第三話 魔法院高等部 生徒会長(その1)
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魔法使いたちの憂鬱
第三話 魔法院高等部の生徒会長
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1.
終業の鐘。
それと同時に、わき上がる生徒の声が教室にざわめきを産んだ。そのざわめきの中、俺は教科書を鞄にしまいながら、隣の龍也に声をかける。
「今日は速水会はないんだよな」
「うん」
どこかほっとしたような、それでいて少し気まずそうな表情。どこまでも人の良いこの友人は、慕ってくれる人の期待に添えないことに罪悪感めいたものを感じているのかも知れない。
「じゃ、さっさと返ろうぜ。俺、今日は疲れたしな。しんどい」
「そうだね。そうしようか」
「あ、良。ちょっと待って」
龍也を急かして席を立った俺を、振り向いた霧子が引き留めた。
「もう帰るの?」
「帰るよ。レンさんに家事を押しつけられてるしな」
「じゃあ、暇なんだ」
「……いや。だから、家事を押しつけられてるって」
「暇なんだ」
「……お前な」
「暇なんだ? 暇ですよね? 暇になれー」
「ああ、暇ですよ」
最早、「暇」という回答しか許さないらしい霧子に、俺は諦めて首を縦に振った。まあ、そんなに急いで帰らないと家事が出来ないわけでもないし。
「それで何を手伝えっていうんだ、お前は」
「いやあ、流石。察しが良くて助かるわ」
今ので、察しない方がかえって難しいとは思うが、つっこむのにも疲れたのでさっさと用件を促した。
「それで何をさせる気なんだよ。あまり遅くなるようなのは、本当に勘弁してくれよ」
「あ、それは大丈夫。大したことじゃないの。ちょっとつきあって欲しいだけ」
「どこに?」
「……」
「霧子?」
「聞きたい?」
「聞きたい」
「どうしても?」
「言えないような場所なのか?」
促す言葉に、霧子は数秒の逡巡したあと、ぽつり、とその答えを口にした。
「…………生徒会」
「じゃあな」
「待ちなさいよっ!」
即座に踵を返した俺の肩を、がしり、と霧子がつかんで引き留める。
「手伝うって言ったじゃない!」
「まだ「手伝う」とは言ってない! 暇だって言っただけだ!」
「じゃあ、手伝いなさいよ!」
「嫌だ」
「なんで」
「言わせるか、それを」
高等部生徒会。名実共に、魔法院高等部のエリート達によって構成される……という決まりが在るわけでもないのだが、実質的にエリート的な人材で今現在は構成されている組織だ。俺みたいな一般生徒にはただでさえ近寄りがたい雰囲気を漂わせる集団だけれど、俺がその名前に即座に逃亡を決め込んだのは、更に別の理由がある。
「良は、会長さんが苦手だからね。いきなり、あそこに付き合えっていうのは酷じゃないかなあ」
俺たちのやりとりに苦笑しながら、龍也が頬を掻く。
そう。生徒会の組織的な雰囲気とか権威とかはまるで関係なく、その集団のトップである人物に対する個人的な苦手意識が、俺にその場所を忌避させるのだった。だが、龍也の指摘に、何故か霧子は威張るように胸を張った。
「そんなの理由にならないわ」
「どうして?」
「私だって、苦手だもん」
「……同族嫌悪か」
「聞こえなかったんだけど」
「痛い痛い痛い」
引きつった表情を浮かべて、霧子が俺の耳を引っ張った。だが、俺もその手を振り払って、霧子の方をにらみ返す。
「お前な。俺は苦手なだけじゃなくて、あそこの主に嫌われてるんだぞ? 知ってるだろ?」
「嫌われてるのなら私だって同じじゃない。ね、二人で行けば怖くないって」
「そうか? お前は未だに好かれてるだろ?」
実は霧子は生徒会に勧誘されたことがある……もとい、恐らくは現在進行形で「されている」。魔法の理論は中の下、魔法の実技は上、な彼女なので、成績的に問題はあまりない。それに下級生(特に女子)からの信望が厚いから、別に生徒会に誘われても不思議はないのだった。
だが、当の本人は生徒会には乗り気でないらしく、珍しく弱気な表情を覗かせて、縋るように俺の制服の裾を掴んで放さない。
「だから、なおさら一人で行けないんじゃない。また勧誘されたらどうするのよ」
「断れよ」
「だから、あの人苦手なんだって〜。こう勢いに気圧されるというか、雰囲気に呑まれるというか……」
「まあ……それはわからないでもないけどな」
「ね? そう思うでしょ? それなのに生徒会室に一人で乗り込むのは、ちょっと気後れするしさ」
「うーん」
そう言われると、確かに霧子一人で生徒会室に行かせるのは可哀想な気がしてきた。
「……って、そもそも何でそんなに苦手な場所に乗り込もうとしてるんだ。お前は」
「それはその……私にも止ん事無き事情があるわけよ」
「だから、その事情は何だと―――」
「じゃあ、僕も行こうか? 二人より三人の方が心強いでしょ?」
埒が明かないと思ったのか、あるいは本当に善意からか―――まあ、こいつの場合だと後者だろうが―――、俺と霧子のやり取りに龍也がそう割って入った。しかし、一瞬の逡巡をおいてから、俺はその申し出を拒絶し、霧子も同じように首を横に振る。
「……いや、ありがたいけど、それはいいよ」
「うん。私もまだ龍也はあそこに近づくのは止めといた方が良いと思うわ。あの人、私より龍也の方にご執心だから」
「あはは……そうだね」
霧子の言葉に、龍也の顔に苦笑が浮かぶ。その笑いに常より多少苦い物が多く混じるのは、過去、龍也と会長さんの間であった騒動を思い起こしたからだろう。
実は霧子だけでなく、龍也も又生徒会に勧誘されている人物の一人だ。しかも、龍也の勧誘を巡っては、去年、少々トラブルめいた事があったりして、それが会長さんに対する俺達の苦手意識を植え付けた一因になっていたりする。
……なにしろ「速水会」なんてものを、作らざるを得ない状況になった原因はあの人にあるといってもいいんだし。
あまり話をひっぱると龍也が首をつっこむか。その懸念もあるし、霧子を一人であそこに向かわせるのも気がかりといえば気がかりだし。俺はsぴ覚悟を決めて霧子に向き直る。
「わかった。一緒に行くだけだからな」
「さーすが、良。よしよし。後で魔力分けてあげるからねー」
「思いっきり子供扱いな理由は兎も角として、そういう状況なら遠慮無く魔力もらうからな」
「はいはい」
あまり魔力の燃費が悪くない俺だけど、貰えるというのなら正直ありがたい。排出の方は今朝、綾とレンさんのおかげで当分必要ないぐらいだったし。
「じゃあ……、僕はどうしようかな」
「霧子、すぐ終わるんだろ?」
「多分。会長さんが良に変な風に絡まなければ」
「…………悪い。先に帰ってくれ……」
「が、頑張ってね、二人とも」
個人的には揉めるつもりは、毛頭無いが。無いのだが。
まず間違いなく絡まれる、と直感して、俺は溜息混じりに龍也に手を振るのだった。
2.
「今度、部活で合宿をしようと思ってるんだけど。生徒会の承認が居るのよねー」
生徒会室へと歩く道すがら、霧子はようやく具体的に用件を話し出した。部活、とは霧子の所属する美術部のことだろう。
「お前、別に部長じゃないだろ?」
「そうだけど。部長直々に頼まれたんだから仕方ないじゃない」
まあ、人に頼み込まれたら断れないのが、霧子の短所でもあり長所でもある。なら、俺を捲き込むな―――と言いたいところだが、これ以上機嫌を損ねるのは危険なので、ぐっと言葉を飲み込んでおいた。
「でも部長さんは何でお前に頼むんだ? あの人も会長さんは苦手なのか?」
「あ、違う違う。部長の場合は、苦手というより、そうね……「恐れ多い」って感じかな」
「恐れ多い?」
「うん。崇拝しちゃってるから」
「……ああ。なるほど」
高等部三年、紅坂セリアさん。容姿端麗、成績優秀、面倒見が良く、教職員の信望厚く、家柄も良い。本当に「絵に描いたような」お嬢様である、現会長さんを「崇拝」の域にまで尊敬している生徒は数多い。
俺や霧子、そして龍也みたいに彼女に苦手意識を抱いている生徒は少数派に属するんだろう。まあ……俺も彼女との揉め事に巻き込まれるまでは、遠巻きに彼女を眺めていた崇拝者の一人だったわけだけど。
「あーあー。なんだって会長さんは私なんかを誘うのかな。龍也の事はわかるんだけど」
会長の話題に、途端、テンションが急降下した霧子の唇から陰鬱な溜息が漏れる。
霧子が会長さんを苦手とする理由の一つ。それは会長さんが事あるごとに霧子を生徒会に勧誘しようとする事だったりする。既に何度か断りを入れているはずなのだが、会長さんの情熱は冷めることを知らないらしい。
「でも、そんなに疑問でもないだろ? お前、自分がどれだけ女の子に人気あるのか自覚してるだろ?」
「それは後輩限定ですー。今まで会長さんみたいに年上の人から迫られたことなんかないもん」
「後輩に人気があるってところがポイント何じゃないのか? ほら、生徒会の後継者としては」
「……冗談止めてよ」
自分でもあながち冗談だとは思えなかったのか、答える声に覇気がない。まあ、あまりこのネタを引っ張るのは止そうと思い、俺は話題の向きを変えることにした。
「そもそも美術部で合宿って、一体、何をするんだよ」
「そりゃもちろん大自然に挑むのよ」
一転、目を輝かせて霧子は、そう宣った。
「大自然に挑む……って、美術部で?」
「そう! 極限状態で見る神秘をその筆に描きとる―――感動的だと思うでしょ」
「大自然で極限状態に追い込まれてみる神秘というのは、幻覚とかそういう奴じゃないのか……?」
「……」
「何故、目をそらす」
「いや、否定できないかなー、と」
「しろよ」
どんなサバイバル美術部なんだ。
いや、まあ、ある意味ではサバイバルな美術部であることは、身を以て体験したことがあるのだけれど。なにせ中等部の頃に霧子に誘われて美術部を見学した時、「魔法の絵の具」で描かれた食人植物に捕食されそうになったぐらいだ。
……だから、今でも美術部は軽いトラウマなのだ。
「良も行く?」
「部員じゃないけど」
「入部しなさい」
「嫌だ」
だれが、喰われかけた部に好き好んではいるか。授業で絵を描くのは嫌いじゃないけど、デッサンとか真面目に勉強したことはないし。
「もったいないなあ、女の子たちと遊びに行けるチャンスなのに」
「合宿を遊びといいきったな」
「気のせいよ、気のせい」
そんな馬鹿話を、どれくらいしていただろうか。
気付けば、俺も霧子も、どちらともなくその口数を減らしていき、完全に会話がなくなった頃に、目的地にたどり着いてしまっていた。
目的地―――つまりは、魔法院高等部生徒会室に。