見えないほどだ。だけど、私はその夢の中で私は暗さを感じたことがない。
それは、空に舞う葉が放つ光の数があまりにも多いから。一つ一つの葉が放つ光はとてもささやかなものだけど、それでも、それぞれに輝いて、それぞれが一生懸命にこの世界を照らし続けているから。その世界は日の光を失っていても、なお眩い明かりに包まれて、輝いていた。
その光景は、とても頼りなくて。でも、とても健気で。そして、とても綺麗だって思う。
そんな夢の光景が一体、何を意味しているのか。それにはっきりと気付いたのは、私が物心ついてからだろうけれど、でも多分、最初から私はわかっていたのだと思う。この世界に、ただひたすらにその欠片を放って、絶え間ない明かりを紡ぎ続けているものがある場所。それはきっと私たちが「世界樹」と呼ぶものが存在する場所なんだろうって。歴史さえ欠落してしまっているこのあやふやな世界を、懸命に支えてくれる存在がある場所が、私が見る夢の正体なのだと思う。つまり、そこは世界の中心。
でも、わからなかったこともある。そして、まだわからないこともある。どうして私がそんな夢を見てしまうのか。どうして繰り返してそんな夢を見てしまうのか。それは本当にただの夢の中の出来事なのだろうか。それに何より……、世界を紡ぐあんなにも沢山の世界樹の葉は、一生懸命に手をつないで世界を照らしているのに。どうして、私は、私だけは。いつもひとりぼっちで、そんな空をただ見上げていなければいけないのだろう、って。それが不思議で仕方がなかった。
そう、夢見る度に不思議に思う。空を舞う世界樹の葉は、とても一生懸命で、そして、どこか楽しそうに、みんな一緒に踊っているのに。私の周りには誰もいない。空を舞う光に何度も何度も手を伸ばしてみたけれど、私の小さな手が、空にある世界の欠片達には届くことは決してなかった。だから、とても優しくて暖かな光に満ちているその夢を見る度に、夢から覚めた私の胸には、いつしかそんな寂しい想いがわだかまるようになっていた。
だから、いつしか夢の中で、私はいつも呼びかけるようになっていた。見渡す限りに広がる緑色の空。世界を紡ぎ出す世界に満ちあふれたその明かりの中、きっと私と同じようにこの光景を見つめている誰かが……一人で寂しい思いをしている誰かがいるはずだって、そう思って。「誰か、いませんか」って、何度も何度も、夢の中、私は今も呼び続けている。
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魔法使いたちの憂鬱
第二十七話 繋がる二人
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/1.エスケープ中。(神崎良)
……果たして、今はどういう状況なのだろうか。東ユグドラシル魔法院の高等部校舎屋上で、会長さんと向かい合いながら俺が自分の置かれた状況を頭の中で整理していた。昼休み中の騒動の結果、本日の放課後、会長さんによる中間テストが強行されることになった。うん、それはわかっている。わかっているのだけど。俺は半ば頭痛を覚えながら目の前の会長さんを見つめてみた。
会長さんは、気持ち良く吹き抜ける風に、僅かに目を細めながら、その長い金色の髪をなびかせている。澄み渡った青空を背景に佇む彼女の姿は、さながら絵画のように様になっていて、思わず目を奪われそうになってしまう。だが、そんな綺麗な光景に問題点があるのが、おわかりいただけただろうか。そう、「試験」は放課後に行われるのだから、こんな空の青さが目に眩しい時間帯、つまりは、思いっきり午後の授業の真っ最中に、俺が会長さんと二人っきりで屋上に居て良い理由はないはずなのだ。本来は。
「あの、会長?」
「……ふふ」
俺の問いかけに気付いていないのか、会長さんは屋上から校庭の方を見下ろしながら楽しげな笑みを零している。お昼の日差しが照りつける校庭には、何人もの生徒の影が見えた。体育か、魔法の実技か果たしてどちらなのかはわからないけれど、何かしらの授業を受けていることは間違いない。そんなまじめな学生たちの姿をひとしきり眺めて満足したのか、会長さんは視線を俺の方へと戻して楽しそうに笑った。
「私、授業をサボったのって初めてなの。なかなか気持ちの良いものなのね」
「授業をサボって気持ちいいとかいうのは駄目です」
「なによ。優等生ぶるのね、神崎さん」
「優等生ぶるって……俺は常に優等生でいるように心がけています」
成績は追いついていないけど、と内心で小さく溜息をついてから、俺は会長さんに問いかける。
「それより、どうして授業をサボってまで俺を呼び出したんですか?」
「決まってるじゃない。放課後のテストの準備をするためよ」
「テストの準備、ですか」
「……こら」
「いて」
テスト、という言葉に思わず緊張してしまった俺の額を、会長さんが軽く指ではじいた。そしてと大きくため息をついて会長さんは睨むように眼を細める。
「相変わらず自信なさそうなんだから。自信が大事って何度も言っているでしょ? もう、あなたがそんな顔してたらはったりがバレちゃうじゃない」
「はあ、済みません……て、はったり?!」
「あ、こら、声が大きい! 誰かに聞かれたらどうするのよ」
授業中、ということも忘れて思わず叫んでしまった俺の口を、会長さんが慌てて塞いだ。俺も急いで校庭の様子を伺ったが、どうやら誰かがこちらに気付いた様子はない。まあ、校庭と屋上では距離は離れているし、大丈夫だとは思うけど……って、いやいや、それよりも、それよりも!
「か、会長?!」
「なに?」
「何? じゃないですよ! な、なんですか?! はったりって」
「はったりははったりよ。あ、でも、言い方が悪かったかしら。うん、はったりじゃなくて、ちょっとした誇張ってことね」
「いやもう、言葉はどうでも良いですけれど、いったい何がどこまで嘘なんですか?」
「嘘じゃなくて、誇張よ、こ・ちょ・う。神崎さんが成長しているのは本当なんだけど、あの場の全員を反論の余地のないぐらいに納得させるだけの成長の証拠を見せられるかどうかは少し怪しいから。その点をちょっとだけ誇張しちゃったの」
「しちゃったの、じゃないですよ。じゃあ、なんだって、あんな強引に今日テストするなんて言ったんですか?」
「神崎さん。後には引けないって言葉知ってる?」
「……引っ込みが付かなくなった、っていう言葉なら知ってますよ」
「そう。よかったわ」
「良くないでしょうが!」
「だから、声が大きいわよ。もう」
声を荒げる俺を諫めながらも、流石にややばつが悪いと感じたのか、会長さんは少し拗ねたような口調で言葉を続けた。
「だって、仕方ないでしょう?」
「何が仕方ないんですか?」
「だから、あそこまで挑発されたら、見返したくなるじゃない」
「あのですね……」
「それに鈴まで反対するんだもの。こうなったら引けないじゃない?」
「……子供ですか、あんたは」
「……なんですって?」
「痛い痛い痛い、痛いですって」
思わず零した俺の言葉に、会長さんは引きつった笑みを浮かべて、俺の耳をひっぱる。いや、そのうちにちぎれるんじゃないだろうか、俺の耳。
まあ、会長さんが意地を張った理由はわかった。いつものように自信に満ちた表情だったから気付かなかったけど、昼休みに会長さん以外の全員から「今日の家庭教師は中止すべき」と言われたのが、相当に気に障っていたらしい。いつもなら味方をしてくれるはずの篠宮先輩まで、反対に回ってしまったのも会長さんの意地を更に固くしてしまった、という事か。
「もう。なによ、神崎さんまで私が悪いって言うのね」
「まあ、悪いとまでは言いませんけど。そもそも会長がもう少し穏便にアドバイスしていれば良かったんじゃないかとは思います」
「……アドバイスってなんのことかしら」
「え? いや、アレって霧子たちの教え方へのアドバイスでしょう? 優しすぎるとか、無理させすぎとか」
「……」
「会長?」
俺の台詞に、何故か会長は口をつぐんだ。そんな会長さんの様子に、ひょっとしたら勘違いだったんだろうか、と俺は首を傾げる。昼休みの会長さんは、「翌日の魔力残量を見越した上で、教え方を調節しろ」ってみんなに諭しているみたいに聞こえたんだけど。ここ最近、ずっと教えて貰っているおかげで会長さんが基本的に面倒見のいい人なのだとわかっているから、間違いじゃないと思うんだけど……。
「神崎さん」
「はい? って、痛い痛い痛い。なんで、耳を引っ張るんですか!」
「生意気だからよ」
「意味が分かりません」
理不尽に俺の耳を引っ張った会長さんは、またしても拗ねたような表情で口を僅かに尖らせながら、ふん、と小さく息を吐いた。
「分からなくて良いわよ。それより今はテストのことに集中しなさい」
「しゅ、集中はしますけど」
しかし、会長さん自ら「はったり」といった以上、どうしようもないのではないだろうか。正直、疲労のピークだし、これから二三時間の間に猛特訓をしたとしても「成果」を見せつけられるほどの魔法を使えるとは思えない。素直にそう告げてみると、会長さんは怒った様子もなくごく平然と首を横に振って見せた。
「猛特訓なんてしないわよ。それはいくらなんでも反則でしょうし、ね」
「え? じゃあ、どうやって誤魔化すつもりなんですか?」
試験の方法で誤魔化す、という方法もあるのかもしれないけれど、レンさんや龍也が立ち会う以上は、下手な誤魔化しなんて通用しないだろうし。
「誤魔化したりもしません。ちゃんとはっきりとわかる形で結果を示すの」
「でも」
「心配いらないわよ。私は負ける喧嘩はしないもの」
「……そうですね」
「今の間は何かしら?」
「いえ、なんでもないですって、だから耳を引っ張るなっ!」
会長の手を振り払いながら、思わずため口で叫んでしまった。だが、会長さんは気にした様子もなく、俺に向かってぴしり、と人差し指を突きつける。
「話を戻すけど。神崎さん、私が教えたことわかってますか?」
「はい」
会長さんに教えて貰ったこと。その内容を頭の中で反芻しながら俺は頷いた。
基本に忠実に、集中すること。魔力の流れを意識して、決して途切れさせないこと。世界を紡ぐ規則を取り込んで、自分の中の魔力によって書き換えて、そして再び世界に帰す。一連のその流れをよどみなく、効率よく行うための手順を繰り返して会長さんからは教えられている。そして、何度も何度も念を押されている事は……。
「躊躇いを抱かないこと」
「そう」
良くできました、と満足げに頷いてから、会長さんは、俺に突きつけている指の本数を一本から二本へと増やした。
「いい? 繰り返すけど、神崎さんが成長しているのは本当よ。そして、今まで私が教えたことだけじゃ、きっと全員を納得させるだけの成果を示せないのも本当。でもね、今まで私が教えたこと、それを守った上で、あと二つ、意識して欲しいことがあるの。それを守れれば、きっと私の誇張は、誇張じゃなくなるわ」
「……はい」
真剣な会長さんの声。その凜とした響きに引き込まれるのを感じながら、俺は彼女の言葉に深く頷いた。
はったり、誇張。そう言いながら、会長さんは俺の成長を強く信じてくれている。それを感じられたから、それなら俺だって覚悟を決めて、少しぐらいは会長さんの期待に応えたい。そう思って、俺は会長さんの言葉を待った。
「じゃあ、一つ目。規則を書き換える時、自分自身を意識すること」
「自分自身を、ですか?」
「そう。イメージできる?」
「ただ集中する、というのとは違うんですか?」
「違うわ」
俺の質問に首を横に振って、会長さんは視線を空に向けた。雲が遠く感じるほど、澄み渡った晴天の奥。そこには朧気に世界を支える大樹の陰が見え隠れする。
「私たち魔法使いは、魔法を行使するときに世界へと意識を向ける。それは大事なことだけど、今回に限ってはその意識の矛先を自分自身へと向けるように意識するの」
「でも、それだと、そもそも法則の組み替えができないでしょう」
「できるわ。世界を構築しているのは、自分自身。その意識があるのなら無茶でも無謀でもないわよ。基本的に魔法の手順は変わらないわよ。規則を取り込んで、書き換えて、還す。そのそれぞれの段階で世界樹ではなく、自分自身を意識する。それだけだから」
「……」
思わず「無茶だし、無謀です」と言いそうになったのを堪えて、少し考える。世界を構築するのが自分自身だと思う、なんて考えることは荒唐無稽だけど……それでも、この前から会長さんが繰り返して言っている「自信を持て」という事に繋がることなのかもしれない。
「今の言い方が極端だって思うのなら、こう考えても良いわ。世界を支えるのは、世界樹『だけ』じゃない。きっと『私たち』も支えている。そう考えて」
「私たち……つまり、世の中の一人一人が、っていうことですか?」
「……ええ。そう考えても良いわよ」
少しだけ間があったような気がするけれど、俺がそれを指摘する前に会長さんは中指を折り、また立てている指を一本に戻した。
「次に、二つ目。そして書き換えた法則を還すとき、世界を意識するのではなくて、私を意識しなさい」
「会長を?」
またも不思議な言い方だった。魔法使いは普通、個人を書き換える、という意識は持たない。個人も極論すれば世界に帰属するモノだから。だから、常に働きかけるのは世界に対して。それが基本の筈なんだけど。人を対象に魔法を掛けるにしても、普通は対象とするのは「世界」だ。人間に人間としての形と機能を持たせるのはあくまで世界の法則だから。そして、付け加えるのなら、人間個人を対象とする魔法は禁止されているものが多い。魔法で人の心に干渉するものは、特に禁忌とされているぐらいだから。
だけど、会長さんの表情は真剣そのもので、少なくとも冗談を言っているようには見えない。
「いい? 放課後のテストでは、私があなたに魔法をかけるの。だから、それを打ち破るのなら対象は世界ではなくて、私でしょう?」
「それは……、そうですけど」
「なら簡単でしょ? 書き換える対象を置き換えるだけだから」
「置き換えるだけって……」
まあ、世界を構築しているのは自分自身だから、規則を取り込む際に自分の中からその規則を探せ、という一つ目の命令よりは、まだ直感的でイメージしやすいかもしれない。でも、それはあくまで「比較的」イメージしやすい、というだけの話だ。そもそ法則の書き換えと、還元の時のイメージを、今までのモノと置き換えろ、と言われても、そうおいそれと出来るはずもない。それが素直な俺の感想なのだけど、何故か、会長さんは自信に満ちた眼で俺を見つめて頷いた。
「大丈夫。あなたならできるから」
「……が、頑張ります」
会長さんの眼差しに押されて、思わず首を縦に振ってしまった。ともかく、やるしかないのだ。しかし、正直なところ全く以て出来る自信がない。そんな俺の不安は、やっぱり会長さんにはお見通しだったのか、彼女は「心配しないで」と小さく笑った。
「まあ、いきなり魔法を使うときの根幹のイメージを変えろっていうのが、無茶だっていうのはわかってるわ。だから、大サービスをしてあげる」
「大サービスですか?」
「ええ。その感覚を覚えるのに一番良い方法があるから」
そう言って、会長さんは俺に右手を差し出したのだった。