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第二話 とある魔法院の風景(その2)

2.レンさんの講義


「それより、良はどうして疲れてるの?」

「それがねー。遅刻でもないのに全力疾走してきたんだって。アホでしょう」

「アホ言うな。傷つくから」

「だって、アホじゃない」

「ダメだ。傷つきすぎて、もう立ち直れない」

「まあまあ。それより、でもなんだって全力疾走なんて―――」

 俺と霧子と龍也。三人の何気ない朝の僅かな時間の会話は、しかし、長くは続かずに、


 キーンコーン……


 という、今度は校舎全体に鳴り響く鐘の音に中断される。そして、それとほぼ同時。


「予鈴がなったぞー。断ってる奴は席に着けー」

 ガラリ、と講義室のドアが開き、一時間目の授業の担当教師が姿を見せた。黒銀の長髪をなびかせるスーツ姿の少女―――もとい女性は、言わずとしれた俺の母親、レンさんである。

 彼女が教壇に向かうのに合わせて、生徒達は一斉に椅子を引いて立ち上がり、


「きりーつ」

 の号令と共に、「お早うございます」と教壇にたったレンさんに一礼をする。


「お早う。欠席している奴はいないか?」

 頷いて生徒に着席を促しながら、レンさんはぐるりと席を見回して生徒の出欠を確認する。が、その途中で、彼女の表情が不意に固まった。


「うん……?」

 僅かに首をかしげながら、教壇の周りに視線を巡らせるレンさん。何事か、と少し生徒の間から僅かなざわめきが生まれた瞬間、彼女は、それを制するように軽く手を振って笑う。


「ああ、気にしないでいいよ。まあ……、若いウチは多少無駄がある方がいいからね」

 などとよく分からない言葉を口走りながら、視線を教室の隅、つまりは俺達の方へと投げ掛けた。


「それより、速水」

「はい」

 呼びかけられて俺の隣の龍也が起立する。


「今日もおつとめご苦労さん。体の方は大事ないか?」

「え、はい。問題ありません」

 いつもの朝の騒動は、レンさんも把握しているはずだが、こうやって確認することは珍しい。


「そうか、無理はするなよ。体調が優れないようなら保健室に。魔力が足りないようなら隣の席から分けてもらえ」

「はい」

「……頼むからそこで頷くな」

 まだ俺から魔力を吸うつもりか。というか、速水会の面々を刺激するような台詞は厳に慎んでいただきたい。……ああ、ほら。女の子からの敵意の視線が痛いから。


「モテモテだね、良。良かったじゃない」

「黙れ」

 ほんの少しだけ首を曲げて、後ろの俺に笑いかける霧子。こういう殺気のこもった視線を浴びてもモテモテとは言わないのだ、普通は。


「さて」

 龍也の話は終わり、と生徒の意識を教壇に集めるように少し声を大きくして、レンさんが生徒に呼び掛けた。


「今日は久しぶりに世界樹の葉が降ったな。みんな、見たか?」

 レンさんの問い掛けに、ほとんどの生徒は首を縦に振っていた。一番混み合う登校時刻よりは少し前だったので、見ていない人もいるかと思ったが、そうでもないらしい。


「風に舞うように踊る世界樹の葉。あの光景はなかなかに趣があっただろう。今日は理論講義の予定だったが、あの景観に敬意を表する意味で「風」に関する実技をやってみようか」

「げっ」

「よしっ」

 先生の台詞に思わずうめいた俺と対照的に、前に座る霧子は小さく拳を握る。霧子は実践派、俺は理論派……と言えば聞こえはいいが、霧子は理論が不得意で、俺は実践が苦手なのだ。


「桐島、元気があっていいな。良、お前はもうちょっと覇気を出せ」

 レンさんが呆れたように、俺と霧子の顔を見比べる。


「す、済みません。でも、天候で授業の内容を変えるのはどうなのかなーと」

「世界樹の葉が降った日には、魔力が回復しやすい傾向にあるからな。こういう機会を逃す手はないよ」

 ささやかな抗議の言葉をあっさりと受け流して、レンさんは意識の切り替えを促すためか、パンと手を叩いた。


「よし、じゃあ二人一組でペアになれ」

 号令の下、ざわざわと講義室がざわめき始める。こういう場合、隣の席同士でペアになるのが普通だが、中にはそう思わない人たちもいるわけで、そういう人たちが向けた視線の先には、ほかでもない我が親友の姿があった。


「速水君―――」

 そんな要領のよい誰かが龍也に声をかけようとする前に、


「龍也、組もうぜ」

「あ、うん。いいよ」

 俺は素早く人の良い親友に声をかけて、ペアの了承を取り付ける。と、その刹那、


「あー、ずるい!」

「神崎君、ずるいよ!」

「そこ、五月蠅いぞ」

「す、済みません」

 不平を口走った生徒にレンさんの叱責が飛んだ。人の良い龍也は、怒られた女の子に気の毒そうな一瞥を投げながらも、小声で俺に礼を言う。


「ありがと、恩に着るよ」

「別にいいよ。俺も今日は疲れてるし。お前と組んだ方が気が楽だ」

「なるほどね。でも、ありがと」

「そう言うことしてるから怪しい噂を立てられるのよ、あんたらは」

 と、これまた小声で、笑うのは霧子。そういう彼女本人は隣の席の女の子とペアを組んでいる。

 ……怪しい噂の内容については深くは考えないことにしておこう。どちらにせよ、朝に引き続いて授業中にも龍也に気疲れさせるよりはマシだろう。


 そんな小さな騒動のなか、生徒全員が他の誰かと向き合う体勢になったことを確認しながら、レンさんは指示を飛ばし始めた。


「ペアは組めたか? ……よし、じゃあ流体干渉から始めようか。勿論、扱うのは「風」だ。とは言え、風を起こすだけでは芸がないからな、多少は工夫をしてみよう」


 魔法。それは魔力を使用することによる法則の書き換えだ。


 無から有を生み。

 有を無へと変えてしまうように、物理法則を無視・改変することがその本質だと言われている。


「今回、作り上げるのは竜巻だ。大きさは手のひらで踊るくらい。風速は各自に任せようか。手のひらに穴が開かない程度には威力を抑えるんだぞ?」

 レンさんの冗談めかした注意に、くすくすと小さな笑いが教室に零れる。とは言え、笑う余裕のある生徒は教室の半分ぐらい。残り半分は、今から実現すべき魔法に、早くも意識を集中しかけている。


「さて、問題は持続時間だな。高等部になって「今更」と思うかもしれないが、魔法の持続時間は、難易度を決める重要な要素だ。決してその設定を軽く考えるな」

 魔法を長時間に渡って実現しようとするほど、その魔法を実現する難易度は跳ね上がる。例えば、町を丸ごと一つ空に浮かべて固定する、石を金に永続的に変換する、なんという真似はまず学生レベルでは実現できないレベルの魔法になる。


「書き換える対象になる法則、書き換えた後に実現したい法則、そしてそれを維持するための時間。その三要素が魔法の難易度を決める、初等部の頃から聞き飽きているだろうが、初心忘るべからず。常に自分の扱える魔力量と相談しながら適切な値を、項に設定しろ」

 確かにそれは初等部の頃から教え込まれてきたこと。だが、実際問題、その「難易度」を実感することはなかなかに難しい。

 だけど、自分が行使しようとする魔法の難易度は、適切に把握・設定しないといけない。魔法の難易度が上がると、それを実現するために使用される「魔力」もつられて上昇する。自分の体の中の魔力量を上回る難易度の魔力を行使した場合、文字通り「干からびる」ことがあるらしい。


「目標とする持続時間は……、そうだな、3分。それを実現できるように各自、風の強さを加減しろ。二人一組で交互に、五回。相方の魔力がつきそうなら、即座に魔法を中断させろ。できないようなら、大声で私を呼ぶこと。いいな?」

 てきぱきとした指示が教室に響き、生徒たちの表情からも笑みが消え、皆、その眼差しに力を込めていく。


「良。どうする? 僕、先にやろうか?」

「いや、たまには俺からやってみる」

「そう? なら、いいよ。良って風の扱いは得意な方だもんね」

「他に比べると、だけどな」

「腐らない、腐らない。ほら、神崎先生が見てるよ」

 俺の自嘲を、龍也が苦笑しながらなだめる。緊張をほぐしてくれる龍也の気遣いをありがたいと思いながら、正直、それに笑みで応える余裕はなかった。

 なにしろ「旋風」ではなくて、「竜巻」を実現しろ、と言ってきた。しかも、手のひらの上で、だ。実技苦手な俺にはなかなか難易度が高い注文なのだ。気を抜くわけにはいかなかった。


「では……始め!」

 レンさんの声。それが発せられると同時に、俺は目を閉じて、意識を自分の内側に集中する。

 集中の起点にするのは、胸の中央。体を巡る魔力の中心点を意識して、次いで体内の魔力の動きを捉えるために意識を広げていく。

 魔力の感じ方というものは人によって差があるものらしいが、俺の場合、たぐり寄せる魔力の感触は、血液に似た何か。冷たく、あるいは熱く、体の中を巡り流れるものが、俺の中にある魔力の形と動きだ。その動きを知覚しながら、さらにその流れを自分自身で制御し、体の一点に集まるように思考を紡いでいく。

 体を巡る魔力を、どこか一点に集めることは魔法を使うための基本的な手順だ。どこに集めるかはこれまた個人差があるし、また実現しようとする魔法によっても最適な場所は異なる。

 今回、使う魔法は「掌の上に小さな竜巻をつくる」、というもの。

 必然的に、魔力の流れを右の掌に集めるように思考を操り、同時に「魔法の言葉」……呪文を口にする。


 呪文。それは、世界の規則を上書きするための「規則」であり、一点に集めた魔力に形を与えるための「鍵」だ。


「……流れる風に足枷を」

 呟きと共に、イメージするのは現実を縛る法則の破棄。掌の上にある空気の動き流れるための規則に干渉し、ひびを入れ、その働きを止める。


「閉ざされし風には、螺旋の道を」

 間を置かず、脳裏に実現したい形を描きながら、仮初めの法をくみ上げていく。法則の組み立ては正確に、緻密に、迅速に。ひびを入れた「本物の」規則が息を吹き返す前に、ひび割れた規則の隙間に風が螺旋を描くための「道筋」を形作っていく。


「掌には、四方閉ざす壁」

 最後にイメージするのは、幻を現実に留めて置くための法則の施行。掌に透明の壁を打ち立てて、その範囲を限定する。

 そして。


「以て、風よ。道に従い、その箱庭に吹き荒れよ―――っ!」

 魔力によって組み立てられた法則の発動を命じながら、呪文の最後を語気強く、結ぶ。


 ―――ふわ。


 掌に感じる浮遊感。

 そして流れる風が、次第に勢いよく螺旋を描いていくのを瞳を閉じたまま、自覚する。


 ……できた。

 胸中で呟き、僅かな安堵に小さく手を握りかけた。


 でも、まだ気を抜いてはいけない。持続時間は、三分。正規の魔術師なら、呪文の発動とともに意識を解放しても思い描いたとおりの持続時間を実現できるが、見習いに過ぎない学生の身においては、最初から最後まで意識を魔力に集中させて、その行使を管理しないといけない。

 掌に感じる風の動きが変化しないように、魔力の動きを調節しながら、螺旋のイメージを脳裏に流し続ける。ドクドクと、掌が脈打つように熱くなるのは緊張のためか、魔法の余波か。その熱に、多少焦りながらも、必死で目標の時間が訪れるまで、魔力を掌に流し続ける。


 そして、


「三分」

 終わりを告げる、レンさんの声。その声に、俺は意識をほどいて目を開けた。掌はじっとりと汗ばんでいたが、渦巻く風に穴が開いている訳でも、やけどを負っているわけでもない。

 それを確認してから目の前の龍也に、おそるおそると目を向けて、聞いた。


「……、で、できてた?」

「うん。ばっちり」

 我ながら不安げな声に、にっこりと微笑みながら龍也が頷く。


「よしっ」

「良く出来ました―――、と言いたいが、一つ、要修正だ」

 龍也の頷きに思わず拳を握る俺の頭を、こん、と教科書の背で、軽くレンさんがつついた。


「な、何かまずかったでしょうか……?」

「魔法の正否を他人に確認してどうするんだ。お前、一度も目を開けなかったな? 内面ばかりに意識が行き過ぎている証拠だぞ」

「しゅ、集中しようと思って」

「集中するのは重要だが、あまりに目の前の現象から目を背けるのはマイナスなんだ。自らの内面を、現実という外面にかぶせるのが魔法なら、内面、外面のどちらかから目を離すのは自殺行為になる。まあ、これは今まであまり注意しなかったことだけどね。他にも何人か、目を閉じてた者がいるな?」

 教室を見回すレンさんに、何人かが気まずそうに顔を伏せる。その様子を目に捉えながら、レンさんは教壇へと歩きながら言葉を続けていく。


「今までは、内面の形成に重点を置いていたから五月蠅くは言わなかった。しかし、もう高等部の二年なんだ。そろそろ自分の内と外、両方に意識を拡散できる訓練もした方がいい……では、交代だな。今言ったことを忘れずに。始め!」


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