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第二十三話 気遣う人たち(その1)

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魔法使いたちの憂鬱


第二十三話 気遣う人たち

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/1.龍也さんの場合(神崎良)



「それで会長さんを押し倒しちゃったの?!」

「あ、バカ、声が大きい!」

 大きな声を出しかけた龍也を制して、俺は急いでドアの方へと意識を向けた。一秒、二秒と時間が立っても、ドアが勢いよく開いたり、けたたましい足音が迫ってくる気配もない。どうやら「押し倒した」なんていう危険きわまりない台詞は、綾やレンさんの部屋にまでは届かなかったらしい。その事を確認してから俺は小さく安堵の息をつく。



「……ふう。大丈夫だったか」

「ご、ご免。つい、びっくりしちゃって」

「いや、いいよ。その気持ちは分かるから」

 声を潜めて謝る龍也に俺はそう言って首を横に振った。俺だって龍也の口から「会長さんを押し倒した」なんて台詞を聞いたら、思わず大声を出してしまうだろうから。

 そう告げる俺に小さく頷くと、龍也は声の調子を抑えたまま、どこか感慨ぶかげに口を開く。



「でも……良って本当、行動が大胆になるよね。時々」

 会長さんから魔法の講義を受けた翌日(つまり会長さんを押し倒してしまった翌日)。魔法を教える当番として俺の家に来てくれた龍也は、俺が話した昨日の出来事への感想としてそう言った。

 

「大胆かな」

「大胆だと思うよ」

 呆れているのか、それとも感心しているのか。龍也は複雑そうな面持ちで俺を見つめると、軽くため息をつく。



「あのね、良。普通は会長さんに挑発されても、本当に襲いかかろうなんて気は起こさないよ」

「そ、そうかな」

「そうだよ」

「いや、でもさ。あそこまであからさまに挑発されたら、ちょっとぐらいは挑発に乗ろうって気にならないか? 普通」

「だから普通はならないの。少なくとも僕は会長さん相手にそんなことする度胸はないよ。去年のこと、忘れてないよね?」

「う」

 龍也の指摘に、俺は反論の言葉に詰まる。確かに去年、龍也は会長さんに対して反抗しなかった。確かにそれは事実なわけだけど、でも……なあ。



「いや、でもなあ」

「『でもなあ』じゃないの。そもそも、そういう挑発に乗るのは色んな意味で駄目だよ」

 今ひとつ納得しがたい、と態度で告げる俺に、龍也は諫めるように少しだけ声の調子を強めた。



「色んな意味で、って。どういうことだよ」

「一つは、怪我するかも知れないって事。いくら会長さんだって威力の加減に失敗することぐらいはあるんだから。わざと護身用の魔法を受けてみよう、なんて考えちゃ駄目だよ。もし怪我でもして病院に運ばれたらなんて事情を説明するの? 襲いかかって撃退されました、なんて言える?」

「た、確かに」

 確かに万が一怪我でもした場合、そんな理由は言いづらい。そもそもそんな事態になったら、俺だけじゃなくて会長さんにも迷惑がかかる。



「もう一つは、ある意味、もっと深刻な問題だよ」

「もっと深刻?!」

「そう」

 龍也は抑えた声で頷きながら、確認するように俺の目を覗きながら、言った。



「良。ちょっとでもその気にならなかった?」

「その気……って、え、それって」

「うん。会長さんを押し倒したりして、ドキってしたりしなかった?」

「う」

「ぜーったいに間違いなんて起こりえなかったって誓える?」

「ううっ」

 会長さんに対して恋愛感情を抱いているかと聞かれれば、そんな事はないと答えられる。あの時だって断じて会長さんを「そういう目的」で襲おうと思った訳じゃない。でも、確かに会長さんは美人で、その顔を間近に顔を見つめて、緊張しなかったと言えば嘘になる。本当に「絶対に」龍也の言うような間違いが怒らなかったという保証は……無いのかもしれない。



「そういうこと。わかった?」

「……わかった」

 龍也の指摘に自分の行動の迂闊さと軽率さを自覚して、俺は素直に龍也に頭を垂れた。



「反省してる?」

「してます」

「本当に?」

「以後、軽挙妄動は厳に慎みたいと思う所存です」

「よろしい」

 俺の返事に、ようやく龍也は表情を緩めてくれた。確かに龍也の言うとおり、何がきっかけで間違いが起こるかなんて分からない。実際に、「押し倒せるはずがない」と思っていた会長さんを、何の間違いか「押し倒せてしまった」訳だし。今後はもう少し考えて行動しよう。そう反省しつつ頷く俺に、龍也も安堵したように微笑んで言葉を続けた。



「でも、それで納得したよ。会長さんの様子がおかしかったのは、その所為なんだね」

「へ?」

「だから、今朝の会長さんの様子、いつもと違ったでしょ?」

「いつもと違ったって……そんなに変だったのか?」

 今朝の光景を思い出しながら、俺は首を傾げた。少なくとも俺の目から見て、会長さんはいつも通りに見えた。そう答える俺に龍也は小さく苦笑して肩をすくめる。



「気付いてなかったの? まあ、そういうのは良にはわからないかな」

「俺は、鈍くて人の心が分からない男だよ。どうせ」

 軽くからかう口調の龍也に、俺は肩をすくめて応じた。まあ、自分が鋭いとは思っていないし、そもそも龍也がそういう事に鋭すぎるだけだろうから、実際はあまり気にしていないけど。



「それよりも話を戻すけどさ。会長さんを押し倒せたのは何でだと思う?」

「うーん」

 それこそが、今日の本題だった。昨日の事態は一体何が原因で引き起こされたのか。その問い掛けに龍也は腕を組み、考え込みながら中空に視線を投げた。



「素直に考えると……会長さんが魔法を失敗したんじゃないのかなあ」

「失敗って、あの会長さんが、か?」

「誰にだってミスはあるよ。猿も木から落ちるって言うでしょ?」

「お前や会長さんはミスしないっていうイメージがあるんだけど」

「それは買いかぶりすぎだよ」

 首を横に振りながら、龍也は小さく苦笑した。確かに龍也も会長さんも人間だから、失敗することぐらいはあるだろう。でも、俄には納得できなくて、俺はなおも言葉を重ねた。



「でも、会長さんが使おうとしたのは単純な束縛の魔法だぞ? 本当にあの人が失敗すると思うか?」

「それは……確かに変かも知れない。あ、でも、単文節詠唱だったんでしょ?」

「ああ、うん。多分」

 あの時、会長さんが口にした呪文は、一つの文節だけだった。そして、それだけで確かに魔法は発動しようとしていたので、単文節の魔法と思って間違いはないと思う。そう答えると、龍也は納得したように頷いた。



「なら、失敗してもおかしくないんじゃないかな。内容が単純でも、方法が難しいなら失敗しても不思議はないでしょ?」

「魔法の文節を省略したから失敗したって事か」

「うーん。それは……そう思うんだけど」

 単文節の詠唱は魔法院の高等部でも習わない上級技術だ。だから、会長さんといえども失敗してもおかしくはない。そういう龍也の説明は別段、間違ってはいないと思う。寧ろ、そう考えることの方が自然だろう。でも、俺は素直にその考えに納得できなかった。



「納得、できてないみたいだね」

「いや、なんというか、そうだな。あの時の会長さんは「しくじった」みたいな態度じゃなかった気がするんだ。なんとなく」

 記憶の中によみがえる、あの時の会長さんの顔。あの時、彼女の顔に浮かんでいた驚きは、自身の魔法が失敗した事に対する驚きだったんだろうか。そして、最近、会長さんから聞かされていた「俺に特別な力がある」という話。アレは今回のことに本当に関係していないのだろうか。その想いが俺に素直に首を縦に振らせてくれなかった。



「なるほど。良の直感は魔法の失敗は会長さん自身が原因じゃないって、そう告げているってことだね」

「当てにならない直感だけどな。多分、龍也の考えであってると思うんだけど」

「そうとも限らないよ」

 呟くようにそう答えると、龍也はしばし思考に沈むようにして腕を組んだ。でも、それは長くは続かず、直ぐに龍也は腕をほどいて、俺に向かって口を開く。



「ねえ、良。それって例の会長さんが言っていた話が関係してると思う? 良に隠された力があるって話」

「……正直、わからない」

 最初は、そんなことはあり得ないって笑い飛ばしていた話。でも、あの時起きた出来事が、その話にほんの少しの信憑性……というより、期待感を与えてしまった気がする。「ひょっとしたら」なんていう縋るような淡い期待。



「そっか。だったら、再現してみない?」

「再現?」

「うん。実際に、どういう体勢だったのか、どれぐらい詠唱のための時間があったのかがわかると、もう少し考えが纏まると思うんだ」

「なるほど」

 確かにそうかもしれない。龍也なら会長さんに匹敵する実力を持つわけで、具体的にあの時の状況が分かれば原因は分かるのかもしれない。龍也なら怪我をするような魔法を使うことは無いだろうし、もう一つの方の「間違い」が起こる可能性もないわけだし。だから、俺は龍也の提案に頷いて、腰を浮かせた。



「よし。じゃあ、そっちに座ってくれ」

「ここ?」

「そう、その辺。で、おれはこの辺り」

 昨晩の事を思い起こしながら、俺は龍也にベッドを指さして、俺は机の方に向かった。龍也の方は俺の指し示した辺りに素直に腰を下ろしてから、確認するように俺を見た。



「ここで良いのかな。姿勢はこんな感じ?」

「そうそう。位置関係はこんな感じだったよ」

 昨日の状況を脳裏に思い浮かべながら、俺は龍也に頷く。うん、こんな風に向かい合っていたし、こうやって相手の出方を探るようにじっと見つめ合っていた……って。おい。



「龍也?」

「え? なに?」

「いや、何故に赤くなる」

「あ、赤くなんてなんか無いよ?!」

 俺の指摘に、大慌てで龍也は首を横に振って、俺の目をのぞき込んでいた視線を外した。

 ……いや、なんというか、龍也。そういう反応は止めた方が良いのじゃないだろうか。俺にそちらの気があったら、それこそ「間違い」が置きかねないような態度だから。と、閑話休題。



「えーと、じゃあ、今からお前を押し倒すから」

「よ、よろしく」

「一応、言っておくけど、わかってるよな? お前はそうならないように抵抗するんだぞ?」

「あ、そうか。そうだよね、あはは……」

「……」

「じょ、冗談だよ?! 冗談に決まってるじゃないか。やだな。勿論わかってるってば」

 あはは、と誤魔化すように笑う龍也に、一瞬、あらぬ疑惑が胸に浮かびかけたけれど、それを小さく頭を振って追い出す。

 これは俺の疑問に答えを出すように、龍也がやってくれていること。なのに、そんな疑惑を抱くのは、友人相手とはいえ失礼だ。そう自戒して、俺は小さく咳を合図に気持ちを切り替える。そんな気持ちが伝わったのだろう。龍也の方も、俄に表情を引き締めて頷いた。



「じゃあ、行くぞ」

「うん。いいよ」

 その頷きと同時、俺は行動を起こす。やることは至極単純。身を起こして、床を蹴り、まっすぐに龍也に向かって押し倒すように両手を伸ばすだけ。昨晩をなぞる俺の行動に、龍也の行動も、自然と昨晩の会長さんの行動と重なっていた。慌てることなく迫っていく俺の姿をその目で捉え、その唇から短い魔法の言葉を紡いでいく。



「その身に束縛を」

 知ってか、知らずか。その呪文の言葉は、昨晩、会長さんが口にしたのと恐らく同じ呪文。ただ昨日は、その呪文が魔法として形を成すことがなかったのに……今日はそれが違っていた。放たれたごく短い言葉と同時、しびれるような感覚が俺の体を突き抜けたかと思うと、次の瞬間にはその魔法は形を成していた。



「うわっ?!」

 耳に届いた「しゅるり」という衣擦れの音。それと共に、ベッドのシーツが長く伸び、瞬く間にぐるぐると俺の体に巻き付いていた。



「く、このっ!」

 まるで蛇のように体に絡みつく白いシーツの縄。それを振り解こうと両手を振りかざしたものの、そんな抵抗は焼け石に水だった。白い蛇は俺の抵抗をモノともせずに、俺の両手両足を縛り上げ、結果、俺の体は目標としていた龍也の体に届くことはなく、その傍らに倒れ伏す。



「うう、分かっていたとはいえ、全く手も足も出ないとは……」

「よし。こんな所かな」

 小さく呻く俺に対して、龍也は魔法が成功したことに少しだけ満足げに呟いた。そして身動きが取れずにベッドに倒れ伏した俺を見下ろして微笑んだ。



「うん、結構ギリギリだったよね。この状況だったら、少しでも動揺があったら、失敗してもおかしくはない、かな」

「そうなのか?」

「会長さんなら失敗する方が少ないだろうけど……うん。やっぱり、距離が短いよ。焦っちゃうのも仕方ないんじゃないかな」

 見上げる俺に頷きながら、龍也はそう答えた。



「ちなみに良、手を抜いたりしなかった?」

「してないよ」

「女の子相手じゃないと本気になれないとかはないよね?」

「お前な」

「そうだね、ごめん。こういう時、良はそんなことしないよね。じゃあ……やっぱり会長さんが気にしている「良の特別な力」とかもやっぱり働いている訳じゃなさそうだね」

「そっか」

「うん」

 どうやら、龍也の見解では、やっぱり原因は俺の方にあるわけでなくて、会長さんの魔法の失敗にあるようだった。



「納得した?」

「うん、ありがとな」

「……残念、だった?」

「いや、そうでもない、かな?」

 全く残念じゃないって言えば嘘かも知れないけれど、それほどショックを受けている訳じゃなかった。最近、会長さんに「特別な力がある」ということを仄めかされていたから、期待していた部分があったけれど、そうそう甘い話はないって事ぐらいはわかってるつもりだから。

 やっぱりアレは会長さんの単純な失敗。なら、俺はやっぱり地道に頑張っていくしかない。そう納得して、俺は龍也に向かって頭を下げてから、シーツで縛られたままの体を揺すった。



「じゃあ、昨日の原因が分かったところで、これ、ほどいてくれるか?」

「うん。それは駄目」

「……へ? 駄目?」

 当然のように「うん」という返事を龍也に期待していた俺は、一瞬何を言われたのか理解できず、間の抜けた声を口から零す。そんな俺を尻目に、龍也は俺の肩に両手をかけると、「よいしょ」と強く力を込めた。



「ちょっとごめんね、良」

「おい? ちょっと待て、こら、うお?!」

 抵抗する言葉も空しく、俺の体は龍也に押されるまま、ごろん、と半回転し、その結果、俺は仰向けになって天を仰ぐ。視界にうつる天井の光景。でもその光景は、直ぐに龍也によって遮られてしまった。戸惑うまもなく、体にのしかかるのは龍也の重み。要するに龍也は、俺を仰向きにして、その上に馬乗りになった、という事……なんだけど。



「りゅ、龍也? お前、一体―――」

「今までのところで、会長さんと何があったのは分かったんだけどね」

 いきなりの成り行きに戸惑う俺を尻目に、龍也は落ち着いた様子で俺の肩に両手を置く。そして、ゆっくりと穏やかに、でも、はっきりとした口調で、その問いを口にした。



「じゃあ、霧子とは?」

「え?」

「だから、霧子とは、何があったの? 良」

「……っ」

 予想もしていなかった問いかけに、俺は組み敷かれたまま絶句した。その俺とは対照的に、龍也の表情は笑顔のまま。だけど、天井からの明かりに逆光になって、いつも優しげに笑っているその目が、今も笑ってくれているのかは、よく分からない。



「何か、あったんだよね?」

 問い掛けの形だったけれど、その口ぶりはきっともう「何かあった」ことを確信している。だから、俺は問いを重ねる龍也に、逆に質問を投げ返していた。



「どうして、そう思う?」

「霧子がね、浮かれてるから。今の霧子、もの凄く機嫌が良いからだよ」

「その言い方は、あいつが年中機嫌が悪いように聞こえるぞ?」

「良。はぐらかさないで欲しいんだ」

「……わかった」

 穏やかな笑顔の奥、妙な迫力を感じて俺は頷きながら唾を飲む。というか、やっぱり目が笑ってないんじゃないだろうか。こいつ。



「それで何があったの?」

「何があったというか、何もなかったというか」

「なんだか、煮え切らないね」

「いや、そう言われても。なんというか、未遂だからな」

「未遂?」

 その言葉の意味を反芻するように一拍の間を挟んでから、龍也が驚いたように目を開いた。



「ま、まさか霧子まで押し倒そうとしたの?! もしくは押し倒したの?!」

「してない! だから、そういう危険きわまりない発言を大声でいうなって!」

 人聞きの悪い龍也の台詞を、俺は大慌てでかき消した。そんな危険きわまりない台詞が、龍也の口からレンさんや綾の耳に届いたらどんな事態になるのか、想像するだに恐ろしい。その思いに思わず声を荒げた俺に、龍也は素直に謝ってくれた。



「ご、ごめんっ。じゃあ、こっそり聞くけど……良は、霧子に何をしようとしたの?」

「う」

 耳に落ちる龍也の声は、囁くような響きで耳に優しい。けれど、その問いかけの内容は、少し厳しかった。その内容が「何があった」から「何をした」に変わっているし、肩に置かれた手に少し力が籠っているから。だからきっと、ここではぐらかそうとしても龍也はそれを許してはくれないだろう。

 でも……果たして、龍也に言うべきだろうか。その迷いが胸を巡る。龍也と霧子の付き合いは、俺より長い。だから、龍也が霧子のことを好きかも知れないって言う疑問は常に抱いていて。だから、今までずっと、霧子に思いを伝えることに怯えてしまっていたのに。



「良? ……教えてくれないの?」

「……いや、言うよ」

 促す声に覚悟を決めて、俺は短く答えて頷きを返した。例え龍也が霧子のことを好きだったとしても、いや、龍也が霧子を好きだったらなおのこと……これは言わないといけないことだから。隠して、逃げても仕方ないことだし、逃げてはいけないことだろう。



「実はさ」

「うん」

「告白しようとしたんだ」

「……」

 短く告げた言葉。その内容に、僅かに龍也が息をのむのが分かった。



「それ……良が、霧子に?」

「そうだよ」

「……そっか」

 呟くような声に、感情は見えない。落とされる視線は逆光の影の中、僅かに揺らいだ気がしたけれど、その理由も、まだ俺には分からなかった。

 だから、俺はゆっくりと俺はあの時のことを龍也に話した。尤も、実際は告白にまで至って居ないわけで、話す内容なんてあまりないけれど。でも、伝えようと決めたあの時の気持ちは、龍也に話しておかないといけないと思ったから。だから、思い出せる限りの状況を、言葉に代えて龍也に伝えた。

 霧子との会話。好き、って偶然に零れた言葉とそれに対する俺たちの反応。俺がしようとしたこと。そして、まあ、最後には綾が乱入してきて未遂に終わったこと。それらを聞き終わると、黙って聞いてくれていた龍也は、一度、深く息をついてから、そして頷いた。



「なるほど。そういうことだったんだ」

「まあ、そういうこと」

「それで納得できたよ。うん、良の方から告白しようとしてたんなら、そりゃ霧子の機嫌は良くなるよね」

 その声は、なんだかとても優しくて、両肩にかかる手の力はいつの間にか緩んでいる。少なくとも、俺が霧子に告白しようとしたことに、怒っているようには思えないし、もう動揺しているようにも見えなかった。



「……なあ、龍也」

「何?」

「いや、あんまり驚かないんだな?」

「そりゃあね」

 訝しむ俺に、龍也は少し困ったような笑みを浮かべて頬を掻く。



「良が霧子を好きなのはわかってたから」

「え?! そ、そうなのかっ?!」

「割と見え見えだったよ?」

「……マジで?」

「マジです」

「そんなバカな」

 さらりと告げる龍也に、俺は絶句するしかなかった。龍也と、霧子との関係を壊さないように、霧子への感情は隠していたつもりだったのに。まさか……まさか、そんなにわかりやすい態度だったのか? 俺って。そんな思いに慄然とする傍ら、より重大な事に気付いて俺は、思わず声を引きつらせた。



「え? じゃあ、何か? 霧子にも、その、俺の気持ちって見え見えだったってことか?」

「うーん。それはどうかな。薄々は感じてたかもしれないけど、確信は持って無かったんじゃないかな」

「そ、そうか」

「うん。その点では良と同じだって思う」

「同じ?」

「そう。良だって、霧子が自分のこと好きでいてくれているかもしれないって思うことはあったでしょ?」

「……なんでお前はそこまで分かるんだよ」

「それは勿論、ずっと二人のことを見てたから。かな」

「そっか」

「うん。そうだよ」

 そう言って笑う龍也の口調は、さっきから穏やかなまま変わらない。俺が霧子のことを好きで告白しようとしたと聞いても。そして、俺たちのことをずっと見てきたと言ったときも。優しく微笑むようなその口調と表情は、あまりにいつも通りに龍也のままで。だから却って、龍也が霧子のことをどう思っているのか、その気持ちは俺にはよく見えないままだった。



「なあ、龍也」

「なに?」

「お前は……霧子のことどう思ってるんだ?」

「勿論、好きだよ」

「えっ?!」

 覚悟して投げた問いにあっさりと頷かれて、また俺は言葉に詰まる。そんな俺の反応に、龍也は小さく微笑んでから言葉を繋げた。



「うん、好きだよ。あくまで友達としてね。恋愛感情とはちょっと違うかな」

「そ、そうなのか」

「まあね。霧子とは付き合いが長すぎるからかな。勿論、霧子のことは大事だけど……そういう関係になりたいとは思ったことはないよ。安心した?」

「すごく。でも、本当か?」

「本当。これでも、ちゃんと好きな人は他にいるから」

「そうなのか?」

「うん」

「ちなみに誰なんだ?」

「それは、内緒」

「俺の話は聞いたのに、お前が言わないのは不公平じゃないか?」

「僕は良が誰を好きなのかは、言われなくてもわかってたもん。だから、不公平じゃありません」

「う……」

 確かにそう言われると一言もない。だから「降参」と告げて肩をすくめると、龍也は「分かればよろしい」と軽く笑って、俺の体を縛るシーツを解いてくれた。



「体、大丈夫? 一応、ちゃんと加減はしたんだけど、痛いところはない?」

「ん。大丈夫だよ。というか、寧ろ、お前が心配になった」

「え?」

「のしかかられても、全然苦しくなかったからな。お前、軽すぎる。今、体重いくつだよ……って、痛て」

 体をほぐしながらそんな台詞を零すと、龍也がコツリと俺の頭を軽く叩いた、



「あのね、良。人の体重を聞くなんてちょっと無神経だよ」

「いや、男に体重を聞いたって別に……」

「男でも体重を気にしている人はいるの。だから、聞いちゃ駄目です」

「わかったよ。悪かった」

「うん。分かればよろしい」

 そう言って冗談っぽく微笑む龍也の表情に、陰のようなものは見られない。いつもの龍也の穏やか笑顔。その事に安堵して……安堵しようとして、でも、俺は心に引っかかりを覚えてしまう。龍也は俺の心に気付いてくれていたけれど、でも、俺は龍也の心に気付いていなかったし、気付けていないから。だから、本当に龍也が霧子のことを友達としてしか見ていないのか、まだ分からない。俺に気を遣って、そう言ってくれているだけなのかもしれない。でも、そんな俺の心の引っかかりも龍也は見抜いていてくれていた。



「あのさ、龍也」

「良。霧子のことは、本当だよ。嘘なんかついてないってば」

「へ?」

「『俺に気を遣って無理をしてるんじゃないか』って聞こうとしたでしょ。今」

「……本当に、なんでお前は人の心をそこまで読めるんだ」

「理由は二つかな。良が単純なのと、僕がちゃんと良のことを見てるって事」

「そっか」

「うん。そうです。だから、心配しないでいいよ。少なくとも霧子とのこと邪魔したりなんかしないから」

「うん……そっか。わかった。ありがとうな」

 そう言って笑ってくれた龍也に、更に問いかけを重ねることは出来なくて。だから、俺は素直に礼を言って、軽く手を振った。



「ほんとに安心したよ。こういうこと相談できるの龍也しか居ないからさ」

「え?」

「だから、ここまでいろいろ相談できるのってお前ぐらいしか居ないから。だから、お前と霧子を取り合って険悪になるのなんて考えたくなかったんだよ」

「そっか。僕だけなんだ。ふーん。そうなんだ」

「なんだよ。そのニヤニヤ笑いは」

「別に。なんでもないよ」

 そう言いながら、龍也の顔からは笑顔が消えない。さっきまでの気遣うような優しい笑みじゃなくて、本当に嬉しそうな笑みに見えるのは……考えすぎだろうか。そんな風にしばし龍也の顔を眺めていると、不意に龍也が何かを思い出したように目を開いて手を打った。



「あ、そうだ、良。さっきの話だと、告白のこと、綾ちゃんに見られちゃったんだよね?」

「え? あー……それは微妙なところだな。見られたかもしれないし、見られてないかもしれない」

「ふーん。そっか」

「それがどうかしたのか?」

「いや、うん。なんでもないよ」

「何でもないって事はないだろ」

「うん、まあ、ね」

 追求する俺に、龍也は困ったように頬を掻きながら、やがて呟くようにでこう言った。



「でも、あまり良は心配しない方がいいよ。ただ……」

「ただ?」

「綾ちゃんが焦って頑張りすぎないと良いなあって思っただけだから」



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