第十五話 お兄さん葛藤中(その1)
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魔法使いたちの憂鬱
第十五話 お兄さん葛藤中。
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1.神崎家の朝(神崎良)
綾の様子がおかしい。
いや、まあ。綾の生徒会入りに前後したこの数週間、綾の様子はずっとおかしかったけれど。でも、ここ数日は「おかしさ」のベクトルの向きが今までとは変わっている。今までは、拗ねたり、怒り出したりと感情が「負」の方向に向く事が多かったのだけれど、それが今では逆になっているのだった。つまり、どういう事かというと。
「兄さん、おはよう」
「うおっ!?」
登校前。まだ眠い目を擦りながら居間に入った途端、俺はいきなり背後から抱きつかれて思わず声を上げた。慌てて首を後ろに回せば、綾が俺に抱きついたまま嬉しそうに微笑んでいる。
「おはよ、兄さん」
「お、おはよう……って、いや、そうじゃなくて!」
「え? 何?」
「『何?』じゃない。離れろよ」
「……なんで?」
「なんでって、お前な。朝から暑苦しいだろ」
胸に回された手を叩きながら努めて冷たく「離れろ」と告げる俺に、しかし綾は相変わらず微笑みを崩さない。
「えへへ。照れることないのに」
「照れてない」
「でも、顔赤いよ?」
「っ?! それは暑いからだって!」
「ホント?」
「ホントだ!」
「うんうん。そういう事にしておいてあげるね」
「お前なあ……って、だから抱きつくなって言ってるだろうが!」
「だから、照れなくても良いのに。えへ」
……とまあ、こんな具合に。
この一週間というもの、妹はやけにこんな具合に機嫌良くスキンシップを試みてくるようになったのだった。いや、スキンシップ自体は前からやっていたと言えばやっていたのだけど……何か違う。
何が違うのかと問われると、答えにくいのだけど、綾に余裕があるというか、主導権を握られていると言えばいいだろうか。今みたいに「離れろ」とあしらってもめげる様子を全く見せないのだ。
対して俺はと言えば、まあ、今見せているとおりの有様で。慣れているはずの綾の感触に狼狽してしまうことが度々あったりなんかして、主導権なんてものを握れるほどの余裕がなかった。
まあ、綾が鬱々とストレスを溜めているよりは、こうして楽しそうに笑ってくれている方が俺としても嬉しいけれど……反面、俺の方は混乱と自己嫌悪に胃に穴が開きそうだったりする。その内、禿げるかもしれない。そんな不吉な想像が頭を掠めた刹那、とてとてと軽い足音とともに、廊下の奥からレンさんが姿を見せた。
「……朝から騒々しいぞ、お前達。というか主に綾」
「あ、レンさん。おはようございます」
「おはよう。朝から大変だね、良」
いつもようにワイシャツ一枚という出で立ちのレンさんは、ドアの所で揉めている俺たちに呆れたような視線を向けながら、小さくため息を零した。
「まったく……ほら、綾。朝から良を困らせるんじゃない」
「困らせてなんかいません。ただ兄さんといちゃついているだけだもん」
レンさんの言葉に、綾は不満げに唇を尖らせてそんな台詞を宣った。あげく、俺から離れるどころかますます抱きつく腕の力を強くする。そんな綾に、レンさんは肩をすくめて、ますます呆れたように綾を見る目を細めた。
「いちゃつく、ね。私にはお前が一方的にじゃれついているだけにしか見えないが」
「そんなことないです。ほら、兄さんもこんなに嬉しそうだよ?」
「……誰が嬉しそうなんだ、誰が」
「もう、だから照れなくて良いのに」
「人の話を聞いてくれ、頼むから」
レンさんの注意にも全く悪びれる様子のない綾に、レンさんは深々とため息をついてから、ひょい、と綾の制服の襟首をつまんだ。
「ほら、いい加減、離れないか」
「むー。レンさん邪魔しないでよぅ」
頬を膨らませながら文句を言う綾だが流石にこれ以上は怒られると分かっているのか、しぶしぶといった表情でようやく俺から離れてくれた。
「ああ、兄さんとのいちゃいちゃが終わっちゃった……」
「朝から兄といちゃつくんじゃない」
「えー」
「えー、じゃない。良だって、朝は私といちゃいちゃしたいに決まってるんだ」
「そんなの決まってないもん!」
「いや、決まってるぞ? なあ、良?」
「あのですね……」
意味ありげに目を潤ませて上目遣いは止めて下さい、レンさん。話が違う方にややこしくなるから。万が一、妹に続いて、母親まで意識するようになったら、人間として生きていく自信がなくなります、俺。
そんな俺の内心の呟きはさておき、レンさんは居間の時計を指さしながら口を開いた。
「ま、とにかくさっさと朝食にしよう。時間無くなるぞ」
「あ、わたし生徒会があるから先に行くね」
「あれ、朝ご飯は食べないのか?」
「私はもう食べちゃった。二人の分とお弁当は用意してあるから」
そう言われて綾の姿を見ると、既に制服姿だ。今日も今日とて朝から生徒会らしい。
「毎日大変だな」
「寂しい?」
「さっさと行け」
「はーい。行ってきます。兄さん、また後でね」
元気いっぱい、と行った様子で綾は小走りに玄関に向かう。その背中に視線を送りながら、レンさんが再度ため息をついた。
「やれやれ、まあ鬱々としているよりも、吹っ切れた方が良いんだが……良」
「はい?」
「あまり思い詰めるなよ。ま、なるようにしかならないさ」
レンさんはそう言うと、ぽん、と背中を叩いて微笑んだ。まるで、全てを見通しているような、そんな言葉を口にしながら。
2.午前の作戦会議中(神崎綾)
「という訳で今朝も、ちゃんと兄さんとスキンシップできたよ」
「そう。よかったね、綾」
「うん」
授業の合間の休憩時間、今朝のことを報告する私に、佐奈は嬉しそうに目を細めて仄かに微笑んでくれた。遊園地の出来事から一週間、こうやって兄さんとの出来事を相談する度に佐奈は「その調子だよ」と私のことを応援してくれている。そんな佐奈だったけれど、私の話が一段落すると、今までとは違って少しだけ表情を改めた。
「でも、綾。そろそろ攻撃力を一段階あげるべきだと思う」
「……攻撃力?」
「うん。今、良先輩の防壁は大きく揺らいで隙が出来ているけど、それがいつまで続くかは分からないよ? だから、この機を逃しちゃ駄目。一気に攻め崩しちゃおう」
「攻め……崩す」
いつものように淡々とした佐奈の声に、しかしいい知れない迫力を感じながら、私は彼女台詞を繰り返す。確かに攻めることは大事で、私だってそうしたい。だけど……
「でも、ちゃんとスキンシップしてるんだよ?」
「兄妹としてのスキンシップになってない? 抱きついたりは今までもしてたよね」
「う……」
確かに言われてみると、その通りかも。兄さんの反応が違うだけで、私がやっている行為自体は今までと大きくは変わらないかも知れない。そして、今は抱きついたら、ちゃんと照れてくれているけれど、それがいつまた以前のような状態に戻ってしまうとも限らない。
その私の考えを見越したように、佐奈は真剣な表情で頷きながら続けた。
「良先輩が理性を取り戻して「あくまでこれは兄妹のスキンシップなんだ」って、思い直すより前に攻めないと駄目」
「そ、そうか。そうよねっ」
佐奈の指摘に「確かに」と私は頷いた。今までずっと想い続けてきてようやく訪れたチャンスらしいチャンスなんだから、逃してはいけない。
「でも、今までやったことのない様な方法で攻めなきゃ駄目なんだね?」
「うん」
頷く佐奈に私は考えを巡らせる。今までやっていないこと。そして兄さんが私を意識してくれそうなこと。それはいったい何なのか。
「……」
「綾のえっち」
「そ、そんなことないもん!」
思わず頭に浮かんだことを見透かすような佐奈の呟きに、私は慌てて首を横に振った。……自分でも耳が赤くなっているので説得力はあまりないとは思うけれど。
そんな私にいつものように「冗談だよ」って小さく口元を綻ばせた佐奈は、私を安心させるように首を縦に振ってくれた。
「でも、そっちの方向で間違ってないと思う」
「やっぱり、えっちなこと?」
「うん。でも、その前に……素直に告白した方がいいって思う」
「あ……」
基本中の基本のを指摘されて、私は今度こそ間違いなく羞恥に顔を赤くした。そんな大切な事が頭から抜け落ちていたなんて、我ながら浮かれすぎているにも程がある。
「綾のえっち」
「ごめんなさい」
今度は返す言葉もございません、と反省してから「でも」と私は小さく首をかしげた。
「でも、どうしたらいいかな……兄さんには言ったんだけどな。「好きな人はいるよ」って」
私は「天国への塔」での事を思い起こしながら、呟いた。普通、あんな状態で、あんな台詞を言ったら少しぐらいは私の気持ちは通じても良さそうなのに。そう零す私に、佐奈は諭すように言った。
「綾。普通の人は妹さんが「好きな人がいる」っていっても、自分のことだとは思わないよ?だから、それで気付って言うのは我が儘だと思う」
「う……そうかなあ」
「うん」
常識論で諭されて、私は僅かに肩をおとす。そんな私を励ますように佐奈が小さく微笑んでくれた。
「大丈夫。綾。きっと、もう一息だから、頑張ろう」
「うん。ありがとうね、佐奈」
こういう時の佐奈は本当に頼もしくて。
「ところで、綾」
「なに?」
「もう綾は良先輩とキスしちゃったんだから、私も先輩とキスしちゃってもいいよね?」
「駄目です」
「……ケチ」
「ケチとかそういう問題じゃないのっ」
そして同時に油断成らなかった。
「……大丈夫」
唇を尖らせる私に、佐奈は小さく口元をほころばせる。
「綾と良先輩がちゃんと結ばれるまで、私からは何もしないから」
「もう……まあ、佐奈らしいけど」
微妙に引っかかる言い方だけど、その辺りは佐奈の茶目っ気だって分かってるから、気にしないでおこう。それよりも今は、私自身が頑張らなくちゃいけない時だ。
「……よし」
その思いに気合いを入れて、私は小さく拳を握ったのだった。