第十一話 思惑錯綜、遊園地2(その1)
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魔法使いたちの憂鬱
第十一話 思惑錯綜、遊園地(その2) お化け屋敷後編
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1.取り残された人たち(神崎綾)
「きゃっ?!」
兄さんと速水先輩が置かれたランタンを持ち上げた途端、視界を覆った青い光に私は思わず悲鳴を上げて目を瞑った。
刹那、感じた僅かな浮遊感。そして、それが消えるのとほぼ同時、私の腕の中から兄さんの腕の感触がまるで幻のように消えて無くなる。
「……え?」
腕を振り払われたわけじゃない。まるで風船が萎んでしまったかのように、突然に消えて無くなった兄さんの感覚。その違和感に、私は慌てて目を開いて周りを見渡した。
「に、兄さん?」
青い光の残滓に浮かび上がるのは、先ほどと変わらないお化け屋敷の光景。
目の前には古びた机があって、背後には1階から続いてる階段がある。机の前では速水先輩が青白い光を零すランタンを持ち上げたまま、呆然とした表情で立ちつくしているし、私の横には驚きに大きく瞬きを繰り返している佐奈がいる。
そう、目の前の光景は先ほどと大きく変わらない。ただ……兄さんと、霧子先輩の姿がないことを除いては。
「……兄さん? 兄さん! 何処?」
何処に隠れているのか、あるいはびっくりして階段の下まで転げ落ちたのか、と辺りを見回しながら呼びかけると、佐奈と速水先輩も驚きから意識を取り戻したのか、視線を周囲に巡らしながら姿の見えない二人を呼んだ。
「先輩? 桐島先輩……?」
「良、霧子、何処? 二人とも無事?!」
暗い静寂に響く呼び声。でも、何度、私たちの声が静寂を震わせても、その呼び声に答える響きはどこからも返っては来なかった。
「……返事、ないね」
「ど、どうなってるの……?」
突然の事態に、私と佐奈は戸惑い目を見合わせる。そんな私たちの横、速水先輩はランタンの明かりで辺りを照らしながら、ため息混じりに首を振った。
「やられたなぁ。多分、こういう仕掛けなんだと思う」
「仕掛け、ですか」
「うん。このランタンが引き金になってたんだろうね。まあ、見るからに怪しかったけど……」
「ひょっとして、空間移動の魔法……ですか?」
小首を傾げて問いかける佐奈に、速水先輩は「違うだろうね」と呟いてから考えを巡らせるように少し視線を上げた。
「いくら評判の遊園地だからって、そんな規模の魔法は仕掛けないと思うよ。可能性は零とは言わないけどね」
「でも、現に―――」
現に兄さんと霧子先輩は消えている。そう言いかけて、私は速水先輩の意図に気づいて、小さく手を打った。
「そっか。空間移動に「見せかける仕掛け」ですね?」
「うん。多分そうだと思う。ほら、ここ」
私の言葉に頷きながら、速水先輩はしゃがみ込んで床をランタンの明かりで照らす。そして、ついさっきまで兄さんが立っていた場所を指さしながら言葉を続けた。
「ほら、ここ。よく見ると切り込みがあるよね? 多分、落とし穴になってるんじゃないかな」
「落とし穴ですか? それらしい音はしませんでしかけれど……」
速水先輩の言葉に、佐奈はまた小首を首をかしげた。確かに、彼女が言うようにそんな単純な仕掛けなら、いくらなんでも誰かは気づいただろう。そもそも落とし穴だっていうのなら、兄さんと霧子さんだけが落ちて、その兄さんにしがみついていた私が落ちないのは変だ。
そんな佐奈と私の疑問に、速水先輩は考えを巡らすように目を細めながら、答えを口に乗せていく。
「そうだね……多分、簡単な感覚麻痺の魔法を組み合わせたんじゃないかな。消えた方も残された方も「瞬間移動した」って思っちゃうようにね。あと……ひょっとしたら体を小さくするような魔法も組み合わせていたのかも知れない」
「縮小の魔法……そっか。それなら兄さんが私の腕からすり抜けちゃってもおかしくないですね」
「うん。確信は持てないけど、少なくとも瞬間移動ほど無茶な魔法じゃないしね」
感覚麻痺に物体縮小。二つとも高度な魔法には違いないけれど、瞬間移動に比べればまだ簡単な魔法になる。確かに可能性としては、そちらの方が高いだろう。
落ち着いた様子で考えをまとめていく速水先輩に、私は少し感心しながら頷いた。
「あ、でも、どうしてそんな仕掛けをしたんでしょう。脅かすだけにしてはちょっと手が込みすぎてますよね」
「そりゃカップル同士で分かれるためじゃないのかな」
「ああ、なるほど」
首をかしげる私に、考えを巡らせながら答える速水先輩の声。それに頷いて……、
「……って、え?」
次の瞬間、私の思考の中で、びしり、と何かがひび割れる音がした。
……今、先輩は、なんて言った?
「あの、速水先輩?」
「え?」
「今、なんて言いました?」
「え? だからカップ……あっ」
私の問いかけに一瞬怪訝な表情を浮かべた速水先輩だったけど、直ぐに私の意図に気づいたのか、瞬く間に表情を引きつらせた。「失言だった」と言わんばかりの彼の態度だったけど、それに構わず、私はただ問いを重ねる。
「誰と、誰が……カップルなんですか?」
「いや、あのね? 僕と綾ちゃんがカップルって言ってるわけじゃなくてね?」
「そっちの話をしてるんじゃないんです」
慌てた様子で首を横に振る速水先輩の言葉を、我ながら抑えた声で遮って、私は一歩、彼の方へと詰め寄った。
そう。私が気にしているのは、「そっち」なんかじゃない。問題なのは、ただ兄さんだけだから。
「兄さんと……誰が「カップル」だっておっしゃるんですか? 先輩は」
「あ、いや! 違うよ? 僕じゃなくて、ほら、遊園地の人がそう判断したんじゃないのかなーって」
「ですから、『どう判断した』んですか?」
「えー、えーと」
「……先輩?」
「あの……良と、霧子が……です」
「……そうですか」
怯えるように表情を引きつらせる速水先輩の返事に、私は小さく頷いてから息をついた。
「そう。兄さんと霧子さんがカップルだって、そうおっしゃるんですね?」
「いや、だから、僕が言った訳じゃないよ?! 今だって半分自白強要されたようなものだし……」
「強要?」
「違います! 決して強要なんかされてないです! いや、だからね? 僕が言いたいのは、仕掛けを発動させたのは僕じゃなくて遊園地の人であって、だから、僕じゃなくて遊園地の人がそう判断したんじゃないのかなって!」
何故か悲痛な声色で、速水先輩は必死に言い訳するように、早口で言葉を紡ぐ。でも、その言葉の内容は、正直な所、どうでもよかった。だって誰が判断したモノであれ……「そう判断した」人が存在する、ということは事実なのだから。
「あ、でも、ほら、誰を落とし穴に落とすかなんて運だけに決まったのかも知れないよ? うん、そんな気がしてきた。きっとそうだと思うよ。だから人選に根拠なんかないんじゃないかな」
「違います」
速水先輩の台詞を一瞬だけ頭の中で反芻して、即座に、私はその考えを否定した。
感覚麻痺にせよ、身体縮小にせよ、人の体に直接干渉する魔法を、こういう娯楽施設で「自動的に」発動させるとは思えない。万が一と考えて、何処かの段階で「誰かの意思」が介入したと考える方が自然だろう。
そしてここは演出が売りのお化け屋敷。その演出として、男女を二組に分けたというのなら……きっと誰かの「そういう判断」が働いたのだ。
つまり。その「誰か」は、兄さんと霧子さんをカップルと認定して魔法を発動させたのだ。そう……あんなにくっついていたのに、「兄さんと霧子さん」はカップルに見えて、「兄さんと私」はカップルに見えなかったんだ。この遊園地にいる「誰か」には。
「……なんでよ」
「綾。落ち着いて」
思わず漏らしてしまった言葉、それを耳にして佐奈がそっと私の腕に手を添えてくれた。
「とにかく、急ごう?」
「え?」
「だから、今、良先輩と桐島先輩は二人っきりなんだよ」
「あ……」
今は、顔の見えない遊園地の誰かに怒りを向けるより……顔が見えなくなってしまった二人を捜す方が先。そう諭してくれる佐奈の言葉に私は知らず手を打って、そして。
「暗闇の中で二人っきり……なんだよ」
「そ、そんなの駄目―――っ!」
突きつけられた事態の深刻さに、私は思わず悲鳴を上げたのだった。
2.カップルさんたち(神崎良)
「―――っ?!」
「ど、どうした?」
突然声にならない悲鳴を上げて、霧子が身をすくめた。慌ててランタンで辺りを照らしてみるけれど、それらしい「幽霊」は見あたらない。だけど、霧子は不安そうに俺の服の裾を握りながら、辺りの気配を探っている。
「い、今、悲鳴というか怒声みたいなもの、聞こえなかった?」
「怒声?」
「う、うん。なんか、こうものすごく恨みのこもったというか悲痛な女の子の声」
「いや、聞こえなかったけど……」
こわばった霧子の声に促されるように、俺はまたランタンを掲げて注意深く辺りを照らす。
「……とりあえず、おかしなモノは見えないけどな」
「ほ、ホント?」
「まあ、油断は出来ないけど」
なにせお化け屋敷だし、いつ何処で幽霊が出てくるかもしれないし、足下から生首が飛んできたっておかしくはないのだ。
でも、生首ぐらいならまだしも……他の仕掛けなら少し不味いことになるかもしれない。その思いに俺は霧子に呼びかけた。
「あのさ、霧子」
「な、なに?」
「手」
「手?」
俺の意図が分らなかったのか、一瞬、きょとんとした表情を浮かべた霧子は、次の瞬間には明らかに狼狽した表情で首を振った。
「な、何よ……別に、袖掴んでるぐらい良いじゃない」
「いや、そうじゃなくて」
「だったら、何よ」
「だから、ああ、ほら」
俺は服を掴む霧子の手を一度ふりほどくと、直ぐにその手を直接握る。突然の俺の行動にとまどったのか、一瞬、霧子が手を引こうとしたけれど、俺は強く手を握ってそれを放さなかった。
「ちょ、良……っ?」
「はぐれたら、不味いだろ」
どういう仕組みなのか俺にはさっぱり分らないけれど、このお化け屋敷に「人を分離する仕組み」があることは確かだ。
なら、万が一にも霧子と分断されるわけにはいかない。なにせ、みんなと一緒にいた時でも、こうして二人で居るときでさえ、霧子は恐怖を隠せていない。だったら、万が一、霧子が一人になってしまったら……そう考えると多少強引でも、離れないように手を握るぐらいはしておかないといけない。
まあ、腕を組んでいた綾と離れてしまったのだから、効果の程は怪しいかもしれないけれど、やらないよりはましだろう。お化け屋敷に一票を投じた責任もあるし、なにより、流石にそんなトラウマに残りそうな恐怖を友達に植え付けるわけにはいかないのだから。
「だから、離すなよ」
「……うん」
霧子の手を握るなんて、魔力を交換するときにいつもやっている行為で、今更照れることでもない。そのはずなのに、自分から手を握ったのが妙に照れくさくて、だから、照れ隠しに視線を外しながら告げた言葉に、霧子は拒絶の意思の代わりに、小さく頷いて俺の手を軽く握り返してきてくれた。
「……あ、あのさ」
「あ、手の力、強いか?」
「そ、そうじゃなくて」
躊躇うような僅かの沈黙。それを挟んでまた霧子は俺の手を握る力を込めながら、口を開いた。
「あのさ……ありがと」
「どういたしまして。まあ、お化け屋敷に決定したのは俺の責任だし」
「そうよね。うん、良が悪い」
「……お前な」
「冗談だって」
呆れた声を出す俺に、霧子は肩を小さくすくめて笑った。まだちょっと青ざめてはいるけれど、少しは落ち着いてきたみたいで、俺は内心で少し安堵の息をついた。
「あ、でも……綾ちゃんたちは、大丈夫かな」
「あいつは大丈夫だよ」
「シスコンの癖に心配じゃないの?」
「じゃあ、探しに行くから、ここで一人で待っててくれ」
「じょ、冗談だって」
焦ったのか、慌てた様子でそう言って、霧子は俺に身を寄せた。
「でも、心配じゃないの?」
「だから、あいつはこういう事は平気なんだって。それに」
「それに?」
「まあ、龍也が付いててくれるからさ。変なことにはならないだろ」