第十六話 興味の理由(その1)
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魔法使いたちの憂鬱
第十六話 興味の理由。
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/1.生徒会(篠宮鈴)
放課後の生徒会室は、最近には珍しく静寂に包まれていた。
終業の鐘が鳴ってから一時間が経とうとしているが、この場所にいるのは副会長の私一人だけ。部活動を掛け持ちしているメンバーの不在はいつものことだが、卯月さんや綾さん、そしてセリアがまだ姿を見せていない。
「何か、あったんでしょうか」
セリアはともかく下級生組の二人の不在に、そんな考えが唇から零れる。しかし、そう呟いてしまった自分に、私は小さく苦笑した。我ながら心配のしすぎだと思ったから。
そもそも生徒会準役員である綾さんと鏡花さんには毎日の出席義務はない。正役員からの要請があれば出席義務は生じるが、その二人の頑張りのお陰で処理しなければならない書類はおおかた片づいている。だから「他に用があれば休んでも構わない」と、二人には告げてあるので、彼女たちが姿を見せなくても訝しむ必要はないのだ。もっとも欠席するときはその旨を連絡して欲しいのだけれど。その辺りは、今度言っておかないといけないだろう。
問題は、セリアの方だ。会長である彼女には、当然のことながら出席義務はあるのだし、遅れるようなら必ず私に連絡して欲しいと常々言ってはいるのだけれど……と、そこまで考えて私は苦笑しながら小さく息をついた。
「まあ、今更、ですけどね」
会議の無い日などにセリアが遅れることは、度々ある。流石に、私に黙って先に帰るなんてことはしないので、待っていればそのうち姿を現わすだろうけれど……果たして、一体どこにいるのやら。姿の見えない親友の行動に思いを巡らせながら、私は会長席前のソファーにすとん、と腰を落とした。
誰もいない部屋。耳に届くのは、遠い場所にいる誰かが奏でる喧噪だけ。どこかの運動部のものらしい威勢の良い声が校庭から響いてくる。そんな活気に満ちた声を遠く聞きながら、私は一人、静寂の中に身を浸した。
……こういう時間も悪くはない。
セリアの後ろを歩いていると、人に囲まれることが日常になってしまうけれど、元々、私は静寂を好む類の魔法使いだ。だから、こうして一人佇む時間というのは嫌いじゃない。ひょっとしたら、私にこういう時間をくれるために、時としてセリアは勝手に見える行動をとるのだろうか、と思うことがある。流石に穿ちすぎな考えか、と思う反面、意外と間違っても居ないような気もする。
篠宮の人間として、紅坂セリアと出会い、そして何時しか友人として付き添うになってからもう十年を超える。でも、未だ彼女の思考は私には掴みきれない。それは執事たる篠宮の人間としては情けないことだけれど、反面、それも当然だという思いもある。だって、セリアは紅坂の魔法使いの中でも特別な人だから。簡単に理解なんてできるはずはないし、そもそも理解できるなんて自惚れてもいけない―――。
そんな、とりとめのない思考にどのぐらい浸っていただろうか。足音が慌ただしく近づいてくるのに気付いて私は、薄く閉じていた瞼を開けた。
「……卯月さん?」
自然と口から漏れた言葉を、しかし、私は次の瞬間には「違う」と否定する。慌ただしさはあるものの、全力疾走ではなく小走りにリズムを刻む足音は、卯月さんの印象から少し外れているように思えた。おそらくは綾さんだろう。そう考えながら私はドアの方へと視線を投げる。
「す、済みません、遅くなりました」
ドアを開け姿を見せたのは、予想に違わず神崎綾さんだった。
「お疲れさまです。綾さん」
予想が当たったことに小さな満足を覚えながら、私は少し息を弾ませながら頭を下げる彼女に応じる。
「済みません、篠宮先輩。遅くなってしまって……」
「気にしないでください。今日は人がいませんから」
「え、あれ?」
そこでセリア達の不在に初めて気付いたのか、綾さんは意外そうな声を上げて部屋の中に視線を巡らせた。
「鏡花ちゃんも……会長さんもまだなんですか?」
「ええ」
「そうなんですか」
セリアが居ない。その事実を確認した綾さんの表情に、僅かな安堵が覗く。やはり彼女もまだセリアに対しては多少の緊張が抜けないらしい。
「綾さんは、今まで何か用事があったのですか?」
「あ、はい、少し。ちょっと友達に相談したいことがあったんです」
「相談……ですか。なにか心配事でも?」
「心配事といいますか、その、えーと、少し個人的な問題がありまして……」
私の問いかけに、綾さんは答えづらそうに言葉を濁した。その彼女の態度から、あまり踏み入るべきではないかな、と判断して私は別の事を口にする。
「今週はあまり作業はありませんから、問題があるようでしたら帰宅して貰って構いませんが」
「あ、いえ、大丈夫です。大分、落ち着きましたから」
「……そうですか」
僅かに乱れた息を整えながら、綾さんは「大丈夫です」と微笑んだ。しかし、その笑みに、私は少し違和感を感じて内心で首を傾げる。少し声と表情が固い気がしたからだ。それはほんの些細な感情の強ばりだったけれど、ここ最近、綾さんはいい知れない幸福感をまき散らしていただけに、その変化が私の心に引っかかった。
何かあったのだろうか。
頭をよぎったその考えを口には出さずに、私は綾さんに席を勧めて、自分はソファーから腰を浮かせた。
「では、遅刻している人たちは放っておいて、お茶にしましょうか」
「あ、手伝います」
「構いませんよ。綾さんは座っていて下さい。今日は手のかかる会長がいませんから、手持ちぶさたなんです」
そう言いながら私は、少し上等な茶葉を用意しようと考えながら食器棚に足を向ける。綾さんに何があったのかは分からないけれど、少しぐらいはその気持ちを和らげて上げたいと、考えながら。
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「やっぱり、篠宮先輩のお茶って美味しいです」
「ありがとうございます」
ティーカップから立ち上る香気に、綾さんの表情が心持和らいだのを見て、私は僅かに目を細めた。やっぱりこの娘には、優しい表情が似合っている。そう思いながら、私も紅茶で喉を潤した。
二人で紅茶に唇をつける時間、自然、生徒会室には沈黙が満ちていく。その静けさを敢えて壊すことはせずに、私は綾さんの表情をそっと伺った。あまり踏み込んでいくべきではない、とは分っているけれど、彼女の瞳に見え隠れする憂いに、私は思考を巡らせてしまう。
実のところ、頭に思い浮かんでいることはある。ここ最近、綾さんの機嫌が良かった理由は「色恋沙汰」だというのは見当がついている。だから、その機嫌が悪くなったというのなら……、やはりその原因も同じく色恋沙汰ではないか、と思うのだけれど。
……速水君が相手なら、無理もないかもしれない。声に出さずに呟いて、私は速水君の繊細な顔立ちを脳裏に浮かべた。
綾さんから直接聞いたわけではないけれど、綾さんの想う人は速水君ではないのかと、私と卯月さんは予想している。その予想が当たっているのなら、その恋路は平坦なものにはなりえないだろう。何しろ、速水君は「速水会」なんていうファンクラブができるほどに魔法院の学生達の好意を集める存在だ。その彼を射止めようというのなら、彼の周囲との確執はどのぐらいのものになるのか、想像するだけで少し怖くなる。さぞや気苦労も絶えないことだろう。
もっとも、綾さんが本当に、速水君を想っているのかの確証はない。まあ、「綾さんが好きなのは彼女の兄さんじゃない?」なんて言うセリアの予想よりは、私の予想の方が当たっているとは思うのだけれど。実際問題、綾さんが親しくしている男性は、速水君とお兄さんぐらいしか知られてはいないし、じゃあ、どちらが彼女の相手として考えられるか、と言えば普通は選択の余地はない。流石に、セリアの想像は不謹慎にも程があるのだから。
「そういえば会長は、今日はお休みなんですか?」
「休みとは聞いていませんから、その内来ると思います」
綾さんの声に、私は意識を現実に引き戻して、とりとめのない思考を中断する。今日はあまり詮索するのは止めにしようと心に決めて、私はまだ姿を現さない親友の話題に、小さく溜息をついて見せた。
「一体、どこで寄り道をしているんでしょうね。困った会長です」
そう零した私の呟きに、綾さんが一瞬、不思議そうな顔をした。
「? 綾さん、どうかしましたか?」
「あ、いえ。ちょっと意外だな、って」
「意外ですか?」
「はい。会長さんって、いつも篠宮先輩と一緒にいる印象があったので」
「ふふ。そうでもありませんよ」
そうだったら嬉しいのだけれど、と心の中で呟いて、私は紅茶で唇を湿らせる。
「セリアは意外と気紛れですからね。私がいくら注意しても、フラフラと、どこかへ行ってしまうことがあるんです」
「あ、それこそ意外です」
「そうですか?」
「はい、会長さんって篠宮先輩の言うことなら聞くって思っていました」
「そうだったら嬉しいのですけど」
今度はその台詞を声に出してから、私は小さく息をつく。
『篠宮鈴は、紅坂セリアの手綱を握っている』。周囲からは時々そういう誤解を受けることはあるし、実際にセリアも他の誰かの言葉より私の言葉に耳を傾けてはくれる。でも、だからといって「私はセリアに言うことを聞かせられる」なんて自惚れるつもりは毛頭無い。
「セリアは我が儘ですからね。いつも私の言うことを聞いてくれる保証なんてありません」
「そうなんですか?」
「ええ。例えば去年なんか―――」
と、そこまで口にして私は、言葉を止めた。失言だったか、と苦い思いが瞬時に脳裏を巡る。
去年のこと。それはつまりセリアと、そして綾さんの兄である神崎良さんの間で起きた一騒動のことだ。おそらく綾さんにとって「お兄さん」が占める割合は大きい。少なくとも彼女が生徒会に入ってからいままでの行動・言動から私はそう判断している。だから、彼女の機嫌が悪そうなときには触れるべき話題ではない。
そう考えて別の話題を口にしようとしたのだが、しかし、少し遅かった。私が話題を変える前に、綾さんの問いかけが割り込んだのだ。
「あの、篠宮先輩」
「はい?」
「去年、兄さんと会長さんが喧嘩したって、本当なんですよね?」
「……ええ」
おそらく私が止めた言葉の先を読み取っていたのだろう。その鋭さに感心しながら、私は綾さんに小さく頷いた。
「去年はその所為でお兄さんにご迷惑をかけました」
「あ、いえ。こちらこそ、兄がご迷惑を……おかけしましたよね?」
「……お兄さんから事情は聞いてはいないのですか?」
「一応聞きました」
私の問い掛けに頷きながら、「でも」と綾さんは言葉を続ける。
「でも、兄さんの言い分しか聞いていませんから。できれば、会長さん側の事情も知っておきたいなって思うんです」
「なるほど」
彼女の言葉に、私は再度感心して頷いた。彼女はきっと、お兄さんが嘘をついていると疑っている訳ではないのだろう。ただ情報はなるべく公平に、そして正確に掴んでおきたい、ということなのだと思う。綾さんらしい物言いだと、私は小さく頷いた。感情の振れ幅が大きい女の子としての綾さんではなく、「天才」と称されることもある魔法使いとしての彼女が見せる側面。
果たしてどちらが彼女の本質なのだろうか。思わず考え込む私に、綾さんは別の意図をくみ取ったのか少し慌てた様子で首を振りながら言葉を継いだ。
「あ、別にそんな大げさな意図なんか無いんです。えーと、その、事情を知っておけば兄さんと会長さんの仲直りのお手伝いも出来るかも知れませんし」
「ふふ、そうですね。そうして頂けるのなら私も助かります」
危うく「セリアと神崎さんの関係改善のため、と言われればお話ししない訳にはいけませんね」なんてセリアのような台詞が口をつきそうになったのを抑えて、私は笑って頷いてみせる。
「でも、実は去年の一件には私はあまり関わっていないのです。ですから、「当事者」としてのお話は残念ながらできません」
「そうなんですか?」
「ええ」
セリアが速水君を生徒会に勧誘したことに端を発する一連の騒動。その際に、速水君の勧誘などに私は直接関わることは無かった。正確に言えば「関わらせてもらえなかった」のだ。
「勿論、セリアから逐一状況は聞いていましたし、事情自体は把握しています。その上で言わせてもらえれば、あれはセリアの我が儘が原因です。お兄さんにはご迷惑をおかけしました、としか言いようがありません。寧ろ、私からはお兄さんにお礼を言わなくてはいけないぐらいです」
「そ、そんなに去年の会長さんって、その……」
「ええ。ひどかったです」
私に気を遣ってか、穏便な言葉を探してくれる綾さんに微笑みながら、私はあっさりと彼女が言いたかったはずの言葉を口に乗せた。私の理解している限り、あの一件は、ただセリアの気まぐれから始まって、そして彼女の意地によって迷走を辿った出来事だと私は思っている。
「セリアにも言い分はあるのですけどね。それでも、少し強引すぎました」
「強引……ですか」
呟いて綾さんは、納得したように小さく頭を縦に振った。そういえば、彼女はセリアが桐島さんを勧誘する現場に立ち会ったことがあったのだっけ。
「でも、会長さんは、どうしてそんなに速水先輩を生徒会に入れたかったんですか?」
「そうですね。引っ込みが付かなくなったんでしょう」
「……それって、兄さんが出張っていった所為で、ですか?」
「ええ。おそらく」
綾さんの理解の早さに微笑みながら、私は彼女の言葉に頷きを返す。「神崎良さんのおかげで、引っ込みが付かなくなった」。そう指摘すると未だにセリアは頬をふくらませて否定するけれど、しかし、客観的に考えてそれは真実だろう。いつものセリアらしくないやり方の数々は、「神崎良」という要因に彼女が上手く対処できなかった所為だと私は考えている。
「じゃあ、会長さんは速水先輩にそこまで興味は持っていなかった、ってことなんですか?」
「強い興味があったことは確かです。現に今でも彼への勧誘を諦めては居ないようですしね。ただ、いつの間にか速水君よりも強い興味を抱かせる人物が現われてしまった、という辺りが真相のようです」
つまり、去年の出来事でセリアの関心は速水龍也から神崎良へと、いつの間にか移っていた、という事。そして、恐らくセリア自身その事を自覚できていなかったが故に、事態は迷走を辿ることになったのだろう。
そう告げる私に、綾さんは面食らったように何度か目を瞬きさせながら、じっと私の顔を見つめる。そして確かめるようにゆっくりとした口調で、私に向かって問いかけた。
「それって、会長さんは兄さんの方に興味を持っている、ってことですか? 速水先輩にじゃなくて?」
「セリアの気持ちが完全に理解できている訳ではありませんけどね。少なくとも私にはそう見えています」
そう。セリア本人も否定しているが、彼女の興味はおそらく速水君や桐島さんにはないだろう。セリアの考えを理解できているなんて、自惚れは私の中にはないけれど、それでもこの件に関しては私はほぼ確信をしていた。だから、はっきりと答えたのだが、その私の返事に、綾さんは目に見えて狼狽える。
「で、でも、兄さんって、えーと、その」
そこで綾さんは言葉を濁したが、言いたいことは分かる。神崎良さんに関しては、容姿・成績・家柄ともに突出した点はない。はっきり言ってしまえば、セリアの興味を引くにはあまりにも「平凡すぎる」ように思える。
でも、言ってみればそれは些末事。彼がセリアの気を引いてしまう理由の一つに、私は気付いているから。果たしてそれを口にするべきか。一瞬の迷いが頭をかすめたけれど、私は小さく首を振ってから、結局はその答えを口にした。彼女は神崎良さんの妹だ。なら、事情を知っておく権利はあるだろうから。
「今までセリアに刃向かった人なんていませんでしたから」
「え?」
「初めて自分に面と向かって喧嘩を売った相手に興味を持ってしまったんでしょうね」
そう。それが恐らくセリアが神崎良さんに興味を抱いてしまう理由だと、私は思っている。私にとってはとても単純でわかりやすい理由。しかし、それを告げられた綾さんは、戸惑いの表情を浮かべて言葉を詰まらせた。
「え、でも……」
「普通は信じられないでしょうね。無理もないと思います」
困惑する綾さんに、私は軽く笑って頷いて見せた。そう、普通は信じられないだろう。『紅坂セリアは、誰かに刃向かわれたことはない』、なんて言葉を告げられても、それは冗談だとしか思えないだろう。でも、違うのだ。
「少し大げさな言い方だったかも知れませんね。でも、あながち嘘ではないんですよ」
事実、私の記憶の中のセリアは、誰かに刃向かわれた事はない。そして私自身、本気でセリアに逆らったことは無かった。それを不思議だとは私は思っていない。小さな時から、今に至るまで、いつだってセリアは誰かを従える人間で、そんなのは当たり前の光景として誰もが受け入れていたから。
小さな諍いや喧嘩があったとしても、最終的には誰もが「紅坂の小さな支配者」に頭を垂れる。そのルールが破れたのは、去年のこと。つまり神崎良によって、速水龍也の生徒会への勧誘を阻止されるそのときまで、そのルールは破られることはなかったのだ。少なくとも、私の目の前では。
「だから、良さんの事が、どうしても気になってしまうのでしょうね。セリアは」
未だ信じられない、といった表情を浮かべる綾さんに、私はそう言って微笑んだ。
セリア本人は否定しているけれど、セリアが神崎さんに「好奇心」を抱いているのは確かなことだろう。ひょっとしたら、セリアは彼を手元に置きたいのかもしれない。
いつか私に神崎良さんの成績を尋ねたときには「問題外ね」と吐いて捨てたが、それは裏返せば成績さえ一定水準を満たせば、彼を勧誘しても良いと考えていたということ。だから、理由さえ見つかれば、セリアは彼に触手をのばすのではないだろうか。
神崎良さんの中に、紅坂の魔法使いが興味を抱くに足る『理由』さえ見つかれば、あるいは―――。