第二十話 集合(その2)
/2.放課後の美術部にて(神崎良)
部活動が終わる頃に、会長さんが来る。
美術部にあまり迷惑を書けてはいけないと、あらかじめ部長さんに話をしておこうとしたのがそもそも間違いだったのかも知れない。俺の話を聞くなり、美術部部長のアルフレッドさんが隆々とした体躯を振るわせながら美術部中に驚嘆の声を響かせた。
「こ、紅坂会長が来るのかっ?!」
薄い褐色色の肌を興奮に軽く蒸気させつつ、部長さんはその碧眼を霧子の方に振り向けた。
「き、桐島! 本当なのか?!」
「落ち着いて下さい。部長」
「これが落ち着いていられるか! 本当か? 本当なんだな?!」
「本当ですよ。まあ、部活動が終わってから、っていうお話でしたけど」
「こ、こうしてはおれん! 掃除だ、掃除をしなければ……っ! みんな、掃除だ! 毛一本、塵一つ、無駄な細胞の一片すら見落すな!」
「はいっ! 部長!」
「だから、落ち付けって言ってるでしょう? っていうか、あんたらも悪のりして返事するんじゃないのっ!」
「ぬおうっ」
興奮冷めやらぬままに掃除を命じた部長さんのスキンヘッドを、霧子はパシーンとモップの柄で殴打しつつ、素直に部長に呼応した部員達に突っ込みをいれる。しかし、ほとんどフルスイング気味だった霧子の一撃を食らっても、部長さんは全く応えた様子もなく、ただ感動に振るえるままに俺の手を固く握った。
「神崎君!」
「は、はいっ?!」
「なんという僥倖だろう……っ! いや、正直な所、連日、紅坂会長と一緒に登校してきた神崎君を見たときには胸の中で猛り狂う嫉妬と殺意を宥め押さえるのに四苦八苦したものだが……災い転じて福と成すというべきなのだろうな。ありがとう、神崎君っ!」
「い、いえ、どういたしまして」
今、さらりと「猛る殺意」とか怖い台詞を言われた気がするが、気にしないでおこう。アルフレッド・サーカムさん。2mに届こうかという長身に、筋骨逞しい体格。どこからどうみても体育会系の外見でありながら、美術部部長を務めるこの先輩は、会長さんの信奉者らしいので、その手の感情を抱いていてもおかしくはないし、裏表がなく本心を現してくれるだけ、嫌みが無くてありがたいとも思えてしまうから。
「……とはいえ、おい、霧子、ちょっと」
「何?」
「本当に大丈夫なのか? 会長さんが来ても。ほら、部長さんって、前にお前に代理で生徒会室に行かせてたじゃないか」
「多少は心配だけど、まあ、大丈夫じゃない? ほら、生徒会室に乗り込む訳じゃないし、美術部ならこっちの本拠地でしょ? そんなに気後れしないわよ」
「気後れしないって……あの状態でもか?」
「一度、落ち着いてしまえば何とかなるわよ。あれでも修羅場をくぐってきている人なんだから」
「修羅場?」
「山の中でクマに襲われても無事に生還したとか、動物園で虎の檻に入って餌を奪って出てきたとか、全長2mを越える怪鳥に襲われた時には、返り討ちにして全身の毛をむしったとか」
「……つっこみ所は山のようにあるが、そもそもどれ一つとして美術部に関係のないエピソードなのはどうなんだろう」
「仕様がないわよ、アルフレッド部長だから」
「そ、そうか」
何が仕様がないのか、突っ込みたい気もしたけれど、あまり細かいことを聞くと怖い事実を知ってしまいそうな予感もしたので聞かないで置くことにした。しかし、人食い絵画にしてもそうだけど、東ユグドラシル魔法院の美術部って、ひょっとして本気で恐ろしい所なんじゃ、ないだろうな……?
そんな不安を抱く俺をよそに、部長さんは他のメンバーに「自分の服装におかしいところはないか」なんて事を聞いて回ったりしている。
「部長、寝癖がついてます」
「なにいっ?! だ、誰か、櫛と鏡を貸してくれないかっ?!」
……部長。スキンヘッドなのにどうやって寝癖が付くんでしょうか。どうしようもないほどに舞い上がっている部長さんの様子に、俺はもう一度、確認の台詞を霧子に向けた。
「……本当に、ほんとーに、大丈夫か? やっぱり、こっちから会長さんに会いに行った方が良くないか?」
「まあ、私も不安になってきたけど……でもさ。今更、会長さんが来ないなんてことになったら、もの凄く落ち込むと思うのよ。部長」
「そっか……そうだな」
先ほどからのアルフレッド部長の態度を見ていれば、会長さんの訪問の機会が無くなったと聞けば、どれだけ落胆するかは想像に難くない。なら余計なことをしない方がいいのだろう。
「でも、部長さんと会長さんって学年同じだよな」
「当たり前でしょ。まあ、うちの部長は余裕で二十歳以上に見えるけどね」
貫禄があるというか、威風があるというか。見た目とっくに成人していると言われても何も違和感がない部長さんの風貌だった。正直、身長をちょっと分けて欲しいと思うぐらいなのだけど……閑話休題。
「同学年でもあそこまで緊張するものなのか?」
「仕方ないわよ。相手が会長さんだしね」
溜息混じりにそう答えながら、ふと気付いたように霧子は目を瞬かせて俺を見た。
「……っていうか、ほんとにあんたぐらいじゃないの? 会長さん相手にあそこまで反抗できるの」
「そうでもないだろ? 篠宮先輩とかも普通にお説教してるし。生徒会のメンバーなら普通じゃないのか?」
「んー。生徒会の人でもあんまりそういう雰囲気はないんだけどなあ」
「大体な、俺だって反抗したくてしてるわけじゃないし、平気で反抗してるわけでもないぞ」
「ふーん。そうは見えないんだけどなあ」
俺の返事に、霧子は今ひとつ納得していない様子で腕を組む。会長さんが苦手な霧子だから、俺が会長さんに反抗しているのが、大げさに凄いことに感じられるのかも知れない。そもそも、俺だって会長さんと対等に口をきいているつもりはないんだけれど。話している内に、ついつい、喧嘩腰になってしまうというだけで。
「神崎君っ!」
「は、はい?! って、ええ?!」
少し考えに沈みかけていた俺の名前を、勢いよく呼ぶアルフレッド部長の声。弾かれるように、その声に振り向いた俺の視線の先には、つい先程までとは全く異なる出で立ちの部長さんがいたのだった。
「どうだろうか、この格好は?! 会長に対して失礼ではないだろうか?!」
「ぶ、部長?!」
今、部長さんの体を包んでいるのは、そのまま社交の場にでも出るのか、と思わせるタキシードだ。肩幅があり、そして背丈もある部長さんなので恐ろしく貫禄があって、似合っていた。俺よりも一瞬遅れて部長さんの姿に気付いた霧子は、目眩を起したように一歩たたらを踏んでから、軽く頭を振って部員の皆さんに向かって声を張り上げた。
「こらーっ! 誰よ、部長に礼服なんて着せたのはっ!」
「心配するな、桐島。用意したのは、私だ。急いで正装を「描いて」みたのだが、どうだろう、神崎君!」
「す、凄いです」
「確かに凄いけど、良もそこで感心するんじゃないの! 部長も舞い上がってないで、少しは理性を取り戻してください! っていうか、誰よ。発案者は!」
そんな霧子の突っ込みの声も空しく、結局、この日の部活動はほとんど掃除と、部長さんのメイクアップと、そして部長さんを落ち着かせ宥める作業に費やされてしまったのだった。
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そして時計の針が、部活動の終了の時刻を指し示した。
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「みなさん、お疲れ様です」
空が夕日に染まりはじめる中、カチャカチャと道具を片づけていく音が部室から消えていくそのタイミングを計っていたように、良く通る声が凛と響いた。今更、声の主が誰かなど確認するまでもない。今日の部活動を混沌に至らしめた一因である紅坂セリア会長その人だ。
「紅坂会長、ようこそ美術部へ」
「あら、アレフレッドくん。ふふ、正装でお出迎えして貰えるなんて感激だわ」
……まさか本気の本気でタキシードのままで出迎えるとは思っていなかったのだけれど。
アルフレッド部長は、美術部員総出で仕上げた正装に身を包み、精一杯に丁寧な態度で会長さんを迎え入れた。そんな部長さんの姿に、会長さんは驚き慌てることもなく、柔らかな笑みで受け止めてみせる。その余裕ある態度、そして、慣れた魔法院の学生服のままなのに、正装した部長さんが横に並んでも少しの違和感も感じさせないのは……流石は紅坂のお嬢様、というべきなのかもしれない。
「アルフレッド君のお手製のタキシードなのかしら。素敵ね」
「会長に誉めて貰えるとは、感激だ。部員にも細部は手伝って貰ったんだが……」
「でも、基本構成はあなたのものでしょう? 時間経過の綻びがほとんど感じさせないなんて、流石よ」
「そ、そうかな。ありがとう」
会長さんの賛辞に、部長さんは頬を硬直させて僅かにはにかんだ。
しかし、「美術部に入ったら、いきなり正装してお出迎えされた」ということに、本気で一切、驚いているように見えないのは会長さんが大らかなのか、あるいは驚きを表に出していないだけなのか、はたまた上流階級では日常茶飯事なのか。まあ……この場合、突っ込むところはそこではないと思うのだけれど。
そんな俺の疑問をよそに部長さんと会長さんは、いくつか専門的な言葉をやり取りし、そして、アルフレッド部長が、意を決したように部室を指し示しながら言った。
「ど、どうだろう、会長。よかったら見学でも……?」
「ありがとう。お誘い頂いて嬉しいわ。でも、もう部活動はお仕舞いでしょう? それに今日は別の用事があるの。またの機会に是非」
「そ、そうか」
目に見えて肩を落す部長さん。そして、部員達から教え込まれていた数々のお誘いの言葉に、作戦。それらを発揮する間もなく、ばっさりと会長さんに誘いを断られたのだから、無理もない。そして、そんな部長さんの姿に、部員の皆さんはそれぞれに同情の表情を浮かべて、溜息を押し殺していた。物凄く気合いを込めて準備した正装に、部室。あまりの不憫さに目尻に涙を浮かべている部員すら居るほどだった。……っていうか、そこまで真摯に協力していたんなら、誰か、軌道修正しろよ。タキシードとか!
対する会長さんはと言えば、その部長さんに「また今度お願いね」と再び優しく告げながら、その眼差しをぐるり、と部室の中に巡らせて、ぴたり、と俺の方を向けて止めた。そして俺と目があった瞬間、穏やかだった彼女の視線に、いい知れない悪戯めいた色がひらめいた―――というのは、俺の心が被害妄想ですさんでいるからだと信じたい。
「もう後片づけはすんだかしら? 神崎さん」
「ええ、まあ……はい」
お陰様で、今日は普通に絵を描いているような暇はありませんでしたから。と口には出さずに内心だけで呟いて、俺は鞄を手に取った。先輩方を差し置いて、さっさと帰ってしまうのは少し抵抗があるけれど、しかし、このまま会長さんを部室内に留めておくよりは良いと思う。
いや……、ここはアルフレッド部長のためにも「部室を見学していきませんか?」とか言うべきなのだろうか。あれだけ準備(といってもみんなして部長さんを弄り倒していただけのようなきがしなくもないが)をしていたわけだから。そんな考えを、俺が口にしようと仕掛けた瞬間、それを遮るように逞しい掌が俺の肩をがしり、と掴んだ。
「か、神崎君」
「あ、部長。やっぱり、会長さんには―――」
「神崎君」
俺の言葉を途中で遮った部長さんは、眉間に強烈にしわを寄せながら悲痛な表情で首を横に振る。
「会長にも都合がある。無理に引き止めるのは心苦しい」
「……部長」
「だから、神崎君。会長の「都合」が君に対するものであるのなら……会長にくれぐれも失礼の無いように」
「りょ、了解しました」
「た、頼んだぞ……? 本当に、頼んだぞ、神崎君……っ。信じているからな」
「は、はい」
血を吐くような台詞の迫力とぎりぎりと肩に食い込む掌の圧力に、俺はガクガクと何度も首を縦に振った。そんな半ば脅迫めいた表情で迫る部長さんを見かねたのか、霧子が呆れた声で突っ込みながらこつん、と手にした絵筆で部長さんの頭を叩く。さっき見たいにモップの柄でフルスイングをしなかったのは、やっぱり会長さんの視線を憚ってのことだろうか。
「脅迫は止めて下さい。部長」
「ぬ、いや、そんなつもりは……」
「そんなに心配なら私も良と一緒に帰りますから、お先に失礼しても構いませんよね?」
「! そ、そうか。そうだな、うん。友達と一緒に帰るのはとても良いことだ。頼んだぞ……桐島っ!」
苦渋の表情から一転、部長さんは、霧子の提案に顔を輝かせると、今度はがしり、と霧子の手を……握ろうとして、避けられていた。
「ぬ。何故避ける、桐島?」
「こういう時の部長は、握力を加減しないからです。いいから、少し落ち着いて下さい」
「そ、そうか。すまん。いや、しかし頼んだぞ、桐島」
「はいはい。了解です」
多分、部長さんの頭の中では俺と会長さんを二人っきりにするとマズイ、というような事が浮かんでいるのだろう。だから、霧子の提案を救いの手の様に感じているのだと思うけれど……部長。俺と会長さんと二人っきりになっても、そんな雰囲気にはなりませんよ? 今までの会長さんとの記憶を思い起こして、俺は内心で息をついた。なにせ、この間、二人っきりになったときには「実験」と称して中庭で処刑されそうになりましたしね。俺。
「桐島先輩! 頑張って下さい!」
「あ、でも、頑張るってどっちの意味で?」
「そりゃ、どっちもでしょ? 人の恋路と自分の恋路」
「ああ、桐島先輩がとうとう神崎先輩に……」
「泣いちゃ駄目よ! 好きな人の恋路なら応援するのが、魔法使いの道じゃない……っ!」
「でも、でも……私っ」
「駄目よ! それ以上は……それ以上は……言わないで……」
俺と霧子と会長さん。その三人が辞した美術部からは、そんな騒々しい声が侃々諤々と漏れ聞こえてきたのだった。その楽しげな声に、会長さんはくすり、と笑みを零して霧子の方に視線を向ける。
「ふふ、大人気ね。桐島さん」
「聞かなかったことにして下さい」
素っ気なく、でも僅かに耳を赤くして、霧子が溜息混じりに首を振った。そして、きっ、と俺の方を睨んで指を突きつける。
「良も! 今のは全部聞かなかったことにしなさい」
「いや、あのな」
「素直に忘れるのと、強制的に忘れさせられるのとどっちがいいの……?」
「忘れる。忘れるから拳を固めるな」
「……うう」
僅かに顔を赤くして呻く霧子に、瞬間、少し見惚れそうになる。そのままだと、つられてこっちまで赤くなりそうな気がして、俺は軽く咳払いしてから、傍らの会長さんに話題を向けた。
「所で会長、一体、どこに行くんですか?」
放課後に時間をとれ、とは言われたけれど、どこに行くのかは聞いていない。用件はきっと昨晩、綾から聞いた「俺に魔法を教える」というものなのだろうけれど……果たして彼女はどこで魔法を教えてくれるつもりなんだろうか。
そう思って尋ねる俺に、会長さんは事も無げに「決まってるじゃない」と微笑んで告げた。
「勿論、神崎さん。貴方の家よ」




