第十話 思惑錯綜、遊園地1(その3)
4.お化け屋敷へ(神崎良)
料金を払ってゲートをくぐり抜けた先に見えた施設は、お化け屋敷の名前の通り確かに「屋敷」という印象があった。手入れされていない(と思われるように手入れしているであろう)芝生。煉瓦造りの外壁は、古びていていかにも「何か出そう」という雰囲気を醸し出している。ついでに言えば、今にも崩落しそうと言う印象まで醸し出しているのは娯楽施設としては、いささかやり過ぎ泣きもするけれど、どうなんだろう。
ちなみに、お化け屋敷の入場料を払って受け取ったチケットにはこんな一文が記されていた。
『ようこそ、この世とあの世の境界へ』
「うーん。もしかして「幽霊系」なのかな」
舞台とあおり文句から、俺はそう見当をつける。「怪物系」のお化け屋敷の方が、心理的には楽なんだけど……霧子は大丈夫だろうか。
そんな危惧に相変わらず二の腕あたりの服を握って放してくれない霧子に視線を落とすと、「幽霊」という言葉に、顔の引きつり具合がやや増したような気がした。
……ここまで怖がるとは、正直意外だ。だから、お化け屋敷を選んだことに軽い罪悪感を覚えたけれど……今更、「止めようか」と言って素直に頷くような霧子じゃないだろうし、ここは素直に心ゆくまで恐怖を堪能してもらおう。俺も右腕の服が伸びるのはもう諦めるし。
と、俺がお化け屋敷の内容とは全然違うところで、覚悟を決めていると、霧子が掴む腕の反対側の裾が不意にひっぱられた。
「……左側、キープです」
「佐奈ちゃん?」
声と感覚に振り向けば、控えめに、でも、放さないように強く、佐奈ちゃんが俺の服を握っている。
「あれ? 佐奈ちゃんも怖いの?」
「はい。好きなのと怖いのは別ですから」
問い掛けに素直に頷く佐奈ちゃんだったけど、その表情に恐怖は伺えない。いや、元々表情の変化は薄い子だけれど、それでも喜怒哀楽のかけらは目元口元あたりに滲んだりするのだけど……。
「あの……手、駄目ですか?」
「あ、ううん。いいよ」
まあ、霧子ががっしりと右手を占有しているのに、まさか下級生である佐奈ちゃんに駄目、なんて台詞言えるわけもない。それに、まあ……怖がってる二人には申し訳ないけれど、文字通り両手に花、という状態だし。正直悪い気はない。
「……嬉しそうだね? 兄さん」
「そんなことないぞ?」
俺の内心を見透かしたような、なんだかドスのきいた綾の言葉に、俺は慌てて首を振る。
「じゃあ、行こうか」
「そうだな。行こう」
龍也の苦笑する声に促されて、俺たち一行はお化け屋敷の中へと足を踏み出した。
先頭に俺、その両脇に霧子と佐奈ちゃん。その後ろに綾と龍也が続く、といった格好。怖いもの平気な(はずの)綾が先行するかな、と思っていたけれど、どうやら前に出る気はないようだった。
荒れた庭を進んでたどり着いた屋敷の入り口は重々しい木造の扉。外開きのその扉を、そろそろと引きあけていくと、仄かに冷たい空気が中から流れ出る。ほこりの臭いに鼻孔をくすぐられながら、中を覗くと人気のないロビーが薄闇に浮かび上がっていた。
「……誰もいない、のかな」
「そういえば、後ろからも誰も来ないね」
中をのぞき込みながら呟くと、龍也も少し不思議そうに後ろを振り返りながら首をかしげた。確かにチケットを切って貰ってから庭を通って、この扉につくまで誰にも会わなかったし、背後から他の客のはしゃぐ声も聞こえなかった。
……チケットを買うときには前にも、後ろにも結構な数の客の姿があったはずなのに。
「……」
「……」
「た、たまたまでしょ。それより、ほら、早く行こうよ」
「……了解」
威勢の良い台詞とは裏腹に、一歩も前に踏み出そうとしない霧子に、小さく苦笑して薄暗い屋敷の中へと足を踏み入れる。
ぎし、と小さく床のきしむ音と、空気に混じる木の臭いが屋敷の設定年代の古さを伝えるようだった。
外から観た屋敷の大きさから考えると、少し小さい印象を受けるロビー。そこにやはり人の気配はなく、上に続く階段と、奥に続く廊下が窓明かりと開け放った扉からの光に浮かび上がって侵入者を怪しげに誘うように暗闇に浮いている。
「結構……、雰囲気あるなあ」
目に映る光景に、知らず感嘆の声が口から漏れた。これなら「出ても」おかしくない。そう思わせる雰囲気に、期待とそして緊張感が胸に沸いて、少し、口が渇いてくる。
「な、なかなか本格的よね」
「ちょ、ちょっと怖いかも知れません」
俺のつぶやきに答えるように左右から聞こえてくるのは霧子と佐奈ちゃんの声……って、あれ?
違和感に気づいて頭を左に向けると、違和感が間違いじゃなかったことに気づいて俺は思わず目をむいた。
「……綾?」
「なに?」
「いや、何って。お前」
そう。なぜか俺の左腕の裾を掴んでいるのは「左側をキープ」した佐奈ちゃんではなくて、我が妹だったのだ。
「何時の間に佐奈ちゃんと入れ替わった?」
「さっき、中に入るとき。いいじゃない、わたしだって怖いんだから」
「……怖い?」
「怖いの。怖いったら怖いのっ!」
疑う俺の眼差しに、力一杯「怖い」と訴える綾だが……、正直、説得力がまるでない。
繰り返しになるが我が家で「ホラー映画」の類を鑑賞するきっかけはレンさんより、綾であることが多いのだ。その綾が「お化け屋敷を怖い」なんて言い出しても「何を今更」としか思えない。
……ちょっとして何か企んでるのだろうか。側に張り付いて不意を突いて驚かしてやろうと思ってるとか。
そんな疑念に、腕を掴む綾を見つめると、不意に綾の目に不安の陰がよぎった……気がした。
「……駄目?」
「……いや。駄目じゃないけどな」
感じた不安を肯定するように、綾の声が少し揺れる。それに気づいて俺は頷きながら背後の佐奈ちゃんに視線を投げた。
「佐奈ちゃんが平気ならいいけど」
「私は、綾の裾を掴んでるので平気です」
「……そ、そう」
そう答える佐奈ちゃんは確かに、ちょん、と綾の服の端を掴んでいる。
なんだか数珠つなぎ状態なんだが……、まあ良しとしよう。かなりおかしな事になってきている気もするけれど、アトラクションが始まればまあなんとでもなるだろう。
「でも、順路の矢印ってないのか? ここ」
「入るときに「ご自由に探索ください」、って言われたよね。だから自由に歩くんじゃないのかな」
「自由にって言われてもなあ。そもそもこの屋敷の目的って―――」
ロビーの中を見回しながら龍也と会話を交わしていると、それを遮るように、突如、バタン、と入ってきた扉が閉じた。
「……っ?!」
突然の物音とそして扉からの光の消失に、霧子が声にならない悲鳴を上げて、身を震わせる。
「あ、開かないっ?!」
閉まった扉に慌てて駆け寄った龍也が、ドアを押し開けようと手を押しつけながらそんな悲鳴のような声を上げた。
「まあ……そうだろうなあ」
「な、何を落ち着いてるのよ! 開かないって……閉じこめられたってことじゃない!」
「いや、だから「そういう演出」なんだろ。このお化け屋敷は」
動揺に引きつった霧子に、なるべく落ち着いて俺はそう答えた。
要するにこのアトラクション「目的」はここからの脱出ということなんだろう。閉じこめられた幽霊屋敷からの脱出劇。ホラー映画なんかではよくある設定だけど……お化け屋敷、というものの演出としてはちょっと意表を突かれた。
「ほとんど貸し切りじゃないと成立しないはずだけど……本当に他の客はどこにいるんだ?」
「魔法で監視して動きを精密管理してるのかも知れません」
俺の疑問に、佐奈ちゃんが冷静に答える。その様子はこの状況に微塵もおののいているようには見えない。……なるほど、綾と替わっても平気な訳だ。
「ともかく退路は断たれた訳だし、進むしかないわけだけど。どうする? 俺としてはまず一階の奥を見て回りたいんだけど……」
と、そこまで言いながら俺は状況の変化に気づいた。入ってきた扉が閉ざされたおかげで屋敷の中を照らすのは窓からのほんのわずかな明かりだけ。一層と光量の落ちた薄闇……いや、最早暗闇の中で、二階の階段の奥に青い光が揺れている……気がした。
「な、何、あれ……?!」
声を引きつらせながら明かりに視線を向ける霧子の手が、一層強く俺の服を握る。そして、
「幽霊……かな?」
なんとなく余裕ありげな気もする声で呟いた綾は……俺の服の袖を掴むのではなく、なぜか俺の腕に思いっきり抱きついてきた……って、え?!
「お、おいっ! 綾?!」
「大きな声、出しちゃ駄目……っ! こ、怖いんだから」
驚いて声を上げた俺を、小さな声で窘めながら、綾は尚も俺の腕を抱きしめる力を強くする。
「いや、ちょっと待て。ちょっと力、緩めろって……っ」
そこまで密着されると動きにくいし……いや、その、色々当たるわけで。兄を相手にしているとはいえ、ちょっと恥じらいというものを持って欲しいのですが、綾さん。
「あ、綾ちゃん……?! そ、それはちょっとくっつき過ぎじゃない?」
反対側の霧子も気づいたのか、綾の体勢に驚いて声を上げる。しかし、綾は顔を伏せたまま、更に力を込めて俺の腕を抱きしめる。
「し、仕方ないじゃないですか。怖いんですから。うん、だから、これは不可抗力で仕方ないんです」
「わかった、わかったから、とりあえず、力を緩めろって。歩けないだろ?」
「振り解いたり、しない……?」
「しないって。このままじゃ歩けないだろ?」
「……それでもいいけど」
「綾?」
「え? あ、なんでもないよ」
綾が何か変なことを口走った気もしたけれど、俺がそれを確認する前に、綾は誤魔化すように笑って力を緩めてくれた。
まだがっしりと腕は取られたままだけど……まあ、歩けないこともない。
「……綾。その調子。今のところ挽回成功」
「佐奈ちゃん?」
「なんでもないです。ただの独り言ですから。それより行きましょう」
「そうだね」
佐奈ちゃんに促されて、俺たちは二階の方へと上がっていくことにした。あからさまに誘いをかけるような青い光だけど、こういうアトラクションで「誘い」を回避していても仕方ない。
ぎしぎし、と床を踏みならしながら、暗闇の中、二階の奥から誘うように漏れる燐光を目指して、進む。
「……」
「……」
俺の両側の二人は沈黙を保ったまま。しかしながら、その沈黙の種類は微妙に違う気がしている。霧子は完全に緊張に声が出ないだけだと思う。だけど、綾の方はと言えば。
「……えへへ」
今、笑わなかったか。こいつ。
決して俺の方を見ようとはしないけれど、なんというか、腕に寄りかかってくる態度は、恐怖から逃れるためと言うより、じゃれついているみたいに感じてしまうのは気のせいなんだろうか。
まあ、おかげというかなんというか、俺の方もあまり恐怖を感じずに進むことが出来ているんだけど……。右側の緊張感と左側の緊張感のなさに挟まれながら進むことしばし。
「良。あれ」
「……ランタン、でしょうか?」
なだらかな階段を上りきった途端、背後から龍也と佐奈ちゃんがほぼ同時に指を伸ばして前方を指し示してくれた。その言葉に違わず、二階の入り口に置かれていたのは古びた机と、青い燐光を放つこれまた古びた……ランタンが二つ。
「って、ランタンって言うんだっけこういうの」
「そういえば、ランタンの実物って見たこと無いね」
綾が頷くように、俺たち兄妹はランタンの実物を見たことはない。ただ、目の前のガラスのようなもので出来た立方体の中には青い燐光が閉じこめられていて、その天井部分には持ち運ぶための取っ手がついている。少なくとも照明器具の類だと思えば間違いはないだろう。もっとも、中から漏れる青色の光は、明らかに「魔法」の臭いを感じさせるし、どのみちまっとうなランタンだとは思えないけれど。
その二つのランタンが置かれている机の向こう側には、奥へと向かう廊下が続いていて、そこには窓明かりさえ見えず、本当の意味の暗闇に閉ざされている。
「これを持って行け、ってことかな」
「多分、そうじゃないかな」
俺の推測に、龍也も同意して頷いた。あからさまに怪しいランタンだけど、流石に真っ暗闇の中を進むよりは、持って行った方がマシだろう。
「じゃあ、一個、龍也頼むな。もう一個は俺が持つから」
「了解」
やっぱりこういうのは男が持つべきだろう。そう判断して俺と龍也は頷きを交わす。
霧子は裾を掴んでいるだけなので、手を伸ばす分には支障ない。というか、左側はがっしりと綾に抱え込まれているのでどうあがいたって右腕で掴むしかない、っていうのが実情なんだけど。
だから、右手をランタンの方へと動かそうとすると、ビク、と霧子が体を震わせた。
「りょ、良。つ、掴むの?……それ」
「大丈夫だって……多分」
「た、多分って何よ、多分って」
「だから、大丈夫だって。ただの案内用のランタンなんだから、爆発したりはしないって」
まあ……なにか「出る」ぐらいはするかもしれないけど。そう内心で怯えた霧子に答えてから、俺はランタンに手を伸ばし……そして、ランタンの取っ手をつかんだ瞬間。
不意に視界が歪んだ気がした。
「え」
「きゃ」
「あ」
そして、耳に短く聞こえる三つの声。その声が途絶えたと気づいたときに、「左腕にかかっていた力」が消えた。
「綾?!」
急いで左に顔を振り向ければ、目に映るのはただ光を飲み込む暗闇だけで、やはりそこに綾の姿はない。その事実に青ざめながら俺は右側の霧子に慌てて視線を向け直す。
「き、霧子、平気か?!」
「だ、大丈夫……!」
俺が右手に握ったランタン。その明かりに照らしだされる霧子は消えてはいなかった……が、その顔色が真っ青なのは別にランタンの明かりが青いからではないだろう。
「龍也、佐奈ちゃん、無事か、って、いない?」
「い、いない? うそ……っ?!」
今度は背後に視線を向けるが、そこにはただ暗闇がわだかまっているだけ。二人の姿形も青い燐光に浮かび上がることはない。つまり、綾と龍也と佐奈ちゃんが―――消えたのだ。なんの前兆も、物音もなく、ただ、忽然と。
「……」
「……」
その事実に俺と霧子は、互いの顔を見合わせて、固まることしばし。
「ま、魔法か? そ、そうだよな……っ?!」
「そ、そ、そうに決まってるじゃないっ!」
内心の動揺を振り払うように、俺たちはわざと明るい声でその原因を予測する。だけど、言いながら二人とも内心では「ただの魔法じゃない」と気づいている。何しろ「瞬間移動」なんて魔法、実現できる条件はものすごく限定されるし、正直遊園地レベルで導入できるような規模の魔法じゃない。
じゃあ。どうやって、あの三人は消えたのか?
その仕掛けが想像できずに、俺と霧子はしばし笑いあった後に、むなしく沈黙して立ちすくむ。その沈黙を寂しげに手にしたランタンから漏れこぼれる明かりが照らす―――
「っ?」
そこまで考えて、ようやく気づいた。
「霧子」
「な、何?」
「いや、ほら、ランタンの台が、無いぞ……?」
「え、あ、あれ?」
俺の指摘に、ようやく霧子も事態に気づいたようだった。
綾たちだけじゃなく、目の前に置かれていたはずの机が無くなっており……ついでに言うのなら、後ろには「階段」がなく、周囲には朧気な明かりを運んでくれていたはずの「窓」もない。
「まさか」
「ひょっとして」
移動したのはひょっとして「俺たちのほう」なのか?
周囲の様子から、俺と霧子がその可能性に行き当たった、その瞬間。
『もう、帰さない』
「っ?!」
「きゃ、きゃああ?!」
不意に響いた「誰かの声」に、俺は声にならない悲鳴を、霧子は絹を裂くような悲鳴を上げたのだった。