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第十四話 波紋(その3)

/3.放課後



 /(神崎綾)



 兄さんとキスをした。

 昨日の晩から、そして今日一日、その事実が私の中を駆け巡って離れない。放課後に生徒会にやってきて、そして書庫の中で資料を整理している間も、頭の中を駆けめぐるのはそのことばかりだった。



「……兄さん、吃驚してたな」

 あの時の兄さんの顔を思い出すと、胸に小さく罪悪感が渦を巻く。でも、それ以上に高ぶる気持ちに胸が満たされていた。あの時、ほとんど衝動に突き動かされるまま行為に及んでしまってけど、それがもたらしてくれた感触と、感情と、そして成果は、甚大だった。そう、成果はあったのだ。



 だって、兄さんったら、恥ずかしがってちゃんと顔を合わせてくれないんだから。

 病院から一緒に帰るときも、そして晩ご飯を一緒に食べて、「お休みなさい」を言うまで、目が合うとどちらからともなく目をそらして、そして目をそらすとまたどちらとも無く視線を投げかける。昨晩、兄さんと私はそんな行為を繰り返していたのだ。

 つまり、私だけじゃなくて、兄さんもちゃんと私を意識してくれているってこと。そう、それはもう意識しまくってくれている、ということなんだ。これが喜ばずに居られようか。いや、居られるわけはない。



「え、えへへ」

 こみ上げる思いに、堪えきれない笑みが口元からこぼれ落ちる。だって、だって、無理もないと思う。今までは抱きついても、胸を背中に押しつけてみても、返ってくるのは微笑ましい「兄妹としての感情」だったし、時には「邪魔」とばかりにあしらわれる時さえあったのだ。

 それなのに、その兄さんが目を合わせるだけで、ちょっと赤くなって目をそらしたりなんかしてくれるなんて……



「やー、もう、兄さんたら、照れ屋なんだからっ」

 そんな昨日の兄さんの態度を思い起こして、私は、ばしばしと右手で机を乱打する。我ながら挙動不審だとは思うけれど、高揚する気持ちが自分が抑えきれない。



「よーし、早く仕事終わらせないとね」

 兄さんに早く会いたい、というのもあるけれど、それ以上に佐奈にちゃんと報告したい。勿論、お昼休みには、佐奈には報告したけれど、まだまだ全然しゃべりたりないのだ。だから、早く仕事を終わらせて思う存分、佐奈とおしゃべりしたかった。



「あ、そうだ。母さんにも報告しないと」

 母さんだって、兄さんとキスなんてしたことはないはずだし。ふふふ、自慢してやる。



 そんな感情に、鼻歌を歌いながら、私は常にないほどの幸福感に包まれながら、資料を手に作業を始めるのだった。



 /(紅坂セリア)



「……か、会長」

「鏡花さん?」

 呼びかける声に顔を上げれば、なんだか泣きそうな表情で私に訴えかける卯月鏡花の顔があった。一年生であり会計補佐を務める彼女は、同じく一年生で会計補佐を務める神崎綾と一緒に書庫で作業をして貰っていたはずだった。その彼女が奥の書庫から抜け出してきたのは、私に陳情したいことがあるからだろう。……まあ、大体察しは付くけれど。



「どうしたの? 何かあった」

「あの、その……綾ちゃんが」

「綾さんがどうしたの?」

「え、えーと」

 私の問いかけに、どう答えたものかと彼女は褐色の瞳を曇らせてしばし言葉を詰まらせる。そして、考えあぐねたあげく、ひどく簡潔な言葉を選んで口にした。



「あ、綾ちゃんが変なんです」

「……そうね、変ね」

 確かに今の彼女の様子を表現するのに、「変」という言葉はふさわしいだろう。今日、生徒会にやってきた時から神崎綾の様子はいつもと違っていた。夢見心地、とでも言えばいいのだろうか。手際良く仕事をこなしているかと思えば、不意に、中空に視線を投げては頬をゆるませて、身もだえしていたりした。どうやらその行動は、鏡花と二人で書庫に放り込んでも変化はなかったらしい。

 あまりにいつもと違う彼女の様子に、鏡花はおびえつつも心配になったらしく、僅かに目に涙をためて困り果てた様子で私を見つめた。



「ど、どうしたらいいんでしょう。保健室に連れて行った方がいいんでしょうか……?」

「その必要はないでしょう」

 泣きそうになっている鏡花を安心させるように、私は軽く微笑んでから首を横に振った。



「寧ろ、保健室で手に負える類の話じゃないと思うし、ね」

「え? そ、そうなんですか」

「貴方もそう思うでしょう? 鈴」

「そうですね。急を要する病ではないと私も思います」

 私の背後で書類を片手に調べ物をしていた鈴は、普段通りさほど表情を変えないままに、私に頷いた。



「はあ」

 そんな私と鈴の返事に、鏡花は今ひとつ釈然としない表情を浮かべる。その彼女に、私は少し意地悪っぽく目を細めて笑った。



「鏡花さん。切っ掛けさえあれば、あなたもああいう風になるわよ。きっと」

「え? わ、私もですか?」

「ええ、そうよ」

 例えば、私がここで彼女に口づけをしたりすれば、きっとあんな風に……ふわふわと夢見心地な振る舞いを見せてくれるんじゃないだろうか。つまり、神崎綾の行動がおかしいのはその手のことが原因なんだろう。



「恋は人を狂わせる、というのはあながち本当なのかしらね」

「あ……そうか。綾ちゃん、ひょっとして」

「あまり詮索しちゃ駄目よ? 今は、しばらく浸らせておいてあげなさい。誰かに話したくなったのなら、こちらが耳を塞いでいても話してくるでしょうし」

「は、はい」

「じゃあ、綾さんがミスしないように、フォローしてきてあげて」

「はい!」

 綾の異変は要するに恋愛関係が原因だ、ということを鏡花も察したのだろう。心配の滲んだ表情から一転して、なんだか、好奇に目を輝かせて彼女は書庫の方へと小走りに戻っていった。そんな鏡花の後ろ姿に私は小さく苦笑してから、傍らの鈴に視線を向けた。



「さて、鈴。相手は誰だと思う?」

「詮索はしないのではないのですか? セリア」

「詮索じゃないわよ。先輩として後輩の異常を把握しておくことは義務でしょう?」

「素直には同意しかねる物言いですね」

「ふふーん。でも、あなたも気になるでしょう」

「……多少は」

 鈴は手にしたファイルを私の前に置きながら、小さく首を縦に振った。そして、眼鏡越しに気遣わしげな視線を私の顔と後輩達のいる書庫の間で往復させる。



「綾さん、先週は明るく装っては居ましたが、時折、鬱々とした感情のようなものが見えましたから」

「それが週を開けてみれば、あの浮かれようだものね。誰だって心配になるわよね」

「それでセリア。彼女の相手は誰なんです?」

「あら、私が知っていると思うの?」

「ええ。そういう顔をしていますから」

 しれ、と特に表情も変えずに頷く鈴に、私は「つまらないなあ」と嘯きながら小さく肩をすくめた。



「ま、鈴に隠し事はできないか。いいわ、教えてあげる」

「ええ、是非」

「速水会……速水龍也のファンクラブのこと。知ってるでしょ?」

「ええ。もちろん去年の事もありますから」

「余計なことは言わないの。それよりその速水会の子達が朝に少し騒いでいたのよ。彼が女の子と「天国への門」に遊びに行ったらしい、って」

「……なるほど」

 私の言いたいことがわかったのか、鈴は納得したように頷いた。



「つまり綾さんと速水君が週末にデートしていた、ということですか」

「その可能性はあるわね。ま、二人っきりじゃなかった、ていう情報もあるんだけど」

「なるほど」

「どう思う?」

「……そうですね。その情報だけで判断を求められるのなら、二人の間に何かの進展があったと見るべきでしょうね」

「ふふ。慎重な物言いね」

 恐らく鈴は、私がまだ情報を出し惜しみしている、ということを見抜いているのだろう。



「あなたは綾さんの相手が速水君ではないと考えているのですか?」

「ふふ。私もそう考えるのが普通だって思うわよ」

 速水龍也と神崎綾。共に容姿端麗で、成績優秀。もし二人が付き合っているのだとしたら絵に描いたような美男美女カップルの出来上がりな訳だけど。



「でも、それだと面白く無いでしょう?」

「……人の恋愛は面白いかどうかで決まるわけではないと思いますよ。セリア」

「そう?」

「そうです。それより、綾さんと遊園地に行った男性は、速水君だけではないのですね?」

「流石に察しが良いわね。そうよ。お兄さんも一緒だったらしいわ」

「……? 彼だけですか?」

「ええ」

 頷く私に鈴の表情が怪訝に曇る。私が何を言いたいのかを察してなお、同意しかねる、と言った表情だろうか。



「セリア。遊園地に一緒に行った同姓が神崎君と速水君なら、当然、綾さんの意中の相手は速水君と考えるべきではないでしょうか」

 確かに鈴の言うとおり。私だって、普通ならそう考える。だけど……



「兄と妹の禁断の愛の方が話として面白いでしょう?」

「面白くありません。不謹慎です」

 私の言葉をばっさりと否定して、鈴は呆れたように深々と息をつく。



「セリア。神崎君を気にかけるのは構いませんけれど、無理矢理、話題に絡ませようとしないでください」

「む。そんなつもりで言ったんじゃないわよ。それに無理矢理でもないわ」

「無理矢理も良いところです。兄妹での恋愛なんて、何の証拠も無しに言って良い物じゃないでしょう?」

「そうかしら」

「そうです」

「でも、証拠がないって訳じゃないわよ?」

「……え?」

「ま、状況証拠、って事ぐらいにしかならないけれど……聞きたい?」

「教えてください」

 素直に頷く鈴に、私は「いいわよ」と微笑んでから、昨晩小耳に挟んでいたことを彼女に伝えた。



「天国への塔、は知ってるわよね? あそこの目玉アトラクション」

「ええ、勿論」

「それ当分の間、操業停止になったの。知らない?」

「そういえば……、今朝の放送で、そんなニュースを聞いた気がします」

 私の言葉に、鈴は記憶をたぐるように軽くあごに手を当てながら頷いた。



「まさか、何か事故が?」

「けが人は出ていないようだけどね。でも、落下事故が起きたんだって。原因は「翼」の機能不全。でも、「翼」が機能不全に陥った理由は、未だ原因不明」

「……それは」

 大変なことですね、と鈴は僅かに表情を青くして呟いた。

 実は「天国への門」は、紅坂の魔法使いが何人か携わって建設されたテーマパークだ。あそこに変質的なまでに空間を意識したアトラクションが存在するのは、私の兄が設計に関与したことが大きな要因をしめる。だから、鈴は兄の責任問題などを心配してくれているのだろう。

 でも、まあその心配は不要だとは思う。確かに、紅坂の魔法使いたちが携わったテーマパークで「原因不明の事故」が起きるなんていうことは、彼らの名誉からすれば信じがたいことだろうし、責任問題は大きいのだろう。しかし、責任を感じるより、好奇心を煽られている馬鹿者が居たりするので鈴が心配する必要はない。具体的に言えば、私の兄のことけど。

 心配してくれている鈴には悪いけど、あの兄は二、三年、懲役でも受けた方が人格が矯正されるんじゃないかと思う。とまあ、兄のことなんてどうでも良いことだった。閑話休題。



「それで、その不幸な事故の犠牲者なんだけどね。誰だと思う?」

「まさか、その落下事故の被害者が……綾さんだと?」

「そう。そして、その彼女を救った……正確には救おうとした勇敢な男性が一人いるらしいの。女の子なら、その人と恋に落ちるのは当たり前だと思わない?」

「……セリア。まさか、その男性というのは」

「そう、それが彼女のお兄さん」

 あくま昨晩、電話口で騒いでいた兄の会話から得た断片的な情報からの推測だけど。でも、もし……私の推測が正しければ。



「昨日。妹さんはお兄さんに命を救われて、そして心を奪われた。私はそう思うのよね」

 そういって、私は自分の想像が、根拠のないモノではないと鈴に告げて、その反応を楽しんだのだった。



 /



 ……もっとも、このとき、私が口にした推測は鈴をからかうための「冗談」の域を出ないモノであり、まさか、それが「真実」に触れていたなんて事は欠片も思っていなかったのだけれど。


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