第十八話 おわび? それとも仲直り?(その3)
/3.生徒会室の親友達(昼休み)
「神崎君の所は、ちょっとした騒ぎになっているようですね」
「あら、そうなの?」
昼休みの生徒会室。
私の報告に、しれっとした表情で答えたセリアだったが、その口元は僅かにほころんでいた。恐らくは、神崎君が右往左往しているのを想像して楽しんでいるのだろうけれど……困ったものだ。
「セリア。目的を忘れている訳じゃないでしょうね」
「勿論。ちゃんと彼との友好を深めるつもりよ。忘れてないわ」
「言っておきますが、友好を深める、という言葉は世間一般では、虐めるという行為と同じではありませんよ」
「わかってるってば。鈴は心配性なんだから」
「心配したくもなります」
非難めいた言葉にも機嫌良く応じるセリアに私は溜息を零しながら、昨晩の出来事を脳裏で反芻していた。
/(昨夜)
時計の針が零時を指そうという時刻。そろそろ休もうかと思っていた頃に、セリアからかかってきた電話の内容は、俄には信じがたい内容だった。
その内容とは魔法研究所でカウル様が、セリアに告げたという仮説。つまりは、「神崎良君はセリアと同類かも知れない」という説なのだが―――。
「それで、セリアは神崎君と魔力交換をするつもりなんですか?」
「……正直、迷ってる」
私の問いかけに、セリアは受話器越しに小さく息をついた。吐息混じりのその言葉の響きに、珍しく彼女が本当に迷っている様子を感じ取って私は小さく頷いた。普段は即断即決を良しとするセリアだけれど、話の内容が内容だけに、即座に行動に移す、という事に躊躇いを覚えているのだろう。
セリアからの話を聞いた私も、正直なところ「突拍子もない」という感想しか抱けなかった。確かに、セリアの兄君である紅坂カウル様は、変わり者として扱われる方だけれど、研究者としては紅坂の魔法使いたち一目置かれる存在だ。普段の言動も飄々としていて人をからかうことも多いけれど、「セリアの同類」なんていう台詞を、軽々しく使うほど無分別な方でもない。
「セリアはカウル様の話を信じているのですか?」
セリアの同類。
それはつまり「世界樹に連なる魔法使い」ということを意味する。紅坂の血脈の中でも、過去数人にしか発現していない、その特殊な才能を、神崎君が備えている、という話を果たしてセリアはどこまで信じているのだろうか。
「あの人の話をそのまま鵜呑みにするつもりはないわよ。でも……」
「でも?」
「そうね……彼の力に興味が出てきたっていうのが、正直なところ」
「では、やはり神崎君と魔力交換を?」
「それが一番、早いんでしょうけどね。でも、魔力交換までするとなると、迷うのよね」
そしてセリアはまた躊躇いの言葉を口にした。そんな彼女に、私は、少し別の意味で首を傾げた。なんだかセリアは単純に「魔力交換」という行為そのものに躊躇いを覚えているように聞こえたからだ。
確かに魔力交換は嫌いな相手とするような行為ではないけれど……正直なところ、セリアが神崎君を嫌っているとは思えない。
まあ、セリアの場合は魔力交換の相手には、自分以外の魔法使いとの交換を禁じるといった独占欲の強いところはあるが……今回のこれに関しては、恒常的な魔力交換ではなく、あくまで神崎君の力を確かめるための行為だ。一回きりと割り切ってしまえば、セリアの独占欲が顔を出すこともないと思うのだけれど。
「何か躊躇う理由が他にあるのですか?」
「だって……」
尋ねる私に、セリアは少し言葉を切ってから、やがて少しふて腐れたような声色で続けた。
「だって、私の方から魔力交換を求めるなんて、なんだか負けたみたいじゃない」
「……なるほど。セリアらしい理由です」
「どういう意味よ」
きっと受話器の向こうではセリアが軽く頬をふくらませているのだろう。少し拗ねた口調から、そんな彼女の表情を想像して、私は口元がゆるむのを自覚する。そして、それと同時。胸に小さな痛みを覚えて、ほんの少しだけ目を閉じた。
……本当に。神崎君に対しては、あなたは子供に戻るのですね。そんなあなたは、私だけの特権だと思っていたのに。
脳裏をよぎる、少し身勝手な想い。勿論それを口に出すことはなく、私は大事な友人に向かって別の言葉を口にする。
「でも、それでは埒があきませんね。セリアは彼の力を確かめたいのでしょう?」
「ええ。あの人に焚きつけられた形になるのは癪だけどね。疑問を疑問のまま放置なんて、性に合わない」
「そうでしょうね。ですが、セリア。彼の方からあなたに魔力交換を求めてこない限りは、あなたの方から求めるしかないでしょう」
「―――それよ」
「え?」
突如、ぽつり、と受話器越しに呟かれたセリア声。その声に、不吉な響きを感じて私は思わず声を止めた。そんな私の予感を裏付けるように、セリアは妙に弾んだ声で、「名案だ」と言わんばかりに不穏な言葉を口にする。
「そうよ。要するに彼の方から、私に魔力交換して下さい、って言わせればいいのよね。簡単な事じゃない」
「あの……セリア? どうやって彼の方から魔力交換を求めさせるつもりですか? 客観的に見て、彼はあなたと距離を置こうとする傾向があるように思えますが」
現状を非常に控えめに表現し、「彼の方から求めてくることはまずあり得ない」と告げる私に、セリアは「大丈夫よ」と凛とした口調で応じた。
「大丈夫。綾さんのこともあるじゃない。彼も私と仲直りしたがっているわよ。きっと」
「……確かにそれはそうかもしれませんが」
確かに、以前、綾さんが生徒会入りしたときに、神崎君が「会長さんは悪い人じゃない」と言っていた、というような事は聞いた。確かに、彼とセリアの間にそこまで根深い悪感情はないのだろう。
無いのだろうけれど……それでも、友情関係とはほど遠いし、魔力交換を求める間柄にもほど遠いだろう。
それに―――。
「ふふ」
「? どうかしましたか」
思考の途中、不意に聞こえたセリアの含み笑いに、私は首を傾げた。一体何がおかしいのだろうか、と私が口に出して尋ねるより前に、セリアは優しい口調で私の心を言い当てた。
「焼きもち焼きね。鈴は」
「……」
どうやら見透かされているようだった。先ほどからの胸の痛みも。さっきセリアが「彼も『も』仲直りしたがっている」と言ったときの私の沈黙も。
「仕方ないでしょう。私には貴方だけなんですから」
「うん、わかってる。だから、安心して。あなたのそう言うところもちゃんと私は大好きだから」
「……調子良いんですから」
見透かされたことの嬉しさと気恥ずかしさを感じながら、それを誤魔化すように私は考えを口にした。
「でも、セリア。あまり奇をてらう必要はないと思います。素直に意図を説明すれば、おそらく彼は応じてくれでしょう」
彼の力を計るために、魔力を交換したい。おそらくそう言えば、彼は拒まないだろうし、ひょっとしたらセリアが望むように「自分から魔力交換を求めて」くれるかも知れない。
現状で最も真っ当で、正攻法に思えるその方法に、しかし、セリアは即答せずに、考え込むように沈黙を挟んだ。
「セリア?」
「うーん。多分、それが正攻法なんだろうけれど……」
「何か問題が?」
「だって、面白く無いじゃない」
「……我が儘はいい加減にしなさい」
「あ、鈴が怒った」
「ええ。怒ります」
冗談めかしたセリアの言葉に、同じ調子で応じながら私は少し考えを調節する。「事情を話す」というのは、早計かも知れない。彼がセリアと同類ではなかったとしたなら、余計な情報を漏らしてしまうことになるし―――同類だとしたら、彼の今後にどんな影響がでるのか、分かりはしないから。あるいはセリアが躊躇いを覚えているのは、そう言った点なのかもしれない。
「セリア」
「なに?」
「では、少し神崎君への態度を改めて見てはどうですか? 彼が本当にあなたとの関係改善を望んでいるのかはさておき、今のままでは到底、彼の方から交換を求めることはないでしょう」
「つまり、彼に優しくしろっていうこと?」
「有り体に言えばそうですね」
あくまでもごく普通の魔力交換を通じてセリアが彼の力を確かめる。それが理想の形だとしても、少なくとも、セリアの顔を見ただけで神崎君の顔が引きつるような現状ではどうにもならないだろう。
「……ねえ、鈴」
「はい」
「私って彼に嫌われてるの?」
「嫌われているかどうかは答えかねますが、少なくとも恐れられてはいるでしょうね。いきなり魔法で縛ったり、槍を突き出したりする人には好意より敵意の方が強くなると思います」
「あれは必要なことだったから問題ないわ」
「セリアにとっては、そうでしょうけれど。彼には別の受け止め方があるでしょう」
「う」
冷静に指摘する私に、セリアはしばし言葉を詰まらせる。そして、数瞬の沈黙の後。
「分かった。少し、優しくしてみましょう」
仕方ない、と言った調子で同意を返したのだった。
/
以上が、昨晩の出来事。そして、その結果として今朝のセリアの行動に繋がったわけだけれど―――。
昨晩、「方法は自分で考えてみる」と言ったセリアの言葉を信用した自分の迂闊さを、私は深くかみしめていた。
「ということで、効果の程はどうだったかしら」
「……言いたいことは山のようにありますが、一つ確認させてください」
軽い頭痛を堪えながら、私はセリアに問いかける。
「セリアは本当に神崎君と関係改善するつもりはあるのでしょうね?」
「当たり前じゃない。だから、わざわざ車も出したのよ? 今まであなたにしか許さなかった最高待遇なんだもの。これで関係が悪化するはずなんて無いじゃない」
何故か自信ありげに胸をはるセリアに、私は小さく目眩を覚えながら首を横に振った。
「今朝はセリアが一方的に神崎君をからかっていただけにしか見えませんし、登校方法も不必要に目立ちすぎです。あれでは神崎君も事情が分からずに困惑するばかりでしょう」
「そうかしら」
「そうです」
「むー。難しいわね」
どうして、彼を前にするといつものような冷静で余裕ある思考が飛んでしまうのか。正直、私にもその原因は掴みかねている。
そんな私の困惑をよそに、セリアは不満そうに頬杖をついて、唇をとがらせた。
「せっかく私と鈴の車に乗せてあげたのに」
「そもそもどうして車を出そうって思ったんですか?」
「……神崎さんの反応が面白そうだったから」
「……いい加減にしないと私も怒りますからね?」
「ごめんごめん。でも、ただ歩いて登校しても周囲が騒ぐことには変わりないでしょう? それに私が今更、普通に接しても神崎さんは警戒するだけでしょうしね」
「そういう自覚はあるんですね」
「むー。ちょっと鈴の言い方が神崎さんに似てきてるわよ」
「そうかもしれませんね」
ひょっとしたら私は彼と物凄く気が合う友人になれるかもしれない。セリアに振り回されるという共通点で。
半分、本気でそんな風に考えながら、私は腕を組み考えを巡らせた。
「もう少しやり方を考えないといけませんね」
昨日はセリアに口出しするな、と言われたから口出しをしなかったが……このままでは埒があかないだろう。
今朝の騒動は、言うなればセリアの人望の大きさを現すものだと受け止められるだろうけれど、このまま続くようなら会長自らが学院の風紀を乱していると捉えられかねない。
「大丈夫よ、鈴。その辺りはちゃんと心得ているから」
そう言って彼女は私に自信ありげに微笑んで見せた。普段なら、私の不安を杞憂だと吹き飛ばしてくれるその笑みは、今回に限っては妙に不安をかき立てる。
「別の方法を思いついているのですか?」
「うん。それなんだけどね。私は神崎さんのことをもう少し知った方が良いと思うのよ」
「……そうですね。それは正論です。でも、具体的にはどうやるつもりですか?」
「あら、分からない? 神崎さんのことなら何でも知っていそうな人が、我が生徒会にはいるじゃない」
「なるほど」
つまりは綾さんに、相談する、という訳か。
確かに「お兄さんと関係を改善したい」と申し出れば、彼女も協力してくれるだろう。
「今度は悪くない考えでしょう?」
「ええ。私も賛成します」
素直に賛同を送る私に、セリアも満足げに微笑んで、冷めかけた紅茶を口に運びながら言った。
「将を射んとせばまず馬を射よ……だったかしら。周囲から攻めていくのは常道といえば常道よね」
そんな古めかしい言葉をどこからかひっぱりだしてきて、セリアは名案だ、とばかりに微笑んだ―――のだけれど。
この時、私もセリアも自覚してはいなかった。
将を射んとせばまず馬を射よ。
その行為が綾さんという「馬」のしっぽに火を放つ行為に等しかったのだ、というそのことを。