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第十三話 思惑錯綜、遊園地4(その2)

/2.強攻策発動(神崎綾)



 ……うまく行くのだろうか。

 佐奈に耳打ちされた強攻策に、私はそんな不安を感じながら、それでも佐奈の言うとおりに事態を見守ることにしたのだった。



 /



「塔がいくつもある?」

「……うん」

 いよいよ到着した本日最後のアトラクション「天国への塔」。そこに複数の受付があることに驚いていた兄さんは、その理由を聞いて面食らった顔で速水先輩の方を見る。そして慌てた面持ちで視線を目の前にそびえる白亜の塔を指さして、首を傾げた。



「でも、ほら。見えてるのは一本だけだぞ?」

「見えているのはね。それに「見えている」一本だって、そもそも幻の映像なんだよ。ほら、最初に説明したじゃないか」

「ああ、そうだった」

 速水先輩の説明に、兄さんはその事をようやく思い出したのか、納得したようにぽん、と手を打った。



「でも、そんなことって簡単にできるものなのか?」

「勿論、難しいと思う。でも、この遊園地を設計して運営している魔法使いの人たちは、きっと空間を操るのが上手いんだよ」

「空間?」

「うん。ほら、お化け屋敷の時も他の人達と会わなかったよね? 一つしかない場所に、複数の場所が存在し得るように現実を書き換える魔法。それを使っているんだと思う」

「……なるほど」

 果たして何処まで理解しているのかは分からないけれど、とりあえず納得したように兄さんは頷いている。多分、方法はわかったけど具体的にはどうやっているのかわからない、っていう辺りじゃないだろうか。



「まあ、それでも塔の数には限度はあると思う。そうじゃなかったら、チケットの枚数を制限する事なんて無いわけだし」

「あ、そうか」

 速水先輩の言葉に、兄さんは佐奈から配られたチケットに手を落とす。佐奈が苦労して手に入れてくれた「天国への塔」への入場券。確かに速水先輩に言うと通り、塔の数に限度がないのなら、入場無制限にしてしまえばいいのだからこのチケットが入手困難となることもない。



「……」

 そんな兄さんと速水先輩のやりとりを、私はやきもきした気持ちで聞いていた。速水先輩がここまで兄さんに語ってくれた事柄は、いわば前振り。つまり、ここからが本番なのだった。

 ……本当にうまくいくのだろうか。うずくような不安に、私はちらり、と目を動かして佐奈の表情を伺った。そんな私に佐奈は表情を変えないまま、ほんの僅かに首を縦に動かしてから、つん、と兄さんの腕をつついた。



「佐奈ちゃん?」

「先輩。グループ分けをしましょう。二つに分かれて別々の受付に並ぶのが良いと思います」

「え?」

 佐奈の提案に、兄さんは一瞬、目を瞬かせてから戸惑うように首を傾げる。



「なんで? そりゃ、塔がいくつかあるのは分ったけど、だからって、わざわざ別の塔に入ることはないだろ?」

「……っ」

 敢て別れる必要なんか無い、そう主張する兄さんに、私は思わず声を上げそうになったけれど、それを堪えつつ内心で激しく首を振った。



(違う。違うでしょう、兄さんっ! ここはあえて二人っきりになるための仕掛けなんだよ……っ!)

 焦れる想いにそう叫びながら、私はぐっと声を堪えて息を吸う。

 お化け屋敷に時にもそうだったけれど、この遊園地には、色々と二人っきりになるための方法が用意してあるようなのだ。正直、お化け屋敷の時は、呪い殺してあげようかとも思ったけれど、もし佐奈の思惑通りに事態が進むのなら、許してあげなくもない。だから……



(お願い。うまくいって……)

 そんな私の胸中の祈りに気付いたのかどうかはわからないけれど、速水先輩が佐奈の隣に進み出て躊躇いがちに口を開いた。



「良。それなんだけどね、えーと、やっぱりグループ分けしなくちゃいけないんじゃないかなあ、と」

「だから、なんで? ひょっとして人数制限あるのか?」

「う、うん。まあね」

「え、そうなの?」

 やや引きつった笑顔で事情を説明する速水先輩に、兄さんだけじゃなくて霧子先輩も寝耳に水、といった表情で目を見開く。



「あれ? そうだっけ。パンフレットには確か……」

「このチケットは少人数専用なんです」

 焦った様子でパンフレットを確認しようとする霧子さんを遮って、佐奈が申し訳なさそうに(みえるように)、小さく頭を下げた。



「本当は大人数でも大丈夫だったんですけど……そっちのチケットはとれなくて」

「チケットに種類があるの?」

「はい」

 霧子さんの問いかけに、佐奈は真顔で頷きをかえす。



 勿論、嘘だった。

 十人以上なら制限はあるけれど、流石に、「二人までしか使えない」なんていう制約は、この塔にはない。



 だけど霧子さんに答える佐奈の表情はいつもの通り平然としていて、嘘をついているという引け目も動揺も微塵も浮かんではない。……我が友人ながら、ここまでポーカーフェースで嘘を突き通せるとは、恐ろしくもあり、でも頼もしくもあった。



「龍也。そうなの?」

「そ、そうみたいだね」

 霧子さんの視線に、ひくり、と速水先輩は僅かに口元がひきつらせつつも、首を縦に振る。佐奈とは正反対のあからさまに怪しい挙動。だけど、霧子さんがその不審に気付いて声を上げるより先に、佐奈と私は素早く目配せをかわすと、行動に出ていた。



「それで、グループ分けの提案なんですけれど、さっきとは違うように分かれたいんです」

「ということで、兄さんはこっちに」

「ということで、桐島先輩はこっちに」

 佐奈のその台詞に会わせながら、私は兄さんの手を、そして佐奈は……霧子さんの手をがっしりと握った。



「え?」

「私は桐島先輩とご一緒したいですから」

「さ、佐奈ちゃん?」

 佐奈の行動に戸惑いの声を上げる霧子さん。でも、そんな霧子さんの声を無視して、佐奈は更に大胆に腕に抱きついた。



「え、ちょ、ちょっと?」

「速水先輩も、こちらで。いいですよね?」

「う、まあ」

「いいですよね?」

「はい……」

 促す佐奈に、速水先輩は快く(?)頷いて、佐奈が張り付いているのと反対側の腕を取る。



「龍也? ちょっと、あんたまでどうしたのよ?」

「ご、ごめん、止むにやまれぬ事情が」

「事情って、何よ」

「うう、協力を頼んだツケというか、代償というか、取り立てというか」

「なによ、それ! って、いいから、ちょっと放しなさいよ! 事情があるならちゃんと聞くから!」

「では、そういうことで。綾と良先輩はお二人でお願いします」

 いきなり両腕を抱え込まれて抗議の声を上げる霧子先輩だったけど、当の佐奈は平然とした表情を崩さないまま、ぺこり、と私と兄さんに向かって頭を下げた。



「え、いや、え?」

 唐突な展開に戸惑いながらも、兄さんは佐奈たちを押しとどめようと一歩を踏み出しかける。その兄さんを、私はぐい、と手を引っ張って止めた。



「だから、兄さんはこっちなの」

「あ、綾?!」

 当惑する兄さんの声を無視して私は佐奈たちとは違う受付へと兄さんを引っ張っていく。……多分に強引だけど、でもここはあえて強引に押し切る。それが佐奈から提案された方法。だから、ここで兄さんに行って貰っては困るのだった。そんな私たちに佐奈はうっすらとした笑みを、速水先輩はそこはかとなく引きつった笑みを浮かべて手を振ってくれた。



「お二人は仲良く楽しんできて下さいね」

「良。ほ、ほどほどにね……?」

「こら、龍也! 何がほどほどなのよ?!」

「じゃあ、私たちも行きましょう。速水先輩、桐島先輩」

「うう、そうだね」

「だから、こら、放しなさいよ、あんたらー!」

「……速水先輩」

「ご、ごめんね、霧子……えい」

「きゃあ?!」

「き、霧子?!」

「はい、兄さんはこっちですよー」「

「綾、こら、ひっぱるな! って、いや、ちょっと待て! 今、魔法使わなかったか? 龍也?!」

「ごめん、良! あとで事情は説明するから!」

「いや、事情も何も、霧子、気絶してないか?! それ?!」

「大丈夫です。ちょっと体がしびれちゃってるだけで、意識はばっちりですから。では」

「あ、おい、ちょっと佐奈ちゃん?!」



 そして。

 兄さんと霧子さんの抗議の声を、見事に聞き流しながら私たちは(無理矢理に)二人を分断することに成功したのだった。



 /



「まあ、その……かなり無理矢理だったけれど。ごめんね?」

「ごめんね、ってお前らなあ」

 佐奈たちと分かれてから数分後、最寄りの受付に並びながら私は兄さんに「事情」を放しながら、小さく頭を下げる。そんな私に兄さんは呆れたようにため息をつきながらも「まあ良いか」と頷きを返してくれた。



「……まさか、佐奈ちゃんがそんなに霧子と一緒にいたかったとは」

「あ、あはは」

 私が兄さんに話した……というより佐奈から「これが筋書き」と教えられた「事情」。それは佐奈が先輩二人と親しくなりたいから協力して欲しい、というものだった。これまた唐突で強引きわまる話だったけれど、佐奈の話と行動が唐突で突飛なことはしばしばある。兄さんもそのことは重々承知しているので、深く疑うこともなくこの話を受け入れてくれたようだった。



 兄さんの鈍さと、佐奈の普段の性格が功を奏した、という所かもしれない。



「でも、龍也の態度は変じゃなかったか?」

「そ、そうかな? そんなことないと思うけど」

「……ま、いいか」

 暫し、疑問符を浮かべて首をひねっていた兄さんは、気を取り直したのか、ぽん、と私の頭に手を置いて笑ってくれた。



「せっかくのチケットなんだしな。俺たちは俺たちでちゃんと楽しもう。な」

「……うんっ」



 そうして、私はようやく兄さんとゆっくりと二人っきりになることが出来たのだった。



 /(速水龍也)



「めでたし、めでたし」

「何が目出度いのよ、何が!」

 僕がかけた「麻痺」の魔法。その効果が切れた後、霧子は声を荒げて僕たちをにらみつけた。



「……で、どういうことなのか説明はしてくれるんでしょうね?」

「いや、えーと。その、うん」

 ちなみにここは良たちが向かったのとは別の受付。その窓口で「人数制限があるのか」と確認した霧子に、受付の人が返したのは「10人までなら大丈夫です」との答え。当然、佐奈ちゃんと僕が嘘をついていたのはこの時点で発覚したわけで、その事が霧子の怒りに油を注いでいる。

 その怒りに思わず狼狽える僕を尻目に、佐奈ちゃんはいつものように感情の見えない顔で霧子を見つめて口を開いた。



「桐島先輩を拉致しました」

「その理由を聞いてるんだけど」

「私が霧子先輩に告白したかったからです」

「えっ?」

「嘘ね?」

「嘘です」

 流石に女の子からの告白には慣れているのか、佐奈ちゃんの言葉に動じる様子も魅せずに、霧子は彼女の嘘を指摘した。……途中で一人狼狽えてた僕はいったい何なんだろう。

 そんな僕の疑問はさておき、佐奈ちゃんは霧子の視線に心持ち姿勢を正して、そして小さく頭を下げる。



「強引な方法で、先輩にご迷惑をおかけしたのは謝ります。ごめんなさい。でも、私、今日は綾に良先輩と仲直りして欲しいんです」

「仲直り?」

「はい。最近、二人の中がちょっとぎこちないんです。……桐島先輩も気付いておられますよね?」

「うん、まあ、ね」

 佐奈ちゃんの言葉に、霧子は複雑な表情で頷いた。僕も霧子も、勿論、良と綾ちゃんの中がぎくしゃくしているのは気付いている。でも、気付いているからこそ二人を「二人っきり」なんていう危険な状況には置きたくなかったんだけど。



「だから、今日は綾と良先輩に一緒にいて欲しかったんです。なのに、今日は桐島先輩の良先輩の占有率が高すぎました」

「せ、占有率……?」

「接触率ともいいます。あるいは密着率でも可」

 いつも通りの淡々とした口調で、耳慣れない言葉を口にする佐奈ちゃんに霧子が戸惑いの表情を浮かべた。その頬が僅かに朱色にそまっているのは、まあ、「接触」だとか「密着」だとか言われたせいではないだろうか。



「桐島先輩も良先輩と一緒にいたいのは分ってます。でも、今日は綾に良先輩とちゃんと仲直りさせてあげたいんです。だから、お願いします。綾に二人っきりの時間をあげてください」

「……佐奈ちゃん」

 畳みかけるようにそういうと、佐奈ちゃんは霧子に向かってぺこり、とお辞儀する。本音を隠さない、本当に真正面からのお願いに、霧子は少し関心したように言葉を詰まらせた。そして僅かな沈黙を挟んで、小さく息を吐く。



「……わかった。ごめんね、気が回らなくて」

「ありがとうございます、先輩」

 佐奈ちゃんに小さく微笑む霧子は、その笑顔のまま、だけど微妙に引きつった声で僕の方にも声をかけた。



「あんたには、勿論後で話があるからね? 龍也」

「あ、あはは。ひょっとして怒ってる?」

「ふふふ。怒ってないって思う?」

「……思いません」

 ……やっぱり「麻痺」とかかけたのは怒ってるよなあ。



「まったく……でも、本当に二人っきりにした大丈夫かな……?」

「多分」

 不安げに零された霧子の呟き。それに頷きはしたものの、果たしてどうなるのか、本当の所、僕にもわからない。今日一日、綾ちゃんを見ていて、彼女の良への気持ちは、「妹」の領域を越えているって思えた。

 だから、いくら佐奈ちゃんとの約束があるからって、こういう遊園地みたいな場所で良と二人っきりにしちゃ駄目なのかもしれないけれど……今日一日、一生懸命、良の気を引こうと四苦八苦している彼女の姿を、脳裏に思い起こして。



「……少しぐらいは、ね」

 僕はため息混じりに肩をすくめて、誰にも聞こえないように、そっとそんな呟きを口にしたのだった。





/3.空に向かって(神崎良)



「つ、疲れた」

「もう、体力無いんだから。兄さんは」

「体力とかそういう問題なのか……?」

 綾にアクロバティックな飛行方法にさんざん引っ張られていたおかげで、塔の頂上へとたどり着いた時には俺はすっかり疲労困憊といった有様だった。体力もそうだけど、かなり魔力も削られてしまった気がする。



「翼を動かすのって、やっぱり魔力を使うんだな」

「そうみたいだけど、説明員さんは微量だって言ってたじゃない」

「そうだっけ」

「そうです。だから、兄さんに足りないのは体力と根性。あと妹への愛です」

「最後のはともかく前の二つは善処する」

「あー、ひどい」

 俺の台詞に不満げに頬をふくらませる綾に苦笑して、俺はとすん、と塔の頂上に腰を下ろした。塔の頂上部分は小さなテーブル程の大きさの円形になっていて、腰を下ろすとソファーみたいな感触がした。休憩するにはちょうど良い場所だった。



「というか、お前は大丈夫なのか? そもそもエアコースターじゃあんな有様だったのに」

「あのときは速度が怖かったんだもん。今はそんなに早く飛んでなかったでしょ?」

 上下は逆転してたけどな。口には出さずにそう呟いて、俺は自分の隣の「雲」をぽふぽふと叩く。



「とりあえず、お前も座ったら? ほら、ここ」

「……うんっ」

 俺の勧めに綾は嬉しそうに頷いて、空中で一回転してから綺麗に俺の隣に着地した。なんだか、本当に翼を自在に操れるようになっているらしい。そんな妹に感心しながら、俺はゆっくりと息を吐き、改めて眼下に広がる光景に見入った。



「大観覧車も凄かったけど、この眺めもすごいな」

「うん。凄いね」

 眼下に広がる現実離れした光景。雲の上から、大地を見下ろすという構図は大観覧車と変わらないけれど、ゴンドラという乗り物の中じゃなく、本当に翼で空を飛び、そして吹き付ける風を感じている分、「天国への塔」の方が、本当に空にいる感動が強かった。

 

「寒くないか?」

「あ、うん。大丈夫」

「そっか」

 風を感じる分、綾には寒いかもしれないと思ったのだけど、そうでもないらしい。日差しは暖かいせいもあるのかもしれない。

 綾の返事に頷くと、俺は少し離れた場所にはうっすらと朧気にかすむ蜃気楼のような影が見えることに気付いた。高さからしていくつかあるという「他の塔」なのかもしれない。だったら、影の周りを飛び交う白い影は羽を持って飛び回っている他のお客なんだろうか。それとも魔法によって描かれているただの幻に過ぎないのだろうか。

 どちらにしても、目の前に広がるのは天使達が飛び交う天上の風景にみえて、確かに「天国への塔」の名前に相応しいのかも知れないと思えた。



 ……本当はみんなと一緒に見たかった気もするけれど。

 でも、佐奈ちゃんの希望もあることだし、なにより綾との関係修復、というのは今日の一番の課題だったから、これはこれでいいのかもしれない。



「ね、兄さん」

「うん?」

「手……、握って言い?」

「ん? 魔力足りないのか?」

「もう……、そうじゃなくて」

「そうじゃなくて?」

「だから、その」

 俺の問いかけに、綾はなんだか言いづらそうに言葉を濁す。さっきは大丈夫だと言ったけど、やっぱり寒いのだろうか。

 それとも……別の理由があるのだろうか。思えば、今日はやけにスキンシップを求めてきてたような気もする。それは……綾なりの仲直りのつもりなのかもしれない。



「まあ、いいけど」

「ホント?!」

「本当だよ。ほら」

「あ……」

 だから、俺は綾の言葉に応えて、手を差し出し、その手を握った。

 握った手。そして、俺の顔の間で何度か視線を往復させた綾は、少し照れくさそうに微笑んで。



「え、えへへ。ちょっと照れるかも」

「……」

 そのはにかんだ笑顔に、俺はほんの一瞬、目を奪われて。



『好きな人、居ますか?』



 そして、そんな佐奈ちゃんに投げかけられた問いが、何故か頭の中で再生された。



「……」

「兄さん? どうかした?」

「え?」

「……何、考えてた?」

「あ、いや、景色が綺麗だなーと」

「うそ」

 誤魔化す俺の言葉をあっさりと否定して、綾が俺の顔をのぞき込む。



「兄さんの考えてることぐらいわかるんだから」

「ほう」

「私に見惚れてたんでしょ」

「いや、それはない」

「即答しないでよ!」

 まあ、正直、見惚れていた部分もあるけれど。兄としてそれはどうかと思うので黙っておこう。



「兄さんには妹への優しさが足りないと思います」

「そうかなあ」

「もう少し私のことを考えなさい」

「何故に命令形なんだお前は」

 綾の台詞に肩をすくめて苦笑したものの、実際の所、最近は綾のことをしょっちゅう考えてはいるような気がする。今さっきだって、佐奈ちゃんの言葉と同時に頭をよぎったのは、綾のこと。



 綾は、好きな人、いるのかな。



 頭に浮かんだのは、そんな疑問で、そして感じたのは、ちくり、と胸を刺す痛みだった。

 痛みなんて感じた、なんて霧子や龍也に言えば、また「重度のシスコン」の烙印を押されるんだろうな、って分っていたけど。でも、痛みを感じた理由は多分、「シスコン」ってだけじゃない。



「……あ、あのね?」

「うん?」

 なんとなくお互い言葉を形に出来ないまま、ただ雲の上から大地を見下ろしていた時間。躊躇いがちな言葉で、その沈黙を破ったのは綾が先だった。



「こうしてると、なんだか……その、えーと」

「?」

「こ、恋人みたいだよねっ」

「こ、恋人?!」

「あ、だ、だから、その他の人から見たらそう見えるんじゃないかな、って」

「あー、なるほど……」

 実のところ、俺と綾は一目で兄妹と分かるほどはっきりとは似ていないらしい。レンさん曰く、面白いほどに俺は父親に似ていて、綾は母親に似ている、ということだった。まあ、髪質については俺は母親に似ていて、綾は父親に似ているらしいんだけど。

 だから、まあ、こういう場所で、こんな風に手をつないでいれば端から見ればそう見えるかもしれない、と俺は納得して頷いた。



「まあ、そうかな」

「ホントに?!」

「うお?!」

 あまり深く考えずに頷いて俺に、対する綾は何故か勢い込んだ様子で身を乗り出す。



「ホントに? ホントにそう思う?!」

「だ、だから、他人から見ての話、だよな?」

「そうだけど、そうだけど、そう思うんだよね?!」

「えーと、まあ、うん」

「そっか……そうなんだ。兄さんもそう思うんだ。え、えへへ」

 何がそんなに嬉しいのか。綾は心底嬉しそうにはにかむと、俺の手を握る力を少し強めた。

 笑ったり、怒ったり、また笑ったり。そんなコロコロと変わる綾の感情に、俺は胸に抱えていた疑問を形にしようと決めて、口を開く。



「なあ、綾」

「何?」

「最近、何に悩んでる?」

「え……?」

 今日だけじゃないくて、生徒会入りからの綾の行動とそれに加えての情緒不安定っぷりは流石に何か原因があるはずだった。

 今みたいに嬉しそうにはしゃいだり、かと思えば、いきなり怒り出したり。今までだって多少はそういう傾向はあったけれど、最近はその浮き沈みの度合いが激しいような気がして成らない。

 レンさんや、霧子や龍也はなんとなく俺が深入りしないほうがいいような素振りを見せるけれど……やっぱり、放ってなんかおけない。結局の所、今日の目的はその問題を解決したいからなのだから。



「べ、別に悩みなんか無いよ」

 そんな俺の問いかけに、綾は露骨に困惑を浮かべて、素早く俺から目をそらす。



「嘘だ。お前の考えることぐらい……半分ぐらいは分かるんだぞ」

「嘘。半分もわかってません」

 俺の言葉にむっとした表情で振り向くと、綾は小さく舌を出しながら責めるような視線で俺を睨んだ。



「兄さんは鈍感すぎるし、繊細さがありません。だから、1割ぐらい」

「い、一割か」

 中々に厳しい評価に、軽くショックを受ける俺だった。けど、綾はそんな俺に小さく苦笑すると、視線を大地に落としながら、小さく呟くように言葉を零す。



「でも……うん。悩んでるのは、本当、かな」

 そう言って、綾は俺の手を握ったまま、言葉を切った。



「……」

「……」

 そのまま言葉が続かない。何かを言おうとして、躊躇っている。そんな雰囲気は伝わってくるけれど。果たして綾は何に迷って、躊躇っているのか。



「好きな奴ができた、とか?」

「……え?!」

 こんな話題を綾に振る事なんて滅多にないからか、綾は目に見えて狼狽えて顔を赤く染めていく。



「ど、どうして? どうしてそう思うの……?!」

「いや、なんとなく」

 さっきから頭に浮かんでいた疑問だったし、観覧車での佐奈ちゃんの態度に誘発されたのかも知れない。



「なんとなくって……じゃあ、相手が誰とかわかってないの?」

「全く」

「そ、そうなんだ……」

 俺の返事に安堵したような、落胆したような。微妙な表情で綾は息をつく。でも「好きな奴ができた」という言葉自体は、否定しなかった。



(……そっか。好きな奴、できたんだな。綾)

 その想いに、安堵と痛みが胸の中で渦巻いていく。



「誰が好きなんだ?」

「……訊きたい?」

「いや、言いたくないならいいけど」

「聞きたくないんだ?」

「聞きたいような、聞きたくないような」

「もう、はっきりしてよぅ」

「痛てて」

 煮え切らない返事を繰り返す俺の耳を引っ張ると、綾は短く息をついてから、言った。



「兄さんは……平気?」

「え?」

「私が誰かを好きになっても平気なの?」

「そりゃまあ、寂しくないって言えば嘘になるけれどな」

 そう。寂しくないって言ったら嘘になって。胸が痛まないって言っても嘘になるけど。でも、それ以上に。



「でも、まさか妹の恋愛を止めるわけにはいかないだろ? 兄として」

「……そう」

 それが普通。

 シスコンとか、ブラコンとか揶揄されるぐらいに一緒にいた俺たちだけど……でも、俺たちは兄妹だから。でも、いつかはお互い、それぞれの相手を見つけて、それぞれの道を歩かないといけないから。

 その俺の言葉に、綾は視線を背けたまま、小さく笑った……気がした。



「……そっか。でも、寂しがっては、くれるんだ」

「そんなに寂しくもないけどな」

「強がらない強がらない」

「強がってません」

「ふふーん」

 俺から目をそらしたまま、俺の返事に含み笑いで答えると、綾は俺から手を放してゆっくりと立ち上がる。そして、ばさり、と背中の羽を羽ばたかせて、綾が雲の舞台から舞い上がった。



 僅かに沈み始めた太陽。その陽を背中に、羽ばたくその姿は……お世辞じゃなくて、本当に天使のように見えた。



「……いるよ」

「え?」

「いるよ。好きな人」

「へ、へえ」 

 一瞬、本当にその姿に見惚れていた俺に投げかけられたのは覚悟した通りの綾の言葉。だから、俺も慌てる事無く言葉を返せる……はずだったのだけど、でも、答えた声は、何故かうわずった。



「俺の知ってる奴か?」

「……うん」

「そ、そうか」

 綾の態度に、胸が軋むように痛む。……ひょっとして、これは焼きもちという奴だろうか。



「驚いた?」

「いや、別に?」

「声、うわずってるよ?」

「うわずってない」

 いや、まあ、自分でもうわずってるのはわかるけど。なんか、こう……あれだ。上手く言葉が纏まらないほど、狼狽えているのがわかる。



 ……落ち着け、俺。こんなんだから、レンさんや霧子や龍也に「シスコン」といじられる羽目になるんだ。



「妬いてる?」

「妬いてない」

「妬いてるんだ」

「うるさいな」

「えへへ」

 狼狽える俺を尻目に、綾はなんだか、嬉しそうに頬をそめて口元をほころばせている。



「……」

 その笑顔に、また胸が軋んで、でもそれ以上に少し心が落ち着いた。

 綾が誰かを好きになって、そして笑えていることが……、素直に嬉しかったから。



 今の綾は好きな人が出来ても、その人と魔力を分け合えない。会長さんを例に上げるのは極端だけど、好きな人と魔力を分かち合いたいというのは、魔法使いとして当たり前の感情だ。だから、綾が誰かを好きになって、そして互いに魔力を分け合えないのは、その二人ともに少し辛いことのはずだった。



 『生きていくために必要な人と、好きになった人。その二つが重ならないことがあるのが、魔法使いの難点だね。魔法使いの憂鬱と、そう呼ぶ人もいる』ってレンさんが昔、一度だけ言ったこともある。それは、それこそ、綾のような魔法使いに当てはまる台詞。

 だから、そんな痛みを味わいたくなくて、そんな憂鬱に身を浸したくなくて、綾が誰かを好きになることにブレーキを掛けてしまっているのだとしたら……。そう思うことが辛かったけど。



 でも、綾は今、ちゃんと、誰かを好きになれているみたいだから。

 俺としか魔力を交換できないって言う枷が、綾の誰かを好きになる感情に枷を嵌めていなかったって事に、安堵する。



 正直、寂しいけれど、でも、綾がちゃんと他の誰かを好きになれていることが、なにより嬉しかった。



「相手が誰なのか聞いて良いか?」

「……どうしよっかな」

 逆光に翳って、その表情はよくみえない。だけど、悪戯っぽいその声には、迷いが滲んでいる気がした。



「聞きたい?」

「できれば、うん。聞きたい」

「どうして?」

「どうしてって」

 気になるから、というのが一番の理由だけど。綾が、他の誰かを好きになったのなら、ちゃんと応援してやりたいって思ってるから。例えば、相手が本当に龍也だとしてら、色々と協力してやれることはある。



「俺の知ってる奴なら、えーと、あれだ、色々と協力できるかも知れないだろ」

「……ふーん」

 そんな想いで返した言葉に、何故か少し、綾の声が尖った気がする。ひょっとして、そんなに難しい奴が相手なのだろうか。



「綾?」

「本当に……兄さんの知っている人だったら協力してくれる?」

「ああ、するよ」

「絶対?」

「絶対」

「嘘付いたら、何でも言うこと聞く?」

「お前な」

 からかっているのか、怒っているのか、判然としない綾の声。そんな妹の真意は測りかねたけど、俺は逆光の中の綾の瞳を見つめて、頷いて見せた。



「いいよ。嘘付いたら何でも言うこと聞いてやるよ」

「本当?」

「本当」

「絶対?」

「絶対」

 さっきと同じやり取り。だけど、綾の声からは少しだけ迷いが消えたような……そんな気がした。



「……あ、あのね」 

 胸の前で手を組み合わせる綾の姿は、まるで、祈るような者に見えて。

 僅かに朱に染まり始めた空を背中に、決意を込めて開かれたその目が……仄かに赤く色づいていた。



 ―――って、赤い、瞳?!



「綾?!」

 赤い瞳。それが意味する事柄に気付いて、俺が声を上げたのは、でも、遅すぎて。



「私が、好きなのはね―――」

 俺の呼びかけに気付いていないのか、祈りの姿勢のままに、そう呟いた綾は、そのままの姿勢で俺の視界から消えた。




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