第二十四話 保護者達の憂鬱。(その2)
「でも、僕たち魔法使いとは異なる種類の魔法使いが存在するのは確かです。少なくとも僕はそう考えています」
「具体的には?」
「いくつかの条件下で、セリアちゃんは通常の魔法使いの範疇に収まりません。例えば彼女に僕の魔法は通用しない、という点です。特に精神干渉系のものは全く通用しません」
「……お前」
カウルの発言に、俄に蓮香の表情が曇る。精神干渉系の魔法は、基本的に使用が禁止されている。その蓮香の態度に、カウルも失言だったと気付いたのか、慌てて両手を振って弁明を始めた。
「いやいやいや、勿論、催眠実験とかちゃんと許可が下りたものですよ? 何ら違法な魔法実験なんてしてませんてば」
「本当だろうな?」
「モチロンデスヨ。エエ」
「……まあいい」
ひどく自己中心的な考えをする男だが、流石に妹相手に無法は働くような人間でもない。そう判断して、蓮香は話題を元に戻す。
「じゃあ、もう少し詳しく話してくれ。紅坂に魔法が通用しないというのはどういう条件下でだ?」
「特に特殊な条件ではないですよ。セリアちゃん自身に直接干渉する類の魔法、例えば精神に干渉する魔法なら睡眠誘導・関心誘導・興奮喚起・沈静化とかですね。それらはセリアちゃんが対抗する魔法を展開しなくても効果は現しませんし、体を束縛したり傷つけたりする魔法も効果を発揮しないんですよ。彼女が寝ている時でさえね」
「……カウル。妹相手に、精神干渉だけじゃなくて、体を傷つける可能性のある魔法を使って実験してるのか……?」
「え? いや、いやいや。違う、違うんですよ? 違うんですってば!」
押し殺した蓮香の声に、カウルは再び蓮香の逆鱗に触れる発現を零してしまったことに気付いて、慌てて弁解の言葉を口にした。
「セリアちゃんに命令されてですよ?! 好きこのんでやった訳じゃないですってば!
「ほう。そうか」
「そうなんです」
「なるほど」
「分かって貰えましたか?」
「カウル」
「はいはい」
「言い訳なら、もう少し上手くやれ。紅坂に命令されたから、攻勢魔法を使ったなんて」
「ほ、本当なんですって!」
「だったら、どうして断らない。そのぐらいの分別、いくらなんでもあると思っていたんだがな」
「いやいやいや、ですからっ! ですから、逆らえないんですってば!」
加速度的に冷えていく蓮香の声と口調。そして握り締められていく蓮香の拳を目にして、命の危険を感じたカウルは必死で声を張り上げた。
「彼女が望んだことは、ただ彼女が望むだけで叶えられたんです! だから、抵抗なんて出来なかったんですよ! あの頃は!」
「……なんだって?」
聞き間違いか、と思うほどに唐突な発言に、思わず蓮香は振りかざそうとしていた拳を止めた。そんな蓮香の態度に、カウルも「あっ」と間の抜けた声を漏らしてから口元を抑えた。が、彼は直ぐに手を下ろし、開き直ったように満面の笑顔を見せてふんぞり返った。
「ですから、セリアちゃんはただ願うだけで、願いを実現することが出来たりするんですよ。どうです、すごいでしょう」
「……」
やけくそ気味に「えへん」と胸を張るカウルを横目に捉えて、蓮香は溜息をつこうとして―――失敗した。絵空事のようなカウルの話に、笑い飛ばせないいくつかの要素をくみ取って蓮香は腕を組む。彼女が脳裏に思い起こすのは紅坂イリスの論文のこと。そして、そこに記されていた「世界樹に連なる魔法使い」の条件だった。
勿論、カウル自身もその論文の内容は承知しているだろうから、それを元に作り話をでっち上げている可能性は零ではないが、作り話ならもう少し真実みのある嘘をつくのではないか。それにカウルがここで蓮香にそんな嘘を語る意味はない。
「カウル」
「はい」
「殴られたくないからって作り話をしてる訳じゃないだろうな」
「違いますよ。そりゃあ勿論、命は惜しいですけど。せっかくの議論の最中に嘘は言いませんよ」
「そうか」
短く頷いて、蓮香は腕を組み思考を巡らせる。
「お前が紅坂に逆らえないのは、紅坂がお前の精神に直接介入している、ということか?」
「お察しの通り。あ、でも、セリアちゃんが規律に違反している訳じゃないんですよ? なにせ、あれは無自覚でしたから、彼女に悪意なんて無かったんです」
「……無自覚、ね」
「ええ。無自覚なんです。これが」
蓮香が呟いた単語に、カウルは殊更に喜色を浮かべて頷いた。そんな彼の態度から、蓮香は自身の推測が正しいのだと知らされて、深く息を吸った。
紅坂イリスが記した世界樹に連なる魔法使いが持つ条件はいくつかあるが、特徴的なものに、「他者が行使する魔法の『無意識の』遮断」そして「他者に対する強制的かつ『無自覚な』魔法の行使」が上げられている。その二つの条件意味することは、世界樹に連なる魔法使いは『無意識に』『無自覚に』魔法を行使している、ということ。つまり彼らは意識して呪文を使用することなしに魔法を行使することができることになる。紅坂イリスは、それは普通の魔法使いが呪文もしくはそれに類する手段によって世界樹との間にパイプを築かねばならないのに対し、世界樹と同格たる魔法使い達は、パイプを築く必要なく、自らの内にある力を行使することが出来るからだと結論づけていたのだが―――そんな結論を素直に信じる魔法使いはほとんど存在しない。何故なら、イリスが提唱する魔法使いの実在が確認されたことがないからだ。
「信じられませんか?」
「俄には信じられない」
「でも、事実なんです」
「事実というのはあくまで紅坂が無自覚に魔法を行使したことがある、という点だろう?」
「その通りです。僕としてもセリアちゃんが世界樹と同格だ、なんて確証は持っていませんよ」
「だろうね。もしそうなら、紅坂はほとんど神様のような存在ということになる」
「そうですかね? そこまで万能でもないですよ。多分」
「あのな。世界樹と同格というだけで十分、万能だろう」
「いやあ、どうでしょう。僕は世界樹自身が万能たる存在だなんて思ってませんけどねえ」
「相変わらずだな」
葉に衣を着せないカウルに、蓮香が呆れた息を零す。世界樹とは信仰の対象にもなっている。今、この世界が存在しうるのも世界樹の恩恵なのだ、と。そう固く信じている人は多い……というより、大半の人間はそう信じている。故にカウルの発言は不敬極まりないのだが、蓮香が呆れているのはその内容ではなく、その種の発言をわざわざ口に出すというカウルの軽率さについてだった。
「まあ、口が悪いのは今に始まった事じゃないか。質問を続けて構わないか?」
「どうぞどうぞ。この手の話題は、紅坂の中でもあまり歓迎されませんからねえ。セリアちゃんか助手君ぐらいしか話しに乗ってくれなくて寂しいんですよ、僕」
「大変だな。その助手君も」
さぞや上司に振り回されて心労が絶えないことだろう、と出合ったこともない「助手君」に蓮香は軽く同情してから、気持ちを切り替えるように小さく頭を振った。
「まずは紅坂イリスに関する質問が一つ」
「どうぞ」
「彼女は自分自身が世界樹と同格と称したらしいが、他の研究者にそれを実証しなかった。何故だ?」
「ああ、それはですねえ」
困ったようで、それでいて嬉しげな声を上げながら、カウルが頬を掻いた。
「それはまあ、ご先祖様の性格が問題だったらしいんですよ」
「性格が問題?」
「そうなんですよ、これが。なにせ、他人を徹底的に見下してたらしいんです。ですから誰かが自分を検分するなんてもってのほかだとおっしゃってたらしいですよ。『身の程を知れ』が口癖だったとか」
「……なるほど。それはまた、良い性格だね」
「そうですよね。あんまり長生き出来そうにない性格です。まあ、実際、ころりと暗殺されちゃった訳ですし」
「なるほどね」
最後の発言は、ただの噂だと思っていたがどうやら紅坂家の中では事実として扱われているらしい。まあ名門・名家にはその手の血生臭い話の一つや二つや珍しくもないが、カウルが殊更そんな話を持ち出したのは、先の「世界樹は万能ではない」という彼の気持ちの吐露なのかも知れない。
「次に、紅坂が無自覚に無自覚かつ無意識に魔法を行使できるのは事実なのか?」
「ええ。できていたのは事実です。実験資料は勿論、保管してあります。残念ながら、今日はお見せできないですけどね。なにせ厳重管理されている極秘資料ですから」
「資料の内容よりも、カウル。お前が殊更過去形で語ることには意味があるんだな?」
「……ええ」
にやついた笑顔のまま、それでも一瞬だけ、言葉を詰まらせて。カウルはぼさぼさの髪の毛を掻きながら続けた。
「セリアちゃんは賢い娘ですからね。物心付いた頃、あれはいつ頃だったかなあ、初等部に入った頃でしたっけね。ともかく小さなころに自分のそういう能力に気付いた彼女は、自制をかけているんですよ。あれでも」
「自制? 魔法を封じる魔法を自分自身に行使している、ということか」
そう口にしてから蓮香の頭に、疑問が浮かぶ。至極、単純に考えてしまえば、無自覚にせよ意図的にせよ魔法を使う能力を封じたというのなら、今の紅坂セリアは魔法が使えないはず。
「いや、違うか。無自覚に使用できてしまう魔法の原因だけを封じたのか」
「ご明察。ってか、それは僕に言わせてくださいよ」
「お前がもったいぶるからだよ。喋りたいのなら早く言え」
「蓮香さんが分からないことを僕が解説することに意味があるんじゃないですか。いえ、なんでもないです。調子乗ってしみません。喋りますから殴らないでっ」
「……いいから早く言え」
どこまで演技で、どこから本気なのか。学生時代から変わらないカウルの物腰に心底あきれながら、蓮香は軽く握った拳をほどいてから手を振った。それに促される形で、カウルは勢いよく頷きながら紅坂セリアの事情を蓮香に告げる。
「え、えーとですね。セリアちゃんが無自覚に魔法を使える、という事は、つまり彼女は「呪文」もしくはそれに準ずる手段を用いなくても世界の法則を書き換えられる、という事なんです。普通は、呪文なしに世界を書き換える力は得られない。少なくとも現在はそう考えられています」
呪文とは魔法使いが自らの中にもつ魔力を使って世界を書き換えるための手段である。しかし、それと同時に世界樹と魔法使いの間をつなぐための方法として捉えられている。魔法使いは世界樹とのつながりを呪文によって強化するからこそ、魔力を魔法という形に変えることができる。一般的にはそう考えれているし、蓮香やカウルもその点を疑ってはいない。
「だけど、セリアちゃんは呪文を使わなくても魔法が使えてします。無意識に魔法を使っているわけですから、これは当然なんですね。それで、その原因をあれこれと考えた結果……あ、ちなみにさっきのセリアちゃんに攻撃魔法をしかけたっていうのは、このときの試行錯誤の時にセリアちゃんに命令、もとい、頼まれたからであって……」
「言い訳は良いから、結論を言え」
「はいはい。ですからね、セリアちゃんが呪文を使わなくても魔法を使えるのは、もともと世界樹のような存在が彼女自身の中にあるからだと僕とセリアちゃんは結論づけた。とはいえ、そんな存在を多少なりとも知覚できたのはセリアちゃんだけなんですけどね」
「それで紅坂は、その自分自身の中にある存在と、自分とのつながりを封じてしまった、ということか」
「その通り……って、一番、良い台詞を盗らないでくださいよ」
「お前が無駄に口数が多いからだ」
心底、残念そうに眉を曇らせるカウルに取り合わず、蓮香は今の話を頭の中で整理する。紅坂セリアが無自覚に、つまり、呪文のような手段を用いずに魔法を行使できていたのは、事実なのだろう。今、カウルがその点で蓮香に嘘をつく意味があるとも思えない。
とはいえ、やはり突拍子もない話であることには間違いはない。世界樹は唯一無二の存在だ、という事は証明されているわけではなく、世界樹は複数存在する、現在も増殖しているなど数々の学説が提唱されており、それなりの論拠を備えてはいるものも多い。だが、人間自身の中に世界樹と同格の力が宿る、というのは……やはり論理が飛躍しすぎている。当のカウルもその点は同感であり、彼自身も紅坂セリアが世界樹と同格とまでは思っていない、と発言していた。しかし、それでは、紅坂セリアの中に眠っている力とは何なのか。それについて思考を巡らせようとする研究者の心を、蓮香の中の教育者の感情が押しとどめた。そもそも、どうして紅坂セリアは自分の力を封じてしまったのだろうか。そこには理由があるはずだった。
その理由を知りたい。でも、軽々しく聞いて良い事でもない。その迷いに蓮香が僅かに沈黙をまとったのをみて、カウルは相も変わらず軽い口調のまま、それでも少しだけ寂しそうに笑った。
「セリアちゃんは賢い娘ですからね。そして優しい娘なんですよ。あれでも」
「そうか」
具体性に乏しいカウルの言葉に、短く呟いて蓮香は刹那、目を閉じた。
『彼女が望んだことは、ただ彼女が望むだけで叶えられる』。カウルは紅坂セリアの能力をそう表現した。カウルが『逆らえない』とも言った以上は、他者の精神に干渉する能力も群を抜いていたのだろう。何かを欲しいと思えば、譲って貰える。誰かに好きになって欲しいと思えば、好きになってもらえる。そんな力を初等部にあがるぐらいの小さな女の子が自ら望んで封じてしまったという。
カウルが賢く、優しいと称したその少女が、その手段を選ぶまでにどんな経験をしたのか。それに思いを馳せて、蓮香は小さく息を吐いた。
「カウル」
「はいはい」
「紅坂の力は完全に閉ざせているのか?」
「今はほとんど抑えられている、と言いたいんですけどね。まあ、たまーに、影響が出ることはあるみたいです。実際に今でもセリアちゃんが本気で願ったことに逆らえる人っていないですしね」
「そうか」
つまり今でも紅坂セリアは、他者の心に無自覚に干渉してしまっている可能性がある、ということ。その事実を頭に置いて、蓮香は紅坂セリアの性格を思い起こす。確か彼女は親しくなったものに対する独占欲が強い、と聞いた。ひょっとしたら、それは紅坂セリアが抱いている不安の裏返しなのかも知れない。一拍の沈黙の中、そんな考えに思考を浸してから、セリアは深々と息をついた。その蓮香の吐息にかぶせるように、カウルはようやく蓮香が尋ねたかったことの答えを示す。
「でも、そんな彼女に刃向かって、あまつさえその魔法に抵抗できる魔法使いがでてきたんです」
「なるほど。それが……」
「神崎良くん。世界樹に連なる魔法使いかも知れないと私が思っている人物です」
それが紅坂セリアが神崎良に興味を持つ理由。もし良が本当に紅坂セリアと同格の力を秘めた魔法使いなら―――。そこまで考えて蓮香は深く息を吐く。
「随分と良も大きな期待をかけられているみたいだけど、残念ながら、うちの息子には魔法は通用するぞ」
「今現在はそうでしょうね。でも今のセリアちゃんだって同じですよ。それでお聞きしたいんですけどね」
蓮香の疑問に頷きながら、カウルは彼女の瞳を見つめて問いかける。
「過去、彼自身が自分の能力に鍵を掛けてしまうような出来事。ありませんでしたか?」
「……ないよ」
「そうですか」
努めて平静に、それでも一拍の沈黙が挟まれた蓮香の返事に、カウルは何も気付かなかった風に頷いて分かった。
「まあ、突飛も無い話ですからね。できれば蓮香さんも息子さんのこと、観察してみてください」
「そうするよ」
今日の所は話は終り。言外にそう告げて蓮香は席を立った。良の中に本当にそんな特殊な力があるのか。それを見極めるのはまず自分自身でありたいとの想いが蓮香に席を立たせたのかも知れない。カウルの方もこれ以上の話をするつもりはないのか、蓮香を押しとどめることもなく、送り出すためにそそくさと腰を上げた。
そのカウルを「見送りは要らないよ」と制して、最後に彼女は紅坂の魔法使いにではなく、セリアの兄に向かって問いを、投げた。
「なあ、カウル」
「はい」
「良のこと。確証があるのか」
「ありません。ですが、そうあって欲しいと願っています」
それは蓮香の願望がそう聞こえさせたのかも知れない。だけど、彼女の耳に届いたその声は、軽薄ないつもの研究者の声ではなく、祈るような響きの兄の声に聞こえていた。