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第二十二話 幕間 別れの後に

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 魔法使いたちの憂鬱


 第二十二話 幕間 別れの後に


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/(紅坂セリア)



 一度は収まったはずの胸の動悸。でも、神崎さんの部屋を出てドアを閉めた瞬間から、私の胸は早鐘のようにまた高鳴りはじめていた。

 動揺、好奇、興奮、あるいは困惑。それらが入り交じった感情が、きっと今の私の心を乱して、揺らしている。



「……駄目。落ち着かないと」

 そんな自らを戒めるように小さく呟いて、私は静かに息を整える。そして神崎さんに不審に思われないようにゆっくりと足を進めて彼の部屋から遠ざかった。忍ぶような足の運びに、それでも廊下が僅かに軋む音がした。そんな小さな音を耳に、少なくともその程度の音に気を配れる程度には気持ちが落ち着いたことを自覚して、私は頭の中で事態を整理する。



 さっき。一体何が起こったのか。



 思い起こして、また跳ねようとする心臓を押さえ込み、私は記憶の頁を何度も手繰る。

 彼の能力を知ろうとして何度も神崎さんを挑発した私。そんな私の挑発に乗って行動を起こした神崎さん。そして、私はそんな彼の動きを封じる魔法を放った、ハズだった。しかし、結果としては神崎さんは私の魔法に行動を束縛されることなく……私を押し倒してしまった。……それは一体、何故なのか。

 

 私の魔法が、失敗したから? そう考えて私は即座に「違う」と首をふった。私が唱えた単文節の魔法は、確かに発動したはずだったから。確かに私の中から魔力はあふれて世界に対する法則を書き換えていった。

 なら、考えられる事は一つ。兄の言うとおり、彼は呪文を唱えることもせずに、私の魔法を打ち消した、ということになる。それは、件の遊園地の事件と符合する。つまり、彼は呪文を用いる事無しに、魔法の無効化してのけた、ということ。

 一度だけじゃなく、二度までも。なら、やっぱり彼は、私の同類なんだろうか?



「……本当、かしら」

 興奮混じりに組み立て行く仮説に対して、私は小さく声を出して異を唱えてみる。興奮に、あるいは焦りに、私は結論を急ぎすぎてはいないだろうか。自分自身に対する懸念を胸に、私は考えを巡らせる。

 本当に彼は「無効化」を行ったのか? 少なくとも私の魔法に対して、彼が「意識的に何かを行った」様には見えなかった。それを裏付けるように、あの時、私に覆い被さった彼は、心底驚いているように見えた。あれが演技だったとは私には思えない。そう、あの顔は……。



「……っ」

 間近に迫った神崎さんの表情と、肩に置かれた手の感触。それを思い出しかけて、私は小さく頭を振った。あんな事ぐらいで、動揺するなんてあってはいけない。そもそも動揺する理由がない。……無いハズ、なんだけど。



「いけない。思考がズレてる」

 思考の方向性がズレはじめたのを自覚して、私は小さく息をつく。今考えるべきは、別のこと。だから感情を波打たせてはいけない。その自戒と共に、私はまた思考を再開した。

 そもそも魔法が発動しなかった要因は神崎さん以外になかったのか。本当に私は魔法を失敗しなかったのか? あるいは私の魔法を阻害する要因が私や神崎さん以外にあったとは考えられないだろうか。例えば……この家に、特定の魔法を無効化する仕組みが備わっている、とか。

 考えてみればあり得ない話ではない。勿論、普通の家庭にそのような仕組みがあることは希だ。耐火・耐水・耐震などの守護魔法や、防犯目的の検知魔法など一般的な魔法装置ではなく、「無効化魔法」を備えた住宅なんてまずない。そんなものは「天国への門」のような大がかりな施設程度にしかないはずのもの。しかし、ここ神崎邸は普通の住宅には当てはまらないかも知れない。何しろ、個々の主は、魔法院の教師である神崎蓮香先生だ。



「そうね。先生なら、そのぐらいは……」

「ん? もう勉強会は終りか?」

「は、はいっ?!」

 不意に耳に届いた呼び掛けに、私は思わず声がうわずった。考えに沈むあまりに、不注意にも周囲に意識を向けていられなかったらしい。声に気付いて振り向けば、私は既に玄関前にまで足を進めており、そんな私の背中に向かって神崎蓮香先生が、リビングから声をかけてくれていたらしい。



「あ、はい。今日は終わりました。ええ、はい」

「ああ、お疲れ様」

「はい、お疲れ様でした。では、失礼します」

「ん? おい、紅坂?」

「な、なんでしょう?!」、

 私の反応に常にない物を感じ取ったのか、先生は怪訝に眉を曇らせる。



「どうした? なにかあったのか?」

「いえ。なにもありません」

「ふーん?」

 動揺を悟られないようにと、努めて平静に答えたはずの私の言葉。しかし、その言葉に神崎先生は訝しむ表情を消さないまま私の顔をのぞき込み、そして二階の方に一度視線を向けてから首を傾げた。



「良の奴は見送りにも降りてこないのか?」

「ええ、私が遠慮したんです」

 神崎さんの名前を出されて、ほんの僅かに動悸が乱れる。それを表情に出さないように、私は内心で「落ち着け」と自分に言いきかせながら、神崎先生に微笑みながら頷いた。



「神崎さんは、少し疲れているようでしたので」

「なるほど、そこまでしごいてくれた訳か」

「ええ。少し張り切りすぎてしまいました」

「なんだ。そういうことか」

 私の言葉に納得したように頷いた先生は、次の瞬間に、何故か、落胆したように小さく肩をすくめた。その態度の理由が分からずに私は小首を傾ける。



「先生? どうなさったんですか?」

「いや、少し期待したんだ」

「期待、ですか……?」

「ああ。もう一度確認するが、本当に、何もなかったのか?」

「ええ。ありません」

「本当に? 何かあったら、良に見送りさせずにそそくさと帰ろうとしているじゃないのか」

「いえ、そんなことはありません」

 繰り返し「何か無かったか」と尋ねる神崎先生に、心の中で警鐘が鳴る。ひょっとして……なにか、気付かれているのか。その不安に表情が曇らないように、私は努めて穏やかに微笑みながら、取り澄ました声で先生に問いを返す。



「先生は何を期待されているんでしょう?」

「何を、と言われてもなあ」

 私の問い掛けに、先生は少し考えるように腕を組み、そして私の表情を探るように見つめながら言った。



「押し倒されたりしなかったのか?」

「……はい?」

 今、何を言ったのだろうか、この人は。

 意味が分からずに笑顔を顔に貼り付けたまま硬直する私に、先生は真顔のまま、同じ言葉を繰り返した。



「だから、良に押し倒されたりしなかったのか? 紅坂」

「そ、そんなことは断じてありませんっ!」

 先生の言葉を理解した刹那、私は思わず声を大きくした。それは勿論、教師らしからぬ言動に激昂したからではなく、いや、少しはそれもあるけれども、それよりも、つい先ほどの光景を指摘する言葉に動揺したからだ。

 まさか、見られていた? やはり、この家でもなにか仕掛けてでもあるのだろうか?

 そんな私の動揺とは裏腹に、神崎先生は次第にニヤニヤとした笑みを口元に浮かべ始めた。……なんだろう、その笑みは。なんだか、ひどく嫌な予感がする。



「ふーん。そうか、なかったのか。へー。ふーん。ほー」

「……っ」

 その表情と言動に理解する。おそらく先生は見ていたわけではなく、ただ単に鎌をかけただけだ。その事実に気付いて、私は自分の未熟さに舌をかむ。この手の詮索や引っかけは、「あの」兄相手に随分となれていたはずなのに……。

 軽薄な兄の表情を脳裏に浮かべると、私は小さく息を吐いて、動揺を心の中から押し出した。ここで変に声を荒げると、あらぬことまで詮索されてしまいかねない。先生の意図は掴めないものの、これ以上、つけいる隙を見せる必要はないだろう。これが兄なら容赦なく「教育的指導」を繰り出すのだけれど。



「先生。そういう物言いはよしてください」

「む。気を悪くしたか。冗談のつもりだったんだが」

 少し冷えた私の声に、先生は「済まない」と小さく頭を下げる。果たしてどこまでが冗談で、どこまでが本気なのか。



「先生がその手の冗談をおっしゃるのは、あまり感心しません」

「それは悪かったね。しかし、冗談の一つぐらいは言わないと、教師といえども息が詰まる」

「……」

 おそらく先生の言葉に、あまり悪意はない筈だ。彼女からすれば、年下の女の子を軽くからかう為だけの言葉。なのに、今の私はそれを軽く笑っていなせない。

 その事実に私は臍をかむ。……らしくない。このぐらいでやり込められていたら、紅坂の人達、とくに家の兄とまともに会話はできないっていうのに。

 あまり認めたくはないけれど、今の私は、相当に、落ち着きを失っているらしい。



「とにかく、先生が期待されているようなことは何もありません」

 これ以上藪をつついても蛇が出るだけ。先生相手に非礼だとは思うけれど、私は早々に立ち去るべきだと判断して私は素っ気ない言葉を綴る。



「神崎さんは十分に紳士的に振る舞ってくれています」

「紳士的、ね。男としてあまり紳士的すぎるのもどうかと思うんだけど、その辺、紅坂はどう思う?」

「残念ながら理想の男性観については、先生と私では相違があるようですね。でも、今日はその辺りについて議論するつもりはありません」

「それは残念。紅坂の理想の異性、という物には興味があったんだけどね」

「そうですか」

 にべなく答える私に、先生も意図を了解したのだろう。彼女は小さく笑うと、ドアの先へと視線を向けて話題を変えてくれた。



「もう日は落ちているが、迎えの車はくるのか? 紅坂」

「いえ。箒で飛んで帰りますから」

「ああ、それなら襲われる心配もないか。だが、夜目は利くんだろうな? 雑木林に突っ込むと痛いぞ?」

「あら、先生はそういう経験がおありなんですか?」

「勿論。両手の指じゃ足りないくらいにね。ちっちゃな古傷があちこちに残ってるけど、見るか?」

「見ません」

「残念だ」

 一体何が残念なのか。普段なら突っ込んでいたかも知れない言葉の隙間を、私はただ見送った。先生を相手にするには、やっぱり冷静さが足りていないのがわかるから。



「では、せめて玄関までは送ろう。へばっている息子の代わりにね」

「ええ。ありがとうございます」

「それで、紅坂」

「はい。なんでしょうか」

「良の魔法使いとしての才能。お前から見てどう思う?」

「……」

 玄関までの僅かな距離。私の横に並んだ先生は、先ほどまで冗談を口にしていた口調と変わらぬ気安さでそんな問いを私に投げた。子の才能を気にかける親としての問い掛け。神崎さんに魔法を教えに来た私に向けるにはあまりにも当たり前の問い掛けに、私は答えを返すことを躊躇った。



「それは先生の方がよくご存じ何ではありませんか?」

「そう自負したい所なんだけどね」

 答えをはぐらかした私に、先生もまた軽く肩をすくめて、そして、言った。



「蒸し返す訳じゃないけどね。良と何かあったんだろう?」

「ですから、何も……」

「そういう意味じゃなくて、だよ。『何か』あったんだろう? 紅坂」

「……」

 瞬間、意識が冷える。今度は「冗談」ではない。それを私は理解したからだ。

 見透かされている? でも、どこまで?

 刹那の沈黙に、私は神崎先生に振り向いて、そしてその目を見つめた。神崎蓮香。東ユグドラシル魔法院の教師にして上級研究員。そして兄曰く、ユグドラシルの魔女。

 見くびっていた訳じゃないけれど、まさか、こうも見透かされるとは思っていなかった。いや、あるいは―――私が未熟なだけか。



「先生は、何があった、とお考えなんですか?」

「正直に言えば、さっぱりわからない。だから、こうして素直に聞いているんだけどね」

「……そう、ですか」

 果たしてどこまで本当だろうか。先生の真意を探りながら、私は答える言葉を探す。

 先生には、遊園地での神崎さんの行動について説明はしているけれど……果たして、彼女は何をどこまで知っているのだろうか。

 どうするべきだろうか。

 神崎良の親であり担任教師である彼女は、神崎良という魔法使いの事について世界で最も熟知している人物と言っても良い。だから、彼女に協力を仰げば、あるいは私の神崎さんに対する疑問を解決することができるのかもしれないけれど……。



「先生の意図は計りかねますけど。神崎さんとは、何もなかったと申し上げています」

 刹那の思考の果て、私は浮かびかけた言葉を飲み込んで、私は結局否定を繰り返した。先生の協力を仰げるのは魅力だけど、それでも「世界樹に連なる魔法使い」なんて言葉は軽々しく他人に伝えるような言葉じゃないから。

 ……まあ、家の兄は気軽にぽんぽんと口にするけれど。アレは色んな意味で例外だ。



「そうか。しつこくて済まなかったね」

 そんな私の返答に神崎先生は頷くと、今度は別の問いを口にした。



「なら、感想で良いから教えてくれないか?」

「感想、ですか?」

「一日、教えてみたのなら思うところがあっただろう? 要領がわるい、とか」

「要領が悪い、というのは私も感じました。基礎が出来ているだけになおさらです」

「うん。それは私と同じ感想だね。では、要領が悪い理由に何か思い当たることは? 不器用だからだと思うか?」

「不器用だから……、ではないと思います」

 先生の言葉を否定して、私は少し唇を閉じた。私が神崎さんの魔法を間近で見るに付け感じていることが一つある。それは彼が「世界樹に連なる魔法使いなのか」とは別の種類の疑問であり、感覚。果たして、そんな確信とはほど遠い漠然とした思いを先生に伝えるべきかどうか。そんな私の逡巡を見抜いたのか、神崎先生は「何でも良いよ」と頷いて、私に言葉を促した。



「……神崎さんは魔法を怖がっているように感じました」

「良がびびっていると?」

「有り体に言えばそうですね」

 そう。気のせいなのかも知れないけれど……神崎さんの魔法の根底に躊躇いと畏れが見えた気がしていた。



「ふーむ。その手の感想は初めて聞いたな。しかし、確かに、そういう所はあるのかもしれない。ありがとう。参考になったよ」

「先生には心当たりがあるんですか」

「なくはない」

 短くそういって、神崎先生は言葉を切った。

 これ以上は、まだ踏み込むべきじゃないのだろう。だから、聞くべきじゃない。



 それは分かっていたのに。



「……訊いても宜しいですか?」

「ただの推測の域は出ないけどね。それでもいいかな?」

「ええ」

 踏み込んだ私に、しかし先生は嫌悪を浮かべることなく、どこか優しい口調でその答えをくれた。



「私は良と綾の実母じゃないことは知っているな?」

「……ええ」

 それは昨年、神崎さん達のことを調べたときに知った。そう答える私に頷きながら、先生は言葉を続ける。



「制御に失敗した魔法に巻き込まれて、良と綾は二親を失ったんだ」

「そう、ですか」

「ひょっとしたら、その辺りが無意識に刻み込まれたのかも知れない」

「それは……」

 先生の説明に、私は一瞬言葉を失った。

 二親を失った。そのこと自体は珍しいことではないのかも知れないけれど。でも、そのことが「意識に刻み込まれた」としたのなら……



 おそらく、その事件は彼の目の前で起こった出来事なんじゃないだろうか。



「すみません。軽々しく聞くことではありませんでした」

 それに気付いて、私は慌てて頭を下げる。



「いや。ほのめかしたのは私だけらね。お前が謝ることは無いよ。知っていて欲しかったことでもあるしね」

「私に、ですか」

「綾も桐島も知っていることだからね。あまり情報量に偏りがあると不公平かな、と思って」

 そう言って笑う神崎先生の意図を、このときの私はやっぱり完全には掴めなかったのだった。



 /



 少しだけ、動揺している。



 帰り道、箒で空を飛びながら、私は神崎さんの事を脳裏に描く。



 全ては推測に過ぎないけれど。もし、本当に彼が無意識のうちに魔法を畏れているのなら……それでも、魔法使いを志して、そして魔法院に道を進んだのは一体、どうしてなんだろう。



 畏れを自覚しないまま。畏れから目をそらしたまま。それは一体誰のためなのか―――。


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