第十二話 思惑錯綜、遊園地3(その2)
3.お昼ご飯(泉佐奈)
遊園地の一角に備えられた休憩場所。日当たりの良い場所にいくつかの丸テーブルと椅子が置かれているその場所で、テーブルの一つを占拠して、サンドイッチと飲み物、そしてパンフレットを広げながら、私たちは午後の行動について相談している。
そよそよとそよぐ風は公園の緑の香りに仄かに運んできてくれて、天気の良さも相まって、思わず眠りに落ちてしまいそうなほど心地よかった。けれど、眠っている場合ではないと、私は内心で気合いを入れ直す。
なにしろ、午後からは巻き返さなくてはいけないのだから。
現時点での綾と桐島先輩の戦歴を記すのなら、1対0で桐島先輩のリード、という所だと思う。お化け屋敷では桐島先輩は良先輩に文字通りべったりだったけれど、エアコースターでは綾は良先輩と仲良く絶叫していただけみたいだから。
(中々、思い通りにはいかないみたい)
胸中で呟いて、私は小さく息を吐いた。なにしろ、お化け屋敷で、良先輩と桐島先輩が二人っきりになってしまうなんて想定外も良いところだったので、あそこを提案した私としては綾に対して申し訳ない気分で一杯だった。だから……午後こそは綾の巻き返しのチャンスを作らないと。そう意気込んではいるのだけれど。
(……でも、どうしようか)
意気込みとは別として、具体的にはどうすればいいのか。考えを巡らしながら私は、皆さんの会話に耳を傾けていた。
「せっかくチケットがあるから『天国への塔』は確定だよな」
「うん。それは行かないと後悔するよ、きっと」
「それ以外でもあと一つは回れるのか。候補としては「雲のお城」と「大観覧車」だけど……」
「私は「雲のお城」が良いなあ。お姫様だよ、ほらほら」
そんな会話を交わしているのは、良先輩と綾。二人仲良く紅茶をすすりながらパンフレットをのぞき込んでいる。綾はエアコースターでの酔いも抜けたのか、楽しそうに良先輩の隣に座っている。対して良先輩はほんの少し浮かない表情を浮かべているように見えた。
「どちらかといえば、お城の方は遠慮したいな、俺は」
「えー、どうして? お姫様と王子様気分が満喫できるんだよ?」
「それを遠慮したいんだけど。お姫様、王子様の格好させる、とかじゃないのか?」
「そうだけど」
「じゃ、却下」
「えー!」
にべもない良先輩の言葉に、綾が不満げに頬を膨らませる。そんな綾の抗議に、良先輩は困ったように頬を掻きながら苦笑した。
「えー、って言われてもなあ。お前、お姫様の格好したいのか?」
「うん。だって、お姫様のドレスを着れるんだよ?」
「あ、ドレス、着れるんだ。それはチェックしてなかったな、私」
二人の隣……というか、良先輩の隣でコーヒーをすすっていた桐島先輩が綾の発言に興味を引かれたのか、綾の言葉に食いついた。綾の方は援軍ができた、とばかりに目を輝かせてパンフレットの頁をめくる。
「はい。ここのドレスって、すっごい綺麗なんですよ。ほら、これです」
「へー。これはちょっと惹かれるかなあ」
「そうですよね。桐島先輩、似合いそうですし」
「ありがと。でも綾ちゃんも似合うよ。うん、凄くかわいらしいお姫様になりそう」
「そ、そうですか」
桐島先輩の率直なお世辞に、綾は嬉しそうにはにかみながら、ちらちらと物言いたげな視線を良先輩に投げる。
多分「俺も綾のドレス姿は似合うと思うよ」みたいな発言を求めてのことだと思うけれど、当の良先輩は綾の視線に全く気づく様子もなく、パンフレットとにらめっこしていた。
……綾、ファイトです。くじけちゃ、駄目だよ。
「……兄さんのバカ」
「え?」
「なんでもないです。兄さんの意見なんかもう聞きません」
「何でいきなり怒ってるんだお前は」
「怒ってないもん」
「私は、今のは良が悪いと思うな。反省しなさい」
「何を反省するんだよ」
綾と桐島先輩に攻められている理由が分っていないのか、良先輩は思いっきり戸惑いの表情を浮かべて首をひねっている。そんな三人に楽しそうな視線を送っていた速水先輩が、不意に私の方に声を向けた。
「佐奈ちゃんはどっちがいいの?」
「そうですね」
向けられた問いかけに、私は少し考え込む。
綾は「雲のお城」でお姫様の格好をしたいみたいだし、昨日までの綾との会話でそれは知っていた。だから、私としても「雲のお城」に一票、と言ってあげたいんだけれど……。
「佐奈ちゃん?」
「速水先輩はどちらがいいですか?」
まだ少し考えが揺れている私は、時間稼ぎとばかりに質問の矛先を速水先輩自身に投げ返す。
「そうだね、やっぱり「大観覧車」の方が良いかな」
「そうなんですか。速水先輩なら、きっとお似合いなのに」
速水先輩の扮装した姿を思い浮かべて、私が素直に感想を述べると、先輩は少し照れたように頬を掻いた。
「そうかな。あんまり王子様、って柄じゃないんだけど」
「ですから、そっちじゃないです」
「え?」
速水先輩の王子様姿、というのは確かにそれはそれで似合うと思う。格好良いというよりは、品のある優しげな王子さま、という印象になるんじゃないだろうか。でも、それより速水先輩の扮装姿として私が思い浮かべたのはもう一つの衣装の方だった。
「お姫様の衣装、似合いそうです」
「え、えーと」
私の率直な感想に、速水先輩は困ったように呻いて、助けを求める視線を良先輩に向ける。すると今度はちゃんと視線に気づいた良先輩が、私に向かって小さく苦笑した。
「こら、佐奈ちゃん、からかっちゃ駄目だよ」
「ご免なさい」
窘められたけれど、その声にはあまり厳しさはなくて、良先輩自身もちょっとそう思っているのかな、って勘ぐってしまう。するとそんな私の考えに重ねるように、桐島先輩が小さく笑った。
「なんだか、良も「龍也ならお姫様が似合う」とか思ってそうよね」
「え、そうなの、良?!」
「思ってない。思ってない」
「本当に? 多分、めちゃめちゃ似合うわよ? 龍也のお姫様姿」
「それは分るけどさ」
「やっぱり 良、見たいの……?」
「いや、だから、無理にのらないで良いから」
何故か頬を赤らめる速水先輩に、流石に僅かに引きつった表情で良先輩が首を横に振る。
……実は、良先輩と速水先輩の関係について、怪しい関係を邪推する女子の集団が存在したりするのだけれど、こういう反応を見せられてしまうと、あながち邪推とも妄想とも言い切れないんじゃないのかな、って思ってしまう。
綾が龍也先輩に対してある種の警戒心を抱くのもひょっとしたら杞憂じゃないのかも。
「まあ、とにかく俺としては「大観覧車」に一票」
怪しい空気の会話を打ち切りたかったのか、良先輩は、ぱん、と手を一度打ち合わせてから話題を変えるようにそういった。
「あ、僕も観覧車」
「私は「雲のお城」がいいです」
「私もお城かなかな。色々楽しそうじゃない」
速水先輩、綾、桐島先輩。良先輩に続いて次々に自分の意見を決めてしまった。現状、これで2対2。つまり何処に行くのかは私の一票で決まることになる。
自然と私に集まる視線に、少し緊張しながらも、私は決めた答えを口にした。
「私は……、大観覧車がいいです」
「え、佐奈もそうなの?」
私が反対するとは思っていなかったのか、綾が意外そうに、目を瞬かせる。
「うん。少しおとなしめの奴が良いと思うから」
綾には悪いけれど、と私は意見を変えるつもりが無いと答えた。
本音を言えば私もお姫様の格好に興味はある。だけど「雲のお城」というアトラクションの性質は二人っきりになれるようなモノじゃないと思う。だから、ここは密室空間で二人っきり、という状態が比較的簡単に作れる「観覧車」を選ぶべきだって思った。綾の失地挽回に、そのくらいの状況を作らないといけないって思うから。
「残念。佐奈ちゃんのお姫様姿なんて絶対可愛いのに」
「ありがとうございます」
落胆しながらも笑顔で褒めてくれた桐島先輩に、私が小さく会釈を返すと、彼女はその視線を良先輩に向けた。
「ね、良もそう思うでしょう?」
「ああ、それは思う」
桐島先輩の言葉に、あっさりと頷いてくれる良先輩。その言葉に、しばし、私の思考が止まった。
……どうしよう。良先輩に、褒められてる。
「佐奈ちゃん?」
「いえ、私はやっぱり大観覧車がいいです」
一瞬、意見を変えてしまおうかと意志が揺れたけれど、でも、今日は綾のための日。だから、私は意見を変えるのを思い止まった。
「じゃあ、多数決の結果で大観覧車で決定だな」
「そうね。いいんじゃない?」
「じゃあ、どう分れようか」
では、行動開始、とばかりに三人の上級生さんたちが目を見合わせた。
パンフレットによれば観覧車は四人乗り。だから、三人と二人に分れることになる。つまりこの中の誰かは必然的に「二人きりの状態」に置かれることになるわけで、私としてはここで綾と良先輩をペアになってもらわないと困ってしまう。
間違っても「上級生組と下級生組」とか「男女別」とかいう組み合わせにはしてはいけないし、良先輩と桐島先輩のペア、というのは絶対に避けないといけない。
なら、どうするべきか。その問いに対して私は、一つの方法を用意していた。
「あの、良先輩」
「うん?」
「くじ引きにしませんか。「当り」の付いたくじと「外れ」の付いたくじで分かれる、というのでどうでしょう」
そう良いながら私は、手提げ鞄の中からヘアピンをいくつか取り出した。赤色のヘアピンのいくつかは、ピン先を青に塗ってある。昨日の晩、こういう状況を想定して……というか、お母さんに相談したら「こういう仕掛けぐらいは常備しておきなさい」と無理矢理持たされた物だったりするのだけれど。
……まさか本当に使うことになるとは思わなかった。やっぱりお母さんは頼りになる人だ。
「へえ、用意がいいね。じゃ、これで決めようか」
「そうね。簡単で良いわね」
「うん、せっかくの佐奈ちゃんの心遣いだしね」
良先輩、桐島先輩、速水先輩と先輩方は私の提案に、笑顔で頷いてくださった。その笑顔に、チクチクと罪悪感が刺激される。
……だって、私はズルをするつもりだから。
少し狡いけど、くじには少し細工がしてある。というより、くじ自体には細工は無いけれど、私が「イカサマ」をするつもりだった。
先輩たちが意思の確認のために視線を外した隙に、私が手のひらに握った五本のピン。それはすべて「当り」のピンなのだ。これを速水先輩、桐島先輩に先に引いてもらえば、その段階で組み分けは終了。
あとは当たりくじを全部「外れくじ」にすり替えてしまえば、綾と良先輩の組み分けも終了。無事に「綾と良先輩が二人っきり」の状況が出来上がる。
ちなみにどうして私がくじのすり替えができるのかといえば、勿論、お母さんに教わったから。まだお母さんみたいに、くじを一本一本自在に入れ替えられる程に器用じゃないけれど、誰かにくじを差し出す前に、手のひらの中のくじを全部すり替えるぐらいなら、多分、気付かれずにできるはず。
ズルをしてしまう事への罪悪感はぬぐえないけれど「目的があるなら手段はあんまり選ぶな」とはお母さんの教えだから、大丈夫。なによりも綾のがんばりを、私もなんとか応援したいんだから。
だから、私は動揺が顔に出ないように、いつも以上に表情を押さえて、手にした「当りくじ」を二人の先輩に差し出したのだった。
「じゃあ、先輩方、どうぞ」