第十八話 おわび? それとも仲直り?(その2)
/2.昼休みの親友達(神崎良)
「それで結局、どういうことなの?」
「……俺が訊きたい」
霧子の問いかけに、俺はぐったりと机に突っ伏しながら呻くようにそう答えた。
昼休み。いつものように昼休みの中庭で……という訳ではない。俺と霧子と龍也は人目を憚るように、というか、文字通り人目を憚って、昼休みの美術部の部室に勝手に忍び込んでいた。本来、昼間に部室を使用することは禁止されているので、辺りに人の気配はなく、ひっそりと静まりかえった空気に俺は深く安堵の息を漏らす。
「ああ、静寂っていいなあ……」
「だ、大丈夫? 良」
「なんとか」
半分、魂を抜かれたように惚けている俺に、龍也が気遣う言葉をかけてくれた。
「本当に、今日は大変だったね」
「そうよね。まあ、今日はまだ半分残ってるけど」
「それを言うな……」
霧子の残酷な指摘に呻きつつ、俺は今朝からの出来事を脳裏に思い浮かべて、陰鬱な思いに駆られて息をつく。「大変だったね」との龍也の言葉の通り、俺は今朝からちょっとした騒動の主役の位置に祭り上げられているのだった。
その理由は、まあ……お察しの通り。
何しろ、威圧感と高級感あふれる黒塗り乗用車が朝、校門前に乗り付けたと思ったら、そこから会長さんと篠宮先輩以外の人間が姿を現したのだ。それも一人は男性というおまけ付き。その所為で朝の校門前は、文字通り騒然となった。
そりゃあ、騒ぎになるのは分かる。会長さんは全校生徒の憧れと言ってもいいぐらいの「崇拝」を集めている。その人気は恐らく龍也でも及ばない。そんな彼女が「男」と車通学なんて派手な真似をしたというのは、噂の種として格好の材料だろう。
『あの車、なんなんだ?!』
『会長さんと一緒に登校って、どういうこと?!』
『会長さんとどういう関係?!』
『なんでお前が特別待遇なんだ?!』
『会長さんと仲直りしたの?!』
『会長さんに屈服したの?!』
『まさかと思うが、会長さんを屈服させたのか?!』
『神崎君、速水君から会長さんに乗り換えたの?! 信じてたのに!』
『そうよ! 神崎君って女の子に興味ないって信じてたのに!』
『速水君を悲しませないでっ』
そんな感じで、朝から休み時間になる度に、質問攻めにされていた。……後半、非常に意味不明かつ不穏当な発言が混じっていたような気もするが、それはさておき。
しかし「どういうことだ」といくら質問されて、そもそも俺自身が事態を把握できていないのに、まともに答えを返せるわけもない。というわけで、必然的に「わからない」「俺が聞きたい」という類の答えを返すしかなかったのだけれど、それがまた「誤魔化している」「とぼけている」という受け取り方をされたらしく、状況は悪化の一途を辿っていった。
……という訳で、教室だの中庭だのにいる限りは、その手の質問攻めからは逃れられないと判断して、霧子の協力で美術部の部室に逃げ込んでいるのだった。まあ正直、逃げるような真似はどうかとおもうのだけれど……、龍也に負けず劣らず会長さんにも熱狂的なファンは多数居るのだ。少しぐらいの冷却期間をおかないと、おかしな事態になりかねない。
ちなみに、ここまでの逃走途中には、龍也が幻覚の魔法で俺の幻を作ってあちらこちらに放ってくれたし、今現在は美術部の周りに音を遮断する魔法を展開しているので、今のところ誰にも見つかっていない。……こういう状況に応じた魔法を何気なく臨機応変に使える辺りが、こいつの天才たる所以なのだけれど。見習いたいよなあ。おっと、閑話休題。
「しかし、会長さんって人気凄いんだよなあ……」
「そうね。今更だけど、見せつけられたって感じよね」
呆れと賞賛の入り交じった俺の呟きに、霧子も同様の口調で頷いた。そんな俺たちに龍也は、困ったような笑みを浮かべながら言葉を付け足すように言った。
「でも、それだけじゃないと思うよ」
「? どういうことだよ」
「うん。会長さんって、あまり男の人と一緒にいないらしいから。それで騒ぎに拍車がかかったんじゃないかな」
「そうなのか?」
「少なくとも僕、会長さんが男の人と一緒に登下校しているところは見たこと無いよ」
「それ、割と有名な噂だけど……知らないの? 良」
「噂って?」
「会長さんは実は女の人にしか興味ないんじゃないかって噂よ。聞いたこと無い?」
「いや、知らないけど」
そんな噂あったのか。確かにいつも会長さんと一緒にいるのは篠宮先輩だし、男の人と一緒にいるところは見たことはないけれど……。
「でも、それはおかしいだろ。去年、龍也にご執心だったんだから」
「あ、あはは、そうなんだけどね」
「あのね、良。残念ながら龍也では「その手の疑惑」は払拭されないのよ」
「……ああ。なるほど」
確かに「女装させれば本物より女らしい」とも言われる龍也相手では、その手の疑惑は払拭されないのかもしれない。……って、いや、それもどうなんだろう。
「いや、それだったら、綾の方が大変なのか? あいつ、大丈夫かな」
「綾ちゃんが会長さんと二人っきりだったんなら、ともかく、篠宮副会長も一緒だったんでしょ? だったら、綾ちゃんの方には矛先は向かないと思うよ」
「そうね。会長さんのお気に入りの娘が一人増えた、っていう見方がされるぐらいでしょうね」
「そうか、それならいいけど」
二人の言葉に、俺は、ほっと安堵の息をつく。
まあ、ややこしい事態になっているのは変わりないけれど、少なくとも綾に被害が及んでいないのは不幸中の幸いだろう。
「でも、それにしたって騒ぎすぎじゃないのか? 会長さんだって、たまたま知り合いを車に乗せることだってあるだろ?」
「うーん。そうかもしれないけど……」
「良の方は、去年会長さんと反目していたっていう事実があるじゃない。だから余計に噂的には美味しいのよね」
「……そっか。なるほど」
霧子の指摘に、俺は納得して頷いた。確かに、去年の俺と会長さんのいざこざはある程度の範囲には知られてしまっている。客観的に見れば、興味をそそられる組み合わせなのかもしれない。
そう俺が納得していると、龍也が申し訳なさそうに表情を曇らせた。
「ごめん、良。また僕の所為で……」
「お前の所為じゃないだろ」
「でも、実際、何があったのよ。急に、一緒に登校してくるなんて」
「いや、だから……なんだろう」
「なんだろうって、何よ」
「だから、こう……普通に登校しただけだった」
車の中でもおかしな事を話した訳じゃない。本当にただ、世間話をしただけだ。どこに拉致されるんだろうかと、ちょっと心配になったりしていたけれど、そんなこともなく。
車に乗ってみれば、まあいつも通りの会長さんがそこに居ただけだった。まあ、やけに機嫌がよさそうな気はしていたけれど……まあ、あの人は人をからかうときには物凄く輝いているから、いつも通りといえばいつも通りだし。
「いったい何だったんだ。あれは」
「……」
「……」
俺の言葉に、霧子と龍也が顔を見合わせる。二人の顔に共通して浮かぶのは困惑の表情だった。そんな疑問符を顔に貼り付けたまま、霧子が俺に問いかける。
「あのさ、良。なにか、思い当たることは無いの?」
「……思い当たることか。まあ……、無くはない」
「あるの?!」
「何があったの?!」
「うーん。まあ、これも会長さんの勘違いだとは思うんだけどなあ」
勢い込んで尋ねてくる二人に、俺は「眉唾だけど」と前置きしてから、昨日、会長さんに言われた「俺に隠された能力があるのではないか疑惑」を話してみた。
何かあったのか、と聞かれれば、そのことしか思いつかないからだけど―――。
「……ということなんだけど」
「良に、隠された力か。うーん」
「また、突拍子もない話よね」
結果としては、まあ想像通り。俺の話は、二人の表情に浮かぶ疑問符がますますその数を増やしただけだった。そりゃまあ、そうだろう。なにせ龍也と霧子には、定期試験の度に実技練習などに付き合って貰っているのだ。俺の実力とか能力とかは、二人には筒抜けなのだから。
「ま、俺も突拍子もない話だって思う。実際、レンさんにも笑われたしな」
「あ、先生には相談したんだね」
「一応な。会長さんの話だから、気になってさ」
「なるほど。でも、先生が言うのなら会長さんの勘違い何じゃない?」
「俺もそう思う」
霧子の言葉に、俺ははっきりと頷きを返す。
確かに会長さんは「天才」って呼ばれるだけの魔法使いだって思うけれど……でも、魔法使いとしてレンさんと会長さんのどちらを信用するのか、と言われれば、俺は躊躇わずに「レンさん」って答える。
「でも、何故か会長さんは妙に信じたがってる……気がするんだよなあ」
「案外、良をからかってるだけじゃないの? 要するに悪戯」
「そうかな? わざわざ車で良を迎えにくるなんて、ただの悪戯にしては度が過ぎてる気がするけれど……」
「そう言われると、そうかも」
「俺としては悪戯である方がまだいいんだけどな」
何しろ、昨日は「本当に実力あるかどうか試す」と魔法でひどい目に遭わされたのだ。もし悪戯だとしたら、アレよりもひどい扱いには中々ならないだろうけれど、もし会長さんが本気で「俺がまだ力を隠している」なんて思いこんでいるとしたら……今後、どんな方法で「試される」のかなんて想像すらしたくない。
陰鬱な想像に襲われて、知らず溜息が口を突く。そんな俺の肩をぽん、と叩きながら、霧子が励ますように明るい声で言った。
「でも、そう悪い方向にばかり考えなくてもいいんじゃない?」
「どう考えろって言うんだよ」
「だから、良の力云々は脇に置いておくのよ。そうしたら、会長さんの今朝の行動は純粋に、「お詫び」っていう意味になるんじゃない? ほら、会長さんも遊園地の事故のこと、謝ってくれたんでしょう?」
「ああ……なるほど」
霧子の指摘に、一瞬考えてから、俺は「なるほど」と頷いた。
会長さんとは何かとトラブルというか、言い争いのような雰囲気になることが多いからか、彼女の行動の意図を色々と勘ぐってしまうのが当たり前になってしまっていたけれど。今朝の行動に限って考えるのなら、あまり深読みしない方がその意図はすっきりと腑に落ちる。あんな高級車に威圧された所為で、すっかり小市民的に怯えてしまっていたけれど、そう考えると怯える必要もなくなるわけだし。
「つまり「隠された力うんぬん」は会話の切っ掛けって考えればいいのよ。単純かつ前向きに考えるのなら、今朝のことは、会長さんの方から和解の手を差し出してくれたって事じゃない?」
「なるほど。楽観的に考えるのならそうだけど」
「悲観的に考えなきゃ行けない理由はないんじゃない?」
「ごもっとも」
俺に秘めた力があるのなら天敵認定してたたきつぶせる―――、なんて物騒な台詞を、昨日、口走っていた気もするけれど、あれも会長さんの冗談だろうし。
そう考えると、気持ちが軽くなった。
「そっか。そうだよな。うん。最近、悪い方向にばかり考えが向いていたけれど……うん。そう考えるとすっきりする。ありがとな、霧子」
「あ、うん。まあ、そんなにお礼を言われることでもないけど……」
率直に礼をいうと、霧子は少し照れたように目線を逸らしてから、誤魔化すように笑った。
「ま、当分は大変だろうけど、しばらくしたら噂も収まるでしょ。私と龍也も手伝うから、なんとか切り抜けてよね」
「ああ、頑張る。あと、頼りにしてるよ」
午前中だって、霧子や龍也が群れ来る野次馬達を追い散らかしてくれたから、助かっていたのだ。正直、二人が居なかったら会長さん崇拝者達の群れに拉致監禁されたあげくに、尋問されていたかもしれない。
……流石に考えすぎだろうか。しかし、連中の目の色を見ているとあながち杞憂とも思えなかったりする。
「任せて。お礼は後で良いからね」
「お礼については前向きに検討します」
「それは検討する気がないときの言い方でしょうが。ね、龍也―――?」
呼びかける霧子の視線の先、龍也はなんだか浮かない顔をして、首をひねっていた。
「……龍也?」
「あ、なんでもないよ。うん」
問い掛ける俺に、龍也は慌てた様子で手を振りながら、
「今日は、なるべく一人にならない方が良いと思うよ。良」
まだあまり油断はしない方が良い、と遠回しに、そんな警句を口にしていたのだった。




