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第二十三話 気遣う人たち(その2)

/2.佐奈さんの場合(神崎綾)。



「これ以上、霧子さんに後れを取る訳にはいかないの」

 お昼休みの屋上。周囲に人がいないことを確認すると、私は拳を握りつつ佐奈に向かってそう告げる。そんな私の言葉を受けて、佐奈の方も首を縦に振ってくれた。



「確かに、由々しき事態だね」

「そうなのよ」

 佐奈の返事に、私は大きく頷いて同意を示す。由々しき事態、というのは他でもない。兄さんと霧子さんの関係だ。先日、私が兄さんの部屋の様子を盗み聞き……もとい、監視、じゃない、ともかく様子を伺っているときに兄さんが何をしようとしていたのか。そして、あのまま乱入しなかったらどうなっていたのか……考えるだに恐ろしい。

 そんな危機感で胸を一杯にして、今後の事に思案を巡らせる私に、佐奈は落ち着いた声で呼びかけた。



「でも、綾。ちゃんとわかってる?」

「勿論。だから、霧子さんに負けないように……」

「それはそうだけど、それだけじゃないよ」

「え?」

「だから、桐島先輩のことだけじゃないの」

「どういうこと?」

 いつも通りの淡々とした口調。だけど、その視線に真摯な光が灯っているように思えて、私は心持ち姿勢を正す。そんな私の態度を確認するように一度小さく頷いてから、佐奈はゆっくりと言葉を紡いだ。



「あのね、会長さんと良先輩の空気も少し変」

「変?」

「うん。ここ二日ぐらいなんだけど……会長さんの良先輩に向ける視線が少しだけ違う気がする」

「そ、そうなの?」

 戸惑う私に、佐奈は「気付いてなかったんだね」と呟くように零してから、諭すように少しだけ声を強くする。



「綾。桐島先輩ばっかりで、会長さんのことまで気が回らなかったんでしょう」

「……う、うん。そうかも」

 指摘されて私は素直に首を縦に振った。確かにここ数日は兄さんと霧子さんの方ばかりが気がかりで、会長さんの様子に気を配れていなかったかもしれない。……というか、間違いなく気を配ってなんか居なかった。いや、だって仕方ないと思う。あんな光景に出くわしたら、兄さんと霧子さんから目を離すわけにはいかないから。そんな私の内心の言い訳を見透かしたのか、佐奈は再度、諭すような口調で言った。



「気持ちはわかるけど、会長さんにも油断しちゃ駄目なんだよ?」

「うん……そうだね。ありがと。気をつけるね」

「うん」

「でも、佐奈。会長さんの様子が少し違うってどんな風に違うの?」

「なんとなく酸っぱい感じ」

「酸っぱい?」

 耳慣れない形容に私が首を傾げると、佐奈は真顔のままで恐ろしいことを言い出した。



「どことなく、らぶの香りがします」

「ら、らぶ?!」

 佐奈の口から出た言葉が一瞬信じられずに、私は思わずオウム返しにその言葉を繰り返す。



「ら、ラブって、あれ? 愛ってこと? 好きだって事? カグラザメ目ラブカ科の海水魚のこととかじゃなくて?!」

「綾って予想外の方向から知識を引っ張ってくるよね……」

 狼狽する私に、何故かひどく感動したような表情を一瞬浮かべてから、佐奈はそれを打ち消すように小さく首を左右に振ってから続けた。



「残念ながら深海魚のことじゃないの。普通に「好き」の方、だよ。なんとなく会長さんが良先輩を見る目がそんな感じ。綾みたいにねっとりとしてないから分かりづらいけど」

「わ、私はねっとりなんかしてないよ?!」

「してます。綾の愛は重いから」

「さーなーっ!」

「冗談だよ?」

「わかってるけど! 爆弾発言の後に冗談を混ぜたりするのは、止めてよぅ」

「そっか。ごめんね」

 泣きそうな私の声に、あまり悪びれていない様子で小さく謝ってから、佐奈は「でも」と呟いてから表情を改める。



「会長さんが良先輩を好きになった、って考えるのは気が早すぎるかもしれないけど……でも、少なくとも昨日今日の会長さんの良先輩を見る目は、今までと、やっぱりどこか違ったよ? 優しいような、ちょっと熱いような、そんな感じが少しだけしたから」

「うそ……」

 それは佐奈の勘違い。そう言って捨てられれば、どれだけいいだろうか。でも、佐奈の観察眼はかなり鋭い。誰にも言っていなかった私の兄さんへの思いを見抜いたのは佐奈だけだったから。そんな佐奈のいうことだから、わたしは「そんなはずはない」と否定することが出来ないで、ただ困惑に弱々しい言葉を零してしまう。



「どうして……?」

 ここ最近、会長さんが兄さんに興味を持っていたのは分かっていた。篠宮先輩からそれらしいことを聞いていたし、実際に家にまで押しかけてきて魔法を教える、なんて言い出したのを目の当たりにしていたから。でも、会長さんが兄さんに向けているのはあくまで「好奇」であって、「好意」ではなかったはずなのに。そして、好奇と好意の間には大きな隔たりがあるはずなのに。

 それなのに、佐奈は会長さんが兄さんに向ける感情に変化を感じ取ってしまった。それは、つまり会長さんが兄さんに対する「興味」を強くした、ということだから……、一体、何があったんだろう?



「会長さんが兄さんに魔法を教えたときに何かあったのかな」

「うん。可能性としては、それが一番高いかも」

「まさか会長さんの手ほどきで兄さんの魔法の才能が物凄く向上した、とか……?」

「どうかな? もしそうだったら、綾なら気付くんじゃない?」

「そっか、そうだよね」

 確かに、もしそうなら見逃してはいない。毎朝毎晩、兄さんのことはじっと見てるし、なによりもほぼ毎日、魔力交換もしてる。魔法の才能がいきなり上がったようなことがあれば、互いの魔力を交換する時に直ぐに気付くはず。そして少なくとも、私には兄さんの魔力にそんな変化は見つけられなかった。

 私がそのことを告げると、佐奈も不思議そうに少しだけ眉をしかめて、こくり、と小首を傾げる。



「だったら何があったのかな?……」

「うーん。わからない」

 わからないけど、きっと何かあったのだろう。



「うう、兄さんめ……会長さんに一体何をしたのよっ!」

 家に帰って問いつめようと固く決意しながら、私は佐奈に視線を戻す。



「あ、そうだ。じゃあ、兄さんの方は? やっぱり会長さんを意識してるの?」

「良先輩の方も……いつもとは違う雰囲気だったけど……、ううん、でも、そこまでじゃないって思う。少なくとも好きって感じはしなかった、かな」

「そう」

 佐奈の言葉にほっと安堵するのも束の間、彼女は淡々とした口調でさらなる警句を口にする。



「それに良先輩の意識は今、桐島先輩の方に向いちゃってるから」

「……そっか。そうよね」

 佐奈の意見に、安堵とも落胆ともつかない息を零して私は頷いた。確かに、兄さんは同時に複数の女の人に「そういう意識」を向けられるような器用な人じゃない。だから、霧子さんの事が気になって仕方ないっていうのなら、会長さんにまで同時に「そういう意識」を向けることはあんまり無いと思う。

 でも……それでも、安心する訳にはいかないだろう。会長さんが兄さんのことを気にし始めている、というのは問題だし、やがてそんな会長さんの態度に兄さんが気付いてしまう可能性は零じゃないのだ。それを自覚して、私は事態の深刻さに深々とした溜息を繰り返す。



「もう……霧子さんの事だけでも大変なのに。これからは会長さんに対しても油断しちゃいけないんだね」

「うん、そうだね。まだ好奇心みたいなものだって思うけど……、会長さんが本気になったら大変だから」

「そう、だよね」

 会長さんは、女の私から見ても、嫌になるぐらいにくらいに綺麗な人だ。とても強引で我が儘なところがある人だけど、同時に何故か人を惹きつけるものがあったりする。兄さんとは過去の諍いから相性が良くなさそうだって分かってるけど、最近は、二人とも互いの関係を改善しようとしているし。こう考えてみると会長さんの危険指数はかなり高いと考えるべきだろう。



「やっぱり、もう、ぐずぐずしてられないね」

「うん。とにかく良先輩の意識を綾に振り向かせないと駄目だと思う」

「そうだよね。うん」

 それはわかってる。けど、でも、どうやって? 

 その問いかけに、しかし、私の心は明確な答えを返せない。スキンシップを図ってみたり、距離を置こうと生徒会入りしてみたり、色々してみたけれど反応はどれも芳しくなかった。唯一、兄さんが私を意識してくれるようになった事と言えば……



「やっぱり……もう一回、しないと駄目かな」

 そう口にした途端、私はあの時のことを思い起こして、少し頬が熱くなるのを自覚した。

 あの時のこと……とは言わずと知れた「キス」のこと。そう、遊園地での出来事の後、兄さんは確かに私のことをちゃんと意識してくれていた。あれからしばらくは、ただ抱きつくだけでもいつもと違う反応を返してくれたし、その効果は絶大だったと言って良いんじゃないだろうか。

 そう。きっと、キスは効果があるのだ。うん。だったら……躊躇う必要なんか無いんじゃないだろうか。そりゃ、私だって恥ずかしいけど、その、嫌じゃないし。というか寧ろ、私だってしたいわけで。あの時みたいに、兄さんに近づいて、そっと……



「綾。妄想は授業まで我慢してね」

「……妄想って言わないでよぅ。切なくなるから」

 冷静な佐奈の声で、思考の底から引き戻された私は現実を直視して溜息をつきそうになりながら、それでも思いついた考えを佐奈に向かって告げる。



「だからね。今のを妄想じゃなくするように頑張れば良いと思うんだけど、どうかな?」

「積極的になるのは良いことだけど……一つ聞いても良い?」

「うん。何?」

「良先輩とキスしたのって一度だけ?」

「……うん。ここ最近では」

 問いかけに答える声は、我ながら少し小さかった。そりゃ、小さいときには何度かしてたけど、それは親愛の証であって異性を意識したものじゃない。そう答えると、佐奈は少し目を細めて考えを纏めるような素振りを見せてから言葉を続ける。



「でも、抱きついたりは、いっぱいしてるんだよね?」

「うん。隙あらば」

 自慢じゃないけれど、スキンシップに関しては積極的に頑張っているという自負はある。かなりきわどい事もやってきている自覚はあったりするのだ。その、お風呂上がりに抱きついたりとか、胸を押しつけてみたりとか。



「……いいなあ」

「あの、佐奈? 相談の最中に、意識を飛ばさないでね?」

「あ、うん。ごめんね」

 一瞬、惚けるような(といっても他の人には硬直しているようにしか見えなかっただろうけれど)表情を見せて固まっていた佐奈は、私の声に眼が覚めたような反応を返しつつ言葉を続けた。



「えーとね。キスじゃなくて、抱きついたりしても先輩はどきどきしてくれる?」

「……してくれてない」

「でも、霧子さんや会長さんが同じ事をしたら……どうなると思う?」

「う」

 佐奈の言葉に、その光景を想像して、私は思わず眉をしかめた。霧子さんや会長さんに、もし、あんなことされたら……多分、どきどきするんだろうなあ、兄さん。陰鬱になるその想像に、私が堪えきれない溜息を零すと、佐奈はゆっくりとした口調で確認するように言った。



「それって、どうしてだと思う?」

「どうして……って」

 それは勿論、兄さんが私のことを「妹」としか見てくれてないから。そう答えかけた私の言葉を遮るように、佐奈が先に言葉を続けた。



「じゃあ、もう一つ質問」

「うん」

「もし私が良先輩に綾と同じ事をしたら、どうなるかな?」

「それは……うーん」

 どうなるんだろう。

 そりゃ、勿論、佐奈がいきなり「あんな事」とか「そんな事」とかしたら、兄さんだって慌てるだろう。きっと「さ、佐奈ちゃん?!」なんて言いなが狼狽すると思う。思うんだけど……でも、それはあまり持続しないんじゃないだろうか。どきどきはするんだろうけれど……直ぐに和んでしまうんじゃないか。そんな風に考える私に、佐奈はほんの少し唇を尖らせて拗ねるような声で呟いた。



「……どうせ、私じゃ良先輩をどきどきさせられないです。綾みたいにおっぱい大きくないから」

「ち、違うよ? そういう事じゃないの。えーと、佐奈の所為じゃなくて、ええと、兄さんと佐奈だとなんだかほのぼのとした構図しか思いつかなくて」

「おっぱい、小さいから?」

「そこからは離れなさい」

 珍しく絡みモードに入り始めた佐奈を宥めて、私は急いで考えを口にした。



「佐奈がそういう事しても、兄さんは慌てると思うけど……最終的には私の時と同じような反応に落ち着くような気がするの」

 結局は微笑みながら頭を撫でてくれたり、そんな感じ。まあ、私に対しては問答無用で振り払う場合もあったりするので、それに比べると佐奈の方が扱いが良いのかもしれない。……考えてて、ちょっと泣きそうになってきたけど。



「うん。誠に遺憾ながら私も、綾のその想像は外れていないような気がするの。だから、一つの仮説が浮かびます」

「仮説?」

「綾。今からとても大事なことを言うからよく聞いてね」

 いつもの淡々とした口調に、佐奈は僅かの重さを混ぜながら言った。



「良先輩の守備範囲は思ってたよりも狭いかもしれない」

「しゅ、守備範囲……?」

「うん。ひょっとしたら、先輩って「年下」に興味がないんじゃないのかな?」

「ええ?!」

 いきなりの発言に、驚きの声が口をつく。が、対する佐奈は真剣な表情を崩していない。ということは冗談じゃなくて、彼女は本気で言っていると訳なんだけれど……



「な、なんでそうなるの?」

「私や綾じゃ、良先輩の気を引けないから」

「でも、それは私や佐奈が兄さんに近すぎるから、じゃないの?」

「だったら、霧子さん相手にどきどきするのは変」

「でも、霧子さん相手にどきどきするって決まった訳じゃ……」

「無いって思う?」

「……思わないけど」

 誠に遺憾ながら。私相手みたいに和んだりせず、ずっと慌てたまんまに違いない。うう、兄さんめ。兄さんめっ。



「あ、でも、遊園地の後は、ずっと私のこと、意識してくれてたよ?」

「それは良先輩がそういうことに慣れてないからじゃないかな」

「う」

 冷静な指摘に、思わず声に詰まる。確かに、そういう一面が全くないとは……言えないかも知れない。



「それって、つまり、あんまり頻繁に兄さんにキスしちゃうと、それすら兄さんは慣れてしまって、反応が薄くなるっていうこと?」

「うん。そういう可能性はあると思う」

「な、なんてことなの……っ」

 佐奈の仮説に、戦慄を禁じ得ない私だった。キスの後、しばらくはちゃんと兄さんは意識してくれていたのに、それすら無くなるかもしれないなんて……っ!



「ともかく、これは由々しき問題なの。今まで、良先輩が綾に振り向いてくれないのは「家族だから」だと思ってたけど、もし「年下」という時点で先輩の恋愛対象から外れるのだとしたら、綾は本気で先輩の好みから外れることになるの」

「……そんな」

 死刑宣告にも似た佐奈の言葉に、私は声が震えるのを抑えられなかった。



「ど、どうしよう?!」

「うん。綾はともかく、私としても、これはなんとかしないと……」

「私はともかく?!」

「冗談だよ?」

「わかってるけどっ」

 それはわかってるけど、くれぐれも、こういうときに冗談は止めて欲しい。



「やっぱり、ちゃんと確かめないと駄目かな」

「本当に年下に興味がないのかどうか?」

「うん」

「でも、確かめるってどうやって?」

「……」

「……佐奈?」

「内緒」

「……うーん」

 見た目はおとなしい佐奈だけど、その実、いざとなれば大胆な行動に及ぶことがあることを知っている。だから私としては、軽々しく頷くことは出来ないのだった。だけど、当の佐奈は「大丈夫」と繰り返して、そっと私の頭を撫でつけてくれた。まるで子供をあやすように。



「大丈夫。私、綾が大好きだから。ね? だから、少しで良いから、信じて?」

 そう言って微笑んでくれる親友に、私は否定の言葉を返すことなんか出来なかったのだった。




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