第二十話 集合(その3)
/3.神崎家にて(神崎良)
「えーと。何か飲み物用意しますけれど……珈琲と紅茶のどっちがいいですか?」
とは、台所の奥からリビングの面々に問い掛けた綾の声。
「そうね、紅茶をお願いできるかしら」
とは、ソファーに腰掛けてリビングに飾られた小さな絵を興味深げに眺める会長さんの声。
「私も紅茶をお願いします」
とは、飲み物の準備を手伝おうとして、綾に「お客さんですから」と断られて、落ち着かない素振りを見せる篠宮先輩の声。
「綾。カップはここでいいの?」
とは、親友として綾の手伝いを許されている(というのも大げさだけど)佐奈ちゃんの声。
「私も紅茶でいいわよ」
とは、ポスポスとクッションを弄びながら、俺の隣に腰を下ろしている霧子の声。
「あ、じゃあ僕も紅茶貰えるかな?」
とは、霧子の更に隣で、どことなく緊張した面持ちで居住まいを正している龍也の声。
「全員紅茶なら、俺も紅茶で良いよ」
とは、リビングのテーブルを挟んで会長さんと向かい合う形で座る俺の声。
……というわけで。
今現在、神崎家のリビングには、俺と綾、会長さんに篠宮先輩に、龍也と霧子。そして佐奈ちゃん、の総勢7名が集合しているのだった。普段、俺と綾、そしてレンさんしか居ないリビングに、七人が入ると流石に手狭に感じてしまう。
「済みません、神崎さん。大勢で押しかけることになってしまって……」
「あ、いえ。気にしないで下さい」
大勢で押しかける結果になったことを気にしているのか、申し訳なさそうに頭を下げてくれる篠宮先輩に、俺は慌てて手を横に振った。
ちなみに篠宮先輩と、そして龍也とは、校門を出た辺りで合流した。篠宮先輩は会長さんが、龍也は俺と霧子を心配して待っていてくれたらしい。
「本当に美術部にはご迷惑をおかけしていませんでしたか?」
「済みません。騒いでいたのは、全面的にうちの部員の悪のりが原因です」
さながら保護者のように会長さんのことを心配する篠宮先輩に、霧子が恐縮しながら頭を下げる。と、そんな二人のやりとりに元凶たる会長さんは、面白そうに口元を緩めた。
「美術部の皆さん、楽しそうでしたね。ふふ、あんな衣装を用意するなんて、アルフレッド君が慕われているのが、よく分かったわ。アルフレッド君の魔法を起点にみんなで手直しをしたんでしょう? 中々の物よね」
「お、お恥ずかしい限りです……」
最終的にはタキシード制作に関わってしまった霧子は、悪のりを反省するように少し肩を落とす。そんな美術部での出来事を話題にしている間に、綾と佐奈ちゃんが紅茶を運んできてくれた。
「お待たせしました」
「全員、紅茶で良かったんですよね?」
綾と佐奈ちゃんは、二人とも制服姿。どうしてこの二人がこの場にいるかというと、俺たちが家に帰ったときには既に綾と佐奈ちゃんの二人は家の中にいたのだった。まるで俺たちが来るのが分かっていたかのように、綾は玄関で腕を組んで待ちかまえていたのだけれど……今考えても、なんで綾が玄関で待ちかまえていたのかはよく分からない。
「良先輩、どうぞ」
「ありがとう、佐奈ちゃん」
大勢の上級生たちに嫌な表情もひるんだ様子も見せずに、いつものように淡々とした表情のまま、佐奈ちゃんは給仕役をしてくれていた。紅茶の香り漂うカップを配っている彼女は、気付けば、制服の上から白いエプロンを着けている。
「そのエプロン、どうしたの?」
「調理実習用のエプロンですけど……可愛いですか?」
「あ、うん。可愛いと思うよ。似合ってる」
「……先輩に、褒められました」
素直な俺の感想に、佐奈ちゃんは小声で、でも凄く嬉しそうに口元を小さく綻ばせた。その笑顔が微笑ましくて、少し佐奈ちゃんに目を奪われていると、不意に横合いから、コツン、と頭を叩かれる。
「兄さん。顔がだらしないです」
「……失礼な。別に、そんな表情してないぞ」
「いいえ。締まり無いです」
「そこまで言うのか……」
何が不満なのか、兄の表情を容赦なく扱き下ろして、綾は俺の隣(霧子とは反対側)のソファーにやや乱暴に腰を下ろした。ほぼ同時に佐奈ちゃんも開いている席に着き、テーブルを囲むようにして七人、みんな仲良く紅茶に口をつけていることになった……のだけど。
「会長」
「雰囲気の良いお部屋ね。神崎先生のご趣味なのかしら?」
「飾ってある絵とかは、レンさ……コホン、母さんのものですけどね。それより、そろそろ会長さんの用件を聞かせて貰えますか?」
午前に教室に乱入してきてから、美術部を経由して、家に帰るまで、色々と雑談はしたけれど、結局、会長さんは俺に対する「用件」の内容をまだ口にしていない。そう問い掛ける俺に、会長さんは何かを考えるような素振りを見せてから、軽く頷いた。
「それは構いませんけれど、場所を変えても良いかしら」
「場所を変えるって、どこにです?」
「神崎さんの部屋」
「駄目です」
「駄目ですっ!」
相も変わらず唐突な会長さんの提案に、俺と綾が同時に否定の言葉を口にする。そんな俺たちの反応に、当の会長さんは不思議そうに首を傾げた。
「あら、どうして?」
「ど、どうしてって……」
率直な問い掛けに、綾が何故か気圧されたように言葉を詰まらせる。
「その……男の人の部屋に女の人が軽々しく入るのは駄目だと思います」
「そうなの? でも桐島さんたちなら、神崎さんの部屋に入ったことはあるんじゃないかしら」
えらく厳しい男女の倫理観を持ち出してきた綾に、会長さんは霧子の方に問いかける言葉を向けた。そんな問いかけが来るとは思っていなかったのか、霧子は少し驚いたように目を開いたが、一拍の間をおいて素直に首を縦に振る。
「え? あ、はい。それは何度かありますけど……」
「あ、あるんですかっ?!」
「うん。って、知らなかった?」
「知りませんでした……」
霧子の返事に、何故か綾は驚愕の声を上げ、そして非難する目つきで俺を睨む……て、何故、俺を睨むんだ。こいつは。
「霧子と龍也は、そりゃあるよ。何年のつきあいだと思ってるんだ? そもそもお前だって、佐奈ちゃんだって俺の部屋には何回も入ってるだろ?」
「うっ……そうだけどっ、そうなんだけどっ!」
俺の指摘に、綾は言葉に詰まりつつも、何故か納得していないような様子を見せる。そもそも佐奈ちゃんが俺の部屋に来るときには、ほとんど綾と一緒な訳で、当の綾がそんな事実を忘れていたわけもないはずだけど。
「あら、みんな入ってるのね。それじゃあ、ますます私が入らないのは不公平よね」
「何が不公平なんですか、何が! ともかく、神崎家ルールでは駄目なんです!」
「こら、勝手なルールをねつ造するな」
興奮する綾の頭を、ぽん、と軽く叩いてから、俺は会長さんに向き直る。
「別にルールとかじゃないですよ。単純に、俺の部屋は狭いからこんな人数は入れませんし、今は散らかっているんです」
「そうなの? それでは、仕方ないわね」
俺の説明に、会長さんは珍しく聞き分けよく頷いた。そして、ティーカップを取り上げると、漂う香気を楽しむようにしながら、ごく当たり前の口調で続けた。
「じゃあ、簡単に片付けてきて下さい」
「……はい?」
人の話を聞いていないんだろうか、この人は。
「いや、だからこの人数は入れませんってば」
「なんとかしなさい」
「なんとかって」
「するの。魔法院の生徒でしょう?」
無茶な。魔法で部屋を広くしろとでも言うのか、この人は。思わず頭を抱える俺に、会長さんは紅茶に口をつけてから、薄く笑った。
「神崎さんに無理なら、私が「なんとか」しても良いですよ。でも、お部屋は散らかっているのでしょう? そんな状況で無理矢理に押し入るほど無神経ではないつもりなんですけれど」
「へー、そうですか」
「……押し入って欲しいというのなら、そうしましょうか?」
「いえ、とんでもありません」
「ということで、自分で何とかするか、私になんとかされるか。選びなさい」
「……自分で何とかします。はい」
相変わらず無茶な要求を平然と突きつける会長さんに、俺は溜息を押し隠してそんな答えを返す。正直、会長さんと二人きりなら「いい加減にしろ」とまた喧嘩腰になっていたと思うけれど……今は綾や龍也がいる。だから、そういう雰囲気にしてはダメだと、俺はぐっと気持ちを抑え込む。
そもそも、こうして会長さんを家に迎え入れたのは関係改善のためなのだ。ここで怒っては元も子もない。それは会長さんにしたって同じなはずで、わざわざこうして家にまで尋ねてきてくれたんだから、俺が短気を起こすべきじゃない。……まあ、会長さんの言動を見ていると本気で俺と仲直りする意図があるのか、疑わしくなったりもするのだけれど。……あるよな? あるんだよな?
「じゃあ、ちょっと片付けてきます」
まあ、ベッドを部屋の外に出せば全員が座るスペースを確保できないこともないだろうし。なんとかなるだろう。とりあえず自分を納得させてソファーから腰を浮かすと、龍也が遠慮がちに声をかけてくれた。
「あ、良。僕、手伝おうか?」
「うん?」
「一人だと時間かかっちゃうだろうし」
「あ、そうだな」
確かにベッドを動かすとなると一人ではちょっと辛い。
「悪い、頼めるか?」
「うん」
俺の返事に、なんだか安堵したような表情を浮かべて龍也もソファーから腰を浮かす。そんな俺たちを見て、綾が慌てた様子で手を挙げた。
「あ、じゃあ、私も手伝う」
「お前は駄目」
「何で?!」
俺の拒絶に、綾は何故か悲鳴のような声を上げて、がしりと俺の腕を掴んで抗議の声を張り上げた。
「どうしてダメなの? 速水先輩が良くて、妹の私が駄目な理由はなんなのよ?!」
「あ、綾ちゃん。落ち着いて」
「速水先輩は黙っていてくださいっ!」
「ご、ごめん」
「こら、龍也を威嚇するな。今のところ、俺の部屋は女人禁制なの」
「なによ、それ。さっき私には変なルールをねつ造するな、っていったのに」
「うっ」
ちょっと痛いところを突かれて、俺は一瞬、言葉に詰まった。確かにさっきはそう言ったんだけれども、しかし、だからといって「ごめん。俺が悪かった」といって綾を掃除に付き合わせるわけにはいかないのだ。何しろベッドを移動させるわけだから……まあ、その。女性陣には見られたくないものもあったりするわけで。
「まあまあ、綾ちゃん。いいじゃない。掃除は男どもに任せておけば」
言い繕う言葉を探す俺を見かねてか、霧子が綾に宥める口調でそう言ってくれた。
「うー。でも、ですね」
「ほら。良もぐずぐずしてないで、さっさと片付けてきなさいよ。ほらほら」
「わかったよ。じゃあ、ちょっと片付けてくる」
言葉を交わすほどに、泥沼に嵌るわよ―――と、言外に告げられて、俺はそそくさと龍也の手を引いてドアへと向かう。
「うー、兄さんが逃げた」
「次は私にもお手伝いさせてくださいね」
「あまり時間はかけないでくださいね。ふふ」
「重ね重ね、済みません」
掃除に向かう俺と龍也の背中に投げかけられる女性陣のそれぞれ言葉に、俺と龍也は軽く苦笑しながら手を振って、騒々しいリビングを後にした。
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「……ふー。危なかった」
ぱたり、とリビングのドアを閉めると同時、思わず口からそんな声が漏れる。それを耳にして、龍也が少し興味を引かれたような表情を浮かべた。
「やっぱり、見られるとまずいものあるの?」
「そりゃあ、少しはな」
いわゆるエロ本の一冊や二冊はあるわけで、こんな女性陣が5人も居る中で、そんなものをご開帳する気にはなれない。
「あー。そう言えばどこに隠し場所を変えたらいいかなあ」
「あ、あはは。がんばろうね、良。僕も一緒に考えるから」
「頼りにしてるよ」
親友の人の良い笑みに、こちらも笑みで応えながら、俺たちは証拠隠滅……もとい、部屋の掃除をするために自室へと急ぎ向かったのだった。だから、この時、残された女性陣がどんな会話を繰り広げるのかなんか、想像なんてしている余裕はなかったし。
/
「……ん? えらくまた賑やかだな?」
俺たちが掃除している間に、レンさんまでもが帰宅してくるなんて事は、まったく想像もしていなかったのだった。